『虎に翼』「虎に翼」 ― 2024-09-29
2024年9月29日 當山日出夫
『虎に翼』「虎に翼」
ようやく終わった。このドラマは、始まったころは面白かった。しかし、戦後しばらくのころから急速につまらなくなった。私の感覚としては、これまでに類を見ないつまらなさといってよい。だが、それよりも気になるのは、このドラマを絶賛する声の多さである。それから、脚本家が、やたらといろんなメディアで、自作を解説して、こういう意図であると説明するのには、閉口する。作者にとって、作品がすべてであることが、理解できていないのだろうか。創作という行為には、時として創造の神様が微笑んでくれる、自分の意図しないものがいつのまにか出来上がってしまう、ということがあるかと思うのだが、そういう経験はないのだろうか。であるならば、随分と貧相な作者であると言わざるをえない。
最後なので、ちょっと変わった角度から考えてみたい。(先日書いたことと、少し重複するが)。
三淵嘉子をモデルとしたドラマであるということは、最初から決まっていたことである。だから、史実と違っていてはいけないとは思わない。ドラマとして面白く作るためなら、史実の改変はあっていい。例えば、AKの前作『らんまん』では、主人公の牧野富太郎は、長屋住まいを続けていない。何度も引っ越しをしている。子どももたくさん生まれている。しかし、ここは、長屋の人たちとの交流を描くことで、ドラマとして面白いものになっていた。標本の保存にも困ることはなかった。これは、これでいいと思う。最終的に、日本の植物図鑑を作るということを目標にしてドラマはすすんでいった。
『虎に翼』であるが、三淵嘉子をモデルに作るドラマだと、最終的な着地点をどこに設定することになるだろうか。日本最初の弁護士、法曹の世界でガラスの天井を打ち破っていった先駆的な女性ということになるかもしれない。が、ここで別の角度から見るならば、三淵嘉子は家庭裁判所の設立にかかわっている。この視点から見たらどうであろうか。
非行少年については、近年、いろいろと言われている。その端的な事例が、「ケーキの切れない非行少年たち」である。たしかに、このような事実は認めなければならないだろう。(宮口幸治の『ケーキの切れない非行少年たち』は、二〇一九年の刊行である)。だが、それがすべてではなかったはずである。非行少年のすべてがケーキが切れなかたわけではない。かつて、日本の戦後の時代、まだ日本が貧しかったころ、いろんな事情で家庭環境、生活環境にめぐまれず、非行ということになった少年少女がいただろう。その少年少女たちを救ったのが、家庭裁判所であった。なかには少年院に行くことになった少年もいたかもしれない。だが、そのうちの幾分かは(全部ということはないかもしれないが)、無事に更生して社会のなかで生きていくことができたかと思う。そのような少年たちのことを思ってみる。
かつての非行少年であった人たちは、その多くは存命だろう。そして、自分がかつて家庭裁判所であつかわれたことを記憶しているにちがいない。だが、そのときの裁判官の名前など憶えていないかと思う。とはいえ、家庭裁判所のおかげで、まっとうな人生を歩むことができたという経験のある人は、すくなからず存在するはずである。
そのような人たちが、このドラマを見て、なんと感じるだろうか。今の自分の人生があるのは、家庭裁判所のおかげであった。その家庭裁判所の設立にかかわった人は、三淵嘉子……ドラマのなかでは佐田寅子……という人であった。家庭裁判所の出来た経緯、理念、そしてそこで働いた裁判官や調査員などの職員の仕事。これらのことを、こころのすみのどこかで感じとることがあるかもしれない。
こんな人たちが、今の日本のどこかにいて、このドラマを見ることがあるかもしれない、そしてどう感じるだろうか……ということを、ドラマの作者は考えたことがあったのだろうか。もし、そのように考えてみたことがあったならば、とうていこんなドラマにはならなかったにちがいない。(たとえば、美佐江のような登場人物を出してきたことである。そもそも、家庭裁判所の仕事をまともに描いていなかった。)
事件の性質上、そのような人たちに直接取材して話しを聴いてということは、難しいことにちがいない。だが、これは、今の社会にどんな人がいるかということへの想像力の問題でもある。それは、ヒューマニズムの視点といっていい。
『虎に翼』は、PC(政治的タテマエ……渡辺靖のことばを使うと)の主張はあった。しかし、その根底にあるべきヒューマニズムに裏付けられた想像力が、致命的に欠如していたと、私は思わざるをえないのである。
AK制作の次の朝ドラは『あんぱん』になる。やなせたかしの語った正義……それはかっこうのいいものでもないし、みずからも傷つくものである……『虎に翼』とは真逆のものであるが、これを、どう描くことになるだろうか。
2024年9月28日記
『虎に翼』「虎に翼」
