『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」「常子、妹のために走る」 ― 2025-05-18
2025年5月18日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」「常子、妹のために走る」
このドラマは、最初の放送のときに全部見たかと憶えている。だが、あまり鮮明に内容を覚えている、登場人物のことがはっきりしているということがない。なぜだろうかと思うと……普通の人びとの普通の生活の感覚を描こうとしていながら、そのイメージが明確につかめない、ということなのかと思う。
たしかにドラマの作り方としては、非常に丁寧である。父親が死んで、それまで毎朝五匹焼いていたお魚が、四匹になっている、ということなど、演出が非常に細かいし、浜松の小橋の家のなかのものなども、なるほどそういう生活だったかな、と感じさせる作りになっている。
しかし、どうも小橋の家族は、みんなどこか、浮世離れしていると言ったらいいだろうか、今一つリアリティに乏しい。小橋家の家訓もそうなのだが、この時代にこんな家があったのだろうか、と感じるところがある。別にあってもおかしくはないのだが、それが説得力をもって描けているかどうかは、また別の問題としてである。
その一方で、お米のために運動会の二人三脚で頑張るというは、コミカルでもあり、見ていて面白いのだが、現実味に欠けると感じるところがある。運動会のために練習で走ったりしたら、よけいにお腹がすいてご飯をたべたくなるだろうに、と思ってしまうけれど、どうなのだろうか。おじさんがお米を食べてしまったからといって、それで、明日のご飯が食べられなくて飢え死にする、という心配があるようでもないし。
昔、見たときのことを思いだしながら、順番に見ていくことにしようと思っている。
2025年5月16日記
『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」「常子、妹のために走る」
このドラマは、最初の放送のときに全部見たかと憶えている。だが、あまり鮮明に内容を覚えている、登場人物のことがはっきりしているということがない。なぜだろうかと思うと……普通の人びとの普通の生活の感覚を描こうとしていながら、そのイメージが明確につかめない、ということなのかと思う。
たしかにドラマの作り方としては、非常に丁寧である。父親が死んで、それまで毎朝五匹焼いていたお魚が、四匹になっている、ということなど、演出が非常に細かいし、浜松の小橋の家のなかのものなども、なるほどそういう生活だったかな、と感じさせる作りになっている。
しかし、どうも小橋の家族は、みんなどこか、浮世離れしていると言ったらいいだろうか、今一つリアリティに乏しい。小橋家の家訓もそうなのだが、この時代にこんな家があったのだろうか、と感じるところがある。別にあってもおかしくはないのだが、それが説得力をもって描けているかどうかは、また別の問題としてである。
その一方で、お米のために運動会の二人三脚で頑張るというは、コミカルでもあり、見ていて面白いのだが、現実味に欠けると感じるところがある。運動会のために練習で走ったりしたら、よけいにお腹がすいてご飯をたべたくなるだろうに、と思ってしまうけれど、どうなのだろうか。おじさんがお米を食べてしまったからといって、それで、明日のご飯が食べられなくて飢え死にする、という心配があるようでもないし。
昔、見たときのことを思いだしながら、順番に見ていくことにしようと思っている。
2025年5月16日記
『チョッちゃん』(2025年5月12日の週) ― 2025-05-18
2025年5月18日 當山日出夫
『チョッちゃん』(2025年5月12日の週)
このドラマは、昭和の戦前の北海道の滝川と、東京を、舞台にして展開する。最初の放送のとき、全部をきちんと見たというわけではないのだが、なんとなく見ていたのを憶えている。
冷静に見ると、かなりきわどい社会の様子を描いていることになる。女学校の男性教師が、教えていた女生徒と、一緒に東京に行って一つの部屋で暮らすことになる。北海道では、農業がたちゆかなくなって、一家離散となる。少女は、あやうく妓楼に売られそうになるが、そこはなんとかなって、東京に行くことができた。
