天然素材NHK「価値観えれじい【昭和の会社員・奮闘の記録】」2025-03-06

2025年3月6日 當山日出夫

天然素材NHK 価値観えれじい【昭和の会社員・奮闘の記録】

たまたま番組表で目にとまったので録画しておいて見た。

まあ、この番組を見るような人が、そもそもかなりの年配者ということは、想像できる。番組の始まりでBGMに使ってあったのは、「赤色エレジー」(あがた森魚)であった。今の若い人は、こんな歌は絶対に知らないだろう。(一〇年以上も前になるだろうか、大学で教えていたとき、PC教室だったが、早めに行って鍵を開けて学生が来るのを待っている間、YouTubeで「赤色エレジー」を聞いていたことがある。無論、学生は、何の歌であるか知ってはいなかった。)

ジーンズを普通に着るようになったところから、世代の違いということを言っていた。ふりかえれば、身につけるもの、ファッションは、いつの時代であっても世代を象徴するものである。私は、ジーンズは着ない主義である。単なる好みというよりも、これが流行りだした時代を記憶していると、そこにふくまれる、世代への抵抗の気持ちというものを感じてしまう。それが嫌いというわけではないのだが、時流の流される若者の気持ちを象徴しているようで、いまだに嫌なのである。時流は理解するが、自分はそれに流されたくはないと思って生きてきている。

昭和の時代の、会社員、サラリーマンとはあんなものだったなあ、と思い出すことになる。私は、会社勤めという経験がないのだが、同世代の人間は、それなりにいろんな苦労があったものである。忘年会の隠し芸などとは縁のない生活だったが、しかし、そういう時代があったことを思い出す。

興味深かったのは、運動会屋というビジネス。会社の運動会があれば、それをビジネスにするというのも、世の中である。これは、今でも、なにか企業や自治体のイベント開催の仕事として、いろんな需要がある分野にちがいない。

パソコン、というよりも、オフィス・コンピュータと言った方がいいだろうか。まだ、PCで漢字が使えなかった時代のものである。プログラムの記録媒体は、カセットテープだった。これは、パソコンの時代になって、フロッピーディスクが普及するようになってからも、しばらくは、カセットテープが使われていた。今の若い人がフロッピディスクを知らないのは当然だろうが、その前の、カセットテープの時代など想像もできないだろう。(しばらく前のことになるが、情報処理を専門にする大学院生が、8インチのフロッピーディスク、というものを見て、始めて見ました、と言っていたのが印象的であった。)

いろいろ思うことはあるのだが、一つの時代の記録として、こういう番組の映像は残しておくべきだろうと思う。

2025年3月4日記

アナザーストーリーズ「2兆円を借りた“女相場師”」2025-03-06

2025年3月6日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 2兆円を借りた“女相場師”

この事件のことは、なんとなく憶えているぐらいである。バブルの時代、こんな人間がいてもおかしいと思わなかった。今から考えれば、こういう感覚こそ、どこかおかしかったことになるのだが。

バブル景気の時代に、日本中がどれだけ変だったかを象徴するような事件かなと思う。

いったい尾上縫という女性は、あんなに多額の金をどうやって使ったのだろうか。いや、使ったのではなく、ただ動かしていただけだったというのが実態かもしれないのだが、お金をかせいで大富豪になろうとした、というわけではなかったようである。まあ、不思議な事件であったというしかないのかもしれない。

金を貸した側の責任、これは重要ポイントになるだろう。合法的であれば、何をしてもいいというわけではない。経済のことについても、こういう視点は必要であるにちがいない。

とはいえ、その当時の興銀の担当者が責任を問われたとしても、この時代の雰囲気としてはどうしようもなかった、時代の波のなかでそう行動したということになるだろう。番組では言っていなかったが、訴訟は、興銀の銀行としての責任を問うたことになる、こういう理解でいいのだろうか。企業のかかわる事件だと、特定の現場責任者とか経営責任者の個人の責任を追及するということが多いが、この場合は、どうだったのだろうか。

