3か月でマスターするアインシュタイン「アインシュタインが残した宿題って?」2025-09-10

2025年9月10日 當山日出夫

3か月でマスターするアインシュタイン 第9回 アインシュタインが残した宿題って?

録画をようやく見た。早く見ていかないと、この番組のシリーズも終わってしまう。

重力波ということは、名前を知っているぐらいであるし、KAGRAについても同様である。

ごくごく微細な時空のゆらぎを、どうやって観測するか……これは、理論的に考えられることを、実際に観測して検証しなければならない。これは、サイエンスとして、当然のことなのだが、非常に難しいことであったことになる。これも、どんな実験をすれば、それが観測されたことになるのか、ということについての、理論的な研究の積み重ねと、技術的にそれが可能になる、ということがあってのことである。こういう意味では、100年かかったことは、いたしかたのないことなのだろう。

しかし、この観測の方法を考案した人もすごいと思うが、作った人もすごい。また、サイエンスには、このような巨大プロジェクトとテクノロジーの進歩が必要ということでもある。

番組の始めで言っていたことだが、人間にとっての可視光の範囲というのは、どういう必然性があるのだろうか。生物によっては、違う範囲の光を見ることができる。モンシロチョウが紫外線を見ることができるということは、色彩学の教科書的知識である。また、視覚的に人間が見るということで、映像として世界を認識することの、生物としての、また、人間の文化にとっての意味とはなんであるのか、ということもある。

音についても同様で、人間にとっての可聴域がある。生物によっては、超音波を聴くことができる。コウモリなどがそうである。

というようなことをふまえて、人間が見ることのできない電磁波や重力波を、人間が見ることのできる画像や音として、表現しなおして、見たり聴いたりしていることになる。

2025年9月9日記

新日本風土記「オオカミとカワウソ」2025-09-10

2025年9月10日 當山日出夫

新日本風土記 「オオカミとカワウソ」

再放送である。最初は、2023年9月19日。

番組は最後まで見る。これを作ったのは、かわうそ商会、である。この会社の名前は、ときどき目にする。この会社のHPを見てみたら、この番組の再放送のことが掲載になっていた。

カワウソは、もう少し早くに適切な環境保護などの措置を講じていたら、まだ、生き残っていたかと思われる。あるいは、動物園での飼育や繁殖がうまくいっていれば、という気もする。だが、これも、今となっては、くりごとになってしまう。

オオカミ、この番組であつかっていたのは、ニホンオオカミになる。ブラキストン線をこえて、北海道になると、エゾオオカミがいたことが分かっているはずだが、これも、近代になってから絶滅している。

オオカミについて興味深いことは、それが神様としてあがめられてきた歴史があり、三峯神社、御嶽神社などでまつられている、ということである。オオカミの信仰が、講をつくり、さらに御師までも現役で活動していることは、この番組で知った。おそらく、日本全国には、オオカミの信仰の痕跡は、さらにあるのだろう。

現存しているオオカミの骨など分析すれば、いったい何を食べていたのか、現在の技術では解明することができるはずだが、そういう研究はなされているのだろうか。またDNA解析によって、日本にどのように分布していたか分かるかとも思う。(こういう方面のことは、この番組の趣旨ではないかもしれないが。)

カワウソはいなくなってしまったが、しかし、カワウソが棲息できるような、綺麗な川の流れと豊富な魚、というのは、まさに日本において残していきたい自然ということになる。

番組のなかで、「シートン動物記」の『オオカミ王ロボ』と出てきた。私は、この作品を憶えている。だが、今の時代だと、「シートン動物記」のように、過度に動物を擬人化したり、人間の感情を移入して見る、ということは、自然に対する見方として、否定的に考えられるようになってきている。同じようなことは、ジャック・ロンドンの作品にもいえる。最近、『黒馬物語』が光文社古典新訳文庫版で出たので、これは買った。子どものころに読んだ本である。(だが、厳密には、完全な訳というよりも、子ども向けに短くして訳した本だったかと思い出す。)

2025年9月9日記

ドキュメント72時間「巨大コスメ店 鏡の自分と向き合えば」2025-09-10

2025年9月10日 當山日出夫

ドキュメント72時間 巨大コスメ店 鏡の自分と向き合えば

化粧ということを考えるならば、一般的には、はるか古代の人間の文化というところから考えなければならないはずである。化粧についての、文化人類学、歴史学、社会史、というような研究はいっぱいあるにちがいない。

この番組を見て、「プチプラ」とか「デパコス」とかいうことばを憶えた。使う人は、普通に使っているのだろう。

化粧品が月に1000種ぐらい新商品が出るというのは、すさまじいとしかいいようがない。化粧品は、製造の原価が安い割には、高額で売れるから、作って売る側にしてみれば、もうけの大きい商品かなとは思う。だが、それだけに、競争は熾烈であることになる。

(ここは、むしろ、化粧品のメーカとか、あるいは、番組に出てきた韓国の化粧品のバイヤーとか、そういう人たちの話があると、面白いと思う。)

化粧品を買うのに、目の前に現物があるところで、その商品について、スマートフォンで評判などをチェックしているというのは、今の時代ならではのことである。

取材が、7月の末である。ということは、普通の学校は夏休みである。大学であると、今の大学は、ぎりぎり前期の試験が終わるかどうか、というあたりである。しかし、教員の側は、とても大変である。(私の学生のころ、7月になると実質的に受業はほとんどなかった。暗黙の約束で、学期の最初と最後はお休みです、という先生も多かった。今のように、かっちり15回ということではなかった。今から思えば夢のような時代である。)

学校が休みということなら、もうちょっと中学生や高校生が映っていてもいいかなと思うのだが、番組の作り方としては、まあ無難な人を選んであったという印象である。

バブルのころのファッションに憧れるという女性が出てきていたのだが、私の目には、どう見ても大坂のおばちゃんである。(これは、かなりの偏見であろうけれど。)

もともと大坂のファッションは、派手だと言われる。これは、(私の思うとろこだと)ファッション雑誌に載っているような服や化粧をそのまま自分も着てみたい、やってみたい、ということである。それに対して、雑誌のモデルは、そういう服で化粧をしているのだが、それを、自分なりにどう薄めて似合うようにするのか、という発想もある。このあたりのすれ違いが、大坂ならではの、ド派手なファッションセンスということになるのかと、思うところである。

なりたい自分になるための自己表現としてのメイクなのか、あるいは、もともとの自分の素の姿を見えなくするための、いわば化けるためのメイクなのか、化粧とか衣服には、こういう複合的な要素がある。

私の感覚としては、化粧は見た目だけのことではない。女性の化粧品のかすかな匂いが、ほのかなエロティシズムを感じさせる……というような感覚は、今の時代には通用しないことなのかもしれないが、どうなのだろうか。

2025年9月6日記