『豊臣兄弟!』「秀長誕生」2026-09-14

2026年9月14日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「秀長誕生」

この回のタイトルが、「秀長誕生」である必然性が感じられない。この回で、豊臣政権が確固たるものになり、秀吉の補佐役としての秀長の地位が固まったということであるならば、そうでもいいかと思うが、ドラマの流れとしては、その具体的なことが描かれていなかった。

小牧長久手の戦いで、秀長は、いったい何をやったということになっているのだろうか。ドラマの中では、織田信雄に怒ってみせたということであった。これは、これまでの秀長(小一郎)のキャラクタからは、あまり似つかわしくない。信雄を織田の家の中心として、忠誠心を抱けないというのは、そうかとも思うが、そうなること流れが、なんとなく不自然である。

秀吉と秀長は、信長が本能寺で討たれた後、天下一統をなしとげるという方向に動くのだが、このときに、織田家というどういう関係を考えていたのだろうか。あくまでも、織田家を重視して(そのうちの誰をということはあるとしても)、織田の将軍、織田幕府ということを構想していたのか。

それとも、織田の家は、たんなる名目にすぎなくて、天下一統をなしとげるまでの、便宜的なものにすぎないと、見切りをつけていたのか。

どうであってもいいのだが、いずれであっても、こういうことの経緯を、本能寺の変から賤ヶ岳の戦いを経て、小牧長久手の戦いにいたる過程で、秀吉と秀長の天下一統への、戦略や気持ちの変化ということが描かれてきていいと思うのだが、そうはなっていなかったと感じられる。

織田信雄との和睦のシーンは、これは、どうやら本当に秀長が怒っていたということらしい。これまでは、だいたい、二人が並んで科白を言う(というよりも、大声で叫ぶ)ということか、でなければ、実は、これは兄の秀吉の策略であった、ということできて、この信雄との場面で、こうなるのは、なんとなく違和感が感じられる。これまでのドラマの流れ、人物造形の積み重ね、ということが、まったく感じられない。

そもそも、この『豊臣兄弟!』では、登場人物が、歴史の流れの中で、自分の生きる道を見つけて成長していく、いわゆる教養小説的な作り方をしていない。各回ごとのエピソードの積み重ねで、こんな人間として戦国乱世を生き抜いて、こいう人間になっていく、というプロセスが、まったくない。

戦国時代の有名のできごとについて、実は、このことの背景では、秀吉と秀長が、こんなふうにしていた……という、裏話的なネタをつなげてきただけのように思える。

小牧長久手の戦いは、秀吉の方が勝って、天下一統に向かうという筋で見ることもできるが、逆に、家康が、自分の地盤を固め、また、全国の主立った大名たちに影響力を見せつけることにもなった、と見ることもできる。この『豊臣兄弟!』のこの回では、いったいどういうことを、言いたかったのだろうか。形式的には、秀吉の天下という方向でありながら、実質的に徳川の支配力の拡大ということも描いていた……歴史としては、この両面を描いたということで、評価することでいいのだろうか。

秀吉が天下を取れる、それは、秀長がついているからだ……ということで終わっていたが、これも強引すぎる。小牧長久手の戦いにおいては、秀長が、特に何をしたということではなかった。むしろ、信雄との和睦を拒否したことになって、これは、秀吉の天下統一の足を引っ張ることであったはずである。

かといって、軍事における、兵站や諜報ということで、秀吉を支えたということにもなっていない。これは、これまでの回で、このような側面から秀長を描くことができる場合が、たくさんあったにもかかわらず、そうはなっていなかった。秀吉、秀長の、役割分担ということではなかったし、同じことを協力してやりとげるということでもなかった(ただ、並んで科白を叫ぶだけでは、協力してということにはならないだろう。むしろ、それぞれが、半分の実力しかなくて、二人そそってどうにか一人前という描き方になっていた。)

小牧長久手の戦いは、戦国時代の合戦としては長期にわたり、兵站が大きな意味をもっていたはずである。また、(いまでいう)工兵の役割も重要だったはずである。さらに、各地の大名の動向を知るためには、インテリジェンスの機能も持っていないといけない。こういうことを描く絶好のチャンスとして、ドラマの中ではあったと思うのだが、まったくそういうことにはなっていない。ただ、戦いの経緯を、つまみ食いして、こんなことがありましたと、羅列しただけで終わっていた。