昭和の初めごろの歴史を思ってみると、これから本格的に昭和の大恐慌の時代をむかえることになる。ドラマのなかでは、まだ、関東大震災からの復興ということで、いまから思えば世の中の景気がよかったころ、ということになるだろうか。
このような時代を描いているのだが、あまり悲惨な印象はない。北海道の蝶子の家の両親の会話など見ていると、なんだかほっこりする。それと対照的ではあるが、東京の下宿先のおじさん夫婦の会話も、見ていると、東京の庶民の落ち着いた生活感が感じられる。
なにより蝶子が、この時代の世の中のことについて、何も知らないというか、あるいは、楽天的というか、といって深窓のお嬢さまでもないし、人並み以上にやさしく思いやりのある少女として描かれている。まあ、今のところ、音楽学校に通っているとはいえ、音楽の才能で抜きん出ているということはないようなのだが。
蝶子の表情には、品のよさがある。北海道から、安乃をつれて東京にもどることになるが、少女をいたわる母性的存在でもないし(まだそれほどの年齢ではない)、社会悪に対して毅然としているわけでもない(社会悪というような概念は持っていない)。ただ、不幸な少女の身の上を案じているやさしさが感じられる。
神谷先生も、見ようによっては、とてもだらしない男ということで、今の時代なら、非難囂々であるかもしれないのだが、今のところは、児童文学に理想を持ち、新しい生活をはじめようとしている。邦子も、男性の教員をたぶらかしたふしだらな女ということではなく、気持ちの純粋さを感じさせる。
昭和のはじめのころの社会として、個人の善意や努力だけではどうにもならないことが多くあったはずである。だからといって、国家や為政者が悪者として描かれているわけでもない。そういう時代にあって、それぞれに生きている人びとの生活の情感を、丁寧に描いていると感じる。
朝、BSP4Kで続けてみているのだが、はっきりいって、『あんぱん』より、『チョッちゃん』の方が面白い。少なくとも私には、『チョッちゃん』の人物描写の方がうなずける。この時代にこんな人が、こんなふうに生きていたんだ、と共感できるところが多い。
あえていえば、このドラマでは、正義の立場から悪である敵を批判する、というような視点はない。そうではなく、静かに人間というもの、その社会というものを、見つめている。そこには、穏やかだが、しかし、確実に多くの人びとの人の心に深くしみいるヒューマニズムがある。
2025年5月17日記
『チョッちゃん』(2025年5月12日の週)
このドラマは、昭和の戦前の北海道の滝川と、東京を、舞台にして展開する。最初の放送のとき、全部をきちんと見たというわけではないのだが、なんとなく見ていたのを憶えている。
冷静に見ると、かなりきわどい社会の様子を描いていることになる。女学校の男性教師が、教えていた女生徒と、一緒に東京に行って一つの部屋で暮らすことになる。北海道では、農業がたちゆかなくなって、一家離散となる。少女は、あやうく妓楼に売られそうになるが、そこはなんとかなって、東京に行くことができた。
昭和の初めごろの歴史を思ってみると、これから本格的に昭和の大恐慌の時代をむかえることになる。ドラマのなかでは、まだ、関東大震災からの復興ということで、いまから思えば世の中の景気がよかったころ、ということになるだろうか。
このような時代を描いているのだが、あまり悲惨な印象はない。北海道の蝶子の家の両親の会話など見ていると、なんだかほっこりする。それと対照的ではあるが、東京の下宿先のおじさん夫婦の会話も、見ていると、東京の庶民の落ち着いた生活感が感じられる。
なにより蝶子が、この時代の世の中のことについて、何も知らないというか、あるいは、楽天的というか、といって深窓のお嬢さまでもないし、人並み以上にやさしく思いやりのある少女として描かれている。まあ、今のところ、音楽学校に通っているとはいえ、音楽の才能で抜きん出ているということはないようなのだが。
蝶子の表情には、品のよさがある。北海道から、安乃をつれて東京にもどることになるが、少女をいたわる母性的存在でもないし(まだそれほどの年齢ではない)、社会悪に対して毅然としているわけでもない(社会悪というような概念は持っていない)。ただ、不幸な少女の身の上を案じているやさしさが感じられる。
