世界サブカルチャー史 欲望の系譜「アメリカ 不信の2000s」2022-07-28

2022年7月28日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜「アメリカ 不信の2000s」

二〇〇〇年代というと、日本では、平成の時代ということになる。アメリカで、二〇〇一年に同時多発テロの事件があって、そして日本では、二〇一一年三月一一日の震災にいたるまでの間である。

いったいどんな時代だったのだろうか。番組を見ていても、はっきり言ってあまり印象的に思い出すことはほとんどない。同時多発テロから始まる、二一世紀の戦争の時代の始まりであったと思い出すことにはなっても、それ以上のものを感じることはない。ある意味で、空虚な時代として懐古されることになる。

これは、日本にいて、日本の視点から考えていることだから、感じることなのかもしれない。平成という時代の空虚さを、ただなんとなく思い出すだけである。

それから、強いて言うならばであるが、二〇〇〇年代になって、もはやサブカルチャーで時代を読み解こうという試みは、無理なのかもしれないとも思う。番組に出てくる映画は、映画史的には著名な作品なのかもしれないが、どうも社会的にインパクトのあるものとして、記憶に残っているというものではない。これは、私が、ただ単に映画を見ない生活を送ってきたというだけのことではないだろう。

また、サブカルチャーという視点を持ち込むならば、二〇〇〇年代になってインターネットの時代が本格的に始まったことを避けて通ることはできないはずである。それが、人びとの生活や思考様式にどう影響を与えていったのか、これこそ、重要な課題にちがいない。しかし、番組では、インターネットについて触れることが全くなかった。(これは、その後の流れとしては、今日のSNSの時代へとつながっていくことになる。SNSのもたらした社会的統合と、同時に、分断と対立が、今日の課題である。)

さて、次は、そのSNSの時代となる二〇一〇年代のことになる。また、さかのぼってフランスのことも取り上げるようである。続けて来月も見ることにしよう。

2022年7月26日記