まあ、合戦シーンがショボいのは、コストの関係かと思うのだが、だったら、余計にコストのかからない部分でドラマを面白くみせるのが脚本の腕前というべきだろう。これまでの流れとして、秀吉や秀長という人間のものの考え方、そして、家康という人間の人となり、これを描くことの積み重ねがあってこそ、小牧長久手の戦いを、面白いものに出来たはずだが、そうならなかったのは、このドラマ全体の構想がきちんとできていなかったということになる。

歴史ドラマはフィクションを含んでいるのが当たり前である。であるならば、尾張の中村の村の住民(百姓として、もろもろの仕事をする)が、ときどき登場してきていて、百姓の視点から、この時代がどう見えたのか、農作物の出来はどうだったのか(これは、古気候学からある程度わかるようになっているはずである)、商売は上手くいくようになったのか、相次ぐ戦乱で村は荒廃してしまっているのか、それとも、なんとかなっているのか……こういうところが、現代の歴史学の研究をふまえて、かなりの本当らしさで描くことが可能になっているはずである。せっかくこういうことが描けるようになっていると思うのだが、それをしていないということは、とてももったいないドラマの作り方をしてしまったものだと思う。柴田勝家とお市のことよりも、中村の百姓をきちんと描くことの方が、面白いドラマになったにちがいない。

2026年9月13日記

『太平記』「鎌倉炎上」2026-09-14

2026年9月14日 當山日出夫

『太平記』「鎌倉炎上」

この回は、タイトルのとおりの内容であった。

鎌倉幕府の最後である。これまで、何かと悪役として描かれてきた長崎円喜が、この回では、まことに鎌倉武士という感じだった。最後のときは、武士は武士らしくということで、これはこれでいいと思う。

北条高時は、最後になっても、ちょっと変わっている。追い詰められて、舞を舞うのは、さて、『太平記』ではどうだったかと思うことになるが、見ていてとても良かった。かなり変わった執権であったし、こういう執権なら、鎌倉幕府が滅んでもいたしかたないと思わせるところがあった。

これで最後というときに舞を舞うとなると、どうしても信長の本能寺を思ってしまうが、歴史的事実はどうであったかは知らないが、ドラマとしては、非常に魅力的なシーンだった。たっぷりと時間が使ってあった。

この戦いが、そういうことだったということなのだろうが、戦略・作戦が、非常に分かりやすく描かれていた。攻めにくい鎌倉の街ではあるが、だからこそ、いったん敵にはいりこまれると、逃げ場がないことになる。

高氏は、ほんのちょっとしか出てきていなかった。だが、ここで、鎌倉幕府が滅んで、高氏たちが新しい時代を担っていくという方向で終わっていたことになる。

一色右馬介が、とてもいい。メインの登場人物ではないが、歴史の流れを、ちょっと離れたところから見る視点として存在している。こういう人物がいることによって、ドラマに奥行きと広がりを与えている。

2026年9月13日記

六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・秋田内陸縦貫鉄道を呑む!」2026-09-14

2026年9月15日 當山日出夫

六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・秋田内陸縦貫鉄道を呑む!」

再放送である。2025年10月。

これは、以前の放送のときに見ている。再放送も録画しておいた。

ワイナリーが出てきて、ビールの工場が出てきた。

地方のこういう、地ワインとか、地ビール……会社を大きくするつもりはなくて、地元で仕事ができれば、それが一番、というのが、非常に魅力的である。品質はいいのだろうが、それよりも、ローカルな環境で仕事をして、商売をして、というのが、価値がある……こういう考え方に共感する人が増えてきた。そういっていいだろう。(だからこそ、この番組も続いているというべきか。)

作りたての工場のビールというのは、飲んでみたい。

銅山の跡地があり、そこで使われていた車両が残っている。かつて、日本は、金・銀・銅、などの、世界において重要な産出国であった。だが、もう、日本は鉱業の国ではない、といっていいだろうか。(南鳥島のレアアースは、鉱物資源というよりは、国際的な戦略物資というべきだろう。)

冷やしカツ丼という食べ物があることは、はじめて知った。

ちょっと気になったのは、これをスプーンで食べていたこと。これは、スプーンで食べた方が食べやすいだろうとは思う。ただ、このごろ、他の番組などで、親子丼などでも、スプーンで食べるのが普通になってきている。牛丼のテレビCMでも、スプーンで食べている。これは、私は、ものすごく違和感を感じることである。私の感覚としては、ご飯はお箸で食べるべきものである。カレーでも、チャーハンでも、お箸で食べることが多い。(まあ、趣味の問題かなとは思うが。)

