『漂流 日本左翼史』池上彰・佐藤優2022-07-29

2022年7月29日 當山日出夫

漂流 日本左翼史

池上彰.佐藤優.『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022』(講談社現代新書).講談社.2022
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000364345

「日本左翼史」のシリーズ三冊目、最終巻である。この巻で語られるのは、連合赤軍のことから、現代のウクライナ情勢をめぐることまで。

読んで思うこととしては、次の二点ぐらいがある。

第一に、やはり社会党の衰退(まだ、完全に滅亡したとまではいえないだろう)。時代的背景としては、冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊ということがあり、また、国内的には五五年体制の終焉ということがあった。このような状況をうけて、社会党はもはや国民の支持を得ることができなくなり、存在意義を失っていったことになる。

この流れの底流としては、国鉄解体、民営化ということがあった。この時代のことならば、私の記憶のうちにあることである。

そういえば、「スト権スト」のことを憶えている。そのころ、東京で大学生をしていたのだが、電車……国電であった……が止まってしまった。たしか、このときだったろうか、地下鉄を乗り継いでお茶の水まで行って、岩波ホールに映画を見に行ったと憶えている。

社会党の終焉で印象的に憶えているのは、村山富市総理。阪神淡路大震災のときだった。現地視察に行った総理が、避難所を視察する場面。このとき、村山首相は、被災者の間を歩いただけだった。これは、天皇陛下(現在の上皇陛下)と対照的だった。天皇陛下は、被災者のひとりひとりの前で床に座って話しをきいていた。この場面の対比から、もはや社会党には、国民とともにあることはできないと、直感的に感じたものであった。(この話しは、この本の中には出てこないことではあるが。)

第二に、現代のこと。ウクライナでの戦争において、日本共産党がウクライナの戦闘を支持したことは、この本で指摘のとおり重要であると思う。たとえ防衛戦争であっても、すべての戦争には反対という、非武装、不戦の理念が、消えてしまった。まさに、左翼の存在意義が消えてなくなったと言ってもいいのだろう。

ちょっと気になることだが、この本の最後に、左翼に期待するとして、斎藤幸平のことが出てきている。だが、私は、この人物を評価しない。すくなくとも、『人新世の資本論』は、評価しない。

以上の二点のことを、思ってみる。

ところで、そもそもの疑問なのだが、「左翼=マルクス主義」でいいのだろうか。一般にはそうかもしれないが、反体制思想ということで、別の視点から論じることも可能であるかもしれない。そうなると、逆に、右翼のことについても触れなければならなくなる。(また、実際に、左翼思想史をたどるならば、右翼とのかかわりが出てくることも確かである。)

それにしても、「共産党宣言」を読んだことのない共産党候補者がいるというのも、ある意味でおどろきである。まさに、左翼は亡びるべくして亡ぶというべきであろうか。

ともあれ、このシリーズ、『真説』『激動』と読んできて、いろいろと勉強になり考えるところがあった。貴重な仕事であると思う。

2022年7月26日記

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