「カラーで蘇る古今亭志ん生」 ― 2023-09-20
2023年9月20日 當山日出夫
寄席にはまったく縁の無い生活をしている。しかし、落語には興味がある。いや、日本語の研究資料として、その価値はあると思っている。無論、それだけではなく、芸能としての落語も好きである。まあ、時々、テレビで見るぐらいではあるが。
古今亭志ん生は、名前は知っている。だが、その生の舞台を見たという経験はない。私が大学生になったころに亡くなっている。
番組は、一九五五年に収録したもののカラー化である。一九五五年というと、ちょうど私が生まれた年になる。そのときの映像が、今まで残っていたことに驚く。
昔の映像のカラー化ということについては、私はあまり賛同しない。基本は、その当時の技術で残されたものを、そのまま残すべきと思っている。
しかし、古今亭志ん生についていえば、今回のカラー化は成功していると思う。何よりリアルであり、芸能としての落語の魅力を高めるものになっている。歴史的な資料として見るよりも、純然と娯楽として見て、十分に堪能できるものになっている。
おそらく落語について詳しい人が見れば、いろいろとコメントなどあるのだろうと思う。だが、落語に素人の私としては、見て楽しめればいいと思って見た。
余計な感想かもしれないが、この演目、今の時代にそのまま演ずることは、ちょっと難しいかもしれない。「女、三界に家なし」など、今では使わないことばになってしまっている。今の若い人たちは、知らないだろう。その他、たぶん今の時代では普通には使わないだろうということばがいくつかあった。まあ、これなどは、ことばの資料としての価値ということにはなる。
ともあれ、古今亭志ん生が名人であるゆえんの一端に触れた感じがした。
2023年9月19日記
寄席にはまったく縁の無い生活をしている。しかし、落語には興味がある。いや、日本語の研究資料として、その価値はあると思っている。無論、それだけではなく、芸能としての落語も好きである。まあ、時々、テレビで見るぐらいではあるが。
古今亭志ん生は、名前は知っている。だが、その生の舞台を見たという経験はない。私が大学生になったころに亡くなっている。
番組は、一九五五年に収録したもののカラー化である。一九五五年というと、ちょうど私が生まれた年になる。そのときの映像が、今まで残っていたことに驚く。
昔の映像のカラー化ということについては、私はあまり賛同しない。基本は、その当時の技術で残されたものを、そのまま残すべきと思っている。
しかし、古今亭志ん生についていえば、今回のカラー化は成功していると思う。何よりリアルであり、芸能としての落語の魅力を高めるものになっている。歴史的な資料として見るよりも、純然と娯楽として見て、十分に堪能できるものになっている。
おそらく落語について詳しい人が見れば、いろいろとコメントなどあるのだろうと思う。だが、落語に素人の私としては、見て楽しめればいいと思って見た。
余計な感想かもしれないが、この演目、今の時代にそのまま演ずることは、ちょっと難しいかもしれない。「女、三界に家なし」など、今では使わないことばになってしまっている。今の若い人たちは、知らないだろう。その他、たぶん今の時代では普通には使わないだろうということばがいくつかあった。まあ、これなどは、ことばの資料としての価値ということにはなる。
ともあれ、古今亭志ん生が名人であるゆえんの一端に触れた感じがした。
2023年9月19日記
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