田沢湖の観光船は、人がいなかった。この番組を見て、いつも心配になるのは、はっきりいって、空気を運んでいるとしか思えない列車が運行していること。これで、採算が取れているのならいいが、将来的なことを考えると、これでいいのだろうかと、ついつい気になってしかたがない。

2026年9月11日記

『風、薫る』「環」2026-09-13

2026年9月13日 當山日出夫

『風、薫る』「環」

親と子の関係……情愛もあり、また、反感もあり、その入り交じった気持ち……これを、これまでのドラマできちんと描かずにきておいて、この週で、りんと環のこと、さらに絵描きで生きていくこと、これらをまとめてドラマとして描こうとしても、無理なことでしかない。

このドラマの不運(?)は、同時並行で、『ひまわり』『ひよっこ』の再放送と重なったことがある。『ひまわり』『ひよっこ』では、親子の関係ということが、ドラマの主軸としてある。しかし、『風、薫る』では、親子のことが、基本的に出てきていない。

これは、意図的に、親子関係を描かないという方針であったのだろうか。夫婦ということも、大きく出てきていない。それならそれでいいと思うのだが、では、そのかわりに、人間のあり方をどう見るのかという視点が明確にはなっていない。ただ、りんと直美の二人のお母さんがいる、しかし、お父さんはいない、という、ちょっと変わった家族が出てきていただけのことになる。

明治のこのころだと、江戸時代からの「家」にかわって、近代的な「家庭」ということが、意識されるようになってきたころになるだろう。環が、母親のことを、「お母さん」という呼称で言うようになったのは、日本語の問題であると同時に、新しい近代的な「家庭」を学校教育の中であつかうようになってきたことの反映でもあるはずである。(こういうことに無反省なまま、ただ現代的な言い方として、環に「お母さん」と言わせただけだったら、この脚本は、無知にすぎる。)

那須のころのこととしては、りんの父親の信右衛門が登場してきていたし、それは、娘たちを新しい時代に向けて教育してくれる、新しい感覚を持った父親としてであった。また、りんのとつぎさきの亀吉と貞は、古い封建的な「家」を代表する描き方になっていた。

だが、東京に出てきてからは、古い那須での封建制を脱ぎ捨てたのはいいとしても、その代わりに、いきなり個人と社会ということになってしまった。瑞穂屋の卯三郎の登場である。国家ということを出さなかったのは、意図的にそうしたのだろうが、この時代だったら、個人と社会を考えるときに、国家をはずすことは無理だっただろう。

夫婦として出てきていたのは、大山捨松と巌であるが、この夫婦は変わっている。愛し合って夫婦になったということではなく、お互いの利益(陸軍大臣としてであり、女子教育や看護婦のためである)という、打算によってなりたった夫婦である。とても、近代的な恋愛感情をもとめることはできない。

母親は登場するが、これは、直美が自分を産んだ母を探すということが軸になっていた。ここで、実の母の文とのことは、印象に残ることではあったが、ドラマの中で、りんと母の美津との関係の対比として、どうこうということにはなっていなかった。直美と文のことは、単なるエピソードで終わってしまっていて、母と娘ということで、広がりをもつことにはなっていない。

環についても、りんが、環にどんな母親であろうとしたか、まずは、美津がそのロールモデルになるか(その逆の場合もふくめて)と思われる。美津は、瑞穂屋で率先して働き、りんが看護婦になることについても、基本的に何にも言わなかった。美津は非常に開明的なのだが、それがこの時代としては変わっているということにはなっていない。美津が、なぜ、このような女性であったのか、那須の時代に何があったのか、東京に出てきて、どうかわったのか、分からない。

瑞穂屋ではたらく開明的な母親はずっと出てきているが、その一方で、「学ぶことは~~」と教えてくれた父親のことは、もう忘れ去られてしまっている。なんとなく不自然である。りんにとっての学ぶこと、環にとっての学ぶことは、信右衛門の教えからからすると、どうなるのか気になるのだが、まったく無視である。

環が小学校に入学するとき、さらに、女学生になって、自分の父親は誰なのだろうかと、まったく気にしなかったのは、なんとなくおかしい。この時代に、女学校に入学するような女性は、社会のごく一部の上流階層だっただろうから、当然、それぞれの女学生の家庭はどんなであるかは、生徒どうしでお互いに、また、学校の教師としても、気にすることだったはずである。

