世界サブカルチャー史 欲望の系譜 「アメリカ 喪失の90s」2022-07-21

2022年7月21日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 「アメリカ 喪失の90s」

録画しておいて、後日にゆっくりと見た。

この回は、九〇年代のこと。見ていて、ああそういえば、あんなことのあった時代だなと思うことがいくつかあった。

見ていて思ったこととしては、次の二点ぐらいがある。

第一に、冷戦の終結。

番組は、「サブカルチャー史」であるから、冷戦終結はその背景の歴史的出来事ではあっても、政治的にメインのことがらなので大きくは取り上げないという方針だったのかもしれない。しかし、その時代を生きてきた人間の感覚からするならば、ベルリンの壁の崩壊という事件は、サブカルチャーを含めたおおきな歴史的事件であった。いや、ベルリンの壁を壊したのは、ある意味で、世界的なサブカルチャーの潮流であったのかもしれないとも思う。このあたり、もうちょっと踏み込んだ考察があってもよかったように思う。

第二、パソコンとインターネット。

九〇年代以降を象徴するものは、やはりパソコンとインターネットの登場だろう。私の感覚としては、パソコンという存在は、ある種の「カウンターカルチャー」である。大学や大企業、官庁などで使っている大型計算機、メインフレームに対して、個人で使うことのできるパソコンは、「カウンターカルチャー」であった。インターネットも、初期のころは、「カウンターカルチャー」の雰囲気を持っていた。この流れが描かれていない。私としては、このあたりに見ながら違和感をいだいた。

以上の二点ぐらいが見ていて思ったところである。

そして、日本のことを書いてみるならば、九〇年代というのは、昭和が終わって平成になった時代でもある。これは単なる年号の変化にとどまらないところがある。昭和天皇の崩御にともなう一連の社会的現象は、まさに一つの時代の流れを象徴するものであった。また、湾岸戦争のときの日本のあり方についても、多くの議論があった。いわゆる五五年体制、戦後政治、社会のあり方を、根本的に見直して考えるときであった。さらには、バブル経済といわれる時期を日本は経験することになる。番組は、「世界」のというよりも、「アメリカ」のサブカルチャーをあつかっているので、日本のことがあまり出てこない。だが、ここで、視点を変えて日本のことを思って見るならば、また違ったものの見方ができるだろうとは思う。

次は、二〇〇〇年代のことになる。ともかく続けて見ることにしよう。

2022年7月20日記