神谷先生も、見ようによっては、とてもだらしない男ということで、今の時代なら、非難囂々であるかもしれないのだが、今のところは、児童文学に理想を持ち、新しい生活をはじめようとしている。邦子も、男性の教員をたぶらかしたふしだらな女ということではなく、気持ちの純粋さを感じさせる。
昭和のはじめのころの社会として、個人の善意や努力だけではどうにもならないことが多くあったはずである。だからといって、国家や為政者が悪者として描かれているわけでもない。そういう時代にあって、それぞれに生きている人びとの生活の情感を、丁寧に描いていると感じる。
朝、BSP4Kで続けてみているのだが、はっきりいって、『あんぱん』より、『チョッちゃん』の方が面白い。少なくとも私には、『チョッちゃん』の人物描写の方がうなずける。この時代にこんな人が、こんなふうに生きていたんだ、と共感できるところが多い。
あえていえば、このドラマでは、正義の立場から悪である敵を批判する、というような視点はない。そうではなく、静かに人間というもの、その社会というものを、見つめている。そこには、穏やかだが、しかし、確実に多くの人びとの人の心に深くしみいるヒューマニズムがある。
2025年5月17日記
『あんぱん』「海と涙と私と」 ― 2025-05-18
2025年5月18日 當山日出夫
『あんぱん』「海と涙と私と」
このドラマを、高知の田舎町にくらす二つの家族(朝田の家族と柳井の家族)の物語として見ると、これはこれで面白い。朝田の三姉妹の、それぞれの恋心のゆくえをたくみに描いていると感じるところである。海辺で、「椰子の実」を歌うシーンなどは、非常にうまくつくってあったと感じる。のぶと嵩の気持ちのすれちがいも、そうなのかなと思う。
ただ、その一方で、やはりささいなことかもしれないが、気になるところがいくつかある。
以下、批判的な視点から思ったことを書いておく。
のぶたち女生徒が慰問袋を戦地の兵隊さんに送った、その返事が学校にとどいた。戦地からの軍事郵便だから、基本的には葉書であったかと思う。画面に映っていたのを見ると、封書がかなりあった。封書であっても、その内容が問題なければよかったかとも思うが、はたして、実際にこのころ、中国戦線と日本との間の手紙のやりとりはどうだったのだろうか。
当然ながら、葉書にせよ、封書にせよ、検閲が必須である。ここは、検閲済みであることを示すように小道具として用意してあるべきところだっただろう。でなければ、すべて葉書にしておいた方がいいところである。
戦地との郵便はすべて検閲がある時代であった。当たり前のことだから、特にこのようなところまで映像で表現する必要はない、ということなのかもしれない。
しかし、もし史実をなぞってドラマが展開するとなると、この後、嵩は中国戦線に出征し、千尋は海軍にいくことになるだろう。戦場で、軍隊で、何を思うことになるのか、それを内地にいる家族やのぶたちに、手紙で伝えるということになるとしたら、それも、すべて検閲されるものである。どんなことを書いてもいい、ということではない。戦地で何を見て何を思ったのか、その思いを書きたいけれども書けない、ということがあったとするならば……こういうことこそ、このドラマで描くべきことであると思うのだが……昭和12年の時点で、戦地からの葉書や手紙の検閲ということは、きちんと描いておくべきことだったように思える。
番組の制作コストのこともあるのだろうが、女子師範学校で、実際にどのような教育がおこなわれていたのか、ここのところが、空っぽにすぎる。黒井先生が一人登場して、忠君愛国の教育方針を語っているだけであるし、その他には、なぎなたの稽古ぐらいである。戦前の女子師範学校で具体的にどのような教育がおこなわれていたのか、資料がまったくないわけではないだろう。(おそらくは、戦後の新しい大学になって作られた、各地の教育学部や、筑波大学(その前は東京教育大学であった)や広島大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学などに、残っている可能性がある。研究もあることだろうから、考証が不可能ということはないだろう。)
