3か月でマスターする心理学「第3回 なぜ推し活をするのか?」 ― 2026-10-28

2026年10月28日 當山日出夫

3か月でマスターする心理学「第3回 なぜ推し活をするのか?」

人間は、自分のしていること、好きなこと、嫌いなこと、について、社会的文化的に意味が与えられると安心する。まさに「推し活」がそうである。そして、それを、(学問的に厳密な議論はさておくとしても)こういうことがあって「推し活」をしているんだ、私のやっていたことは「推し活」なのだ、これは、心理学の先生も認めてくれていることじゃないか、悪いことじゃないんだ……ということである。

「推し活」ということばがあって、概念があって(そんなに明確に定義できるものではないとしても、一般に社会的に認められるものとして)、これはこういうことなんだと、安心する。

このとき、プロジェクション(投射)、拡張、共有、という、心理学の概念で説明されると、さらに安心する。

私の目でみれば、まあ、これだけのことである。この番組のこの回でやっていたことは。

番組で言っていなかったことで、現代の「推し活」を考える上で重要なことは、メディア論的な視点だろう。あるいは、近年のインターネットであり、スマートフォンであり、SNSであり……こういうことが、日常のものの考え方や感じ方に、どう影響を与えているか、そこで「推し活」がどのような形のものになっているのか、このことはあるはずである。だからこそ、一昔前の、歌手や役者さんのファンということと、現代の「推し活」は、ちょっと違うのではないかと、思うことになる点である。

とはいえ、昔の時代、吉原に馴染みの花魁がいるということも、キリシタン禁制の時代の絵踏も、はたまた、現代のアイドルも、統一的な理屈で説明しようとすることも、意味のないことではない。人間とは、どういうものかということについては、そう大きく変わるものではない。

心理学はどういう学問であるか、ということではなく、現代の社会が心理学にどういうことをもとめているのか……という視点で作ってある番組だということは、たしかなことだと思う。(これは、第一回を見たときから、こう思っているが。)

2026年10月23日記

「大徳寺〜名宝が物語る禅の神髄〜」 ― 2026-10-28

2026年10月28日 當山日出夫

「大徳寺〜名宝が物語る禅の神髄〜」

東京国立博物館での大徳寺展の宣伝番組。ということは分かって見てみたのだが、わりと面白かった。松重豊が上手い。

大徳寺の文化財ということとは関係ないのだが、気になったのは、いくつかの塔頭寺院の内部が映っていた。それを見ると、床が板敷きであるのが、元々の姿であると思える。いつごろの建築かということはあるのだが、寺院建築だからといって、座敷が畳敷きということにはなっていない。(こういうことは、建築史の方の専門家の解説が欲しい。)

床の間が映っていても、そこに掛け軸も、何もない。床の間の構造と装飾ということでは、どのような歴史があるのだろうか。

井戸茶碗が国宝であるが、なんでこれが美しくて国宝なのか分からないという。

録画を見なおしてみると、次のように言っている。

ほんとに どこが どう すごくて これが すごく貴重なものだというのは 正直 僕には 全く分からないんですけれども これが もし 僕のものだったとしたら 大事にするだろうなっていうことだけは 分かります。

まあ、国宝にかぎらず文化財とはこんなものである。美術品として一級であるということで国宝になることもあるが、伝来や来歴ということで付加価値がついて(?)、文化財としての価値が高まっているということもある。この茶碗については、これ自体が美しいというよりも、この茶碗に美しさを見出してきた人びとの歴史、ということが尊重されてのこと、こういう部分を考えることがあってもいいだろう。

一休宗純の画賛で、風狂、とあるのに言及するのは、これはいいと思う。史上の一休宗純がどんな人物であったかということと、今に伝わる一休さんの話とは、また別のものである。

結跏趺坐は、年をとってくると、体が硬くなってきて、辛くなる。これが出来るということは、役者として、身体を鍛えているということになるだろう。

枯山水については、私は、かなり天邪鬼な目で見ることにしている。そもそも、枯山水を座敷や縁側から見る、という習わしはいつごろからのものなのだろうか。有名な話としては、竜安寺の石庭は、江戸時代は、人が歩いて見てまわっていたということがある。枯山水については、禅のイメージを、強く投影しすぎているように思っている。

