アナザーストーリーズ「傷だらけの天使 〜なぜ伝説になったのか〜」 ― 2025-08-13
2025年8月13日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 傷だらけの天使 〜なぜ伝説になったのか〜
このドラマは、あまり見たという記憶はない。放送されたのは知っていたのだが。
それにしても、深作欣二とか神代辰巳とか、こんな監督がテレビドラマを撮っていたのかと思うと、今から考えると、まさに驚異的といっていいだろう。
画面に映っていた、ドラマの企画書のなかに、「健康的なエロティシズム」とあった。これは時代を感じさせる。今の時代だったら、絶対にエロティシズムというようなことばを使ったドラマの企画書などないだろう。
時代としては、70年安保の後の、なんとなく空白を感じさせるときだったかと思う。この時代に生きた若者たちの、なにがしかを代弁していたことは確かなことである。(私としては、この少し前に放送のあった「木枯し紋次郎」の方に、より共感をいだくことになるのだが。)
番組のなかに登場していた、その当時の制作スタッフなどの関係者、もう80才を越えている人たちなのだが、矍鑠としている。クリエイティヴな仕事を続けているから、そのようでいられるのかとも思う。(もう私など、自ら世捨て人と思い定めているのだけれど。)
この番組を見る人の年代層としては、かなり高めということで作ってある。最後のシーン、夢の島、と出てきていたのだが、これは、かなり歴史的な背景を説明しないと、分からないことかもしれない。
2025年8月8日記
アナザーストーリーズ 傷だらけの天使 〜なぜ伝説になったのか〜
このドラマは、あまり見たという記憶はない。放送されたのは知っていたのだが。
それにしても、深作欣二とか神代辰巳とか、こんな監督がテレビドラマを撮っていたのかと思うと、今から考えると、まさに驚異的といっていいだろう。
画面に映っていた、ドラマの企画書のなかに、「健康的なエロティシズム」とあった。これは時代を感じさせる。今の時代だったら、絶対にエロティシズムというようなことばを使ったドラマの企画書などないだろう。
時代としては、70年安保の後の、なんとなく空白を感じさせるときだったかと思う。この時代に生きた若者たちの、なにがしかを代弁していたことは確かなことである。(私としては、この少し前に放送のあった「木枯し紋次郎」の方に、より共感をいだくことになるのだが。)
番組のなかに登場していた、その当時の制作スタッフなどの関係者、もう80才を越えている人たちなのだが、矍鑠としている。クリエイティヴな仕事を続けているから、そのようでいられるのかとも思う。(もう私など、自ら世捨て人と思い定めているのだけれど。)
この番組を見る人の年代層としては、かなり高めということで作ってある。最後のシーン、夢の島、と出てきていたのだが、これは、かなり歴史的な背景を説明しないと、分からないことかもしれない。
2025年8月8日記
3か月でマスターするアインシュタイン「第6回 世界一有名な式」 ― 2025-08-13
2025年8月13日 當山日出夫
3か月でマスターするアインシュタイン 第6回 世界一有名な式
話しの筋は理解できるつもりなのだが、よく分からなかったところもある。
核分裂、核融合、ということは、そうなのだろうと思って見ていたのだが、では、なぜウラン235で核分裂が起こり、水素とヘリウムで核融合ということになるのか、つまり、他の原子ではどうなのか、同じようなことが起こりうるのか、起こらないのか、そして、その理由は何なのか、これがまったく説明されていなかった。
しかし、見ていて、ここのところは、最も知りたくなるところである。
それから、核分裂、核融合が起こった後の、原子の質量を量ると軽くなっていた、ということなのだが(それはエネルギーに変わった)、これは、どういう実験で確かめることができたのだろうか。その実験の仕組みが知りたい。原子の重さを量るにはどうすれば可能なのだろうか。
2025年8月12日記
3か月でマスターするアインシュタイン 第6回 世界一有名な式
話しの筋は理解できるつもりなのだが、よく分からなかったところもある。
核分裂、核融合、ということは、そうなのだろうと思って見ていたのだが、では、なぜウラン235で核分裂が起こり、水素とヘリウムで核融合ということになるのか、つまり、他の原子ではどうなのか、同じようなことが起こりうるのか、起こらないのか、そして、その理由は何なのか、これがまったく説明されていなかった。
しかし、見ていて、ここのところは、最も知りたくなるところである。
それから、核分裂、核融合が起こった後の、原子の質量を量ると軽くなっていた、ということなのだが(それはエネルギーに変わった)、これは、どういう実験で確かめることができたのだろうか。その実験の仕組みが知りたい。原子の重さを量るにはどうすれば可能なのだろうか。
2025年8月12日記
映像の世紀「ヨーロッパ 2077日の地獄 第3部 国民を道連れにした独裁者 1944-1945」 ― 2025-08-13
2025年8月13日 當山日出夫
映像の世紀 高精細スペシャル ヨーロッパ 2077日の地獄 第3部 国民を道連れにした独裁者 1944-1945
