長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』絶対平和主義2016-09-07

2016-09-07 當山日出夫

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

やまもも書斎記 2016年8月31日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』穏和な平和主義
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/31/8166492

現在の日本国憲法は平和主義であるという。たしかにそのとおりなのであろうが、では、平和主義であれば、それは憲法にかなったことになるのであろうか。この論点について、著者(長谷部恭男)は、否であると言っている。そのとろろを見ておきたい。

ここで第四の選択肢として、絶対平和主義をとりあげることになる。一般にいう現在の憲法についての護憲論は、これに近い立場かもしれない。たとえ攻撃されることがあっても、反撃のための武力行使を認めない。個別的自衛権も認めない。現在の憲法を、文字どおり解釈するならば、絶対平和主義ということになるだろう。とにかく、形式的な文言のうえでは戦力の保持を認めていないのであるから。

まず、立憲主義を確認しておくならば、

「善き生に関する観念は多様であり、相互に比較不能であるというのが、立憲主義の基本的前提である。」(p.167)

そして、絶対平和主義については、次のように述べる、

「これが個人レベルの倫理として語られるのであればともかく、それを国の政策として執行することは、国を守るために前線におもむくよう個人を強制する措置と同様に立憲主義の根本原則と正面から衝突するのではないかという疑念にいかに答えるかである。」(p.167)

そのためには、

「絶対平和主義に帰依しない個人は外国に「逃げる」というものであろう。」(p.167)

「ある特定の「善き生」に帰依できないのであれば、そういう人間は「日本から出ていけ」といっていることになり、立憲主義との整合性が本当にはかられているといえるか否かについては疑念が残る。」(p.168)

この論理は興味深い。憲法と平和主義という議論になると、必ず出てくるのが、頑迷な護憲的平和論、非武装論、である。その実現はともかくとして、それが、立憲主義にかなった論なのかどうか、という点では、長谷部恭男の立場においては、否であると言っている。絶対平和主義というと憲法にのっとっているように見えるが、実は、立憲主義には反していることになる。この論点は、今後の、憲法論、改憲論でおおいに配慮すべきことではないだろうか。

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