『どんど晴れ』「真実の思いやり」 ― 2026-01-18
2026年1月18日 當山日出夫
『どんど晴れ』「真実の思いやり」
この週のメインの筋は、夏美と彩華の、加賀美屋での競争。まあ、最終的には、夏美が勝つということになるのだろうと思って見ているのだが、彩華は、ライバルとしては、なかなか手強そうである。彩華の存在もあるが、加賀美屋のスタッフが、次の若女将候補として、夏美派と彩華派の二つに分かれてしまっている。わかりやすい構図ではあるのだが、しかし、そのためか、人間を描くことの深みがなくなってきている。こういう方針で作ってあるドラマといえば、それまでである。
また、ナレーションで、登場人物の気持ちをはっきりと説明してくれるのは、分かりやすいドラマになっている一方で、なんだか、つまらなくもある。(さすがに、カメさんの気持ちまでは分からないということであるが。)
ハクサンチドリのエピソードから、柾樹が、加賀美屋に帰る決意をすることになっていた。このあたりのことも、柾樹は、せっかくホテルに勤務しているのだから、横浜のホテルとしての接客業から、いろいろと考えること……おもてなしであったり、宿泊業ビジネスであったり……があってもいいと思うのだが、ほとんど、そういうことは出てきていない。
2026年1月17日記
『どんど晴れ』「真実の思いやり」
この週のメインの筋は、夏美と彩華の、加賀美屋での競争。まあ、最終的には、夏美が勝つということになるのだろうと思って見ているのだが、彩華は、ライバルとしては、なかなか手強そうである。彩華の存在もあるが、加賀美屋のスタッフが、次の若女将候補として、夏美派と彩華派の二つに分かれてしまっている。わかりやすい構図ではあるのだが、しかし、そのためか、人間を描くことの深みがなくなってきている。こういう方針で作ってあるドラマといえば、それまでである。
また、ナレーションで、登場人物の気持ちをはっきりと説明してくれるのは、分かりやすいドラマになっている一方で、なんだか、つまらなくもある。(さすがに、カメさんの気持ちまでは分からないということであるが。)
ハクサンチドリのエピソードから、柾樹が、加賀美屋に帰る決意をすることになっていた。このあたりのことも、柾樹は、せっかくホテルに勤務しているのだから、横浜のホテルとしての接客業から、いろいろと考えること……おもてなしであったり、宿泊業ビジネスであったり……があってもいいと思うのだが、ほとんど、そういうことは出てきていない。
2026年1月17日記
『マッサン』「災い転じて福となす」「住めば都」 ― 2026-01-18
2026年1月18日 當山日出夫
『マッサン』「災い転じて福となす」「住めば都」
優子さんも、かなりのいけずではあるが、(まあ、この時代の女性としては、そう思ってもしかたないかと思えるが)、最終的には、エリーの味方になって、ご飯の炊き方を教えてくれる。ただ、マッサンとエリーの二人だけの生活を考えると、どう見ても、出てくる釜で一杯のご飯を炊くのは、多すぎると思える。
マッサンとエリーは、住む家を探すことになるが、エリーが外国人というだけで断られるということもある。こういうことは、かなり深刻な問題であったかとも思うし、(現代の日本でも、まだ、こういう問題はあるのだが)、キャサリンの登場で、うまくことが収まった。都合良く話しがすすみすぎるという気もしなくはないが、まあ、こういうことであってもいいと思う。
キャサリンは、プロテスタントの牧師さんの奥さんという設定になっている。この時代として、外国人のエリーに、わけへだてなく接してくれる人物としては、このような人物がふさわしいともいえる。
マッサンは、ウィスキーの実験を開始する。なんとか、蒸留の試験までたどりついたのだが、これが、会社のビジネスになるかどうかは、まだ問題が残っている。
2026年1月16日記
『マッサン』「災い転じて福となす」「住めば都」
優子さんも、かなりのいけずではあるが、(まあ、この時代の女性としては、そう思ってもしかたないかと思えるが)、最終的には、エリーの味方になって、ご飯の炊き方を教えてくれる。ただ、マッサンとエリーの二人だけの生活を考えると、どう見ても、出てくる釜で一杯のご飯を炊くのは、多すぎると思える。
マッサンとエリーは、住む家を探すことになるが、エリーが外国人というだけで断られるということもある。こういうことは、かなり深刻な問題であったかとも思うし、(現代の日本でも、まだ、こういう問題はあるのだが)、キャサリンの登場で、うまくことが収まった。都合良く話しがすすみすぎるという気もしなくはないが、まあ、こういうことであってもいいと思う。
キャサリンは、プロテスタントの牧師さんの奥さんという設定になっている。この時代として、外国人のエリーに、わけへだてなく接してくれる人物としては、このような人物がふさわしいともいえる。
マッサンは、ウィスキーの実験を開始する。なんとか、蒸留の試験までたどりついたのだが、これが、会社のビジネスになるかどうかは、まだ問題が残っている。
2026年1月16日記
ドキュメント72時間「東京 大都会を眺める橋で」 ― 2026-01-17
2026年1月17日 當山日出夫
ドキュメント72時間 東京 大都会を眺める橋で
出てきた人たちの話も興味深いのだが、私としては、こういう場所のことに関心がある。橋があって、それを歩いて渡る。橋の中程には、ベンチがあって休めるようになっている。見わたすと、川が流れていて、ビルやマンションが見える。夜景がきれいである。都市の中のこういう光景の場所ということが、大きな魅力である。
橋……というものは、民俗学的にいえば、この世界と別の世界をつなぐ通路である。橋をわたって、川をわたって、異界に行って、そして、帰るということもある。橋を歩いて渡るという行為そのものに、無意識のうちに、なにかの意味を感じているという部分があるように思える。
川の見える風景というのもいい。東京、特に、下町エリアは、川の街である。これは、芥川龍之介などが描いた、東京の風景でもある。
晴美のマンション群が映っていた。ここは、東京オリンピック(2000年にあるはずだったが、2001年になった)を契機にして再開発ということになったはずだが、はたして、成功したということなのだろうか。伝えられるところでは、実際に居住するというよりは、投資転売目的で多くが購入されたはずである。東京のマンション価格が高騰するなかで、このあたりのマンションの値段というのは、どんなものなのだろうか。
