100分de名著「デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立」2025-03-01

2025年3月1日 當山日出夫

100分de名著 デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立

社会分業論、ということについて論じていくと、最後はやはりこういうところに落ち着かざるをえないかな、という気がする。特に、NHKで作ると、こういうふうになるのかと思う。

近代になって孤立した個人に必要なのは、中間共同体である。これは、いろんなところで、言われ続けてきていることである。しかし、その一方で、現実には、日本社会においても、会社も、学校も、PTAも、町内会も、ことごとく否定され続けてきた。その張本人というべきが、(進歩的というべき)マスコミであり、そのなかに、NHKもふくまれる。だが、そうでありながら、なにか災害が起こったときには、絆といい、あるいは、民主主義にとって必要なのは、コミュニティであり、アソシエーションであり、コモンズであり、ということも、言われ続けてきている。

このあたりを、どう整合性をとって論じるかというのは、はっきりいって難しい。無難な着地点を見つけるとして、依存し合う社会であり、依存が多いほど自立した個人になれる、という逆転的な発想ということになる。

ここまではいいとしても、最後に、熊谷晋一郎のことをもってくるのは、反則ではないかと思う。はっきりいって、この番組の作り方は、ずるいと感じる。(だが、熊谷晋一郎の言っていることは、これはこれとして正しい。)

ここは、戸谷洋志の、『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』(講談社現代新書)のような論点から、考えなおすべきではないかと思う。これは、改めて番組を作って考えることが、妥当かと思う。

2025年2月26日記

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