これも、対比的に、詐欺師だった寛太のような社会の底辺の人間なら、親のことなんか知らない、ということで、環と対比的に描くこともできたかもしれないが、そうはなっていない。

直美は、息子の明に、父親のこと(軍人だったこと、日清戦争のときに台湾で病死したこと)を、どう伝えていたのか、これも、まったく出てきていない。

その他いろいろあるが、要するに、このドラマでは、親子とか、夫婦とか、家庭とか、ということについて、描き方があまりに粗雑にすぎるのである。りんと直美と美津と環の家族は、かなり特殊な形態であるが(お父さんがいない、お母さんが二人いる)、これを、どう特殊なのか、それでも家族の情愛はあるとしてそれはどのようなものだったのか、納得のいく作り方になっていない。

このようであったところに、この週で、いきなり那須から環の父親の亀吉が登場してきて、いったい何を言いたかったのだろうか。さっぱり分からない。那須で無事に商売ができているらしい、ぐらいのことである。せいぜい考えてみて、亀吉がりんに、患者さんをみるように、環のことをみてやれ、と言っていたが、この科白を言わせるためだったとしか思えない。

少なくとも、環が、自分の父親のことや、出自を知って、どう思うことになるか、多感な女学生としてどう感じるのか、普通なら非常に気になるはずのことが、まったく描かれていない。意図的に省いたとしたとしても、それならそれで、環は自分の出自のことなんか気にかけない人物として、これまでの人物造形があってしかるべきだが、それもない。

患者さんをみるように環のこともみる……この科白が意味を持つためには、看護婦の仕事に忙しくて、環のことをかまってやれなくて、環が寂しい思いをする、しかし、それを言えないで苦悩している……ということが、あっていいと思うのだが、印象に残るようには、描かれてきていない。あんなお母さんだけど、私は私よ、という雰囲気であった(私が見て感じていたところでは)。

亀吉の科白を聞いてから、りんと環の関係が、どう変化することになったのか、これが分からない。これまでの流れだと、亀吉の科白があってもなくても、りんは環の希望を尊重するということになっただろう。(これが、りんは自分は看護婦の仕事を一生懸命だが、環には良妻賢母教育を受けさせて、普通に結婚してほしいと思うような、新しさと古さの両面をもった女性として描かれいたなら、ちょっと違ってくるのだが。)

環は絵を描くことに興味があって、シマケンに相談して、新聞社の編集長に会って、お団子屋さんの広告の絵を描く仕事ができて……どう考えても、都合よくいきすぎである。絵を描くこと、創造するすることの苦悶、明治になってからの新しい美術の潮流、自分はどんな絵を描きたいのか、絵描きの先生のところで徒弟修行するのか、美術の学校に行くのか、そういうことが背景にあっていいと思うが、まったく出てきていない。

はっきりいって、美術や芸術にこころざしをもって創作にはげんでいる人たちのこと(その当時でも、現代においても)を、バカにしているとしか思えない。まったく無理解にすぎる。

2026年9月12日記

『ひまわり』「第十一章 一難去ってまた一難?」(9月7日~9月12日)2026-09-13

2026年9月13日 當山日出夫

『ひまわり』「第十一章 一難去ってまた一難?」(9月7日~9月12日)

この週から、裁判官である。

法律にかかわるドラマとして見ると、このドラマでは、法の正義、ということをださいない。社会正義ということや、人権とか平等とか、そういう価値観でものを見ることをしていない。法律がかかわることになった場合、弁護士としであれ、検事としてであれ、裁判官としてであれ……のぞみが基本的に考えることは、この事件に関係することになった人たちが、より幸福になれるのは、どういうことであるのか、これを思っている。そして、のぞみの周囲の同期の研修生たちも、すでに法律のプロである人たち(弁護士、検事、判事)も、そういうのぞみを否定するということにはなっていない。せいぜい、のぞみの考え方が甘いということを指摘するにとどまっている。

これを法曹のドラマとして見た場合、もの足りないと思うか、あるいは、実際にはこういうことを描いてこそ法曹の世界の人間であると見るか、これは、人によって判断が分かれるところだろう。

