『西郷どん』における方言(五)2018-05-24

2018-05-24 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記  2018年3月29日
『西郷どん』における方言(四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813994

この前の回から重要なのが奄美大島のことば。これは、テレビで字幕が出ていた。

私は、通常、見るときも字幕表示で見ている。これは、表示させないことができる。だが、それとは別に、始めから放送の画面の中に組み込んであるものとして、奄美大島ことばには字幕があった。

薩摩のことばもわかりにくいが、わかりにくさという点では、奄美大島のことばも、そう大して違わないと感じる。しかし、ドラマ制作の側(NHK)としては、奄美大島のことばには、字幕をつけるという方針でのぞんでいる。

一般の日本語からすると、薩摩のことばは、わかりにくいかもしれないが、同じ日本語であるということなのであろう。薩摩ことばについては、字幕をつけていない。

奄美大島のことばになると、さらにわかりにくいことばになっている。おそらく純然たる奄美ことばなのであろう、ユタのことばはほとんどわからない。(言語学的に厳密に考えるならば、奄美大島方言というよりも、奄美語という一つの言語を設定して考えることになるのかと思う。ここは、方言区画論は私の専門領域とはかなり離れるので、一般的な日本語学の知識としてであるが。)

ともあれ、NHKとしては、奄美大島のことばは、薩摩の外にあることば、日本語の外にあることばとして、とらえていることを意味するのだろう。ただ、わかりやすい、わかりにくい、という意味で、字幕をつける、つけないということではないと思う。

今のテレビは、デジタル放送になっているので、字幕表示が、ある意味でデフォルトになっているとも言える。その前提で、薩摩のことばには、字幕が出ないのだと思っている。

テレビのドラマの中のことばを耳で聴いている限りの印象では、薩摩のことばと同程度に奄美大島のことばも、わかりにくい。ここで、ことさら、奄美大島のことばに字幕をつけるということにしているのは、奄美大島は、薩摩の支配下にあったとはいえ、ほとんど琉球に近い、「日本」のギリギリ外側に位置するところという意味があるのであろう。

それほど遠いところ、これをことばの面でいいかえるならば、日本語が通じないところ、という辺境の島というイメージになる。そのような遠方の島に流された西郷、ここのところを強調するために、奄美大島のことばには字幕がついているのだろう。

だが、ドラマの中では、西郷の薩摩のことばと、奄美大島のことばとで、コミュニケーションに支障があるようには描かれていない。それぞれのことばで、話して通じているように描かれている。西郷は、あいかわらずの薩摩のことばであり、愛加那は、(おそらくは)純然たる奄美大島ことばなのであるが、この間で、ことばが通じないという場面は無かった。

また、興味深かったのは、奄美大島で、龍佐民(柄本明)の話していたことば。奄美大島でも上流階級に属するという位置づけであろう。薩摩の役人と話しをすることもあるようだ。この人物のことばは、時代劇の武士のことばを基本として、それに、奄美大島のことば、薩摩のことばを、すこし混ぜたような感じで話していた。

考証としては、江戸時代の奄美大島において、薩摩藩との交渉のなかで、どのようなことばが使われたのか、という観点から見ることになる。このような意味で考えて見るならば、純然たる奄美大島のことばでも、薩摩のことばでもない、一種のバーチャルな時代劇語とでもいうべきものを、ドラマとしては、使うことになるのだろう。

『西郷どん』における、奄美大島のことばは、ドラマというバーチャルな世界でのことばとして、理解しておくべきことだと思う。奄美大島のことばには、字幕ということで、ある種のエキゾチシズムを演出していると理解すべきなのであろう。

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