気になっているのは、枯山水で使う白い砂は、どこから調達してきて、これを作ったのだろうか。現代なら、庭師にたのめば、どこからか運んできてくれるようになっているとは思うが、最初にこれを考えたときには、まず、白い砂を用意することが必要だったはずである。

大徳寺もそうだが、禅寺の場合、本堂よりも法堂の方が重要である、ということは、広く知られていいことかと思う。それと、禅堂である。

ところで、大徳寺は、古く定められた京都五山の中に入っていない。大徳寺を、新たに創建した意図ということについては、ちょっと説明がほしかったところである。

映像を見ると、自然光を重視した映像となっているようである。少なくとも、そのように作ってある。文化財などを、どのような照明で撮影するのかということは、制作する人間の考え方のあらわれと思っている。

2026年10月26日記

日本の話芸「笑福亭松喬 落語「仏師屋盗人」」 ― 2026-10-28

2026年10月28日 當山日出夫

日本の話芸「笑福亭松喬 落語「仏師屋盗人」」

職人さんが仕事をしているところを見ているのは、おもしろい。それを、落語でどう演じてみせるか、というのが、この噺の眼目である。

夜中に仏師の職人の家にドロボーがはいってくる。このときの描写を見ていると、昔の夜は静かだったのだな、ということを感じる。

たまたま、向田邦子のエッセイを読み返しているのだが、夜起きて何か音がするので気になって見てみると、お母さんが鉛筆を削っている音だった……というのがある。今の時代、ナイフで鉛筆を削る音が夜中に家の中で聞こえる、というような家は、無いだろう。夜の静かさを表すとすると、現代だったら、エアコンの作動する音、とでもなるかもしれない。

現代では使わなくなったことばがたくさんある。

二尺八寸。刀のことである。同じような言い方で、九寸五分、ということも言うが、時代劇などでも使わない。いや、もう、時代劇などほぼ存在しない。

七輪、かんてき。これは、私は、分かるが、今の若い人には無理かもしれない。まだ作ってはいると思うが、日常の生活の中から消えてしまっている。

消し炭、からけし、消し壺。日常の生活から、カマドが無くなり、火鉢が無くなって、もうこういうことばも過去のものになる。私の子どものころまでは、普通に使うことばだったのだが。

びんずるさん。今では、通天閣にあるものが有名である。通天閣以外にも、いろんなところにあるかと思うが、日常的なことばではなくなっている。

にかわ。現代でも、一部の職人仕事では使うものだが、普通の生活の中で、このことばも使わなくなってしまっている。

劇場の名称として、中座とでてきていた。道頓堀の中座は、今ではもうなくなっている。しかし、ことばとしては生き残っているというべきだろうか。

伽羅先代萩などの芝居の演目とか、だいたいの筋とか、普通の庶民の知識であり、娯楽でもあったのだが、今では、一部の愛好家か、その専門の人でないと、分からないことになってしまっている。「伽羅先代萩」が、まず、読めないだろう。大学生で、日本文学専攻の学生でも、読めるかどうかとなるとあやしい。

2026年10月23日記

『蔵』(第三回) ― 2026-10-28

2026年10月28日 當山日出夫

『蔵』(第三回)

第三回で、意造は、芸妓のセキを後妻にする。このときの家族の考えることなど、現代だったら、とてもこんなふうには描けないだろうと思う。昭和戦前の新潟の大地主であるが、現代とは価値観が違う。

意造は、どうしても後継ぎが欲しい。そのために、セキを後妻にする。年齢は、非常に離れている。意造としては、後継ぎを産むことになる母親は、正妻でなければならない。妾であってはならない。こういう理屈をいう。

一方、母親のむらは、亡くなった妻の賀穂の妹の佐穂を後添いにして、セキは妾にして囲って通えばいい、と考える。田乃内ほどの家の当主なら、妾を持つぐらいは当たり前であるし、佐穂の立場の安定を考えてのことでもある。