都市に魅力があるとするならば、あくまでも、そこで働き、生活する人がいてでなければならない。それが、魅力的な都市の風景を作る。ただ、投資目的で住宅が売買されるだけでは、都市としての魅力にはつながらない。
2026年1月13日記
ドキュメント72時間 東京 大都会を眺める橋で
出てきた人たちの話も興味深いのだが、私としては、こういう場所のことに関心がある。橋があって、それを歩いて渡る。橋の中程には、ベンチがあって休めるようになっている。見わたすと、川が流れていて、ビルやマンションが見える。夜景がきれいである。都市の中のこういう光景の場所ということが、大きな魅力である。
橋……というものは、民俗学的にいえば、この世界と別の世界をつなぐ通路である。橋をわたって、川をわたって、異界に行って、そして、帰るということもある。橋を歩いて渡るという行為そのものに、無意識のうちに、なにかの意味を感じているという部分があるように思える。
川の見える風景というのもいい。東京、特に、下町エリアは、川の街である。これは、芥川龍之介などが描いた、東京の風景でもある。
晴美のマンション群が映っていた。ここは、東京オリンピック(2000年にあるはずだったが、2001年になった)を契機にして再開発ということになったはずだが、はたして、成功したということなのだろうか。伝えられるところでは、実際に居住するというよりは、投資転売目的で多くが購入されたはずである。東京のマンション価格が高騰するなかで、このあたりのマンションの値段というのは、どんなものなのだろうか。
都市に魅力があるとするならば、あくまでも、そこで働き、生活する人がいてでなければならない。それが、魅力的な都市の風景を作る。ただ、投資目的で住宅が売買されるだけでは、都市としての魅力にはつながらない。
2026年1月13日記
世界遺産ワーカー「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」 ― 2026-01-17
2026年1月17日 當山日出夫
世界遺産ワーカー ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
カッパドキアは、名前は知っている。気球が浮かんでいる風景は、テレビなどでは、なんどか目にしている。(あまり行ってみたいとは思わないのだけれど。高いところは苦手である。)
こういうところを観光するのに、馬に乗って行くというのが、非常に合理的かと思う。(馬は、今では、ウクライナでの戦争でも使われている。)
洞窟が今でも住宅として使われているというのは、この地域としては、そういうことかなと思う。ただ、ちょっと気になったのは、出てきていた住宅の場合、寝室の壁が鏡になっていた。日本の普通の住宅で、寝室の壁面を全体的に鏡にするというのは、あまりないだろうと思うのだが、こういうことは、世界の住宅としては、普通にあることなのだろうか。
過疎化で空いた住居を改装してホテルにする、というのは、観光地ならではことだろう。この地域が過疎化する理由はいったい何なのだろうか。それから、リフォームの工事で、岩を削っている職人さんの腕前は見事である。削った跡が、きれいに縞模様になっている。
この地域には、古代からのいろんな宗教が重層的に遺跡として残っている。キリスト教の遺跡もある。今のトルコは、イスラムの国であるはずだが(その中に、いろんな宗派があり、民族的には、クルド人という人たちもいる)、イスラム関係の遺跡については、触れることがなかった。これは、意図的にこのように作ったのだろうか、それとも、世界遺産になったときに含まれなかったのか、どうなのだろうか。
フレスコ画の修復は、難しいだろう。文化財の修復としては、現状を維持するか、出来たときの状態に復原するか、判断が分かれる場合がある。この場合は、現状を残すという方向である。
ハトは、いろいろと用途がある。ハトの糞が肥料になる。番組では出てきていなかったが、食用にもなる(ハトの種類にもよるかと思うが)。日本でも、私の子どものころには、ハトを飼うのが趣味の一つだったことがある。私は飼ったことはなかったが、小学校にはハトの小屋があった。堆積した鳥の糞が肥料として貴重であることは、グアノとして知られる。主に南米のものが有名なはずである。
この地方特産の葡萄を使ってワインを作るというのは、こころみとしてはいいと思う。だが、イスラムの国としてはどうなのだろうか。トルコという国は、それほど厳格にイスラムの戒律を守るということではなく(イスラムの戒律では、お酒は禁じられている)、かなり世俗化しているということなのだろうか。あるいは、観光客用、輸出用、ということなのだろうか。そして、ワインを作っていることについて、地元のイスラムの人びとは、どう思っているのだろうか。
地下都市が、地下8階、80メートルまであるというのは、すごい。ここまでして、地下に教会を作ったキリスト教徒がいたということになる。その敵だったのは、おそらくはイスラムの人びとということだろうと思うが、こういうことは、番組の中では言っていなかった。壁からゴロンと円い岩がころがって通路をふさぐトラップというのは、まるで、インディジョーンズの世界さながらである。
気球(熱気球)は、上昇するのは簡単だと思うが、自分で意図する方向に進むのは難しいし、また、安全に着陸する(落ちるのではなく、降りる)というのは、とても難しいだろうと思う。この地域の気候が安定していないとできないことだろうが、カッパドキアという地域の気候条件、風土、というと、どういうものになるのだろうか。
2026年1月16日記
世界遺産ワーカー ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
カッパドキアは、名前は知っている。気球が浮かんでいる風景は、テレビなどでは、なんどか目にしている。(あまり行ってみたいとは思わないのだけれど。高いところは苦手である。)
こういうところを観光するのに、馬に乗って行くというのが、非常に合理的かと思う。(馬は、今では、ウクライナでの戦争でも使われている。)