何度も同じことを繰り返し書くことになるのだが、フランスが連合軍によって解放された後、ドイツ軍と関係のあった女性たちが、街中で髪の毛を切られて見せしめにされる場面。このことを知ったのは、かなり前のこと、若いときのことだったと思うののだが、戦争のどんな悲惨な場面よりも、人間というものの愚かさを象徴している出来事であると思うようになって、今にいたっている。このように感じる人も、増えてきたのだろう、今回の「映像の世紀」では、このことを助長したのがカメラであったということも語っている。
映画監督のスティーヴンスが、カラーフィルムで記録していたということは、初めて知ったのだが、番組の構成として、白黒フィルムをカラー化した部分と、カラーフィルムで撮った部分と、はっきり分かるように作っておいてほしかったと思う。基本的には、前から書いているように、白黒影像のカラー化には、私は、基本的に反対の立場である。少なくとも、カラーフィルムで撮影した映像とは、区別して提示してくれることが、絶対に必要だと思う。
監督が語っていたことだが、ナチスを嫌悪する気持ちがある。と同時に、そのような要素が自分自身のうちにもある、という自覚。これこそ、もっとも重要なことだろう。ただ単に、ナチスを絶対悪として糾弾しているだけでは、おそらく、似たような事態の再来を防ぐことはできないだろう。
「映像の世紀」シリーズでは、独ソ戦をはじめ、ヨーロッパ戦線のことを、多くあつかっているのだが、イタリア戦線のことがあまり出てきていないと思う。資料が残っていないということなのだろうか。イタリア戦線は、アメリカ軍の日系人部隊が戦ったことは、記憶されるべきことだと、私としては思っている。(それは、彼らが、日本人ではなくアメリカ人であることを証明するための戦いであったはずである。)
戦争が長引き、戦況が悪化するにしたがって、むしろ、国家としての団結力が強くなる……これは、近代の国民国家というもの、また、人間というものは、そういうものなのだろうと、思うことになる。これは、日本の場合でも、同じようなことがいえるはずである。
だから、あの時点で、戦争を終結に導いていれば、とは今からなら言うことは可能だが……日本の場合であれば、ミッドウェー海戦の時点で、サイパン陥落の時点で、など……時代の人びとのこころというものは、そんなに簡単に、今日の目で見ての合理的な判断ができるものではない、ということは、歴史の教訓としてえられることかと思う。
そもそも、現代の視点からの合理性があれば戦争など起こさなかったということは、歴史というものへの無知、人間というものへの無理解、というべきかとも思っている。(だから、戦争もやむをえないとはいうつもりはないけれど。)
2025年8月10日記
映像の世紀 高精細スペシャル ヨーロッパ 2077日の地獄 第3部 国民を道連れにした独裁者 1944-1945
何度も同じことを繰り返し書くことになるのだが、フランスが連合軍によって解放された後、ドイツ軍と関係のあった女性たちが、街中で髪の毛を切られて見せしめにされる場面。このことを知ったのは、かなり前のこと、若いときのことだったと思うののだが、戦争のどんな悲惨な場面よりも、人間というものの愚かさを象徴している出来事であると思うようになって、今にいたっている。このように感じる人も、増えてきたのだろう、今回の「映像の世紀」では、このことを助長したのがカメラであったということも語っている。
映画監督のスティーヴンスが、カラーフィルムで記録していたということは、初めて知ったのだが、番組の構成として、白黒フィルムをカラー化した部分と、カラーフィルムで撮った部分と、はっきり分かるように作っておいてほしかったと思う。基本的には、前から書いているように、白黒影像のカラー化には、私は、基本的に反対の立場である。少なくとも、カラーフィルムで撮影した映像とは、区別して提示してくれることが、絶対に必要だと思う。
監督が語っていたことだが、ナチスを嫌悪する気持ちがある。と同時に、そのような要素が自分自身のうちにもある、という自覚。これこそ、もっとも重要なことだろう。ただ単に、ナチスを絶対悪として糾弾しているだけでは、おそらく、似たような事態の再来を防ぐことはできないだろう。
「映像の世紀」シリーズでは、独ソ戦をはじめ、ヨーロッパ戦線のことを、多くあつかっているのだが、イタリア戦線のことがあまり出てきていないと思う。資料が残っていないということなのだろうか。イタリア戦線は、アメリカ軍の日系人部隊が戦ったことは、記憶されるべきことだと、私としては思っている。(それは、彼らが、日本人ではなくアメリカ人であることを証明するための戦いであったはずである。)
戦争が長引き、戦況が悪化するにしたがって、むしろ、国家としての団結力が強くなる……これは、近代の国民国家というもの、また、人間というものは、そういうものなのだろうと、思うことになる。これは、日本の場合でも、同じようなことがいえるはずである。
だから、あの時点で、戦争を終結に導いていれば、とは今からなら言うことは可能だが……日本の場合であれば、ミッドウェー海戦の時点で、サイパン陥落の時点で、など……時代の人びとのこころというものは、そんなに簡単に、今日の目で見ての合理的な判断ができるものではない、ということは、歴史の教訓としてえられることかと思う。
そもそも、現代の視点からの合理性があれば戦争など起こさなかったということは、歴史というものへの無知、人間というものへの無理解、というべきかとも思っている。(だから、戦争もやむをえないとはいうつもりはないけれど。)
2025年8月10日記
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