少なくとも、正義感があって、法律の知識を駆使すれば、難事件も解決する
……ということにはなっていないことには、私は、これでいいと思って見ている。

南田の家庭もややこしくなってきている。親子の関係であり、男女の関係が、さまざまに錯綜している。問題がないのは、優と桃子の夫婦ぐらいである。そして、錯綜した人間関係について、ことさらに誰が正しいとか、誰の思いを中心に描くとか、ということになっていない。それぞれの登場人物の思いを、等分に描くように作ってある。正しい人がいるわけでもない、正しさのお手本があるわけでもない、これが実際の人間の世界のことだと、感じるように作ってある。このあたりは、近年の朝ドラとは、違うと感じるところである。

2026年9月12日記

『ひよっこ』「乙女たち、ご安全に!」2026-09-13

2026年9月13日 當山日出夫

『ひよっこ』「乙女たち、ご安全に!」

この週から、向島電機の乙女寮の生活になる。

このドラマは、悪い人が出てこないと言われている。しかし、だからといって、社会の暗い面を描かないということにはなっていない。

昭和40年、高度経済成長期の日本である。多くの集団就職の若者たちが、東京にやってきた。みね子たちは、高校を卒業しての就職であるが、向島電機に同期で就職することになった澄子と豊子は、中学卒である。この時代、中学卒で、東京に出て働く地方出身者は多くいた。

新しく会社にやってきたみね子たちに、舎監の愛子は、「頑張れ」と言う。なんとなく、たよりない感じはするけれど、愛子としては、どうしてもこう言いたくなる。

ドラマの中での説明としては、愛子も、15才から向島電機で働いて苦労してきた。頑張って仕事をしてきたので、なんとか会社の女子寮の舎監ということになった。おそらく、これまでに、上京して就職してきた女の子たちをたくさん見てきたのだろう。彼女たちが無事に仕事を続けていくことができたというわけでもなく、脱落していく女性もいた。その後、どうなったかは語っていないが、この時代のことであるから、なんとなく想像はつく。寮の自分の部屋で歌っていたのは、「下町の太陽」この時代の映画であり、歌である。

乙女寮にやってきてすぐに、「手のひらを太陽に」の合唱で出迎えられる。これは、唐突な感じもするが、寮のサークル活動ということだから、納得できることになっている。(これも、視点を変えれば、会社側の女子社員への福利厚生であると同時に、ある種の管理でもあるのだが。)

最初の食堂での晩御飯は、カレーライスだった。お肉が入っている。これを食べて、みね子は、故郷のことを思う。以前の回で、みね子が、お母さんが留守にしているときに、カレーを作っている場面があったのが、伏線になっている。これは、食堂のおじさんの特別サービスだったようだ。後で出ててきた、スパゲッティは、大盛にはしてもらえるけれど、具はほとんどなかった。

乙女寮で同室になったのは、みね子、時子、澄子、豊子、優子、幸子、である。これらの女性が、それぞれ個性的であり、見ていてきちんと区別できる。(もう年をとってくると、若い女性が登場しても、区別するのが難しくなってきている。)そして、それぞれが向島電機で働くことになった背景……具体的に家庭の事情であるし、さらにその背後には、戦後の日本の社会のいろんなことがある……を、それとなくであるが、きちんと分かるように描いていることがある。

まずは、豊子が、中学での成績はトップだったのに、高校に進学できない。向島電機につとめて、通信制の高校で勉強する。どうしても、高校卒業でやってきた、みね子や時子と対立することになる。この感情と社会的事情、家庭の事情、これらを、この時代だからこういうこともあったなあ、ということで上手く描いていると思う。(これを、もっとリアルに悲惨に描くことも出来るのだけれど。)

寮には、15才から29才までの女性がいると、愛子が言っていた。15才というのは、中学卒で就職したということだが、29才までというのは、30才定年ということだろうか。あるいは、それ以上の年齢になったら、寮を出て生活ということになっているのか。たいていの場合は、寿退社だっただろうと思うが、これも、また、こういう時代のことであった。

向島電機で作っているのは、トランジスタラジオである。昭和30年代以降、AM・FMのトランジスタラジオが普及した。私の記憶だと、中学生か高校生ぐらいで、自分用のラジオが持てるようになったのを憶えている。考えてみるならば、このころのトランジスタラジオは、みね子たちのような工場労働者がいて、工場の流れ作業があって製造していたことになる。もちろん、MADE IN JAPAN である。