洞窟が今でも住宅として使われているというのは、この地域としては、そういうことかなと思う。ただ、ちょっと気になったのは、出てきていた住宅の場合、寝室の壁が鏡になっていた。日本の普通の住宅で、寝室の壁面を全体的に鏡にするというのは、あまりないだろうと思うのだが、こういうことは、世界の住宅としては、普通にあることなのだろうか。
過疎化で空いた住居を改装してホテルにする、というのは、観光地ならではことだろう。この地域が過疎化する理由はいったい何なのだろうか。それから、リフォームの工事で、岩を削っている職人さんの腕前は見事である。削った跡が、きれいに縞模様になっている。
この地域には、古代からのいろんな宗教が重層的に遺跡として残っている。キリスト教の遺跡もある。今のトルコは、イスラムの国であるはずだが(その中に、いろんな宗派があり、民族的には、クルド人という人たちもいる)、イスラム関係の遺跡については、触れることがなかった。これは、意図的にこのように作ったのだろうか、それとも、世界遺産になったときに含まれなかったのか、どうなのだろうか。
フレスコ画の修復は、難しいだろう。文化財の修復としては、現状を維持するか、出来たときの状態に復原するか、判断が分かれる場合がある。この場合は、現状を残すという方向である。
ハトは、いろいろと用途がある。ハトの糞が肥料になる。番組では出てきていなかったが、食用にもなる(ハトの種類にもよるかと思うが)。日本でも、私の子どものころには、ハトを飼うのが趣味の一つだったことがある。私は飼ったことはなかったが、小学校にはハトの小屋があった。堆積した鳥の糞が肥料として貴重であることは、グアノとして知られる。主に南米のものが有名なはずである。
この地方特産の葡萄を使ってワインを作るというのは、こころみとしてはいいと思う。だが、イスラムの国としてはどうなのだろうか。トルコという国は、それほど厳格にイスラムの戒律を守るということではなく(イスラムの戒律では、お酒は禁じられている)、かなり世俗化しているということなのだろうか。あるいは、観光客用、輸出用、ということなのだろうか。そして、ワインを作っていることについて、地元のイスラムの人びとは、どう思っているのだろうか。
地下都市が、地下8階、80メートルまであるというのは、すごい。ここまでして、地下に教会を作ったキリスト教徒がいたということになる。その敵だったのは、おそらくはイスラムの人びとということだろうと思うが、こういうことは、番組の中では言っていなかった。壁からゴロンと円い岩がころがって通路をふさぐトラップというのは、まるで、インディジョーンズの世界さながらである。
気球(熱気球)は、上昇するのは簡単だと思うが、自分で意図する方向に進むのは難しいし、また、安全に着陸する(落ちるのではなく、降りる)というのは、とても難しいだろうと思う。この地域の気候が安定していないとできないことだろうが、カッパドキアという地域の気候条件、風土、というと、どういうものになるのだろうか。
2026年1月16日記
気になる家「下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)」 ― 2026-01-17
2026年1月17日 當山日出夫
気になる家 下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)
このシリーズも、どうにか続きそうである。どういう気になる家を見つけてくるか、それは難しいことかもしれない。ただ、歴史的な建築というだけではなく、その家に住んできた人の歴史、生活、というものが感じられないといけない。
清澄白河は、名前は知っているのだが、行ったことはない。
コンクリート造りの長屋ということだが、これは、関東大震災からの東京の復興のシンボルでもあったことになる。(こういうものとしての、同潤会アパートもあったと思うが。)
出来た当時の家賃のことが出てきていたが、かなりの高額である。そこに入居できたということは、このエリアが、都電が通っていて人通りが多く、商売が順調だったということなのだろう。(個人的なことになるが、都電というものを、私は実際には知らない。東京での学生生活をおくるようになったころには、姿を消していた。)
出来たときから都市ガスが使えた。関東大震災で火災が発生したのは、ちょうどお昼ご飯の準備をする時間で、各家庭で火をつかっていたから、といわれる。では、その火は、薪だったのか、炭だったのか、ガスだったのか、気になる。都市ガスを供給するためのインフラ工事は、おそらく関東大震災の復興とワンセットだったかと思うのだが、これは、どうだったのだろうか。
上下水道、都市ガス、電気、それから、電話、こういう社会的インフラは、東京の街でどういうぐあいに作られていったのだろうか、その総合的な歴史的な研究(都市としての東京の発展とともに)というのは、どれぐらい分かっているのかと思う。
コンクリートで作るとして、二階にあがる階段まで、コンクリート造りになっているというのは、面白い。階段だけは、木で作るということになっていない。また、地下室があったのだが、どんな意図だったのだろうか。まさか、将来の防空壕を想定したわけではないだろう。(世界には、核戦争にそなえてのシェルター機能を持たせた都市というのは、珍しいことではないはずだが。)
住む人がいなくなって、一部は取り壊されてしまったとはいえ、それでも、景観として、コンクリートの長屋建築であることが分かるだけのものとして、現在に残っているというのは、貴重である。現代としては、こういう建物の貴重さが、価値となって、人を集めることができる。
ちょっと気になったこととしては、最後の方で紹介されていたリフォームした家。二階には、アップライトピアノが置いてあったのだが、どうやって運び入れたのだろうか。狭い階段を運んだのだろうか。こういうのは、ピアノ運送の専門業者の工夫なのだと思う。
昔の写真が映っていて、女性がたすきをかけていて、消火担当、と書いてあった。空襲があったとき、火を消すことが義務であった、逃げてはいけなかった、という時代があったことの名残である。(実際には、東京の大空襲の後では、人びとは逃げるようになったはずである。)
薬局を経営しているおばあさん。店でソロバンを使っていた。今どき、ソロバンを実用的に使うことは、希少なことになっているかとも思うが、こういう年代の人にとっては、これが普通のことなのだろう。
2026年1月14日記
気になる家 下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)
