歴史探偵「東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟」 ― 2026-09-29

2026年9月29日 當山日出夫

歴史探偵「東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟」

たしかに徳川家霊廟というのは、あまり、歴史の中で語られることはないし、近代の東京の歴史の中でも、あまり登場しないかと思う。

これは、徳川家霊廟、ということでとりあげるよりも、江戸の街における、増上寺と寛永寺のこと、それから、これらの持っていた、政治的文化的な意味や意図、ということで考えるべきことかと思える。

江戸の街の視覚的シンボルとしては、江戸城のことがとりあげられることが多い。江戸城については、消失した天守を再建しなかったことの意味ということになるだろか。それに代わるものとして、徳川家の江戸ということを、人びとに印象づけるものが、増上寺と寛永寺、そして、その周囲にあった、徳川家霊廟、ということになるかと思う。

さらには、徳川家という武家にとっての祭祀・宗教ということも、関係するはずである。

秀忠の霊廟の模型が、ロンドンの万博のときにつくられて、それが、イギリス王室のものになり、それが、その後ゆくえしれずになって、発見されて、組み立ててみて……という経緯も、とても興味深い。その模型を作ったのに、高村光雲がかかわっていたというのは、この時代における光雲の仕事としては、美術史の方では、どう考えることになるのだろうか。

日光の東照宮があって、きらびやかに飾り立ててある。それに匹敵するきらびやかさで、徳川家霊廟を作ったということになる。

ちょっと気になることとしては、秀忠の霊廟の構造として、本殿に位牌をおいて、その前に拝殿がある。こういう構造は、神社の様式にならっている。神仏習合の形態といってしまえばそれまでなのだが、これは、江戸時代になってからのものということなのだろうか、それとも、中世にさかのぼって事例のあることなのだろうか。宗教の歴史といっても、思想的な面とはあまりかかわらないことになるが、どのように研究されていることなのだろうか。

秀忠の霊廟に参拝するとき、徳川家の家臣や大名たちの座る位置で、将軍の権威を視覚的・身体的に表現したということは、そのとおりだろう。同様のことが、江戸城への登城のときにもあったことになる。社会の秩序の視覚的身体的表現として、これが、いつまで機能したことになるのだろうか。このことと、明治になってから、徳川家霊廟がどうなったか、ということは関連することにちがいない。この方向としては、明治天皇の、京都の桃山御陵と、東京の明治神宮の造営ということに、つながっていくことになるだろう。

戦後、このエリアがどうなっていったか、文化財保護の歴史の観点からは、重要なことであるにちがいない。

2026年9月17日記

ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜「モンゴル編 旧正月を祝う家族のもとへ」 ― 2026-09-29

2026年9月29日 當山日出夫

ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜「モンゴル編 旧正月を祝う家族のもとへ」

番組の趣旨とはまったく関係ないが、見ていて一番興味深かったのは、最後の我が家での旧正月の時のテーブルの上に、ジャックダニエルの瓶があったこと。今のモンゴルだと、ウランバートルでは、これが普通に飲むお酒になっているということなのだろうか。前回の放送から見ても、CocaColaの文字は見なかったと思う。CocaColaの文字は、世界のいろんなところの旅番組などで、見ないことの方が珍しくなっているというべきだろう。

ロシアから、オーツ麦をモンゴルに運ぶ。食用ということだろうが、モンゴルでも耕作地はある(このエリアの映像も映っていた)のだが、十分ではない。それをロシアから買っていることになる。(他にも、ロシアから買い、中国から買っているものもあるだろうし、逆に、輸出しているものもあるはずだが。その詳細については、また、別の問題である。)

後編になって、画面の中に、キリル文字が見られるようになってきた。ロシアとの関係が濃厚ということなのだろう。前編では、キリル文字がほとんど映っていなかったと憶えている。それから、中国の漢字も見える。ロシア、中国との、内陸のトラック輸送で、つながる地域にモンゴルがあることになる。