これを、戦後の「女工哀史」として描くこともできるが、そういう面は強調せずに、当時の日本にとっては、重要な輸出品であるという誇りを感じるということになっていた。これはこれで、ドラマの作り方である。

乙女寮のみね子たちの部屋、食堂、工場、それから、愛子の部屋、これらのセットがとてもいい。きちんと作ってある。そこで人が生活していて、働いている、という雰囲気がきちんと出ている。

2026年9月12日記

よみがえる新日本紀行「江戸前の秋〜千葉県・浦安〜」2026-09-12

2026年9月12日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「江戸前の秋〜千葉県・浦安〜」

再放送である。2019年。オリジナルは、昭和45年(1970年)。

浦安には、何度か行っている。ディズニーランドに行ったのは、過去に、私自身は2~3回ぐらいだろうか。まだ、長男が生まれてベビーカーに乗っているときに行ったのを憶えている。そのころは、東京から、今日はディズニーランドにでも行こうか、とふらりと行けるところだった。たしか、このころは、東京駅からバスで行っただろうか。

『青べか物語』は、きちんと読んだことがない。名前は知っている作品である。ただ、山本周五郎は、あまり好きな作家ということではなかった。

昭和45年というと、私が中学生のころである。

まだ、浦安が漁師の街だった時代である。防潮堤などはしっかりと整備されていて、道路も舗装されているが、昔ながらの風情と生活を残していた。それが、どんどん海を埋め立てて、工場や住宅や、それから、ディズニーランドになっていった。

海抜ゼロメートルと言っていたが、今は、もうこういうことばを使わなくなったかと思う。こうなった原因は、たしか工業用水として地下水を大量に使ったせいかと記憶しているのだが、はたしてどうだっただろうか。

漁師さんたちの一家が、夕方になって、近所のお寿司屋さんに行って、その店の大将と話しをしながら、お寿司を食べている。今は、もうこんな光景はなくなってしまっただろう。家族でお寿司を食べにいくとなったら、回るお寿司屋さんになってしまっている。(なお、私は、回るお寿司屋さんは、嫌いである。昔の東京には、住まいのちかくとか、駅のビルの中とか、リーズナブルな値段で食べられるお寿司屋さんがあったものだが、こういう店がなくなってきている。)

道了様のお祭りで、盆踊りがあって、それを船の上から見物する。これは、今ではどうなっているのだろうか。盆踊り自体が、近所迷惑な行事となってしまっている時代である。

海に出て釣りをしている船を回って、飲み物(お酒など)を売ってまわる商売があった。これは、今では、もうないかなと思うが。

登場していた船宿の主人が、電話で、相手のことを「だんな」と言っていた。もう、今では、こんなことばを使う人もいなくなってしまったかと思う。

映っていたお店の中の文字で、「Coke」とあった。今なら、「CocaCola」(筆記体)になっているかと思うのだが、こういう文字は、いつごろまで残っていたのだろうか。

地下鉄ができて、都心に通勤する人たちが歩いていて、まだ、昔ながらの農作業などの風景があって……こういうのは、まさに、東京湾の埋め立てが本格的になるころの時代のこととなる。

現代の部分は、2019年であり、これを境に、魚市場が市内からなくなるということだった。その後、2020年以降、しばらくは、COVID-19パンデミックのころになるのだが、釣り船とか屋形船とか、どうだったのだろうかと思う。

釣り船には、そのお店の、HPのURLが書いてあった。こういのは、時代の変化である。

2026年9月9日記

おとなのEテレタイムマシン「日本の話芸(リストア版) 「皿屋敷」桂春団治」2026-09-12

2026年9月12日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン「日本の話芸(リストア版) 「皿屋敷」桂春団治」

オリジナルは、1997年。

三代目の桂春団治である。

国語学、日本語学の分野で、落語の研究ということになると、野村雅昭先生になる。野村先生とは、なんどか話しをしたことがある。ご専門は、日本語の文字とか表記のことであり、私の専門としてきたことと重なる。

「皿屋敷」を見ていて……この落語は、いや、一般に落語という芸能が基本的にそうなのだが、文字を媒介としない芸能である、ということを強く思う。皿屋敷のお菊さんの幽霊についての噺なのであるが、このことを知っているか、いないか、ということが発端となっている。このときに、知っているということは、決して文字や書物による知識としてではない。知っているならが、芝居や浄瑠璃を見たことがないから、ということを言っているので、芸能として耳から得た知識としてである。書物によるものではない。