このシリーズも、どうにか続きそうである。どういう気になる家を見つけてくるか、それは難しいことかもしれない。ただ、歴史的な建築というだけではなく、その家に住んできた人の歴史、生活、というものが感じられないといけない。
清澄白河は、名前は知っているのだが、行ったことはない。
コンクリート造りの長屋ということだが、これは、関東大震災からの東京の復興のシンボルでもあったことになる。(こういうものとしての、同潤会アパートもあったと思うが。)
出来た当時の家賃のことが出てきていたが、かなりの高額である。そこに入居できたということは、このエリアが、都電が通っていて人通りが多く、商売が順調だったということなのだろう。(個人的なことになるが、都電というものを、私は実際には知らない。東京での学生生活をおくるようになったころには、姿を消していた。)
出来たときから都市ガスが使えた。関東大震災で火災が発生したのは、ちょうどお昼ご飯の準備をする時間で、各家庭で火をつかっていたから、といわれる。では、その火は、薪だったのか、炭だったのか、ガスだったのか、気になる。都市ガスを供給するためのインフラ工事は、おそらく関東大震災の復興とワンセットだったかと思うのだが、これは、どうだったのだろうか。
上下水道、都市ガス、電気、それから、電話、こういう社会的インフラは、東京の街でどういうぐあいに作られていったのだろうか、その総合的な歴史的な研究(都市としての東京の発展とともに)というのは、どれぐらい分かっているのかと思う。
コンクリートで作るとして、二階にあがる階段まで、コンクリート造りになっているというのは、面白い。階段だけは、木で作るということになっていない。また、地下室があったのだが、どんな意図だったのだろうか。まさか、将来の防空壕を想定したわけではないだろう。(世界には、核戦争にそなえてのシェルター機能を持たせた都市というのは、珍しいことではないはずだが。)
住む人がいなくなって、一部は取り壊されてしまったとはいえ、それでも、景観として、コンクリートの長屋建築であることが分かるだけのものとして、現在に残っているというのは、貴重である。現代としては、こういう建物の貴重さが、価値となって、人を集めることができる。
ちょっと気になったこととしては、最後の方で紹介されていたリフォームした家。二階には、アップライトピアノが置いてあったのだが、どうやって運び入れたのだろうか。狭い階段を運んだのだろうか。こういうのは、ピアノ運送の専門業者の工夫なのだと思う。
昔の写真が映っていて、女性がたすきをかけていて、消火担当、と書いてあった。空襲があったとき、火を消すことが義務であった、逃げてはいけなかった、という時代があったことの名残である。(実際には、東京の大空襲の後では、人びとは逃げるようになったはずである。)
薬局を経営しているおばあさん。店でソロバンを使っていた。今どき、ソロバンを実用的に使うことは、希少なことになっているかとも思うが、こういう年代の人にとっては、これが普通のことなのだろう。
2026年1月14日記
ドキュメント20min.「未来は真っ白だ!〜車で空を飛びたい男〜」 ― 2026-01-17
2026年1月17日 當山日出夫
ドキュメント20min. 未来は真っ白だ!〜車で空を飛びたい男〜
これは面白かった。
むかし、2015年10月21日は、たまたま大学で講義の日だった。教室にはいって、黒板の前、学生の前で、「今日は、バック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね」と言ったのだが、学生はまったくの無反応だった。
こういうこととしては、7月6日には、「今日は、サラダ記念日ですね」と言っても、反応がない。まあ、今の学生としては、こんなものだろうと思っている。
空飛ぶクルマというと、デロリアンを作りたいと思う気持ちは、ものすごく共感するところがある。(まあ、私の世代としては、流星号があったらと思うこともあるのだが。)
とにかく作ってみることが楽しい、そういう気持ちが伝わってくる。
ジャパンモビリティショーに、このクルマも出展していた、ということは、正直に言って驚いたことである。ニュースでは、とても、このことを報じない。しかし、このクルマを見た人は、感動しただろうと思う。こういうのを作って、持ってきて展示するということ、それだけでもとても楽しいことである。
そして、このクルマは、わずかではあるが、本当に宙に浮く。そして、四輪で走ることもできる。デロリアンに一歩近づいている。
2026年1月14日記
ドキュメント20min. 未来は真っ白だ!〜車で空を飛びたい男〜
これは面白かった。
むかし、2015年10月21日は、たまたま大学で講義の日だった。教室にはいって、黒板の前、学生の前で、「今日は、バック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね」と言ったのだが、学生はまったくの無反応だった。
こういうこととしては、7月6日には、「今日は、サラダ記念日ですね」と言っても、反応がない。まあ、今の学生としては、こんなものだろうと思っている。
空飛ぶクルマというと、デロリアンを作りたいと思う気持ちは、ものすごく共感するところがある。(まあ、私の世代としては、流星号があったらと思うこともあるのだが。)
とにかく作ってみることが楽しい、そういう気持ちが伝わってくる。
ジャパンモビリティショーに、このクルマも出展していた、ということは、正直に言って驚いたことである。ニュースでは、とても、このことを報じない。しかし、このクルマを見た人は、感動しただろうと思う。こういうのを作って、持ってきて展示するということ、それだけでもとても楽しいことである。
そして、このクルマは、わずかではあるが、本当に宙に浮く。そして、四輪で走ることもできる。デロリアンに一歩近づいている。
2026年1月14日記
知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「巨大噴火が“日本人”を生んだ!?」 ― 2026-01-16
2026年1月16日 當山日出夫
知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? 巨大噴火が“日本人”を生んだ!?