モンゴルの自動車は、道路の右側を走るのだが、見ていると、必ずしも右を走っていないことがある。凍結した路面を避けて、対向車が来ないかぎりで、安全なところを走っているようである。

ほとんど真っ白で、凍結した路面の、ずっとまっすぐな道を走っていくのは、気持ちいいだろうとは思うが、しかし、退屈もするだろうし、場合によっては、危険でもあるだろう。

凍結した湖にトラックが落ちたままになっているというのは、氷の上を走っていたということになると思うのだが、道が分からなかったのか、近道をしようとして通ったところが、湖の氷の上だったのか。

トラックがパンクしても、なんとか修理して走行するというのは、こういう技術を持っていないと、生きていけないということになるし、救援を呼ぶためにも、無線は必要ということなのだろう。

緯度が高いので、太陽の位置が低い。それが映像を魅力的なものにしている。

夜になると満天の星空である。日本でも、100年ぐらい前までは、普通に夜空に星が見えて、天の川も見えた。私の子どものころまでは、京都の宇治でも見ることができた。夜空の星を見るという、生活の感覚は、現代で失われてしまったものでもある。

森林地帯というところがほとんどなかった。あっても道路が無いというだけのことなのか、モンゴルには、そもそも森林が少ないのか。自然環境としての森林の有無ということは、放牧に適した草原があるということをふくめて、この地域に生活してきた人びとの歴史がある。

モンゴル相撲の建物に、オリンピックのマークがついていたが、これは、どういうことなのだろうか。

昔のモンゴル帝国のことを、偉大な国家の歴史として記憶している。

この番組は、基本的にそうなのだが、トラックで旅に出ても、最後は、家族が待っている自分の家に帰る。ある意味では、非常に保守的な感覚で作ってあるが、これはこれでいいと思っている。

2026年9月27日記

ブラタモリ「奈良・飛鳥 世界遺産記念SP▼なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」 ― 2026-09-29

2026年9月29日 當山日出夫

ブラタモリ「奈良・飛鳥 世界遺産記念SP▼なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」

これは、あまり面白くなかった。

飛鳥を歩いている姿が冬の恰好だった。それに、東大寺の回のついでに、若草山に登って撮った部分をくっつけて、一つにしただけのようである。

私は、世界遺産には反対である。まったく無意味だとは思わないが。せいぜい、飛鳥のあたりが、乱開発できなくなる、ということは確かなので、これはいい。だが、そこで残るものは何かというと、現在の飛鳥の風景であるが、これは、昭和30年代ぐらいまでの、日本の農村の風景である。決して、古代の日本がそのまま残っているのではない。

これは、歴史について知識があれば、あまりにも常識的なことで、言うまでもないことだから、言われていないというだけのことだろうと思っている。

藤原宮跡の残し方は、これはいいと思っている。発掘して、柱の跡が分かったところに棒が立ててある。これだけである。平城宮跡のように、大極殿を復原してみようなどという無意味なことを行ってはない。平城宮跡の復原の建物は、私に言わせれば、日本の人文学の敗北の象徴である。

石舞台古墳、飛鳥寺、酒船石……これらだった。石舞台古墳が、現在のように残ってきたのは、どういう理由からなのか、むしろ、こういうことの方が重要かと思う。飛鳥寺の礎石が残っているのは、たまたま残ったのか(掘って捨てるのが面倒だっただけなのか)、いったいどうなのだろう。酒船石は、よく分からない。分からないものは、分からないと言っておくだけで十分である。諸説ありますと、注釈付きで、余計なことは言わない方がいい。

番組で言っていなかったことで、大事なことは、「あすか」という地名は、明日香村だけのことではない。他に似たような地形のところには、「あすか」という地名が残っている。地名に歴史を見るということなら、「水落」も重要であるが、「あすか」という地名も考えるべきだろう。

「飛鳥」という表記の由来もある。枕詞として、「とぶとりの あすか」と言うようになったことは、日本語と日本文学の歴史の想像力の問題であるが。

2026年9月27日記