ここのところは、もうすこし、たぶんこんなだっただろう、でもいいから教室での実際の授業風景など、考えてみるべきではなかっただろうか。どういう教育をうけて小学校の先生になり、その結果として、小学校でどのような教育をすることになったのか、この流れは重要なことだろう。(これは、後に逆転することになる。そうだからこそ、その価値観の成立の過程はきちんと描いておくべきである。)
時代としては、昭和12年から13年であるから、日中戦争がはじまって、南京陥落ということがあった時をふくむ。しかし、このことは、ドラマのなかでまったく出てきていない。まあ、下手に出すと、思わぬところかクレームがとんでくるということも危惧されるかとも思うが、せっかくラジオがあるのだから、ラジオのニュースぐらいはあってもよかったかとも思う。南京陥落ということで、日本では大喜びをしていた時代があった、ということは描いておくべきこなのではないだろうか。(多くの日本人が、いわゆる南京事件のことを知るのは、後の東京裁判においてである。だからこそ、逆転する正義、ということになると理解している。)
NHKとしては描きたくないことかもしれないが、戦争に勝っているとき……少なくとも多くの国民がそう思っていたとき……このときの、世の中の雰囲気というのは、重要な意味をもってくることになるはずである。
週の最後、黒井先生が、女子師範学校を出て、結婚して……と言っていたが、おそらく、この時代、女子師範学校の教師である女性は、東京女子高等師範学校か、奈良女子高等師範学校、の卒業だろうと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。これらの学校は、各地の女子師範学校の教員を養成するという目的があったはずだと思っているのだが。
嵩からのぶにあてた手紙が偽名であると、黒井先生は言ったが、これも、この時代であれば、手紙の宛名の筆跡から、その描き手が、男性であるか女性であるかすぐに判別できたはずである。黒井先生ならば、封筒の宛名の文字を見て、「これは男性の書いたものですね」と言えたはずである。こういうことが言えないようなら、女子師範学校で国語を教えるというのはおかしい。
今でいうジェンダー差というのは、書く文字(筆蹟)にもおよぶというのが、(私にとっては)常識的なことである。(私が学生のときに履修して古文書学の講義で、現代のものであっても、その描き手が女性か男性か判別できないといけない、と習ったのを憶えている。これも、みんなワープロをつかうようになって、分からなくなってしまった。日本語と文字との歴史かとも思う。)
繰り返しになるが、東京と高知がすぐに電話でつながる、戦地との手紙も検閲ということが出てこない、こういう状況設定で、この時代を生きた人間の気持ちをどこまで描けるのか、という気がするのである。
2025年5月16日記
『あんぱん』「海と涙と私と」
このドラマを、高知の田舎町にくらす二つの家族(朝田の家族と柳井の家族)の物語として見ると、これはこれで面白い。朝田の三姉妹の、それぞれの恋心のゆくえをたくみに描いていると感じるところである。海辺で、「椰子の実」を歌うシーンなどは、非常にうまくつくってあったと感じる。のぶと嵩の気持ちのすれちがいも、そうなのかなと思う。
ただ、その一方で、やはりささいなことかもしれないが、気になるところがいくつかある。
以下、批判的な視点から思ったことを書いておく。
のぶたち女生徒が慰問袋を戦地の兵隊さんに送った、その返事が学校にとどいた。戦地からの軍事郵便だから、基本的には葉書であったかと思う。画面に映っていたのを見ると、封書がかなりあった。封書であっても、その内容が問題なければよかったかとも思うが、はたして、実際にこのころ、中国戦線と日本との間の手紙のやりとりはどうだったのだろうか。
当然ながら、葉書にせよ、封書にせよ、検閲が必須である。ここは、検閲済みであることを示すように小道具として用意してあるべきところだっただろう。でなければ、すべて葉書にしておいた方がいいところである。
戦地との郵便はすべて検閲がある時代であった。当たり前のことだから、特にこのようなところまで映像で表現する必要はない、ということなのかもしれない。
