サイエンスZERO「仙台に誕生! ナノの世界をテラス 新・放射光施設」2025-06-28

2025年6月28日 當山日出夫

サイエンスZERO 仙台に誕生! ナノの世界をテラス 新・放射光施設

ナノテラスが出来たときは、ニュースで見たかと覚えているのだが、その実力のほどはあまり語られなかったようである。

SPring-8よりも、より細かな世界を見ることができる、高性能な顕微鏡と言ってもらえると、そういうものなのかと思う。

ただ、まあ、天邪鬼な私としては、この施設ができるにあたって、やはり東北大学の政治力(?)というのが大きく働いたのだろうと思ってしまうことになる。これまでだったら、つくばあたりに作ることだったかもしれない。東京から近いし。

国際研究卓越大学というのは、このようなところに、具体的にあらわれてくるということなのかと思って見ていたのだが、どうなのだろうか。

しかし、この施設が、一般の企業などでも広く利用できる、高校生でも使うことができる、というのはいいことだと思う。(いや、むしろ、他の大学に所属している研究者の方が、ハードルが高かったりしても、別に驚かないけれど。無論、公式には、すべての研究者に平等にひらかれている、ということだとは思うが、なかなか理想どおりにはいかないのが、人間の世の中であるも思うのだが、かんぐりすぎだろうか。)

ともあれ、新しい研究施設をつかって、これまで分からなかったことが分かってくるという、研究の楽しさが、十分に伝わってくる内容だった。ワクワクするという気持ちは、とっても大事なものである。

2025年6月24日記

よみがえる新日本紀行「私の塔 私のいかるが〜奈良県斑鳩町〜」2025-06-28

2025年6月28日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「私の塔 私のいかるが〜奈良県斑鳩町〜」

再放送である。2022年8月20日。オリジナルは、1974(昭和49)年11月25日。

法輪寺の近くは、ときどき自動車でとおることがある。まだかろうじて昔の田園風景が残っている、あるいは、残してあるということになるのだろうか。近くの法隆寺の前の国道25号線沿いは、いろんなお店が建ち並んでいる。

幸田文の言っていたことで、父親の露伴が書いた「五重塔」の印税が今でもはいってくる。これは、不労所得なので、うしろめたさがある……今、このような思いをいだく人はどれぐらいいるだろうか。小説家にかぎらず、音楽関係だと、その著作権料はかなりのものになるかと思うが、その継承者にとっては、不労所得という意識があるのだろうか。それよりも、著作権は、会社のものにしてあって、それによるビジネスの方が主な関心事なのだろうか。

田圃がひろがり、塔が見える。このような風景は、オリジナルの番組が作られた昭和49年ぐらいまでは残っていたことになる。番組の中では、農家の人が手作業で稲を刈っていたが、もうこのような光景は見られなくなってしまっている。

法隆寺や法輪寺の周囲は、昔の家も残ってはいるというものの、新しい家が増えてきている。

西岡常一が出てきていて、そのお弟子さんの宮大工の人が言っていたが……なんにも教えてくれなかった。昔の徒弟関係というものは、そんなものだった。学問の世界でも、私の勉強したような分野だと、まだ昔の雰囲気があった。今のようにきっちりとしたシラバスが必須というような時代でなかった。

最後の方で映っていたのだが、やりがんなで木材の表面を平らに仕上げる作業。どれぐらい平らにすることができるものなのか、これは興味のあるところである。現在のようなだいがんなが登場するのは、江戸時代以降のことだったはずである。今でも、このような技術は継承されているのだろうか。

2025年6月26日記

アナザーストーリーズ「モナ・リザ来日狂騒曲 世界の至宝はそれでもほほ笑み続けた」2025-06-28

2025年6月28日 當山日出夫

アナザーストーリーズ モナ・リザ来日狂騒曲 世界の至宝はそれでもほほ笑み続けた

モナ・リザが日本で公開されたことがある、ということは、知識としては知っていたことであるが、それが実際にどのようなものであったかということについては、ほとんど知らない。大勢の人がつめかけたということぐらいである。

美術品を展示するのに、湿度、温度の管理はいうまでもない。このごろでは、光の調整も必要になってきている。絵画の展示などの場合、あまり光をあてないように、しかし、十分に見えるように、工夫することになる。無論、光の色(厳密には光そのものには色はないので、波長ということになるが)も重要である。

モナ・リザの展示の場合は、温度や湿度の管理はなんとかクリアできたことになるし、前面に保護のためのガラスがあったことが、幸いすることにもなる。

面白かったのは、これを実現させたのが田中角栄であったこと。そして、それは、日本のエネルギー外交において、アメリカそれからフランスの間でゆれる日本が選択したことの、おまけ(?)のようなものだったことになる。フランスとしては、原子力政策に日本を引きずり込みたい、という思惑があり、これは、フランスの核武装戦略ともつながる。日本としても、この時代は、原子力発電に期待がよせられていた時代であった。(この原子力発電に未来を感じるという感覚は、私はおぼえていることである。)

フランスと近づくことはアメリカの不評をかうことになるかと思うが、こういう外交をとったというのも、田中角栄ならではのことである。

展示されているモナ・リザに赤いスプレーがかけられた、だが、ガラスがあったので無事だったということは、なんとなく覚えていることなのだが、はっきり記憶にあるということではない。

ここで興味深いのは、犯人(?)の女性が、優生保護法の改正に反対していたことであり、自身が身体障害者であったことである。

優生保護法については、廃止になったときに、その成立の経緯についてはニュースになった。今からは批判的に見ることになるが、その時代としては、合理的な判断として、議員立法で満場一致で成立した。それも、その後、紆余曲折があったことになる。この法律が成立したことはニュースであつかっていたのだが、その後、どのように運用されてきたのか、ということについては、強制的に不妊の手術を受けさせられた被害者のこと以外のことは、ほとんど語られていないかと思う。つまり、この法律をめぐる歴史について、語られることのないままに、廃止ということになった。この間、この法律をめぐってどのような議論があったのか、一般の人はどう思っていたのか、ということも重要なことであろう。

また、ウーマンリブということばを久しぶりに目にしたかと思う。女性の権利の主張ということも、歴史のあることである。この時代のウーマンリブ運動については、今の価値観からするならば、無かったことにしたいような面もあるのかもしれないが、このような時代があったことは、歴史としてふまえておくべきであろう。

ともあれ、結果的にはということにはなるが、美術館や博物館などの展示において、ユニバーサルデザインの方向にむかう契機になったことは、確かである。その実現には、それから、かなり長い年月が必要だったとは思うが。

2025年6月27日記