岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』2016-12-27

2016-12-27 當山日出夫

岩岡千景.『セーラー服の歌人 鳥居-拾った新聞で字を憶えたホームレス少女の物語-』.KADOKAWA.2016
http://amwbooks.asciimw.jp/978-4-04-865632-0/

鳥居『キリンの子』については、すでに触れた。

鳥居『キリンの子-鳥居歌集-』
やまもも書斎記 2016年12月24日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/24/8286946

著者は、中日新聞・東京新聞の記者。だからというわけではないが、もうちょっとジャーナリストらしい文章で書けなかったものか、と思ってしまう。だが、それは、一方で、対象とした歌人・鳥居の生き方、その壮絶さの前では、ジャーナリストとしてのまなざしも、かすんでしまうのかもしれないと思ったりもする。

『キリンの子』を読んで、この本にも興味があったので手にしてみた。歌人・鳥居の生いたち、その人生を理解するうえでは、適切な手引きとなっている。だが、やはり、この本で語られる鳥居の人生……ノンフィクションといってよいか……これはこれで、いいようのない悲惨な人生ではあるだろうが、それよりも、歌集としての『キリンの子』の存在感の方がはるかに大きい。まずは、歌集が読まれるべきだろうと思う。現代における「文学」としての『キリンの子』がまずあると私は思う。

文学作品は、どこまでその作者の生き方を背景にすべきか、といったような、あるい意味で古めかしい問いかけが、『キリンの子』にもあるのかもしれない。だが、私としては、その作者がどのような人生をおくったかとはきりはなして、『キリンの子』は、すぐれた文学であるとして読む。いや、そのように読みたいというべきだろうか。

本書に引用されている、鳥居のことばが印象的である。

 ただ、鳥居は私にこう話したこともあります。
「嫌がらせをつづけたりすれば、人は人を案外かんたんに、死にたい気持ちにさせることができるんだと思う。だけど”死ぬ”と決めてしまった人を、そこから連れもどすことは難しい。心が枯れ、疲れ果て、未来を描けない人を前に、物やお金がどこまで価値を持てるのか? ただ、『すてきな夏服をもらったから夏まで生きてみよう』とか、ふと見た夕焼けがじんわり心にしみたりして『この美しい、いとおしい世界が見られなくなるのなら死ぬのは惜しいな』とか思って、死を踏みとどまる人もいる。歌を詠んだり、絵を見たりするのは、そうしたささいな美しさやいとおしさに目をとめること。だからもっと、文学や芸術が愛される社会にしたい。」

以上、p.60

テクストは作者から独立してある、というような立場をとる近代文学研究にとって、『キリンの子』は、どのように読めるのだろうか。