芸能きわみ堂「鈴木福プレゼンツ 追求!箏の新たな魅力」 ― 2026-09-01
2026年9月1日 當山日出夫
芸能きわみ堂「鈴木福プレゼンツ 追求!箏の新たな魅力」
これは面白かった。
芸術には毒がある……当たり前のことであるが、こういうことを、(いくぶん婉曲にではあっても)言えるような番組は、少ない。また、芸術は、分かる人間にしか分からない、世の中の芸術のわからない連中を相手にしてもしかたのないことである……端的にいえば、こういう部分もある。音楽もしかり、文学もしかりである。
そうはいっても、芸術ということの社会的価値は一般に認められることなので、それはそれで、尊重しましょう、ということはある。
芸術家のセクシュアリティについては、ちょっとややこしいかと思っている。これも、ちょっと社会の普通からはずれた感覚を持っているから、芸術家として、普通の人たちでは、感じとれないような人間の心の奥にある何かを表現出来る、それを敏感に感じとることができる……こういうことはあるかと言っていいだろう。これを、はっきり言ってしまえば、芸術家という人たちに、人格円満だとか清廉潔白だとか、もとめること自体が、そもそもおかしいということでもある。これは、決してけなしているのではない、ほめているのである。
朝ドラの次は、『ブラッサム』で、宇野千代がモデルである。宇野千代にかんする本がいろいろと出るようになっている。それなど読んでみると、近代になってから、文学とか芸術とかにかかわるような連中にろくなやつはいない(特に現代の一般的な価値観からすると)、と言ってもいいだろう。だが、このことと、その残した作品の芸術的価値とは、また、別のことである。
箏の弦の数というのは、気になっていることの一つなのだが、いったいいつごろからどういう経緯でそうなっているのだろうか。25弦箏を見ると、糸に色がつけてある。5本ごとに黄色い糸になっている。
気になったのは、箏を置く台。箏という楽器は、それを床やテーブルなどの上において、底面にできた空間で音が共鳴して音色を出すという要素があるはずなので、スタジオや舞台で演奏するときに、どういうセッティングをするかということは、とても大事なことかなと、思っている。
25弦の箏も、薩摩琵琶も、邦楽の歴史においては、比較的新しい楽器かなと思っている。
音楽の分野というのは、最終的には、耳で聞いて一緒になることなので、来歴の違ういろんなジャンルの要素が、混ざりやすいし、そうであっても、人間の耳できいて、音楽としてなりたつということはある。文化のなかでも、異種格闘技をやりやすいジャンルといっていいだろう。
体を楽に使う演奏をすると、聞いていてつかれない音楽になる……これは、実際の演奏者でなければ分からない感覚にちがいない。
2026年8月30日記
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