『おしん』あれこれ(その九)2019-11-18

2019-11-18 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2019年10月21日
『おしん』あれこれ(その八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/10/21/9167172

このドラマをこれまで、近代における女性の自立の物語であると思って見てきた。そのような側面は変わらないのだが、ここにきて別の印象を感じるようになってきた。それは、『おしん』は、「家族」の物語でもある、ということである。

このドラマには、いくつかの「家族」が登場する。

まず、故郷の山形の谷村の「家族」。が、これは、「家族」というよりも「家」と言った方がいいかもしれない。幼いおしんは、その「家」の維持のために、奉公に出されることになった。

次に、加賀屋。これも、加代を中心として、一つの「家族」であった。が、ここでも、やはり「家族」というよりは、加賀屋という「家」であったように思える。その「家」の跡取りとしての加代の立場が、その人生に大きくかかわることになる。

その加賀屋も、昭和の大恐慌のなかでつぶれることになる。加賀屋という「家」がつぶれれば、それは、加代にとっても自分の居場所を失うことにつながる。結局、最後は、東京に出て、陋巷に死ぬ、ということになっていた。

また、佐賀では、封建的な田倉の「家」の犠牲になることをいさぎよしとしなかったおしんでもある。佐賀の「家」を出て、東京に、山形に、そして、伊勢へと移っていくことになる。

そして、おしんは、伊勢で新しく田倉の「家族」をつくっていく。長男の雄、次男の仁。それに、加代の遺児である希望(のぞみ)をひきとって、「家族」の一員として育てる。

さらには、身売りされるところであった、初をもひきとることになる。初もまた、伊勢の田倉の「家族」になる。

ついで、新しい子どもとして禎も生まれることになる。結局、おしんは、五人の子どもの母になる。

このように見てくると、伊勢の田倉については「家族」ということばがふさわしいように思えてならない。言い換えるならば、山形の「谷村」の「家」、佐賀の田倉の「家」、これを棄てて、あたらしく伊勢で、田倉の「家族」を形成していくというふうに理解できるかもしれない。

近代日本において、「家」から「家族」へ、この大きな流れを、おしんという女性は生きていくことになる、私は、今のところ、このように思って見ている。これから、このドラマで、おしんがどのような「家族」をつくっていくことになるの……以前の再放送のときに見てはいるのだが……再度、このドラマの展開を見ていきたいと思っている。

追記 2019-12-14
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月14日
『おしん』あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/14/9188996