「ライジング若冲 天才かく覚醒せり 完全版」 ― 2025-01-10
2025年1月10日 當山日出夫
再放送である。元は、二〇二一年のお正月ドラマ。それの完全版がBSであって、その再放送である。
源孝志の映像はいいなあ、と思ってみていた。何度見てもいい。今の日本で、テレビというメディアで、映像美を追求している一人といっていいだろう。映像に色気がある。ケレン味がある。「細雪」も「牡丹灯籠」も「中村仲蔵」も、どれもよかった。
まあ、これも、『べらぼう』のあやかり番組の一つとして、再放送したということもあるのかもしれない。江戸時代の美術の世界を描いたドラマである。蔦屋重三郎は、江戸で、歌麿や写楽とかかわることになる。ほぼ、それと同じころの京都を舞台にして、若冲を中心に、応挙、大雅、といった画家たちの若いころを描いている。
芸術を、ドラマで描くことは難しい。昨年の『光る君へ』を見ていても、たしかに平安時代のドラマとしては面白く作ってあったと思うのだが、芸術家としての紫式部という観点から見ると、ものたりないという気がしてならない。平安時代の一人の女性であるまひろ(藤式部)の物語……道長との恋であり、彰子の女房であった……としては、面白かった。しかし、芸術、文学としての『源氏物語』としては、描けていなかった。芸術家としての紫式部は、難しかったことになるだろうか。大石静の脚本としては、私は、同じく昨年に再放送した『オードリー』の方がいいと感じる。映画制作という、クリエイティブな仕事にかかわる人間の生き方、感じ方、考え方、これをいろんな登場人物の視点から、たくみに描いていたと思う。映画監督が芸術家というわけでは、必ずしもないのだが。
源孝志の脚本、演出もいいのだが、主演の中村七之助がうまい。芸術家の表情を目で演じている。
ただ、今の時代のテレビドラマなので、脚本としていささか説明的な部分があるのは、いたしかたないだろう。芸術家が、芸術とはなんであるか、科白で語ってもあまり意味があるとは思えない。作品がすべてある。だが、説明的な科白も、そう邪魔にならないように作ってあるのは、やはりドラマとして上手に作ってある。
大典顕常との関係は、今の時代のドラマとしては、こういうのもあっていいということである。それを、どう自然な人間の気持ちとして描くか、脚本、演出、演技の見せどころということになる。
先日、久しぶりに漱石の『草枕』を読んでいたら(Kindle版)、主人公が温泉宿についたとき、床の間に若冲の絵がかけてあるのに気づく場面があった。明治のころ、若冲は、どれぐらい評価されていたのだろうか。美術史にうとい私としては、ちょっと気になるところである。
2025年1月7日記
再放送である。元は、二〇二一年のお正月ドラマ。それの完全版がBSであって、その再放送である。
源孝志の映像はいいなあ、と思ってみていた。何度見てもいい。今の日本で、テレビというメディアで、映像美を追求している一人といっていいだろう。映像に色気がある。ケレン味がある。「細雪」も「牡丹灯籠」も「中村仲蔵」も、どれもよかった。
まあ、これも、『べらぼう』のあやかり番組の一つとして、再放送したということもあるのかもしれない。江戸時代の美術の世界を描いたドラマである。蔦屋重三郎は、江戸で、歌麿や写楽とかかわることになる。ほぼ、それと同じころの京都を舞台にして、若冲を中心に、応挙、大雅、といった画家たちの若いころを描いている。
芸術を、ドラマで描くことは難しい。昨年の『光る君へ』を見ていても、たしかに平安時代のドラマとしては面白く作ってあったと思うのだが、芸術家としての紫式部という観点から見ると、ものたりないという気がしてならない。平安時代の一人の女性であるまひろ(藤式部)の物語……道長との恋であり、彰子の女房であった……としては、面白かった。しかし、芸術、文学としての『源氏物語』としては、描けていなかった。芸術家としての紫式部は、難しかったことになるだろうか。大石静の脚本としては、私は、同じく昨年に再放送した『オードリー』の方がいいと感じる。映画制作という、クリエイティブな仕事にかかわる人間の生き方、感じ方、考え方、これをいろんな登場人物の視点から、たくみに描いていたと思う。映画監督が芸術家というわけでは、必ずしもないのだが。
源孝志の脚本、演出もいいのだが、主演の中村七之助がうまい。芸術家の表情を目で演じている。
ただ、今の時代のテレビドラマなので、脚本としていささか説明的な部分があるのは、いたしかたないだろう。芸術家が、芸術とはなんであるか、科白で語ってもあまり意味があるとは思えない。作品がすべてある。だが、説明的な科白も、そう邪魔にならないように作ってあるのは、やはりドラマとして上手に作ってある。
大典顕常との関係は、今の時代のドラマとしては、こういうのもあっていいということである。それを、どう自然な人間の気持ちとして描くか、脚本、演出、演技の見せどころということになる。
先日、久しぶりに漱石の『草枕』を読んでいたら(Kindle版)、主人公が温泉宿についたとき、床の間に若冲の絵がかけてあるのに気づく場面があった。明治のころ、若冲は、どれぐらい評価されていたのだろうか。美術史にうとい私としては、ちょっと気になるところである。
2025年1月7日記
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