世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第3回2023-03-24

2023年3月24日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第2回

第三回は、一九八〇年代のこと。

この時代、私は何をしていただろうか。大学の学部の学生が終わって、大学院に行って、研究に没頭していた時期でもある。「神田本白氏文集」の漢字索引、訓点語索引の仕事をしたのは、一九八〇年代の初めのころである。

さて、一九八〇年代の世相としては、あまり覚えていない。番組に出てきたなかでは、西部美術館のことを、比較的はっきりと覚えているだろうか。池袋には行くことがあった。西部美術館の展示はかなり見ている。それから、その下のフロアにあった、書店にもかなり行ったものである。そのころ、池袋西部の書店は、独自の品揃えをしていたものである。それが、後に今泉棚と呼ばれるものであったことを知った。確かにここには、ある「知」があった。

浅田彰や中沢新一は、あまり傾倒することなくすごした。「なんとなく、クリスタル」も読むことなく今にいたっている。(今になって特に読んでみようという気もおこらない。)

バブルといわれる時代である。その時代の雰囲気として、NTT民営化があって、そのとき、NTT株を買わないものは愚か者であるというようなことが、私の周囲でも語られることがあった。(私自身は、まったく興味がなかったが。)

そして、一九八〇年代から、次の九〇年代は、大きな時代の変わり目になる。昭和の終わり、冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊、それから、湾岸戦争。この時代の変わり目をどう生きてきたのだろうか。今となっては、この時代の節目を通り抜けた、過去の一時期として懐古されるのが一九八〇年代であるように思えてならない。この総括の時代をくぐり抜けたものとして次の九〇年代があり、その前の時代として八〇年代があると、私には思えてならない。

この時代、まさにテレビの時代だったと思うのだが、番組ではテレビのことはほとんど扱っていなかった。ユーミンの歌は出てきていた。が、竹内まりや、中島みゆき、それから、桑田佳祐などは登場していなかった。この時代のサブカルチャーを語るのに、映画をあつかうのは、ちょっと無理があるように思えてならない。(ただ、この番組の方針として、映画をキーにして時代を見るということがあるのだろうとは思うが。)

2023年3月23日記