こういうのは、当たり前のことなのだが、このごろAIをめぐる議論の中で、知識とは何かということが言われるようになってきている。その多くの場合、知識は、文字となっていて(映像や図版の場合もあるが)、基本的に書物から得るものである、これが大きな前提として議論になっている。

前近代まで、多くの人びとが生活するなかで得てきた知識は、かならずしも書物によるものではなかった。極端な事例になるかもしれないが、釈尊も、イエスも、ソクラテスも、孔子も、自らは何も書き残してはいない。文字になり書物になったのは、後世の弟子たちのさかしらである。

春団治の芸を見ながら、これは、文字を知らない時代の人びとが多かったころの芸能だなと感じる。(だが、落語という芸能の成立に、まったく文字や書物の世界が関係なかったかというと、かならずしもそうではないはずだが。)

国語学の観点で面白かったのは、静かな音のしない状態をあらわすのに、「しーん」というオノマトペで言っていたこと。書き言葉などの資料としては、いつごろから使われたかは調べることができるが、落語のような、口承の芸能の世界ではどうだったか、ということは、きわめて重要なことである。

数の数え方。お皿を数えるのに、お菊さんは、「いちま~い」「にま~い」と言って、「四枚」を「よま~い」といい(よんまい、ではなく)、「七枚」を「しちま~い」といい(ななまい、ではなく)、「九枚」を「くま~い」といっていた(きゅうまい、ではなく)。こういうことは、国語学、日本語学としては、非常に興味深いところなのだが、普通の人にとっては、どうでもいいことかもしれない。

だが、なんだかんだということはできるが、見ていてとにかく上手い。話芸というのは、こういう芸のことをいうのだなあ、と感じる。

2026年9月10日記

サイエンスZERO「海水×淡水=エネルギー!?夢の“浸透圧”発電」2026-09-12

2026年9月12日 當山日出夫

サイエンスZERO「海水×淡水=エネルギー!?夢の“浸透圧”発電」

はっきりいって、よくわからない部分があったのだが、面白かった。

浸透圧ということは、ことばとしては知っていることだし、どういう現象かということは、スタジオでの実験を見れば分かることなのだが、では、なぜ、こういうことが起こるのか、そのそもそもの理由が分からない。これについて話し出すと、水(H2O)の物理的な特性とは、ということになるので、とてもややこしいことになるのかなと思う。

福岡が水不足に悩む街で、海水から真水を作ることになったというのは、何かのニュースで見たかなと記憶するぐらいである。海水から真水を作るのは、世界的に見れば、いろいろと行われていることのはずである。(遠洋航海の船とか、潜水艦とか、飲料水は海水から作っているかなと思うが、どうなのだろうか。)

なんで、浸透圧があるとして、それで、水の流れが速くなるのか、ここも今ひとつ理由が分からなかった。そういう現象がおこるということは、そうなのだろうと思うのだが。

普通の海水から浸透圧を利用して発電できるようになるとしたら、これは、とてもすごいことである。そのためには、いろんな技術の開発が必要になるだろうし、とても夢のある仕事であり研究である。

2026年9月7日記

六角精児の呑み鉄本線・日本旅「旧北陸本線を呑む!あいの風とやま鉄道、万葉線編」2026-09-12

2026年9月12日 當山日出夫

六角精児の呑み鉄本線・日本旅「旧北陸本線を呑む!あいの風とやま鉄道、万葉線編」

この番組は、ときどき見ている。録画しておいて見ようということはなかったのだが、たまたま目について、録画しておいて、翌日の朝に早起きして見た。

鉄道とお酒と料理と、まあ、これだけの番組なのだが、気に入っている。

まず、壇蜜のナレーションがいい。声がとてもいい。

歌が流れるのだが、その歌で、

負けたんじゃない 逃げるんじゃないさ ほんのすこし弱くなっただけ

とあるのは、多くの人が、まあ、そういうこともあるよなあ、と思って共感して見ているのではないかなと思っている。

高岡には、一度、学会で行ったことがある。富山にも、何回か行ったことがある。だが、ブラックのラーメンは食べたことがない。近年になって有名になったかと思う。肉体労働する人のために、塩からい味付けで、ご飯と一緒に食べるのが、スタンダード。こういうのは、やはり、ローカルなこの地方ならではのことになる。

カサゴの酒蒸しは、とても美味しそうだった。

2026年9月10日記