桜の冬芽2023-03-01

2023年3月1日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日は桜の冬芽である。

これは、この冬の間にすでに写している。

やまもも書斎記 2023年1月4日
桜の冬芽
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/01/04/9552802

ほぼ二ヶ月ぐらいが経過した。少しだけ春の雰囲気を感じるようになってきた。同じ桜の木なのであるが、見てみるとわずかではあるが、春の気配を感じるようになってきたかと思われる。ただ、これはそう思って見るだけで、思い過ごしかもしれないが。

あと一月もしないうちに、この桜も花が咲くはずである。その季節には桜の花の写真を撮る。毎年のことなのだが、この繰り返しが楽しみと感じられるようになってきている。

梅の花はまだ咲かない。我が家の梅の開花はちょっと遅い。テレビのニュースなどで、梅の開花が伝えられてからしばらくしないと咲かない。これも、見ると、もうちょっとすれば梅のつぼみと言っていいだろうかというぐらいになってきている。

山茱萸の黄色花がもうじき咲きそうである。三月になると、いろんな花の季節を迎えることになる。

桜の冬芽

桜の冬芽え

桜の冬芽

桜の冬芽

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2023年2月28日記

『雪月花』北村薫/新潮文庫2023-03-02

2023年3月2日 當山日出夫

雪月花

北村薫.『雪月花-謎解き私小説-』(新潮文庫).新潮社.2023(新潮社.2020)
https://www.shinchosha.co.jp/book/406615/

北村薫の本であるが、「私小説」とある。だが、私には、エッセイとして読める。ただ、そこには幾分の虚構をふくんだものとしてである。

ともあれ、読んでいて楽しくなる、あるいは、うらやましくもなる文章である。

読んで思うことを二点ばかり書いておく。

「雪の日やあれも人の子樽拾い」という句が出てくる。山田風太郎の作品に引かれているところからスタートする。この句の作者をめぐって、いろいろと探索がつづくのだが、なかに担当編集者にあって、松濤美術館の展覧会でこの句と絵を見たと情報を得る場面がある。気になって、「雪の日や……」の句を検索してみると、ヒットする。文化遺産オンラインである。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/18537

たぶん、この絵のことなのだろう。戸張孤雁である。

だが、こんなことは北村薫は知って書いているのかもしれない。インターネットで簡単に検索できることだが、それをわざと人に聞いたことになっているかもしれない。ふとこんな風にも思ってみたくもなる。

『雪月花』の著者が、岩波文庫の『日本近代随筆選』(三冊)の解題を知らないはずはないだろう。随筆には、虚構があってもいいのである。

ちなみに、次のようなことをかつて書いた。

やまもも書斎記 2016年6月23日
志賀直哉『城の崎にて』は小説か随筆か
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/23/8117250

それから、この新潮文庫版の作りも凝っている。巻末の広告である。普通の文庫本の作り方だったら、同じ新潮文庫の北村薫の作品を列挙する。それであまったページにはたいていはその月の新刊を挙げるのが通例である。しかし、この本はそうなっていない。あがっている作家は、夏目漱石、ホームズ、萩原朔太郎、芥川龍之介、江戸川乱歩、となっている。どれも、この『雪月花』に出てくる人物である。(それに、池澤夏樹もあがっている。これは、この文庫本の解説を書いていることによる。しかし、ここは福永武彦をあげてもよかったのではないか。)

プラトンの対話編を、光文社古典新訳文庫で順次読んでいく途中で手にした本である。本を読むことの楽しさにあふれた作品といっていいだろう。

2023年2月4日記

『江戸川乱歩傑作選』江戸川乱歩/新潮文庫2023-03-03

2023年3月3日 當山日出夫

江戸川乱歩傑作選

江戸川乱歩.『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫).新潮社.1960(2009.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/114901/

NHKで放送した『探偵ロマンス』を見たら、江戸川乱歩が読みたくなった。私が若いころに江戸川乱歩を読んだのは、中学か高校のときだったかと記憶する。文庫本で読んだかと思うのだが、どの文庫だったかは定かではない。

