『いだてん』あれこれ(余談)2019-12-24

2019-12-24 當山日出夫(とうやまひでお)

前回は、
やまもも書斎記 2019年12月17日
『いだてん』あれこれ「時間よ止まれ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/17/9190320

NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』が終わった。先週は、もう放送がなかった。ここで、ふりかえっていろいろ思いつくことなど書いてみたい。毎週、火曜日は、大河ドラマについて書くことにしてきたので、その習慣の延長のようなものである。

このドラマが描いてみせたのは、ひょっとすると「明治の精神」ということであったかもしれない。前半の主人公である金栗四三は無論のこと、後半の田畑政治も明治の生まれである。また、重要な登場人物である嘉納治五郎しかりである。

メインの登場人物は、明治に生まれている。そして、その目指したものは、「明治の精神」としての近代スポーツであったのかもしれない、と思う。ドラマがはじまったころ、このドラマは、スポーツにおける「坂の上の雲」であるのだろう……このような意味のことを書いた記憶がある。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、日露戦争で終わっている。その後ことを、司馬遼太郎は書かなかった。あるいは、書けなかったというべきだろうか。(司馬遼太郎のことについては、折りにふれて、このブログでも書いてきたと思う。)

その日露戦争が終わって、日本が「一等国」になったということは、すなわち、オリンピックに参加するということにつながっている。その結果は、はかばかしくなかった。金栗はマラソンで行方不明になるし、三島は競技を途中で放棄してしまったと憶えている(このあたり、実際どうであったか、総集編でも見て再確認したいと思うが。)

今から思ってみるなば、きわめてみじめな結果に終わったストックホルム大会であった。

だが、そのような結果になったとはいえ、「NIPPON」と書いたプラカードを持ち、日章旗をかかげて、参加した。このとき、日本国政府からの公的な支援はなかった。だが、その参加者(金栗、三島)は、確かに「日本」というものを、国際社会のなかで意識することになった。まさに、「坂の上の雲」をめざした、「明治の精神」を体現していたと言ってよいだろう。

その「坂の上の雲」を最も感じさせたのは、(途中で死んでしまうことになる)嘉納治五郎である。国の枠を越えて純粋にスポーツのみで勝敗をあらそう、この近代オリンピックの精神を、常に説きつづけてきた。

しかし、その嘉納治五郎は、やはり「日本」というものを強く意識していたのかもしれない。国という枠を越えようとするならば、その前にまず国を作らなければならない。ここには、アンビバレントな意識の交錯がある。

『いだてん』というドラマは、いろんな場面で、日章旗が登場しており、また、「日本」を背負って試合にのぞむ選手たちを描いてきた。その代表が、前畑秀子であったといえようか。あるいは、終盤に登場した、女子バレーボールの選手たちもそうだろう。

にもかかわらず、ドラマをみながら、ナショナリズムを感じさせることは、あまりなかった。「日本」を背負っている選手たちを描きながら、同時に、ひたむきにスポーツに打ち込む人間としての側面も描いてきた。

ここには、ナショナリズムを相対化してみる、距離をおいた視点のとりかたがあった。これを、最も代表していたのが、志ん生であった。

志ん生もまた「明治」の人間である。だが、志ん生に、「坂の上の雲」を感じるとことは、まったくなかった。放逸な人生であり、刹那的に生きている。が、芸にかける執念はある。このような人物を、ドラマの語り手にもってきたことによって、「たかがオリンピック」「たかが日本」と、毒をもって笑い飛ばすことができていたのかと思う。

金栗四三や嘉納治五郎が「明治」の人間であるならば、同時に、志ん生もまた「明治」の人間である。このように多彩な視点で「明治」「明治の精神」を描いたところに、このドラマの良さがあったのだと思う。

『いだてん』は、視聴率はよくなかったようである。その理由のひとつに、ナショナリズムの描き方があったと思う。来年は、二〇二〇東京オリンピックである。否応なく、スポーツとナショナリズムが結びつくことになる。スポーツにおける「坂の上の雲」を描きながら、ナショナリズムを感じさせない脚本では、やはり視聴率に結びつかなかったのだろう。(何度も書いているが、私はナショナリズム自体を悪いものだとは思っていない。)

そして、思うことは、志ん生の弟子になる、五りんである。金栗の物語と、志ん生の物語を架橋する役割を担うことになる登場人物である。確かに、この五りんの存在によって、物語の筋は通ったかもしれない。

だが、その一方で、ドラマは「オリンピック人情噺」になってしまった。ここは、もっと志ん生という人間を、毒をもった存在として描いた方がよかったのかもしれない。どうもドラマの終わりの方になって、志ん生が、好々爺になってしまったような印象がある。

……以上、「明治の精神」からはじめて、思いつくままに書いてみた。

司馬遼太郎が、『坂の上の雲』を日露戦争の勝利で小説を終わらせて、その後を書かなかったのと同じように、このドラマにおいては、一九六四年東京オリンピックで終わらざるをえないのかとも思う。スポーツにおける「明治の精神」は、そこでようやく終焉を見たことになるのだろう。

2019年12月23日記

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