しかし、もし史実をなぞってドラマが展開するとなると、この後、嵩は中国戦線に出征し、千尋は海軍にいくことになるだろう。戦場で、軍隊で、何を思うことになるのか、それを内地にいる家族やのぶたちに、手紙で伝えるということになるとしたら、それも、すべて検閲されるものである。どんなことを書いてもいい、ということではない。戦地で何を見て何を思ったのか、その思いを書きたいけれども書けない、ということがあったとするならば……こういうことこそ、このドラマで描くべきことであると思うのだが……昭和12年の時点で、戦地からの葉書や手紙の検閲ということは、きちんと描いておくべきことだったように思える。
番組の制作コストのこともあるのだろうが、女子師範学校で、実際にどのような教育がおこなわれていたのか、ここのところが、空っぽにすぎる。黒井先生が一人登場して、忠君愛国の教育方針を語っているだけであるし、その他には、なぎなたの稽古ぐらいである。戦前の女子師範学校で具体的にどのような教育がおこなわれていたのか、資料がまったくないわけではないだろう。(おそらくは、戦後の新しい大学になって作られた、各地の教育学部や、筑波大学(その前は東京教育大学であった)や広島大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学などに、残っている可能性がある。研究もあることだろうから、考証が不可能ということはないだろう。)
ここのところは、もうすこし、たぶんこんなだっただろう、でもいいから教室での実際の授業風景など、考えてみるべきではなかっただろうか。どういう教育をうけて小学校の先生になり、その結果として、小学校でどのような教育をすることになったのか、この流れは重要なことだろう。(これは、後に逆転することになる。そうだからこそ、その価値観の成立の過程はきちんと描いておくべきである。)
時代としては、昭和12年から13年であるから、日中戦争がはじまって、南京陥落ということがあった時をふくむ。しかし、このことは、ドラマのなかでまったく出てきていない。まあ、下手に出すと、思わぬところかクレームがとんでくるということも危惧されるかとも思うが、せっかくラジオがあるのだから、ラジオのニュースぐらいはあってもよかったかとも思う。南京陥落ということで、日本では大喜びをしていた時代があった、ということは描いておくべきこなのではないだろうか。(多くの日本人が、いわゆる南京事件のことを知るのは、後の東京裁判においてである。だからこそ、逆転する正義、ということになると理解している。)
NHKとしては描きたくないことかもしれないが、戦争に勝っているとき……少なくとも多くの国民がそう思っていたとき……このときの、世の中の雰囲気というのは、重要な意味をもってくることになるはずである。
週の最後、黒井先生が、女子師範学校を出て、結婚して……と言っていたが、おそらく、この時代、女子師範学校の教師である女性は、東京女子高等師範学校か、奈良女子高等師範学校、の卒業だろうと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。これらの学校は、各地の女子師範学校の教員を養成するという目的があったはずだと思っているのだが。
嵩からのぶにあてた手紙が偽名であると、黒井先生は言ったが、これも、この時代であれば、手紙の宛名の筆跡から、その描き手が、男性であるか女性であるかすぐに判別できたはずである。黒井先生ならば、封筒の宛名の文字を見て、「これは男性の書いたものですね」と言えたはずである。こういうことが言えないようなら、女子師範学校で国語を教えるというのはおかしい。
今でいうジェンダー差というのは、書く文字(筆蹟)にもおよぶというのが、(私にとっては)常識的なことである。(私が学生のときに履修して古文書学の講義で、現代のものであっても、その描き手が女性か男性か判別できないといけない、と習ったのを憶えている。これも、みんなワープロをつかうようになって、分からなくなってしまった。日本語と文字との歴史かとも思う。)
繰り返しになるが、東京と高知がすぐに電話でつながる、戦地との手紙も検閲ということが出てこない、こういう状況設定で、この時代を生きた人間の気持ちをどこまで描けるのか、という気がするのである。
2025年5月16日記
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