100分de名著「中江兆民“三酔人経綸問答” (1)なぜ問答形式なのか」2023-12-10

2023年12月10日 當山日出夫

100分de名著 中江兆民“三酔人経綸問答” (1)なぜ問答形式なのか

『三酔人経綸問答』は学生の時に手にした本である。再び読んでみようかと思って岩波文庫版を買ったのだが、これが字が小さすぎて、今の私ではとても読む気になれないでいる。他の本だったら違うのかもしれないと思うが、まだ手に入れていない。だから、現時点では、『三酔人経綸問答』については、若いころの記憶で書くしかない。

この回で重要なことは、二つあるだろう。

第一には、問答形式ということ。会話文が基本である。明治二〇年というと、ちょうど二葉亭四迷の『浮雲』が発表された年でもある。このことは、日本語の歴史、文学史の常識的なことである。『浮雲』によって、いわゆる言文一致の小説の文体というものが、試み始められようというときである。まだ、日本語の文章で、思想を語るということは困難であった。もし使うとするならば、漢文、あるいは、漢文訓読という形式しかない。

言文一致という文章の成立については、まさに日本語の文章の歴史的研究において、重要なテーマの一つである。このなかには、たとえば三遊亭円朝の落語の速記本などが重要な位置を占めることになる。『三酔人経綸問答』も、このような大きな流れのなかにおいて考えることになるだろう。

第二に、対話という形式の意味。ディベートと、ダイアローグは異なる。相手を論破することを目的とするディベートに対して、対話、ダイアローグは、自分の考えと、相手の異なる考えを突き合わせることによって、さらなる次の思想への展開を目指すものである。

この対話という形式については、古代ギリシャにおいてソクラテスが出てくるだろう。また、日本においても、問答ということは、広く行われてきていることであると認識している。

以上の二つのことを考えることになる。

明治の初めごろの日本語、特に書き言葉がどうであったか、対話という形式の歴史的背景、これらがあって、『三酔人経綸問答』が成立していると考えるのが、まずは出発点ということになる。このあたりの説明については、番組で語っていたことに私としては、特に異論をとなえようとは思わない。

2023年12月7日記

『ブギウギ』「大空の弟」2023-12-10

2023年12月10日 當山日出夫

『ブギウギ』第10週「大空の弟」

この週のステージの回は、朝ドラの歴史に残るだろう。

「大空の弟」は、実際に笠置シズ子が歌った音源、レコードが残っているのではない。楽譜が近年になって発見されたのだが、それも完全なものではない。それを、このドラマの作中で歌うようにアレンジして使ったことになる。

茨田りつ子の「雨のブルース」、福来スズ子の「大空の弟」、それにつづいて「ラッパと娘」、この流れだけであるが、十分に見応えがあった。

時代の背景としては、昭和一六年から一七年のころのことになる。太平洋戦争が始まった。このころの時代の雰囲気としては、いろんな回想がある。昭和戦前をひたすら暗い時代として描くものもある。そうではなく、太平洋戦争が始まってしばらくころまでは、まだ社会の明るさがあった時代とするものもある。が、少なくとも、昭和一六年一二月の太平洋戦争開戦を境にして世の中が大きく変わることになっていったということはたしかだろう。

スズ子の歌う歌も敵性音楽とされるが、しかしまったく禁じられてわけではない。まだかろうじて歌うことのできた時代である。東京では無理でも地方巡業なら歌うことができたようだ。これから本格的に戦争の時代になる。その時代をミュージシャンたちはどのような思いで生きることになったのか、このドラマは、このあたりの事情をかなり丁寧に描いていくことになるかと期待している。

さて、次週以降、いよいよスズ子の恋人の登場になるらしい。どんな展開になるか楽しみに見ることにしよう。

2023年12月9日記