『半分、青い。』あれこれ「叫びたい!」2018-05-13

2018-05-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『半分、青い。』第6集「叫びたい!」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_06.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年5月6日
『半分、青い。』あれこれ「東京、行きたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/06/8845277

バブルまっただ中の東京に出てきた若者たちは、いったい何を思っていたのだろうか。

鈴愛は、秋風のもとで働くが、「メシアシ」(=メシアシスタント)である。あるいは、五平餅要員、または、炭水化物要員ということである。どうやら、漫画は描かせてもらえそうもない。しかも、3K職場だという。

そりゃそうだと思うのだが……これまで、鈴愛が描いた漫画は、スケッチブックに鉛筆で描いたものしかなかった。それを見て、漫画家の才能があると、秋風が見抜いたということでもなさそうである。

一方、律は、西北大学……どうやら早稲田大学らしいが……の理工に入学する。こぎれいなマンションで、エアコンも、電話もあった。しかし、1990年においては、まだ、パソコンはないようだ。とはいえ、理工で勉強するなら、いずれパソコンは必須になるだろう。たぶん、MS-DOSから、Windows3.1の時代になるだろうか。大学で使うのは、UNIXだろうか。

鈴愛が、故郷とつながるのは電話であった。10円硬貨をたくさん用意しておかないと、故郷と会話できない。

その鈴愛の、東京での住まいは、どうやらボロ宿舎。朝ドラの以前の作品では、『ひよっこ』のあかね荘を連想させる。あかね荘には風呂はなかったが、鈴愛のところには風呂がある。そのガスの使い方がよくわからないようだった。また、その住人たちも変わった人が多いようである。しかし、悪い人、というのではなさそうでもある。

バブルの時代、東京に出てきた若者の住まいとして、律のマンションと、鈴愛の宿舎、これが対照的である。しかし、どちらも、それなりにその時代を感じさせる。

これから、東京はバブルの絶頂から、崩壊へと向かうことになる。そのとき、東京で暮らす若者たちは、何を感じて暮らしていたことになるのだろうか。このあたりを、このドラマはどう描くかと思って見ている。

また、このドラマにおいて、故郷はどんな意味を持つものとして描かれることになるのだろうか。律にも、鈴愛にも、故郷に家族がいる。帰ろうと思えば帰れる。電話もつながる。その故郷への思いと、バブル期の東京での暮らし……そこでは、地方出身ということは肩身の狭いものだったのだろう……律は東京の人になろうとしている、と母(和子)は言っていた。

故郷と東京、これは、これまで何度となく朝ドラで描かれてきたテーマである。近年のものでは、『あまちゃん』『ひよっこ』などが思い出される。帰ろうと思えば帰ることのできる故郷を持ちながら、律と鈴愛は、これから東京で生きていくことになる。次回以降、楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-05-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月20日
『半分、青い。』あれこれ「謝りたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/20/8854896