まあ、現代だったら、このどっちも支持されないだろう。どっちにも、石が飛んできそうである。だが、この時代としては、意造の考え方の方が進歩的であり、むらの考え方が古めかしいということになるはずである。

もし、このドラマを現代でリメイクするとすると、もう一人の登場人物がいて、女性の権利を考えるべき、『青鞜』を読むべき、と主張することぐらいのことをしないと、とても制作できないかと思う。

新潟の渡辺家は、保存されていて公開されている。そのHPを見ると、家の中の写真が見られる。ドラマの撮影では、実際の建物の内部……土間があって、座敷があて、囲炉裏があって……というところを、使っているようである。新潟には、昔の大地主の屋敷がいくつか残っていて、公開されている。できれば、行って見てみたいものである。

2026年10月26日記

ブラタモリ「伊豆・修善寺温泉▼空海・文豪・絶景!奥座敷のブランド力とは」 ― 2026-10-27

2026年10月27日 當山日出夫

ブラタモリ「伊豆・修善寺温泉▼空海・文豪・絶景!奥座敷のブランド力とは」

修善寺温泉というと、私の場合、夏目漱石、ということになる。「修禅寺物語」(岡本綺堂)は、昔、読んだかと憶えているのだが、はっきりした印象がない。源頼家の暗殺のことは、「鎌倉殿の13人」で描かれていたことである。

東京からアクセスがよい。鉄道で来られるし、自動車でも来られる。谷沿いの温泉であるので、大きな建物がない。巨大温泉旅館というのは、ないようである。こういうことは、東京からちょっと出かけるにはいいところかと思う。

見ていて一番興味深かったのは、横山大観が居た部屋。その床の間の掛け軸である。絵ではなかった。ただ、「〇」を書いた掛け軸があった。しかし、これは、書としては一流のものであると、私は見る。横山大観が居たという部屋に、下手な絵の掛け軸などはかけられない。かといって、からっぽにしておくということもできない。よく料亭であるように、武者小路実篤の人畜無害な絵でごまかしておくということもできない。これは、かなり考えてのことだろう。

手紙が残っていて、候文であった。候文は今ではほろんでしまったものだが、手紙の書き方、文章としては、便利である。現在の日本語の口語散文のように、句読点をきちんとうって、文の単位を明確にして、それで構成を考えて何かを伝えるということではない。書きたいことを順番にに書いていって、適当なところで、「候」でいったんの区切りをおいて、次に続ける。これは、別に、順接であっても、逆接であっても、続けることができる。基本は文語文なので、難しいように思えるかもしれないが、これを書いていた人たちにとっては、きわめて実用的な日本語の書簡の文体であったと見るべきだろう。

富士山の景色が素晴らしい。

2026年10月25日記

新日本風土記「富士晩夏」 ― 2026-10-27

2026年10月27日 當山日出夫

新日本風土記「富士晩夏」

なんだかまとまりのない内容だったという印象である。富士山にまつわる、いろんなことがらを、とにかく並べてみた。しかし、富士山そのものは、メインであつかわない、という方針であることは、分かったのだが。

富士山の信仰、浅間神社信仰は、全国的にどれぐらいの広がりと歴史があることなのか、これは、興味のあることである。だが、これが、京都の紙屋川の行事でもあります、と言われただけでは、そうですか、で終わりである。

富士山の神さまが、女性の神さまだから、ということは出てきていた。しかし、今の時代としては、だからどうした、ということでしかないし、また、これを理由に女性がどうこう、男性がどうこう、ということについて話題がおよぶと、かなりあつかいが面倒でもある。

太宰治のことばは有名である。何度か読んでいる。だが、私は、あまり太宰治が好きではない。短篇、中でも、女性の一人語りの形式の小説は、実に上手いとは思うのだが、小説家として好きかどうかとなると、あまり好きな方ではない。(むしろ、その生家の斜陽館が、土地の歴史……津軽の農業や経済……と、どうかかわってきたのか、ということは、気になっているのだが。)

私が見ていて一番興味深かったのは、自衛隊の演習場。ここが、古くからの入会地になっていて、今でも、その権利があって(?)利用できる、ということ。入会権ということは、以前は、裁判があったりしていろいろニュースになったこともある。だが、現代では、入会地を必要とするような農業が、すたれてしまった、変わってしまったということもあってだろうが、大きく社会の問題として、語られることはなくなってしまっている。