お金は、集まるところに集まる。そして、それを目当てに人や企業が群がる、このあり方自体は、今も変わってはいないのかもしれないかと思うが。

2025年2月25日記

ドキュメント72時間「奥能登・珠洲 海辺の銭湯」2025-03-06

2025年3月6日 當山日出夫

ドキュメント72時間

こういう放送を見ると、たしかに感動的だなあ、と思う。そう思う人がいることは否定しないのだけれども、ここはちょっと冷静に考えてみたいこともある。

この銭湯は、地下水を使っている。だから、電気でモーターが動くなら水は大丈夫ということであり、水道代はかからないのだろう。また、燃料に薪をつかっている。この地域なら、山から薪の調達はできるだろうし、また、現在では、解体した家屋の廃材が利用できる。燃料代も安くあげることが可能、ということになるかもしれない。

全国で、銭湯か廃業するのは、利用者の減少、それから、維持コスト(水道代、燃料代の高騰)ということがあるかと思う。

珠洲市の場合、人口は減ったとしても、仮設住宅に一定数の人が住んでいて、その仮設住宅に風呂がなければ、ここに来ることになる。また、解体作業などの仕事をしている人たちの需要もある。

総合的に考えて、この銭湯の営業は継続しているということになる。また、続いてもらわなければ困るので、自治体としても、住民の利用料金を補助している。

この状態がいつまで続くことになるのか。そして、珠洲市の復興はどうなるのか、希望を持って語るべきなのか、あるいは、現実的な判断をせまられるのか、立場として別れるかもしれない。

珠洲市に解体の仕事としてやって来る人たちには、それぞれに、いろんな事情があってのことだろうと、推測することになる。想像すれば、いろいろと感動的な物語があることだろう。(この意味では、この回の放送は、見る人に感銘を与えるものになっている。)

番組のなかで何人か、移住して珠洲市に住民票を移したという人がいた。こういう人もいるにはちがいないが、一方で、やはりこの地域は、少子高齢化、過疎化、という大きな流れは止められない、また、震災や水害などで、その流れは加速している、このような現実は確かにあるとは思う。

珠洲市を地方における中核的なタウンとして、地域全体を、再整備する計画はあるにちがいないが(その中には、廃棄される村落もふくむ)……たぶん、県としては作っているはずだと思うが、具体的に提示できないでいるだけのことかもしれない。街を再整備するとなると、道路の整備が必要になり、周辺の土地の所有者の同意が必要になる。つまり、地権者がはっきりしている間に計画を作成し、手をつけなければ、その後の仕事はうまくいかないということになる。これが、もうどうしようもなくなるまで……人口が減少するにまかせたままで、それから動こうとしても遅い。はっきり言えば、土地の地権者が生きている間、つまり今、でなければならない。冷酷かもしれないが、これが現実だろう。

そして最後に思うこととしては、人間は生きていくために、気持ちのゆとり、ちょっとした贅沢、というものが必要である、ということである。生存に必要な衣食や住居があるだけでは、人間は生きていくことはできない。楽しく生きていかなければならない。そのために役立つことは、このような銭湯であるかもしれない。これは、残していかなければならないものである。

2025年3月1日記

NHKスペシャル「ディープオーシャン 幻のシーラカンス王国」2025-03-06

2025年3月6日 當山日出夫

NHKスペシャル ディープオーシャン 幻のシーラカンス王国

シーラカンスが、海の奥深くで群れをなしているというのは始めて見た。これはすごい映像だと思う。

いろいろ面白かったのだが、番組の中でまったく言っていなかったこととして気になるのは、潜水艇の構造とか性能である。どうやって、どんなふうに作ってあるのだろうか。どれぐらいの深さまで、何時間ぐらい潜っていられるのだろうか。これは、どこが作ったのだろうか。こういうことが、気になってしかたがない。

人が乗った潜水艇が海にもぐって動いている様子が映っていたのだが、これは、無人の潜水艇を使って撮影したということでいいのだろうか。

番組のなかで、かなり注意して使っていたと思われるのが、「進化」ということばである。シーラカンスは、生きた化石、という言われる。四億年ぐらい前から、ほとんど同じ姿をしているらしい。では、シーラカンスは、進化を止めた生きものということになるのか、あるいは、それなりに生息環境に適応して生きのびてきた、そのために、体の構造や行動にいくらかの変化はあった……それを、進化と言っていいことなのだろうか。

このあたりのことを、生物学、進化論を専門とする研究者は、どう考えることになるのだろうか。科学番組としては、こういうところを、掘り下げて作ってあると、より興味深いものになったと思う。

2025年3月4日記