収録するのは、

二銭銅貨
二廃人
D坂の殺人事件
心理試験
赤い部屋
屋根裏の散歩者
人間椅子
鏡地獄
芋虫

江戸川乱歩としては、主に大正時代に発表した初期の短篇の傑作ということになる。(どの作品もこれまでに何かで読んだことがあると記憶している。)

大正時代にこれらの作品が書かれたということを思うと、ふと連想が、芥川龍之介、佐藤春夫、谷崎潤一郎、そして、北原白秋、萩原朔太郎……などにおよぶ。これらの作家の作品が書かれたと同時代に、江戸川乱歩も書いていたことになる。そして、大正という時代の空気のようなものを感じるところがある。

無論、日本の「探偵小説」の歴史にとって、記念すべき作品であることは確かなのだが、探偵小説という枠にとらわれないで、一つの時代の芸術のあり方というようなものを感じとることになる。

どうでもいいことだが、『探偵ロマンス』で何故三重県の女性が出てきたのか、よく分からずにいたのだが、江戸川乱歩は三重県の出身で東京に出て作家になったという経歴を確認して、納得がいったところでもある。

どの作品もいいが、印象に残るのは、「二銭銅貨」「人間椅子」「芋虫」などであろうか。テーマといい、語り口の巧さといい、いささかも古びたところがない。現代の目で読んでも新鮮である。やはり、江戸川乱歩は、これからも読まれ続けていく作家であると思う。

2023年2月18日記

『江戸川乱歩名作選』江戸川乱歩/新潮文庫2023-03-04

2023年3月4日 當山日出夫

江戸川乱歩名作選

江戸川乱歩.『江戸川乱歩名作選』(新潮文庫).新潮社.2016
https://www.shinchosha.co.jp/book/114902/

同じ新潮文庫の「傑作選」に続けて読んだ。こちらの方は新しい編集である。

収録するのは、

石榴
押絵と旅する男
目羅博士
人でなしの恋
白昼夢
踊る一寸法師
陰獣

今、江戸川乱歩を読もうと思うと、いろんな文庫、あるいは、「全集」で読めるようだ。たまたま、読み慣れている新潮文庫版で読んで見たということになる。角川文庫版だと、かなり収録作品が増えるようだ。だが、新潮文庫の「傑作選」「名作選」で、代表的な作品は取り上げてある。

どれも読んだことがある作品(だと思う)。はっきりと記憶している作品もあれば、記憶の曖昧な作品もあるのだが。が、ともあれ、再読することになっても(その結末を知っていても)どれも傑作ぞろいである。

NHKの「探偵ロマンス」を見たので、江戸川乱歩を読んでみたくなって読んでみたのであるが、なるほど、今にいたるまで江戸川乱歩が読み継がれてきている、そして、今でも「乱歩賞」が行われているのは、納得できる。

昭和の初めごろまでに発表された作品である。乱歩といえば思い出す、少年探偵団、怪人二十面相は、はいっていない。さて、これらまで読んだものかどうか、迷っているところでもある。

乱歩は「探偵小説」と言っているが、今のことばでいえば、これはかなり広義のミステリと理解していいだろうか。無論、なかには、厳格な意味での「本格」もふくむことになるが。ミステリとして読んで、「石榴」「陰獣」などは非常に完成度が高い。これほどの作品がかつて書かれていたのかと、改めて感心した次第でもある。

さて、この続きどうしようか。横溝正史の主な作品を読んでみようかという気になってきている。高校生から大学生ぐらいのときに読んでいるのだが、改めて横溝正史も読みかえしてみたい。

2023年2月22日記

『舞いあがれ!』あれこれ「冒険のはじまり」2023-03-05

2023年3月5日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第22週「冒険のはじまり」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/info/program64.html

この週を見ていて思うのは、同じNHKの「探検ファクトリー」のことである。この番組で以前、東大阪の町工場をとりあげて、金網工場が出来たことがあった。放送のときは、なんとなく見ていたのだが、あるいは、これはNHKとしては、大きな伏線であったのかもしれない。

日常目にすることの多い金網であるが、作るのに、職人の熟練の技術が必要であること、そして、その技術の応用として、今ではいろんな方面に挑戦していることが描かれていた。その一つに、近畿大学のキャンパスもあった。外壁に金網を利用するというものである。