富士山の自衛隊の演習場というと、どうしても、総火演を思う。これは、一度見てみたいと思っていたが、もう、かなわないだろう。

2026年10月23日記

気になる家「森の中の不思議な洋館 東京・あきる野」 ― 2026-10-27

2026年10月27日 當山日出夫

気になる家「森の中の不思議な洋館 東京・あきる野」

あきる野市の小机邸である。

明治の擬洋風建築として、奇跡的にといっていいだろうが、今に残っている。おそらく建築史に詳しい人なら、よく知っていることかと思う。

木造の二階建てだが、漆喰をつかって外観は石造のような感じに作ってある。家の中は、畳敷きの和風の作りである。

小机の家は、多摩地方にあって林業と質屋で財を成した、ということである。今は、国内の林業は非常に厳しい状況だろう。(戦後のGHQの農地解放があったけれども、山林ということで地所が残ったといっていいのかと思う。)戦後、どうやって、この家と事業を維持してきたのか、ということは気になる。

番組の趣旨とは関係ないことかもしれないが、興味深かったのは、この家の玄関を入ったところの土間。ここを応接室として使っていたという。昔の農家や商家の建物がそうなのだが、土間が広くとってあった。ここは、作業場でもあったし、同時に、応接の空間でもあった。上がりがまちに腰をかけて、その家の人と話すということがあった。履き物を脱いで、上にあがるほどではないが、かといって、玄関先で立ち話ということでもない。その中間の領域が家の中にあった。こういう部分が、現在の日本の住宅から姿を消してしまっていることになる。

戦後の子の家のことを語っていた高齢の女性。その話し方やことばが印象に残る。たぶん、東京の中流から上流クラスの、昔の女性の話し方である。「~~わ」とつかうのは、もう現代ではなくなりつつあるかと思う。言語研究としては、女性語、役割語、ということで考える。「ねえや」「おじいちゃま」と自然に出てくるというのも、昔の人(といっては失礼になるかもしれないが)のことばである。

明治8年の建物であるが、文化財指定にはなっていない。だから、レストランに改造することもできた、ということでいいだろうか。

2026年10月25日記

時をかけるテレビ「昭和天皇 二つの「独白録」」 ― 2026-10-27

2026年10月27日 當山日出夫

時をかけるテレビ「昭和天皇 二つの「独白録」」

これは面白かった。ゲストは、吉田裕。この番組は、おかどちがいのゲストが出てくることが多くて、どうかと思うことがたびたび(いや、ほとんど)なのだが、この回は、まさに適任である。近代政治、軍事の専門家である。

面白かった理由は、もちろん、昭和天皇の独白録、ということもある。寺崎英成は、昭和の歴史、外交史、において重要な人物である。

このことよりも、歴史を語るときには、史料批判が必要であるとはよくいうことだが、それが、どういうことかを考える非常にいい事例である。

史料、その多くは、文献として残された、文書(書簡とか手紙とか)であったり、記録(日記であったり)である。史料批判というと、これらを付き合わせて、どれが本当のことかを考える……と思いがちだが、そうではない。それ以前に考えなければならない大事なことがある。

その史料が、誰が、何のために、書いたか、残したか、あるいは、残ったのか、ということである。手紙であれ、記録であれ、それを書くなんらかの理由があったはずである。そこに何を書いて、何を書かないか、取捨選択がはたらいている。誰のために書いたかということも、重要である。さらに、それが、今に残っているとして、それは、意図的に残そうとして残っているものなのか、残す必要ない、場合によっては廃棄してよいと思ったにもかかわらず、何かの事情で残っているのか。こういうことを考えた上で、その史料に何が書いてあるのか、そこから、何が分かるのか、ということになる。

ただ、どの史料に書いてあることが本当か、ということだけでは、歴史学における、いや、歴史学に限らず人文学研究における、文献史料・資料の批判ということは、いえないのである。