録画しておいて見たのだが、見て思ったことなど書く気になれないでいたのだが、しかし、整理のためにとりあえず書いてみる。NHKは、こんな低レベルの番組をよく作ったものだというのが、まずは思うことである。
日本人がいつから日本列島に住んでいるのか。いつの時代から日本人といっていいのか。まさに、こういう問題は、今の時代においては、根本的に考えるべきことなのだが、それをまったく考えたとは思えない。
だからといって、日本人という概念が無意味というのではない。どの時代の、どのような人びとについて、どのような規準で考えるのが妥当なのか、それは、様々にバリエーションがあり、一義的に定義できるものではない。現代の日本においても、日本人ということばは、さまざまに微妙に異なる定義が可能である。汎歴史的、汎地域的に、日本人ということがいえるということではない。
日本に旧石器時代があったことは、石器捏造事件のことがあったとしても、その後の検証で、ほぼ確実といっていいことになっているだろう。では、話しを縄文時代から始めたのは何故か。そして、その後の弥生時代以降との連続性ということで、同じ人間の子孫が日本列島に住み続けてきたということが、どの程度の学問的正確さとして言えるのか。
縄文時代の人びととのDNAの共通性ということであるのだろうが、それをいうならば、東アジアにおける日本列島をふくむ広い範囲での、人類の移動と文化の歴史の全体像の中で考えるべきことになる。これがなしに、ただ、日本列島に住んでいたというだけのことで、日本人とするのは、どう見ても問題がある。
人種ということばは最近では使わなくなっているが、縄文時代からの人種的な連続性ということが、どこまでいえるのか、そして、それは、他の周辺の地域……その中には、北海道のアイヌの人びととか、琉球の人びとをふくむ、そして、朝鮮半島は無論のこと、東アジアのいろんな地域の人びと、これらの関係はどうなっているのか。その輪郭ぐらいは明らかになっているかと思うのだが、こういうことにまったく触れないというのは、問題がある。
鬼海カルデラの火山の大規模噴火に見られるように、日本列島は、火山災害、地震災害の多い地域である。このような地域に居住するから、こういう人びとの考え方になった……一種の環境決定論になるのだが……その地域の自然環境と、歴史や文化ということとは、もっと慎重に考えるべきことである。少なくとも、『風土』(和辻哲郎)を批判的に検証するぐらいのことは、必要である。
日本人というカテゴリを認めるとして、その遺伝子が特徴がある。これは、そのとおりかもしれないが、その遺伝子があることと、個々人がどのような人間であるかということ、また、文化や社会がどのようであるか、こういうことを短絡的に結びつけることは、危険だろう。こういうことの延長には、優秀なアーリア人種、というような考え方に繋がるものであるぐらいのことは、容易に想像できる。そうではなく、ただ、確率的にそのような性格である傾向が強いというぐらいであるとしても、遺伝子と人間社会のあり方とを、どう関連付けるかは、現代ではきわめて問題であるべきとしなければならない。
日本人とひとくくりにするのではなく、日本列島に住んできた人びとの、時代による違い、地域差や、社会的階層による違い……こういうことが、歴史学、民俗学、人類学、考古学、などの研究成果として分かってきていることだと思うが、こういうことへの配慮がまったくない。
自然環境や、遺伝子から、日本人はこうである、ということは、一見すると分かりやすい科学的な説明のように見えるが、絶対にそんなことはないというのが、むしろ科学の知見を尊重するということであるはずである。科学的に、学問的に考えるということを、あまく見てはいけない。その悪い見本のような内容の番組だった。
2026年1月14日記
知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? 巨大噴火が“日本人”を生んだ!?