ようやく終わった。このドラマは、始まったころは面白かった。しかし、戦後しばらくのころから急速につまらなくなった。私の感覚としては、これまでに類を見ないつまらなさといってよい。だが、それよりも気になるのは、このドラマを絶賛する声の多さである。それから、脚本家が、やたらといろんなメディアで、自作を解説して、こういう意図であると説明するのには、閉口する。作者にとって、作品がすべてであることが、理解できていないのだろうか。創作という行為には、時として創造の神様が微笑んでくれる、自分の意図しないものがいつのまにか出来上がってしまう、ということがあるかと思うのだが、そういう経験はないのだろうか。であるならば、随分と貧相な作者であると言わざるをえない。
最後なので、ちょっと変わった角度から考えてみたい。(先日書いたことと、少し重複するが)。
三淵嘉子をモデルとしたドラマであるということは、最初から決まっていたことである。だから、史実と違っていてはいけないとは思わない。ドラマとして面白く作るためなら、史実の改変はあっていい。例えば、AKの前作『らんまん』では、主人公の牧野富太郎は、長屋住まいを続けていない。何度も引っ越しをしている。子どももたくさん生まれている。しかし、ここは、長屋の人たちとの交流を描くことで、ドラマとして面白いものになっていた。標本の保存にも困ることはなかった。これは、これでいいと思う。最終的に、日本の植物図鑑を作るということを目標にしてドラマはすすんでいった。
『虎に翼』であるが、三淵嘉子をモデルに作るドラマだと、最終的な着地点をどこに設定することになるだろうか。日本最初の弁護士、法曹の世界でガラスの天井を打ち破っていった先駆的な女性ということになるかもしれない。が、ここで別の角度から見るならば、三淵嘉子は家庭裁判所の設立にかかわっている。この視点から見たらどうであろうか。
非行少年については、近年、いろいろと言われている。その端的な事例が、「ケーキの切れない非行少年たち」である。たしかに、このような事実は認めなければならないだろう。(宮口幸治の『ケーキの切れない非行少年たち』は、二〇一九年の刊行である)。だが、それがすべてではなかったはずである。非行少年のすべてがケーキが切れなかたわけではない。かつて、日本の戦後の時代、まだ日本が貧しかったころ、いろんな事情で家庭環境、生活環境にめぐまれず、非行ということになった少年少女がいただろう。その少年少女たちを救ったのが、家庭裁判所であった。なかには少年院に行くことになった少年もいたかもしれない。だが、そのうちの幾分かは(全部ということはないかもしれないが)、無事に更生して社会のなかで生きていくことができたかと思う。そのような少年たちのことを思ってみる。
かつての非行少年であった人たちは、その多くは存命だろう。そして、自分がかつて家庭裁判所であつかわれたことを記憶しているにちがいない。だが、そのときの裁判官の名前など憶えていないかと思う。とはいえ、家庭裁判所のおかげで、まっとうな人生を歩むことができたという経験のある人は、すくなからず存在するはずである。
そのような人たちが、このドラマを見て、なんと感じるだろうか。今の自分の人生があるのは、家庭裁判所のおかげであった。その家庭裁判所の設立にかかわった人は、三淵嘉子……ドラマのなかでは佐田寅子……という人であった。家庭裁判所の出来た経緯、理念、そしてそこで働いた裁判官や調査員などの職員の仕事。これらのことを、こころのすみのどこかで感じとることがあるかもしれない。
こんな人たちが、今の日本のどこかにいて、このドラマを見ることがあるかもしれない、そしてどう感じるだろうか……ということを、ドラマの作者は考えたことがあったのだろうか。もし、そのように考えてみたことがあったならば、とうていこんなドラマにはならなかったにちがいない。(たとえば、美佐江のような登場人物を出してきたことである。そもそも、家庭裁判所の仕事をまともに描いていなかった。)
事件の性質上、そのような人たちに直接取材して話しを聴いてということは、難しいことにちがいない。だが、これは、今の社会にどんな人がいるかということへの想像力の問題でもある。それは、ヒューマニズムの視点といっていい。
『虎に翼』は、PC(政治的タテマエ……渡辺靖のことばを使うと)の主張はあった。しかし、その根底にあるべきヒューマニズムに裏付けられた想像力が、致命的に欠如していたと、私は思わざるをえないのである。
AK制作の次の朝ドラは『あんぱん』になる。やなせたかしの語った正義……それはかっこうのいいものでもないし、みずからも傷つくものである……『虎に翼』とは真逆のものであるが、これを、どう描くことになるだろうか。
2024年9月28日記
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