この意味では、昭和天皇の独白録は非常に面白い資料である。

それから、番組の始めの方で、加瀬俊一が登場して次のことを言っていた。

(英語版について)ああ あるということは 彼が深く関与していあということでしょう この独白録は。 ただし 私も 本当のことを知りたいんだけれども これは分からないでしょうね。分からないことは 分からないままにしておく方が いい場合もありますね。

外交官、政治家としては、こう思うことがあっていいだろう。後世の研究者としては、史料を隠したりせずに保存してオープンにしてほしいということはあるのだが、そもそも史料については、こういうことがあるとは思っておくべきだろう。

この意味では、中曽根康弘は、引退後に、自分の事跡についての記録や史料の類を、まとめて保存ということにしたのは、評価すべきと思うが、さて、このときに、これは絶対に秘密として消したものがあったかどうか……このことは、ちょっと気にかかる。そもそも、本当に重要なことは、紙に書いたりしない。秘密とは、もともとそういうものである。

昭和天皇が何を思っていたかということがあって、それを、ことばにできると思いこんでいるとすると、その歴史学者はバカである。人間は、そんなにすべてをことばにすることなどできない。ある状況で、あることばを選ぶことはできる。それが、すべて、あるいは、本心、ということにはならない。これは、あまりにも、人間というものへの認識、強いていえば史料を読む文学的感性が欠落していることになる。

だが、このことと、法的な責任論の議論は、また別である。

昭和天皇と東京裁判のこと、昭和の歴史における昭和天皇の役割と、法的責任の議論、一般の国民のうけとりかた、GHQは何をしたのか……こういうことは、これからも、いろいろと議論され、研究のすすんでいくことである。いや、その時代の政治の状況によって、価値判断がゆれるということはあるにちがいない。

それにしても、東條英機が戦争の責任を負って、東京裁判で死刑になって、そのことによって昭和天皇が免責されたということなら……昭和天皇としては、東條英機について、もうちょっと思うところがあっていいのかもしれない。靖国神社にA級戦犯合祀の後に、参拝していないということは、東條英機のことをどう思っていたのだろうか……こういうことは、私としては思ってみることである。

ボナー・フェラーズのことは、最近、小泉八雲の関係で、ふたたび名前を見ることが何度かあった。

2026年10月24日記

『豊臣兄弟!』「家康の野望」 ― 2026-10-26

2026年10月26日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「家康の野望」

家康が上洛して秀吉に臣従する、その前の夜に、秀吉がこっそりと家康のところに行って、明日は頭を下げてくれとお願いする……よく知られたエピソードであるが、実は、その裏で、家康はこういうことをたくらんでいた。単発のドラマとして見れば、これはこれで面白いし、よく作ってあると思う。しかし、一年をとおしての連続したドラマの中の一つとみると、やっぱりどうかなあ、という気になる。

家康が秀長暗殺を企む。自分が行けば、秀長が対応することになるだろうと予測して、秀長の屋敷での、暗殺を計画する。まあ、これはこれで、ドラマの設定としては、こういうことであってもよい。

だが、家康にこう言わせるためには、これまでの回で、秀長のはたらきがどのようなものであったか、ということを描いてあってのことである。だが、どうもそのようであるとは思えない。

これまでの回だと、秀吉と秀長と、一緒に並んで叫んでいたということしか思いうかばない。せいぜい、秀長が、どちらかといえば交渉を重んずる平和主義的な傾向があるということは、あった。だが、その積み重ねの結果として、豊臣政権にあって、諸大名との交渉役を担っていたということまでは、描いていなかった。

家康と秀吉、秀長との対面での会話。ここで、秀吉と家康がはじめて出会ったときの場面の回想があった。この回のこと……実は、家康は秀吉をバカにしていて、適当にあしらっただけだった、おそらく家康はそんなことは忘れてしまっている……を、視聴者が、憶えているかどうかで、今日の場面の意味は、まったく変わってくる。たまたま、以前のこの場面を見損ねたという視聴者は、本気で、家康がそう言ったと解釈するだろう。それはそれで、どっちでもいいのかもしれないが、連続した一つのドラマとしては、視聴者を裏切っているように思える。