ドラマは、いつが最終回で大団円になってもおかしくないような展開である。デラシネもなんとかうまくいっているようだし、舞も起業することになった。IWAKURAの子会社として、独立して仕事を始める。無事に成功するだろうか。

見ていて関心があるのは、デラシネだろうか。ここは、子供たち……どうやらいろんな家庭環境などの事情があるようだ……の居場所になっている。この場所をそのまま継続していくことが、貴司の希望でもある。短歌の仕事と両立させて、ここのところをどうにかやっていけるなら、それにこしたことはない。

新しい会社を作ることになった展開であったが、この週でも、舞は、岩倉舞の名前で仕事をしていた。たぶん、新会社でも、同じ名前で仕事をすることになるのだろう。

起業して、どのようなことになるのか。次週を楽しみに見ることにしよう。

2023年3月4日記

ドキュメント72時間「資格試験の予備校 私の進む道」2023-03-06

2023年3月6日 當山日出夫

ドキュメント72時間 「資格試験の予備校 私の進む道」

いろいろと考えるところがあった。

まず思うのは、人間はいくつになっても学び続けることの必用性、価値、ということにある。会社を辞めてから、さらに資格試験をめざそうという人もいる。生き方は人様々であっていいとは思うが、これもまた一つの生き方なのであろう。

それにしても、様々な資格試験があるものである。また、難しいものが多い。普通の生活を送っている身近なところで、このようないろんな資格とそれの試験があるということは、知らなかったところが多い。

ところで、これは短い番組だからしかたのないことなのだが……資格試験のその結果のことについて、触れることがなかった。合格したのか、ダメで諦めることになったのか。やはり、この学校に集まる人のその後のことが気になる。たぶん、合格率を考えるならば、ここで勉強している人が合格するということではないはずである。

そして、学校に来ている人について見ればということになるが、みんな真剣で真面目である。学生のやる気のなさの充満した大学の教室……まあ、これは学校にもよるのだが……とは、違う。学ぶことの意味というようなことについて、いろいろと思うことがあった。

2023年3月6日記

『どうする家康』あれこれ「守るべきもの」2023-03-07

2023年3月7日 當山日出夫

『どうする家康』第9回「守るべきもの」

大河ドラマに限らず、歴史ドラマの多くは、結果がわかっている。徳川家康の場合であれば、最終的に天下の統一をはたし、江戸時代をつくることになる。まあ、いってみれば、成功した立場、勝った立場ということになるのだろう。

多くの視聴者、あるいは、家康関係の書物の読者が求めるものは、その成功者の人となりであり、人生がどのようなものであったかということになるだろう。

ある意味では、ビルドゥングスロマン(教養小説)として読まれる、受容されるべき必然性のようなものがある。そして、このドラマも、このことをかなり意図して作ってあるようだ。この回においても、為政者とはいかなる存在であるべきか、家康は一つ学習することになる。このあたり、なんとなくゲーム的である。

一つには、家康という人物を、あまり理想化して描いていないということがある。どちらかといえば、ダメ人間である。そのダメ人間が、どうして天下を治めるまでなったのか、その経緯、成長の過程をたどってみようというのが、このドラマの本筋であるように思える。

さらには、そのダメ主君をささえる家臣団のあり方である。主君はダメかもしれないが、家臣団は逸材が多い。強い結束力で、三河の国、松平という武家の家を、ささえていく。この家臣団あっての、戦国の徳川ということになる。

ところで、やはり、一向一揆を影であやつっていたのは、千代であった。そして、その千代の背後には、武田信玄がいた……ということになる。三河一向一揆と、甲斐の武田と、どのようにかかわっていたのかは、時代考証の分野の話しになるのだろうが、これは面白いところである。

次回は、側室をめぐる話しになるよようだ。家康はどうすることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2023年3月6日記

梅のつぼみ2023-03-08

2023年3月8日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日は梅のつぼみである。

つぼみというにはちょっとはやいかもしれない。庭の梅の木も、春になってだんだんと大きくふくらんできた。もう少しすると花が咲きそうな雰囲気になってきた。もうこれぐらいになると、冬芽というよりもつぼみといっていいかと思う。

