新日本風土記「奈良 菩薩が来た道」 ― 2025-07-08
2025年7月8日 當山日出夫
新日本風土記 「奈良 菩薩が来た道」
當麻寺の練供養は、テレビのローカルニュースでよく見るのだが、実際に行って見たということはない。昔からの地域の伝統行事の一つということで、知識として知っていたことである。
ただ、當麻寺といっても、実際にはいくつかの寺院の集合体といっていいかと思うので、ここは説明があった方がよかったかもしれない。単独に當麻寺という寺院がある、ということではないはずである。
二上山と當麻曼荼羅や中将姫のことは、日本の古代の文学史など勉強すれば出てくることである。(こういうことについて、そう深く勉強しようとは思わなかったのではあるのだが。)
練供養が、この地域にあるいくつかの講によってささえられてきた、寺の行事であるというよりは、民俗的な行事であることは、この番組で知った。
今のところ、練供養を継続できるだけの組織が残っていることになるが、これが、将来はどうなるだろうか。當麻寺のある葛城市は、どちらかといえば、人口減少の傾向の地域ではあるが、まだ危機的状況にあるということではない。だが、若い人たちが、この行事に関心を持って引き継いでいこうという気持ちがあるなら、当分の間は大丈夫かもしれない。
100メートル以上の木製の橋の上を行って帰ってくるだけかと思っていたのだが、実際の所作は、とっても大変なことである。重労働といっていいだろうか。練習もしなければならない。(これまでに、お寺の本堂の出入りとかでつまずいたり、ひょっとすると、橋の上から落ちてしまったようなこともあったかもしれないと思って見ていたのだが、はたしてどうだったのだろうか。)
テレビの画面で見たかぎりであるが、使っている仮面は、美術品としても非常によくできている。また、衣装も非常にいい。こういう民俗行事には、古くからのものを伝えていくと同時に、新しい綺麗なものを使っていこうというのも、これをささえてきた人びとの感覚であったということになるだろうか。
2025年7月4日記
新日本風土記 「奈良 菩薩が来た道」
當麻寺の練供養は、テレビのローカルニュースでよく見るのだが、実際に行って見たということはない。昔からの地域の伝統行事の一つということで、知識として知っていたことである。
ただ、當麻寺といっても、実際にはいくつかの寺院の集合体といっていいかと思うので、ここは説明があった方がよかったかもしれない。単独に當麻寺という寺院がある、ということではないはずである。
二上山と當麻曼荼羅や中将姫のことは、日本の古代の文学史など勉強すれば出てくることである。(こういうことについて、そう深く勉強しようとは思わなかったのではあるのだが。)
練供養が、この地域にあるいくつかの講によってささえられてきた、寺の行事であるというよりは、民俗的な行事であることは、この番組で知った。
今のところ、練供養を継続できるだけの組織が残っていることになるが、これが、将来はどうなるだろうか。當麻寺のある葛城市は、どちらかといえば、人口減少の傾向の地域ではあるが、まだ危機的状況にあるということではない。だが、若い人たちが、この行事に関心を持って引き継いでいこうという気持ちがあるなら、当分の間は大丈夫かもしれない。
100メートル以上の木製の橋の上を行って帰ってくるだけかと思っていたのだが、実際の所作は、とっても大変なことである。重労働といっていいだろうか。練習もしなければならない。(これまでに、お寺の本堂の出入りとかでつまずいたり、ひょっとすると、橋の上から落ちてしまったようなこともあったかもしれないと思って見ていたのだが、はたしてどうだったのだろうか。)
テレビの画面で見たかぎりであるが、使っている仮面は、美術品としても非常によくできている。また、衣装も非常にいい。こういう民俗行事には、古くからのものを伝えていくと同時に、新しい綺麗なものを使っていこうというのも、これをささえてきた人びとの感覚であったということになるだろうか。
2025年7月4日記
BS世界のドキュメンタリー「怒りの街の子供たち 〜ヨルダン川西岸 入植 拡大する中で〜」 ― 2025-07-08
2025年7月8日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「怒りの街の子供たち 〜ヨルダン川西岸 入植 拡大する中で〜」
2024年、パレスチナ、イスラエル、ドイツ、イギリス。
日本の報道では、たいていの場合、イスラエルかパレスチナか、どちらかが一方的に悪い、ということで番組を構成しがちである。今のところ、イスラエルのガザ攻撃の非人道性を非難するのが、基本になっている。