それにしても、家康の秀長暗殺計画は、あまりに杜撰すぎる。

少なくとも、普通に考えて、矢には毒をぬるだろう。今の時代の、狙撃用のライフルをつかったスナイパーということではない。そして、もし、し損じたらどうするか、ということを考えておかなかったようである、というのは、どう考えても作戦として下手すぎる。秀長の屋敷のシークレットサービスが、黙っているというのは、どうにも理解できない。

家康が六万の大軍を率いてやってくると知らせてきた手紙は、仮名まじりの文章だったので、おそらくは、あさひが知らせてきたという設定にしたつもりなのだろう。しかし、戦国武将として、これから天下一統を考えている豊臣政権として、家康の軍の動きを察知していない、インテリジェンス機能が働いていないというのは、どう考えてもおかしい。

石川数正は、本当はスパイということなのか。どうでもいいが、実はどうであったとしてもよいようにこの回で描いてあったようである。続きの回を担当する脚本が、どのようにでも使えるようにしておいた、ということだろうか。一人の脚本家が、全体の筋をとおして考えているというところが、感じられない。

秀吉にしても、秀長にしても、家康にしても、新しい平和な世を作りたいといって、思い出しているのは、きわめて個人的なエピソードである。この時代の庶民のくらしということが、まったく視野にはいっていない。いまどき階級史観でドラマを作れとはいわないが、しかし、農民出身の秀吉と秀長だからこそ分かる、百姓の視点からの、新しい統一された天下ということが、まったく出てこないというのは、「太閤記」として見ても、どうかなと思うところである。

2026年10月25日記

『太平記』「開戦前夜」 ― 2026-10-26

2026年10月26日 當山日出夫

『太平記』「開戦前夜」

日曜日の昼に、『豊臣兄弟!』と続けて見ているので、『太平記』の脚本の上手さがきわだって感じられる。

この回でも、東国(奥州、関東、鎌倉)の支配をめぐる考え方、武家と公家との考え方の違い、後醍醐天皇の考え方とまわりの公家たちの違い、三位の局(廉子)の策謀、藤夜叉や石のような一般庶民の視点、こういういろんなことが、一つのドラマの中におさまっている。

だいたい、革命(のようなこと)が起こって、次にあるのは、実はこんなはずではなかったのに、といういろいろな不満である。それらの中をどう泳ぎ切ることができるかで、最終的な勝者が決まる。ここで重要な意味をもつのは、全体の動向や時代の流れを見る視点と、細かなインテリジェンスである。

北条の支配に不満を持っていた武士たちと公家、それが倒れたあとに、どういう世の中であるかを構想することのできたものと、ただ、権力にしがみついているもの。こういうことが、見ていてなんとなく感じられる。といって、尊氏が、それほどすぐれた先見の明があったということではない。しかし、かなり、冷静に世の中の動きを見ている。そこには、武家などの動向をさぐるインテリジェンスのはたらきがあり、これは、一色馬之介がになっている。また、高師直も、ひそかに、世の中の動きを見ている。

後醍醐天皇と尊氏の場面。天下をになうのは肩が凝る……これは、うまい表現である。ただ、新しい平和な世がくればいいというような、観念論を語るよりも、よっぽど説得力がある。言いかえれば、天下をおさめるのは、いろんな勢力の利害の調整が必要である、武力だけで決まるものではなく、政治力の気苦労がともなうものである。こういう冷めた見方は、『豊臣兄弟!』には無い。

二条河原落首は、歴史の史料としてあまりに有名である。これに出てくる偽綸旨を、うまく使っている。石がもらったのは、どうやら本物のようであるが、だからといって、その文書のように所領が確実に自分のものになったということにはならない。

歴史の動乱期にあって、いろんな立場の人間が、それぞれに思うこと、感じることがある、この当たり前のことを、きちんと描いている。

ささいなことだが……尊氏が、佐々木道誉と話しをしながら、文書を書いていて、書き終わると、くるくると筒状にまるめて、それを、平らにつぶしていた。こうすることによって、きちんと折りたたまれた文書になる。こういう動作を描いているのも、このドラマのいいところかと思っている。

2026年10月25日記