庭の木瓜の木もつぼみと言っていいぐらいになってきている。駐車場の桜の木を見ると、これも春めいた感じになってきている。ここしばらく暖かいので、梅も桜も花の咲くのもそろそろかと思って見ている。

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

梅のつぼみ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年3月7日記

世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第1回2023-03-09

2023年3月9日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第1回

このシリーズも日本編になった。第一回を見たところでいささか。

まず、なぜ60年代からスタートするのか、という素朴な疑問がある。一つには、その前の50年代も重要ではないか。特に映画などのことを考えるならば、50年代は重要な時期になるだろう。さらには、これまでの番組の作り方からして、西暦で区切るのはいたしかたないとしても、日本に限っていうならば、むしろ昭和30年代というような区切り方の方が、時代をうまく捕まえられるのではなかろうか。ただ、昭和の年代で区切るとしても、せいぜい次の40年代までだろう。それ以降は、西暦に従った方がいいようにも感じる。一貫性という意味では、60年代というくくりになるのかなと思う。

ただ、そうはいっても、その前の時代からの流れということは意識する作りにはなっていた。演劇、芸能について触れるとき、安藤鶴夫の名前を久々に目にした。私の学生のころには、まだ読まれる人であったと覚えているのだが、最近はとんと目にしなくなった。まあ、芸能関係の書籍など読まないということもあるだろうが。

一つ前の時代との連続性で重要なのは、貸本屋だろうと思う。貸本小説、貸本漫画ということの存在は、おそらく日本のサブカルチャーを考える上で意味がある。ここは、少年漫画雑誌に、貸本漫画出身の漫画家たち(白土三平など)が参入してきたということで、すこし触れられていた。

高度経済成長、安保闘争という、大きな面だった歴史では見えてこない、人びとの日常に即したところ、それをサブカルチャーという概念で、すくいとっていたと言っていいだろうか。それを象徴するのが、『おそ松くん』のチビ太のおでんということになろうか。

気になることとしては、「サブカルチャー」をあつかうのはいいとして、「ポピュラーカルチャー」(大衆文化)、また「カウンターカルチャー」との関連をどう描くのか。そこには、「メインカルチャー」とはどうであったかという議論にもつながる。

ところで、映画『乾いた花』は、映画館で見た。篠田正浩監督作品ということで見に行ったかと憶えている。加賀まりこが、まさに「小悪魔」ということばでしか言いようがない。番組では映らなかったが、この映画で印象的なのは、やはり賭場のシーンだろう。

任侠映画はあつかってあったが、ポルノ映画は出てこなかった。これは次回ということになるのだろうか(もし、あつかうとすればであるが。)ここは、やはり神代辰巳監督はあつかってほしいところである。

出演していたなかでは、松岡正剛の分析がなかなかのするどさを感じさせるものであった。

2023年3月7日記

『この世の喜びよ』井戸川射子2023-03-10

2023年3月10日 當山日出夫

この世の喜びよ

井戸川射子.『この世の喜びよ』.講談社.2022
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000370361

芥川賞の受賞作である。

なるほどこの作品なら芥川賞もうなづける。なによりも文章がいい。詩情がある。このごろ、これほど詩情にあふれた文章というの珍しいのではないか。あつかってある題材は、現代の家族である。描きようによってはリアルにも、グロテスクにも、描くことができよう。それが、詩情にあふれた文章の魅力で、一息に読ませる力がある。

このような感覚で、ふだんの日常の世界を見ることができるのか。感じることができるのかと、認識を新たにする。特に新奇なことが書いてあるという作品ではなく、その世界の感じ方に共感できるかどうかという作品である。私の場合は、この作者に共鳴するところがかなりある。

文学とは、つまりは、世界を見る文体のことであると、割りきって考えることができるなら、この作品は、確かに一つの世界を構築している。

読んでいる途中、どうも作品のタイトルに違和感を持って読んでいったのだが、これも、最後まで読むと、なるほどこのタイトルであることに納得がいく。

2023年2月8日記