イスラエルとパレスチナの対立のそもそも原因、それをどこまでさかのぼって考えるかで、いろいろと立場があるのだが、これはとりあえずおいておいて、イスラエルとパレスチナに住む人びとが、どのような生活の感覚でくらしているのか、その一面を浮かびあがらせている。見ていて、いくぶん演出がかなりあるかなという部分もあるが、とりあえず、双方の言い分というか、気持ちがどんなであるか、ということは分かるかと思う。
ヨルダン川西岸への入植が国際法違反であるとしても、すでにそこに住んでいる人を、武力で攻撃して追い出していい、ということではない。(これには、反論はあるだろうと思うが。)
端的にいえば、憎悪の連鎖、ということになり、この気持ちは、10代ぐらいの子どもにも、深く根づいたものになっている。これは、そう簡単には消すことはできないだろうと感じることになる。
パレスチナの土地に対して、ユダヤの人びとも、アラブの人びとも、ともにここが自分たちの生きる土地である、故郷である、と強く思っている。この心情の対立には、そう簡単な解決策があるとは思えない。おたがいがそれぞれに、相手はこの世界からいなくなってしまえばいいと思っている限りは、どうしようもないだろう。国際社会としてできることは、紛争(テロでもあり、抵抗運動でもある)の犠牲が最小限になるように働きかけることと、犠牲者への人道的な援助ぐらいかと思うことになる。
この番組の作り方の視点としては、子どもに焦点をあてている。これは意図的にそうなのだろう。このことの根底には、純粋無垢なものとしての「子ども」という発想があってのことになると、私は見て思うことである。本来ならば、敵意も差別も憎悪もないはずの「子ども」が、敵対する相手への憎しみの感情をあらわにするからこそ、ことの問題は深刻なのだ……という価値観やストーリーが見える。子どもの純真さの絶対化とでもいうことができよう。こういう作り方があっていいとは思うが、しかし、子どもというのは、本当に純朴なものなのだろうか、これを疑うことは許されないのだろうか。
どうでもいいことだが、イスラエルの子どもたちがジャンケンをして遊んでいたが、これは、世界中でどれぐらい広まっていることなのだろうか。
2025年7月5日記
BS世界のドキュメンタリー 「怒りの街の子供たち 〜ヨルダン川西岸 入植 拡大する中で〜」
2024年、パレスチナ、イスラエル、ドイツ、イギリス。
日本の報道では、たいていの場合、イスラエルかパレスチナか、どちらかが一方的に悪い、ということで番組を構成しがちである。今のところ、イスラエルのガザ攻撃の非人道性を非難するのが、基本になっている。
イスラエルとパレスチナの対立のそもそも原因、それをどこまでさかのぼって考えるかで、いろいろと立場があるのだが、これはとりあえずおいておいて、イスラエルとパレスチナに住む人びとが、どのような生活の感覚でくらしているのか、その一面を浮かびあがらせている。見ていて、いくぶん演出がかなりあるかなという部分もあるが、とりあえず、双方の言い分というか、気持ちがどんなであるか、ということは分かるかと思う。
ヨルダン川西岸への入植が国際法違反であるとしても、すでにそこに住んでいる人を、武力で攻撃して追い出していい、ということではない。(これには、反論はあるだろうと思うが。)
端的にいえば、憎悪の連鎖、ということになり、この気持ちは、10代ぐらいの子どもにも、深く根づいたものになっている。これは、そう簡単には消すことはできないだろうと感じることになる。
パレスチナの土地に対して、ユダヤの人びとも、アラブの人びとも、ともにここが自分たちの生きる土地である、故郷である、と強く思っている。この心情の対立には、そう簡単な解決策があるとは思えない。おたがいがそれぞれに、相手はこの世界からいなくなってしまえばいいと思っている限りは、どうしようもないだろう。国際社会としてできることは、紛争(テロでもあり、抵抗運動でもある)の犠牲が最小限になるように働きかけることと、犠牲者への人道的な援助ぐらいかと思うことになる。
この番組の作り方の視点としては、子どもに焦点をあてている。これは意図的にそうなのだろう。このことの根底には、純粋無垢なものとしての「子ども」という発想があってのことになると、私は見て思うことである。本来ならば、敵意も差別も憎悪もないはずの「子ども」が、敵対する相手への憎しみの感情をあらわにするからこそ、ことの問題は深刻なのだ……という価値観やストーリーが見える。子どもの純真さの絶対化とでもいうことができよう。こういう作り方があっていいとは思うが、しかし、子どもというのは、本当に純朴なものなのだろうか、これを疑うことは許されないのだろうか。
どうでもいいことだが、イスラエルの子どもたちがジャンケンをして遊んでいたが、これは、世界中でどれぐらい広まっていることなのだろうか。
2025年7月5日記
ブラタモリ「大山詣り山頂へ▼絶景・天空の神社へ!江戸のヒーローなぜ参拝?」 ― 2025-07-08
2025年7月8日 當山日出夫
ブラタモリ 大山詣り山頂へ▼絶景・天空の神社へ!江戸のヒーローなぜ参拝?