録画しておいて見たのだが、見て思ったことなど書く気になれないでいたのだが、しかし、整理のためにとりあえず書いてみる。NHKは、こんな低レベルの番組をよく作ったものだというのが、まずは思うことである。
日本人がいつから日本列島に住んでいるのか。いつの時代から日本人といっていいのか。まさに、こういう問題は、今の時代においては、根本的に考えるべきことなのだが、それをまったく考えたとは思えない。
だからといって、日本人という概念が無意味というのではない。どの時代の、どのような人びとについて、どのような規準で考えるのが妥当なのか、それは、様々にバリエーションがあり、一義的に定義できるものではない。現代の日本においても、日本人ということばは、さまざまに微妙に異なる定義が可能である。汎歴史的、汎地域的に、日本人ということがいえるということではない。
日本に旧石器時代があったことは、石器捏造事件のことがあったとしても、その後の検証で、ほぼ確実といっていいことになっているだろう。では、話しを縄文時代から始めたのは何故か。そして、その後の弥生時代以降との連続性ということで、同じ人間の子孫が日本列島に住み続けてきたということが、どの程度の学問的正確さとして言えるのか。
縄文時代の人びととのDNAの共通性ということであるのだろうが、それをいうならば、東アジアにおける日本列島をふくむ広い範囲での、人類の移動と文化の歴史の全体像の中で考えるべきことになる。これがなしに、ただ、日本列島に住んでいたというだけのことで、日本人とするのは、どう見ても問題がある。
人種ということばは最近では使わなくなっているが、縄文時代からの人種的な連続性ということが、どこまでいえるのか、そして、それは、他の周辺の地域……その中には、北海道のアイヌの人びととか、琉球の人びとをふくむ、そして、朝鮮半島は無論のこと、東アジアのいろんな地域の人びと、これらの関係はどうなっているのか。その輪郭ぐらいは明らかになっているかと思うのだが、こういうことにまったく触れないというのは、問題がある。
鬼海カルデラの火山の大規模噴火に見られるように、日本列島は、火山災害、地震災害の多い地域である。このような地域に居住するから、こういう人びとの考え方になった……一種の環境決定論になるのだが……その地域の自然環境と、歴史や文化ということとは、もっと慎重に考えるべきことである。少なくとも、『風土』(和辻哲郎)を批判的に検証するぐらいのことは、必要である。
日本人というカテゴリを認めるとして、その遺伝子が特徴がある。これは、そのとおりかもしれないが、その遺伝子があることと、個々人がどのような人間であるかということ、また、文化や社会がどのようであるか、こういうことを短絡的に結びつけることは、危険だろう。こういうことの延長には、優秀なアーリア人種、というような考え方に繋がるものであるぐらいのことは、容易に想像できる。そうではなく、ただ、確率的にそのような性格である傾向が強いというぐらいであるとしても、遺伝子と人間社会のあり方とを、どう関連付けるかは、現代ではきわめて問題であるべきとしなければならない。
日本人とひとくくりにするのではなく、日本列島に住んできた人びとの、時代による違い、地域差や、社会的階層による違い……こういうことが、歴史学、民俗学、人類学、考古学、などの研究成果として分かってきていることだと思うが、こういうことへの配慮がまったくない。
自然環境や、遺伝子から、日本人はこうである、ということは、一見すると分かりやすい科学的な説明のように見えるが、絶対にそんなことはないというのが、むしろ科学の知見を尊重するということであるはずである。科学的に、学問的に考えるということを、あまく見てはいけない。その悪い見本のような内容の番組だった。
2026年1月14日記
ダークサイドミステリー「謎の未解決殺人 ブラック・ダリア事件〜黒衣の美しき花の伝説〜」 ― 2026-01-16
2026年1月16日 當山日出夫
ダークサイドミステリー 謎の未解決殺人 ブラック・ダリア事件〜黒衣の美しき花の伝説〜
これは、とても有名な事件らしい。この番組であつかうのに似つかわしいというべきだろうか。
事件そのものは、一種の猟奇殺人ということなのだろうが、それをめぐる言説の方が興味深い。
第二次世界大戦が終わった直後の、アメリカの社会は、いったいどんなだったのだろうか。凱旋した兵士たちにむらがる若い女性たち、次々から次へとキスしていりるのだが、こういう光景は、今では普通はありえないだろう。
これをフェミニズムのという視点から見れば、たしかに、この時代の問題点というのは見えてくることかとは思う。女性の教育、労働、結婚、ということについては、現代とは大きく違っている。(この番組の中では言っていなかったが、そこに「人種」の問題もからめば、さらに複雑で混沌とした様相になるだろう。)
「ブラック・ダリア」……というイメージが形成される、社会的文化的な背景については、今から考えれば、かなり問題があったといえるだろう。えてして、犯罪にあった被害者の方にも、なんらかの問題があったとされる。日本だと、「毒婦」という古めかしいことばが思いうかぶ。
事件があって、新聞でスキャンダラスに報じられると、いろんな情報が一般からよせられる。その中には、自分が犯人だ、というものもあった。手帖など送ってきているのだが、はたして本当に犯人からのものだったのだろうか。
気になったこととしては、フェミニズムの視点からのコメントとして、女性のコモディ化(モノ化)というのは、まあいいとしても、女性のセクシュアリティは女性のものである、というのはどうだろうか。セクシュアリティというのは、社会の中で、男性と女性がいて、全体の関係(その歴史と文化)の中で社会的に構築されるものである、と私は理解している。だから、ジェンダー、ということばをつかい、生物学的な意味合いでのセックスということばを使わなくなった。(そういえば、昔は、ジェンダーということばを使うときには、もともとは言語学の文法用語であって、とことわっていたものである。)
フェミニズムの視点として、女性の観点から、女性のことだけを見ていても、その時代の社会の中に生きていた人びとのこと(その中には、老若男女、性的少数者、その他のいろんな人たちがいる)が、分からないだろうと思うのだが、どうだろうか。
