「安克昌“心の傷を癒すということ” (1)そのとき何が起こったか」2025-01-08

2025年1月8日 當山日出夫

100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (1)そのとき何が起こったか

この番組を見るとき、事前に本を買って読むということはしないのだが、『心の傷を癒やすということ』は、買って読んだ。

読んでいろいろと思うことはあるが、私として、一つだけ書いておくべきだと思うのは、人間は心に傷を負うものである、というごく当たり前のことを、認識することの難しさであり、その重要さ、ということになる。

第一回の内容としては、トラウマということについての概略的な説明。これは、いまでは普通に使われることばになってきているが、三〇年前は、知られる用語ではなかった。こういう概念が社会のなかに浸透するだけでも、その価値はある。

ただ、精神医学の厳密な定義として使うことは、重要なことであろう。なにもかも、トラウマといえばいいということではない。しかし、だからといって、傷ついている人をほうっておいていいということにはならない。どんなことで、どんなふうに傷つくことがあるのか、そこには優しさと慎重さが求められることになると思う。

それから、ハネムーン現象ということ。被災した人間同士が、共同体意識を持つという現象。これは、その当事者だからこそ持ちうるものである、ということはふまえておくべきだろう。番組のなかでも言っていたことだが、外から絆とか連帯とかということを、気楽に言うべきではない。ここも、優しさと慎重さが求められるところである。

だいたい以上のことを思ってみることになる。

ここからどこまで一般的なことを導き出せるのか、という議論はあるべきだろう。災害などが起こったときの、人間の心理状態がどうなのか、状況の変化によってどう変わっていくものなのか、これは、状況によっても異なり、個人差もあることだろうが、ある程度は一般的な考え方が、有りうるかもしれない。これは、専門の精神医学、心理学などの専門家の調査研究によることになる。

2025年1月7日記

浮世絵ミステリー「歌麿・国芳 ヒットの謎〜江戸 メディアの闘い〜」2025-01-08

2025年1月8日 當山日出夫

浮世絵ミステリー 「歌麿・国芳 ヒットの謎〜江戸 メディアの闘い〜」

これも、『べらぼう』にあやかっての再放送だと思う。最初の放送は、二〇二一年。

見ていて(録画であるが)、時代を感じる。ほんの三~四年ほど前のことなのだが、この時代までは、SNSが肯定的にとらえられ、個人で発信できる新しいメディアとして認識されている。番組のなかでは、アラブの春とか、MeToo運動とか、出てきていた。ふりかえれば、この時代までがかろうじて、SNSが肯定的に考えられていた時代ということになる。

その後、アメリカ大統領選挙、日本での都知事選、兵庫県知事選、これらがあって、今では、SNSで人間はバカになる、SNSのことを信じるのは愚か者である、というふうに変わってきた(これは、主に、これらの選挙で敗れることになった、いわゆるリベラルの側からの言い分という面があるが。)

あつかっていたのは、歌麿と国芳。歌麿の美人画、国芳の役者絵、風刺画、というあたりを主にとりあげてあった。史実として、歌麿と蔦屋重三郎とは関係があるので、今のこのときに再放送というのは、あっていいだろう。

浮世絵についていろいろと思うこともあるけれど、それよりも気になったことを書いておきたい。

寛政の改革、天保の改革と、出てきた。贅沢禁止、浮世絵や芝居などの禁止、という政策になったのだが、では、なぜこれらは禁止されなければならなかったのだろうか。飢饉で人びとが疲弊し、物価が高騰する……として、これに対する対策として、贅沢禁止が合理的な政策であるという理由が、分からない。近世の経済史として、贅沢禁止ということのもっていた、具体的な政策の意図と効果はどんなものだったのだろうか。

それから、国芳が安政の大地震の後、『安政見聞誌』をあらわしていることは、現代の観点からは、地震などの災害の記録としての価値を見出すことになる。

権力と表現ということについては、表現を規制しても、その穴をかいくぐって新しい表現の手法が出てくる、これは、いたちごっこになる。また、規制が強すぎると、(いまでいう)地下出版というようなことになる。

権力側としては、見せしめ的に有名な誰かを処罰して、後は、業界の自主規制にまかせる……ということになるのが、効率的ということである。このような考え方は、近代になってからの、言論統制のなかで継承されてきたことであるし、それは、現代の日本でも続いていることである。

風刺画についていえば、家紋で老中の水野忠邦が分かるというのは、それなりの知識が見る側にあってのことになる。おそらくは、武鑑の類になるのだろうが、これがどれほど江戸の人びとの間に流布していたのだろうか。

2025年1月4日記

「犬神家の一族〜エンターテインメントの革命児たち〜」2025-01-08

2025年1月8日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 「犬神家の一族〜エンターテインメントの革命児たち〜」

再放送である。二〇二〇年の放送。

映画の『犬神家の一族』は見ていない。だが、この作品が、日本の映画史において非常に重要な意味のある作品であることは理解できる。これが公開されて話題になったのは、私の学生のころだったが、見ようという気にはならなかった。

ミステリー好きの人間としては、この時代、角川文庫で横溝正史の作品を新しく刊行してくれたことは、とてもありがたかった。中学生から高校生のころ、シャーロックホームズから読み始めて、エラリー・クイーンをだいたい読んだ。創元推理文庫で主に読んだ。これも、今では、新しい翻訳に変わっている。それから、江戸川乱歩も読んだ。

