芸能きわみ堂「放送100年 歌舞伎の襲名」 ― 2025-12-29
2025年12月29日 當山日出夫
芸能きわみ堂 放送100年 歌舞伎の襲名
若い時に、慶應義塾大学の国文科で勉強したということがあるので、その後、学生に日本語の歴史を教えるようになったとき、次のようなことを話すことがあった。
『古事記』は、稗田阿礼が暗記していたことを、太安万侶が文字(漢字だけ)で書いたものである……さて、これは本当か。日本語の表記史における『古事記』のことはいろいろ難しい。その前の、稗田阿礼は、どんな人物か。普通の注釈書などでは、そのような特異な能力のある人物とする。場合によっては、女性とすることもある。
ここを大胆に解釈すると、次のように見ることもできる。稗田阿礼は、一人の人間だったのだろうか。それとも、代々、稗田阿礼を名乗る人物がいて、神話を憶えることを職掌として受け継いできたということかもしれない。さらには、これは、一人の人間だけの名前ではなくて、複数の人間の集団につけられた名前であったのかもしれない。(学生に教えていたころだから、例えば、AKB48、のようなものだったのかもしれない、と言ったりした。)
かなり大胆な考え方ではある。しかし、折口信夫の考えた芸能史の流れとしては、このように考えてみることも、まったく荒唐無稽なことでもない。
芸能史という視点から見るならば、芸能における襲名ということは、注目すべきことであるし、また、日本ではごく普通のことでもある。
例えば、引田天功、といって、私ぐらいの世代なら、男性を思い浮かべるはずだが、これも、その後の世代では変わってきている。
伝統工芸の世界でも、襲名、ということはある。先日放送の「新ジャポニズム」で、千家十職、をとりあげていたが、このような伝統工芸の店では、当主が、歴代同じ名前を名乗って継承していく。同じ名前であるから、先代と同じもの、コピーが作れるということでもある。
歌舞伎の襲名は、たしかに、大名跡を引き継ぎ、その家で守ってきた芸を継承するという意味で、重要なものである。だが、襲名、ということは、別に歌舞伎だけにあることではない。番組に登場してきていた、神田伯山も、まさにそうである。他に、落語家などにおいて、何代目と指定しないと、特定の人物を支持できない。
襲名、ということがあるということは、いいかえれば、コピー、ということである。芸能にたずさわるものの芸は、そのまま、次の後継者に受け継ぐことができるものである、という含意がある。
一方で、その芸能において、その人物なりの個性、オリジナリティ、ということもある。厳しい修行の結果おのずからにじみ出るものであるし、また、時代に合わせた創意工夫ということもある。
まあ、歌舞伎の名門の家に生まれたことが、その人にとって、良かったことになるのか、あるいは、不運だったと思うことになるのか。どちらになるかも、また、運命であるのかもしれない。
歌舞伎の襲名公演には、祝祭感があるというのは、もともと、芸能というものが、ある種の宗教性をおびるものである、という歴史と文化をおもえば、そうだろうと思う。
褒められたら敵だと思え……芸の世界は、そういうものかと感じるところである。これは、芸術の領域において、一般的にいえることでもあろうが。
2025年12月27日記
芸能きわみ堂 放送100年 歌舞伎の襲名
若い時に、慶應義塾大学の国文科で勉強したということがあるので、その後、学生に日本語の歴史を教えるようになったとき、次のようなことを話すことがあった。
『古事記』は、稗田阿礼が暗記していたことを、太安万侶が文字(漢字だけ)で書いたものである……さて、これは本当か。日本語の表記史における『古事記』のことはいろいろ難しい。その前の、稗田阿礼は、どんな人物か。普通の注釈書などでは、そのような特異な能力のある人物とする。場合によっては、女性とすることもある。
ここを大胆に解釈すると、次のように見ることもできる。稗田阿礼は、一人の人間だったのだろうか。それとも、代々、稗田阿礼を名乗る人物がいて、神話を憶えることを職掌として受け継いできたということかもしれない。さらには、これは、一人の人間だけの名前ではなくて、複数の人間の集団につけられた名前であったのかもしれない。(学生に教えていたころだから、例えば、AKB48、のようなものだったのかもしれない、と言ったりした。)
かなり大胆な考え方ではある。しかし、折口信夫の考えた芸能史の流れとしては、このように考えてみることも、まったく荒唐無稽なことでもない。
芸能史という視点から見るならば、芸能における襲名ということは、注目すべきことであるし、また、日本ではごく普通のことでもある。
例えば、引田天功、といって、私ぐらいの世代なら、男性を思い浮かべるはずだが、これも、その後の世代では変わってきている。
伝統工芸の世界でも、襲名、ということはある。先日放送の「新ジャポニズム」で、千家十職、をとりあげていたが、このような伝統工芸の店では、当主が、歴代同じ名前を名乗って継承していく。同じ名前であるから、先代と同じもの、コピーが作れるということでもある。
歌舞伎の襲名は、たしかに、大名跡を引き継ぎ、その家で守ってきた芸を継承するという意味で、重要なものである。だが、襲名、ということは、別に歌舞伎だけにあることではない。番組に登場してきていた、神田伯山も、まさにそうである。他に、落語家などにおいて、何代目と指定しないと、特定の人物を支持できない。
襲名、ということがあるということは、いいかえれば、コピー、ということである。芸能にたずさわるものの芸は、そのまま、次の後継者に受け継ぐことができるものである、という含意がある。
一方で、その芸能において、その人物なりの個性、オリジナリティ、ということもある。厳しい修行の結果おのずからにじみ出るものであるし、また、時代に合わせた創意工夫ということもある。
まあ、歌舞伎の名門の家に生まれたことが、その人にとって、良かったことになるのか、あるいは、不運だったと思うことになるのか。どちらになるかも、また、運命であるのかもしれない。
歌舞伎の襲名公演には、祝祭感があるというのは、もともと、芸能というものが、ある種の宗教性をおびるものである、という歴史と文化をおもえば、そうだろうと思う。
褒められたら敵だと思え……芸の世界は、そういうものかと感じるところである。これは、芸術の領域において、一般的にいえることでもあろうが。
2025年12月27日記
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