見てみると、ブラック・ダリア、ということでは、Wikipediaに詳細な記事があるし、いろんな本も出ている。今から、こういう本を読んでみようとは思わない。
第二次世界大戦後、太平洋戦争が終わって、アメリカは無論のこと、日本、ドイツ、ソ連、その他、世界のいろいろな地域で、人びとはどのような生活を送っていたのか、ようやく歴史のこととして語れる時代になってきたのかという気もしている。
2026年1月12日記
ダークサイドミステリー 謎の未解決殺人 ブラック・ダリア事件〜黒衣の美しき花の伝説〜
これは、とても有名な事件らしい。この番組であつかうのに似つかわしいというべきだろうか。
事件そのものは、一種の猟奇殺人ということなのだろうが、それをめぐる言説の方が興味深い。
第二次世界大戦が終わった直後の、アメリカの社会は、いったいどんなだったのだろうか。凱旋した兵士たちにむらがる若い女性たち、次々から次へとキスしていりるのだが、こういう光景は、今では普通はありえないだろう。
これをフェミニズムのという視点から見れば、たしかに、この時代の問題点というのは見えてくることかとは思う。女性の教育、労働、結婚、ということについては、現代とは大きく違っている。(この番組の中では言っていなかったが、そこに「人種」の問題もからめば、さらに複雑で混沌とした様相になるだろう。)
「ブラック・ダリア」……というイメージが形成される、社会的文化的な背景については、今から考えれば、かなり問題があったといえるだろう。えてして、犯罪にあった被害者の方にも、なんらかの問題があったとされる。日本だと、「毒婦」という古めかしいことばが思いうかぶ。
事件があって、新聞でスキャンダラスに報じられると、いろんな情報が一般からよせられる。その中には、自分が犯人だ、というものもあった。手帖など送ってきているのだが、はたして本当に犯人からのものだったのだろうか。
気になったこととしては、フェミニズムの視点からのコメントとして、女性のコモディ化(モノ化)というのは、まあいいとしても、女性のセクシュアリティは女性のものである、というのはどうだろうか。セクシュアリティというのは、社会の中で、男性と女性がいて、全体の関係(その歴史と文化)の中で社会的に構築されるものである、と私は理解している。だから、ジェンダー、ということばをつかい、生物学的な意味合いでのセックスということばを使わなくなった。(そういえば、昔は、ジェンダーということばを使うときには、もともとは言語学の文法用語であって、とことわっていたものである。)
フェミニズムの視点として、女性の観点から、女性のことだけを見ていても、その時代の社会の中に生きていた人びとのこと(その中には、老若男女、性的少数者、その他のいろんな人たちがいる)が、分からないだろうと思うのだが、どうだろうか。
見てみると、ブラック・ダリア、ということでは、Wikipediaに詳細な記事があるし、いろんな本も出ている。今から、こういう本を読んでみようとは思わない。
第二次世界大戦後、太平洋戦争が終わって、アメリカは無論のこと、日本、ドイツ、ソ連、その他、世界のいろいろな地域で、人びとはどのような生活を送っていたのか、ようやく歴史のこととして語れる時代になってきたのかという気もしている。
2026年1月12日記
芸能きわみ堂「福を呼び込め!人間国宝できき初め」 ― 2026-01-16
2026年1月16日 當山日出夫
芸能きわみ堂 福を呼び込め!人間国宝できき初め
地唄の「萬歳」と、箏曲「初音曲」だった。
見ていて、聞いていて、とてもすばらしいということは、分かるつもりではいるのだが、もう、私の感性としては、この種の邦楽に馴染みがなくなっている、ということを感じる……正直にいえば、どうしてもこうなる。こういう曲を聴くよりも、Walkmanに入れてあるビル・エヴァンスとか、ジョン・コルトレーンとか、でなければ、バッハのブランデンブルク協奏曲とか、これらの方が、親しみを感じるということは、確かなことである。(この番組を作っている人にはもうしわけないと思うけれど。)
しかし、こういう番組で、このような芸能の世界が、確かに日本の中で伝えられているということを、見て確認するということも、意味のあることだと思っている。こういう世界が、しばらく前までの(今でもというべきだろうが)人びとの生活の中にあったのだと、感じる。
萬歳というのが、古代以来の芸能であることは知っている。番組で出てきていたのは、秋田万歳と伊勢万歳。使っている楽器も、三味線であったり、胡弓であったり、鼓であったり、民俗芸能として、それぞれに、時代の変化に合わせて新しいものを取り入れてきたということであろう。今の日本では、こういった門付け芸というものが、ほとんど絶滅しかけている。それは、その地域の人びとの生活のスタイルの変化ということでもある。
家の門があって、家の玄関との間にちょっと空間があったり、庭があったりして、そこで芸をするとか、道で芸をするとか……こういう空間も、なくなってきている。
また、視点を変えて見るならば、歌詞が画面に字幕で表示されるのを見ていると、これは、ものづくし、というスタイルであることが分かる。古くからの日本の、芸能や文芸の一つの様式である。これの近代になってからの事例として思いうかぶのが、笠置シズ子が歌った「買物ブギ」である。
川村裕子さんの登場で、昔の平安時代のお正月のことが解説されていた。主に『源氏物語』などに描かれるお正月の風物についてだった。男踏歌、女踏歌、など『源氏物語』を読むと出てくるし、注釈はついているのだが、こういう芸能や音楽にかんすることは、どうしても、具体的にイメージしづらい。
また、『源氏物語』では、手紙(文)については、それが、どんな紙にどんな筆致で書かれたものなのか、何かに添えられていたのか、かならずといっていいほど説明がある。これは、物語だから、このように描写しているのか、実際に貴族の生活でこんなだったのか、疑問に思っているところでもある。
『源氏物語』の「初音」から音曲が作られているということは、『源氏物語』の受容の歴史、読書の歴史、という観点からみても、とても重要なことだろう。『源氏物語』は、研究史としては、本居宣長が画期となると理解していいだろうが、一般の人びとの間で、どのように読まれたりしていたのか、非常に重要なことである。
