浅田次郎『見上げれば星は天に満ちて』2016-12-16

2016-12-16 當山日出夫

浅田次郎の主な作品は読んできたつもりでいる。最新刊の、『天子蒙塵』も買ってはあるのだが、まだ、読む順番がまわってこないでいる。『蒼穹の昴』につづくシリーズなので、これも読んでおきたいと思っている。なお、ちなみにいえば、浅田次郎で私が最も好きな作品は、『きんぴか』と『プリズンホテル』である。まあ、初期の作品が好みということになる。

この浅田次郎は、また、卓抜な小説の読み手でもある。その小説の読み手として、編んだアンソロジーが『見上げれば星は天に満ちて』である。

浅田次郎(編).『見上げれば星は天に満ちて 心に残る物語――日本文学秀作選』(文春文庫).文藝春秋.2005
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167646059

日本近代文学のなかから選んだ短編小説集である。そう多くないので、一覧をしめす。

『百物語』 森鴎外
『秘密』 谷崎潤一郎
『疑惑』 芥川龍之介
『死体紹介人』 川端康成
『山月記』 中島敦
『狐憑』 中島敦
『ひとごろし』 山本周五郎
『青梅雨』 永井龍男
『補陀洛渡海記』 井上靖
『西郷札』 松本清張
『赤い駱駝』 梅崎春生
『手』 立原正秋
『耳なし芳一のはなし』 小泉八雲

このうち『山月記』『耳なし芳一のはなし』などは、ほとんどの人が知っている作品にちがいない。

浅田次郎という作家、多方面に活躍している作家であることは承知しているつもりであるが、その作品の根底にあるものが、このアンソロジーにもあらわれている。

それは、主に次の二点になる。

第一には、幻想性である。浅田次郎の作品の多くは、何かしらの幻想性をおびている。たとえば、長編では『一刀斎夢録』などがそうだろう。全編、これ幻想といってもよい構成になっている。代表作ともいうべき『壬生義士伝』も、その最期のシーンは、ある種の幻想的場面でおわっている。また、直木賞受賞作の短編『鉄道員(ぽっぽや)』も、幻想小説といってもよい。

このアンソロジーの多くは、ある種の幻想的な雰囲気のある作品が多く入れられている。たとえば、『山月記』など著名な作品であるが、これも、読み方によっては、ある意味で幻想小説と読むこともできよう。『耳なし芳一のはなし』もそうである。この他にも、そう思って読むと、何かしら幻想的な雰囲気を感じさせる作品がいくつかある。

第二には、人間のおろかさである。愚直さといってもいいかもしれない。そのような人間のあり方を、浅田次郎は、哀惜をこめて描く。『壬生義士伝』など、愚直な生き方しかできなかった人間の悲哀を描きあげた作品といえるだろう。そして、このアンソロジーも、この目でみるならば、人間のおろかさ、愚直さを描いた作品が目につく。『ひとごろし』『補陀洛渡海記』などである。

以上の二点が、浅田次郎作品にも共通する点として、指摘できようか。幻想性、それから、人間の愚直さ、である。そして、このような視点で選び出された作品が、基本的に年代順に並べられている。非常にすぐれた、日本近代文学のアンソロジーとしてしあがっている。

上記のように考えてみるならば、『倫敦塔』(夏目漱石)がなぜはいっていないのか、といようなことが気になる。中島敦が二作もはいっているのに。まあ、このあたりは、編者(浅田次郎)の個人の好みの反映ということになるのであろう。

この本、これはこれとして面白い編集になっていると同時に、浅田次郎がなぜこの作品を選んだかを考えていくと、浅田次郎作品を読み解いていく視点ともなる、そのような編集になっている。

近代文学の小説、そのなかでも上述のような、ある種の幻想性があったり、人間の愚直さを描いたりというような作品が好みの向きには、かっこうのアンソロジーとして楽しめる本だと思う。浅田次郎の作品を読んでいるような人ならきっと気にいる本である。