ちょうどこの時期が、松本清張などの社会派推理小説から、綾辻行人や北村薫などの新本格へと移行するときになる。この間を埋めるのが、横溝正史の角川文庫によるリバイバルだったといっていいだろうか。

これは、出版の歴史としては、文庫本の作り方や売り方を大きく変えるできごとでもあったことになる。番組では、文庫本にカバーをかけ、キャッチコピーの帯をまくようになったのは、角川文庫からであるということだったが、そうなのかと、思い返してみることになる。

私が高校生ぐらいまで、文庫本というとパラフィン紙(でよかったと思うが)がかかっているのが普通だった。これを最後まで残したのは、岩波文庫だったはずである。

『犬神家の一族』であるが、角川春彦の経営戦略として、怪奇・土俗・ミステリー、これらをあわせもったものとして、横溝正史が選ばれたということらしい。話しをしに横溝正史のところに行った角川春彦が、もう故人だと思って遺族に話をするつもりで来た、というのは面白い。それぐらい、横溝正史は、忘れられた存在であった。

ただ、『八つ墓村』については、漫画版を記憶している。たしか、「少年マガジン」だったろうか、はっきりとは憶えていないのだが、子どもむけの漫画雑誌に連載されていたのを、とびとびに読んだことは憶えている。

横溝正史の『犬神家の一族』『八つ墓村』『獄門島』、これらの作品は、「探偵小説」である。ミステリー好きの人間としては、「推理小説」というよりも「探偵小説」という言い方を好む。

これも、歴史的にみれば、横溝正史や江戸川乱歩が書いた「探偵小説」は、「キング」「新青年」「宝石」などに掲載された、一般大衆向けの、ミステリーであり、怪奇小説であり、冒険小説である、このような雑多な娯楽性をもった読み物を創唱して言っていると、理解しておいた方がいいだろう。

市川崑は、子どものときに見た『東京オリンピック』が非常に印象に残っている。私が小学生のときだった。この映画の監督が市川崑であるということを認識したのは、高校生ぐらいになってからだったろうか。

『木枯し紋次郎』のテレビ版は、見ている。これは、同じ時間帯で「必殺シリーズ」と重なっていたので、どちらを見ようか悩んだものである。今のように手軽に録画できる時代ではなかった。上條恒彦の歌った『だれかが風の中で』は、今でも憶えている歌の一つである。原作の笹沢佐保の「木枯し紋次郎」も、大学生ぐらいのときに、文庫本で読めるかぎりはよんだ。これも、ミステリとして非常によく出来た作品ということもできる。

エンタテイメントということばが、普通に使われるようになったのは、私が大学生ぐらいからのことだったろうか。その流れのなかに、角川の映画もあったことになる。

番組のなかで、インタビューで誰かが言っていたが、アイデンティティーという新しいことば、という意味のことを述べていたが、このことばも、使われるようになったのは、私が大学生だったころからのことになる。これも、今では、ごく普通に使うことばになっている。

2025年1月6日記

「眩〜北斎の娘〜」2025-01-08

2025年1月8日 當山日出夫

眩〜北斎の娘〜

これも『べらぼう』関連で再放送ということになるだろう。最初の放送のとき、見逃して(録画しそこねて)あったものである。

北斎の娘、お栄のことは、このごろ取りあげられることが多くなったかと思う。葛飾応為の名で知られていることになる。

ドラマとしては、お栄のことを描きながらも、半分は北斎のことであったという感じである。富嶽三十六景のあたりから後のこと、ということになる。ベロ藍を北斎も使っている。この絵の具は、日本の絵画(浮世絵)に大きな影響を与えたことになる。

お栄が言っていたこと……光と影と色彩と、このことは、たしかにお栄(応為)の描いた『吉原格子先之図』などを見ると(これも今ではWEBで簡単に確認できる時代になっている)、確かに光と影を効果的につかっている。だが、日本の絵画史において、このようなことが自覚されるようになったのは、日本の浮世絵が、まさに紙くずとして海外に流出し、それが、ジャポニズムとして評価され、印象派の絵に影響を与え、さらに、それが日本に紹介される、というような結果としてではなかったろうかと思うのだが、日本の美術史、絵画史の研究ではどう考えられていることになるのだろうか。

北斎は、長塚京三だったが、たしか、去年放送の広重のドラマでも、北斎の役は長塚京三だったように憶えている。西村屋与八が西村まさ彦であるのは、『べらぼう』と同じである。

演出として気になったことは、お栄(宮﨑あおい)が基本的に正座で座る場面がほとんどなかったことである。これは、かなり意図的な演出であったと感じる。

北斎の工房というかアトリエというか、この乱雑さは、う~んこんなもんだったのかなあ、と思って見ることになる。ただ、この時代の浮世絵などが、工房での製作、つまり、共同での作業の結果であるということは重要かと思う。芸術が、芸術家個人のいとなみとして広く認識されるようになるのは、やはり近代以降のことというべきである。

それにしても、テレビのドラマで芸術家を描くというのは、いろいろと難しところがあるかと思う。去年の『光る君へ』でも、結局、芸術家としての紫式部、という側面はほとんど描かれることなく終わってしまった。ドラマとしては、面白いものだったが、このところがちょっと残念でもあった。

2025年1月5日記