2026年1月12日記
芸能きわみ堂 福を呼び込め!人間国宝できき初め
地唄の「萬歳」と、箏曲「初音曲」だった。
見ていて、聞いていて、とてもすばらしいということは、分かるつもりではいるのだが、もう、私の感性としては、この種の邦楽に馴染みがなくなっている、ということを感じる……正直にいえば、どうしてもこうなる。こういう曲を聴くよりも、Walkmanに入れてあるビル・エヴァンスとか、ジョン・コルトレーンとか、でなければ、バッハのブランデンブルク協奏曲とか、これらの方が、親しみを感じるということは、確かなことである。(この番組を作っている人にはもうしわけないと思うけれど。)
しかし、こういう番組で、このような芸能の世界が、確かに日本の中で伝えられているということを、見て確認するということも、意味のあることだと思っている。こういう世界が、しばらく前までの(今でもというべきだろうが)人びとの生活の中にあったのだと、感じる。
萬歳というのが、古代以来の芸能であることは知っている。番組で出てきていたのは、秋田万歳と伊勢万歳。使っている楽器も、三味線であったり、胡弓であったり、鼓であったり、民俗芸能として、それぞれに、時代の変化に合わせて新しいものを取り入れてきたということであろう。今の日本では、こういった門付け芸というものが、ほとんど絶滅しかけている。それは、その地域の人びとの生活のスタイルの変化ということでもある。
家の門があって、家の玄関との間にちょっと空間があったり、庭があったりして、そこで芸をするとか、道で芸をするとか……こういう空間も、なくなってきている。
また、視点を変えて見るならば、歌詞が画面に字幕で表示されるのを見ていると、これは、ものづくし、というスタイルであることが分かる。古くからの日本の、芸能や文芸の一つの様式である。これの近代になってからの事例として思いうかぶのが、笠置シズ子が歌った「買物ブギ」である。
川村裕子さんの登場で、昔の平安時代のお正月のことが解説されていた。主に『源氏物語』などに描かれるお正月の風物についてだった。男踏歌、女踏歌、など『源氏物語』を読むと出てくるし、注釈はついているのだが、こういう芸能や音楽にかんすることは、どうしても、具体的にイメージしづらい。
また、『源氏物語』では、手紙(文)については、それが、どんな紙にどんな筆致で書かれたものなのか、何かに添えられていたのか、かならずといっていいほど説明がある。これは、物語だから、このように描写しているのか、実際に貴族の生活でこんなだったのか、疑問に思っているところでもある。
『源氏物語』の「初音」から音曲が作られているということは、『源氏物語』の受容の歴史、読書の歴史、という観点からみても、とても重要なことだろう。『源氏物語』は、研究史としては、本居宣長が画期となると理解していいだろうが、一般の人びとの間で、どのように読まれたりしていたのか、非常に重要なことである。
2026年1月12日記
未解決事件「File.10 三億円事件」 ― 2026-01-15
2026年1月15日 當山日出夫
未解決事件 File.10 三億円事件
この事件のことは、はっきりと憶えている。私ぐらいの世代だと、三億円、というと、どうしてもこの事件のことを思い出す。(その後、竹藪から一億円が見つかったということもあったりするのだが。)
誰が死んだということでもないし、損をしたということでもない。ただ、犯人に間違われた人物がいて、不幸な死となったということはあるのだが。
犯人とされるモンタージュ写真は、あまりにも有名である。事件があって犯人の顔として思い浮かべるのは(つかまらなかった)、この三億円事件と、グリコ・森永事件のキツネ目の男ということになるだろう。
見ていて、この時代には、日本信託銀行という銀行があって、自動車としてセドリックがあった時代だったんだなあ……ということを、感じる。一万円札が聖徳太子であった時代でもある。
思うこととしては、初動捜査のミスということは、印象に残る。しかし、この時代、捜査本部にすべて資料が集まったとしても、その重要度の判断が、限られた人員では難しかっただろうという気もする。紙の資料をひたすら見ていくということになるから、これは人員があったとしても、どうしてもミスということは有りうることになるだろう。
これが現代だったら、どのような捜査になるだろうか。多くの証拠が残されているので、それを手がかりに、とは思う。だが、大量生産で大量販売されたものから、犯人をたどることは難しいかもしれない。
2026年1月13日記
未解決事件 File.10 三億円事件
この事件のことは、はっきりと憶えている。私ぐらいの世代だと、三億円、というと、どうしてもこの事件のことを思い出す。(その後、竹藪から一億円が見つかったということもあったりするのだが。)
誰が死んだということでもないし、損をしたということでもない。ただ、犯人に間違われた人物がいて、不幸な死となったということはあるのだが。
犯人とされるモンタージュ写真は、あまりにも有名である。事件があって犯人の顔として思い浮かべるのは(つかまらなかった)、この三億円事件と、グリコ・森永事件のキツネ目の男ということになるだろう。
見ていて、この時代には、日本信託銀行という銀行があって、自動車としてセドリックがあった時代だったんだなあ……ということを、感じる。一万円札が聖徳太子であった時代でもある。
思うこととしては、初動捜査のミスということは、印象に残る。しかし、この時代、捜査本部にすべて資料が集まったとしても、その重要度の判断が、限られた人員では難しかっただろうという気もする。紙の資料をひたすら見ていくということになるから、これは人員があったとしても、どうしてもミスということは有りうることになるだろう。
これが現代だったら、どのような捜査になるだろうか。多くの証拠が残されているので、それを手がかりに、とは思う。だが、大量生産で大量販売されたものから、犯人をたどることは難しいかもしれない。
2026年1月13日記
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