大山の山頂まで行ったことになる。実際に山頂の神社の本殿まで行くのは大変なので、代わりにスタッフが登って中継だったが。
ケーブルカーというのは、信仰と観光が結びついたところに出来る、商業的な交通手段ということになるだろう。近くにあるものとしては、生駒山のものがある(これは日本で一番古い)、石清水八幡宮へのケーブルカー、比叡山に登るケーブルカー、などがある。
途中の駅で降りて、階段になっているベンチで並んで座っている映像は、なんとなく面白い。
木製の独楽がお土産としてあったが、これが人気であるのはどういう理由によるものなのだろうか。材料となる木材と、加工技術(木地師といっていいだろうか)が必要であるはずだが。
この回になって、ようやく地学の解説があった。大山が、丹沢山系の端っこにあるので、急峻な山になった理由が、そういわれてみるとわかる。確かに雨にかかわることにはなるが、だからといって、それで雨の神様になったというのはどうだろうか。各地には、水の神様、火の神様は、たくさんあるのだが、それらと比べてどうなのだろうかと思う。
江戸時代に奉納された大きな太刀が映っていたが、いったい重さはどれぐらいあるのだろうか。これをかついで、江戸から運んでくるのは、さぞかし大変だっただろうと思う。
江戸時代だったら、大山まで参詣して、ほとんど(男性の)楽しみとしては、女性相手のことだったと思うのだが、この大山詣りの場合、どこでどうしていたのだろうか。
近世までは大山寺があったということだが、おそらく、明治になってからの神仏分離、廃仏毀釈でつぶれたということなのだろうか。ここは、ちょっと説明が欲しかったところである。
2025年7月6日記
ブラタモリ 大山詣り山頂へ▼絶景・天空の神社へ!江戸のヒーローなぜ参拝?
大山の山頂まで行ったことになる。実際に山頂の神社の本殿まで行くのは大変なので、代わりにスタッフが登って中継だったが。
ケーブルカーというのは、信仰と観光が結びついたところに出来る、商業的な交通手段ということになるだろう。近くにあるものとしては、生駒山のものがある(これは日本で一番古い)、石清水八幡宮へのケーブルカー、比叡山に登るケーブルカー、などがある。
途中の駅で降りて、階段になっているベンチで並んで座っている映像は、なんとなく面白い。
木製の独楽がお土産としてあったが、これが人気であるのはどういう理由によるものなのだろうか。材料となる木材と、加工技術(木地師といっていいだろうか)が必要であるはずだが。
この回になって、ようやく地学の解説があった。大山が、丹沢山系の端っこにあるので、急峻な山になった理由が、そういわれてみるとわかる。確かに雨にかかわることにはなるが、だからといって、それで雨の神様になったというのはどうだろうか。各地には、水の神様、火の神様は、たくさんあるのだが、それらと比べてどうなのだろうかと思う。
江戸時代に奉納された大きな太刀が映っていたが、いったい重さはどれぐらいあるのだろうか。これをかついで、江戸から運んでくるのは、さぞかし大変だっただろうと思う。
江戸時代だったら、大山まで参詣して、ほとんど(男性の)楽しみとしては、女性相手のことだったと思うのだが、この大山詣りの場合、どこでどうしていたのだろうか。
近世までは大山寺があったということだが、おそらく、明治になってからの神仏分離、廃仏毀釈でつぶれたということなのだろうか。ここは、ちょっと説明が欲しかったところである。
2025年7月6日記
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