新日本風土記「大阪 天神祭と子どもたち」 ― 2026-09-30
2026年9月30日 當山日出夫
新日本風土記「大阪 天神祭と子どもたち」
大阪の天神祭は、テレビのニュースなどで知っている程度である。船渡御とか鉾流神事など、よく映る。だが、神社のお祭りとしてはどういうものであるか、これまであまり気にしたことはなかった。天満宮の菅原道真公のお祭りなのだが、いわれてみて、そうかと思うぐらいである。
基本的には、暑い、人が多い、という印象しかない。
天神祭のために、中学の吹奏楽が練習をしている。(細かなことをいえば、天神祭は神社の宗教行事であり、それに、公立の学校の生徒がかかわるなど、政教分離の原則にてらして不当である、ということもできるのだが、地域の行事への参加と見ることもできるし、ここは、論じる人の都合のいいようにということだろう。この観点では、地鎮祭訴訟なども、単なる主張の都合でしかない。)
番組に映っていた範囲だと、天神祭の音曲につかう楽器は、太鼓と鉦である。三味線は使っていない。笛も出てきていなかったかと思う。そうでありながら、吹奏楽が加わるのは、とても面白い。
ボーイスカウトは、全国的にあまりさかんではなくなってきている。だが、まだ、かなり残っている。こういうのは、私は、残っていいと思う。学校以外に子どもが何かを学び活動できるところというのは、必要である。
天神祭の船をこぐのは、かなり難しい。現代なら、船にエンジンをつけてしまえればいいようなものかとも思えるのだが、人の手でこぐというのも、神事ならではのことである。(気になることとしては、船に乗るのに、救命胴衣は要らないということでいいのだろうか。)
鉾流の神事が、新しい疑似伝統である、というのは、面白い。伝統とは、そんなものである。誰かがはじめて、一世代たってしまえば、大昔からやっていることのようになってしまう。だからといって、悪いということではない。(昭和の戦後になってから出来たお店でも、老舗、と名乗れる時代である。)
いろんな講がある。本屋さんの講は、続くだろうか。街の中からどんどん本屋さんがなくなっている。出版社も景気が良いという時代ではない。
マンションで、お神輿をかついで参加するというのは、もともと、天神祭がかなりオープンな感じの祭りだということかなと思う。天満宮をささえるいろいろな講以外に、にぎやかしで参加できるのは、いつごろからのことなのだろうか。今の時代である、マンションで祭りの太鼓の練習に参加する子どもが、成長すると減ってくるというのは、しかたないだろう。塾とか部活とか、いろいろあるだろう。(スマホ見ているより楽しいことが、世の中にはあるということぐらいは、子どもに教えておくべきことかとは思うが。)
ソフトボールをやっている少年が、父親とキャッチボールをしている。(これも、見方によっては、こういうジェンダーバイアスを強調するようなのは良くないと言われかねないところだが、私は、これはこれでいいと思う。いや、このような家族の関係が希薄になっている時代だからこそ、貴重というべきか。)
太鼓を作るお店のバックヤードが面白かった。撮影できる部分だけということだったが、太鼓を作るのにも、さまざまな技術がつめこまれている。番組では言っていなかったことだが、太鼓の胴を作るのは、どういう職人さんの仕事になるのだろうか。今の時代だと、大きな太鼓を作れるような大きな木が、少なくなってきていると思える。
どういう牛の皮を使うか……その入手先が秘密というのは、いろいろと事情があってのことだろう。牛を飼っているところは取材できるだうが、それから皮を作るところは、どこで、だれが、どんな仕事としてやっているのか、気にはなることである。
2026年9月23日記
ネコメンタリー 猫も、杓子も。「尾崎将也とグーとばななとロビンとダリと鏑とさくら」 ― 2026-09-30
2026年9月30日 當山日出夫
ネコメンタリー 猫も、杓子も。「尾崎将也とグーとばななとロビンとダリと鏑とさくら」
朝ドラの『梅ちゃん先生』は、見ていた。特に面白いということはなかったかと思うが、とにかく、安心して見られるドラマになっていた。一週間で、一つの話しが終わって、土曜日には、一安心ということで作ってあった。最近では、こういうかたちの朝ドラが少なくなった。
黒澤明の『羅生門』の最後の志村喬の科白は、憶えている。子どもを育てるのと、ネコを育てるのは、ちょっと違うかもしれないし、まあ、同じかもしれない。
それにしても、ネコたちは大胆というか、自由に家の中で行動している。食事をしているテーブルの上に乗ってきても、大丈夫らしい。(我が家では、基本的には、食事中のテーブルの上にネコは乗ってはいけない。お魚をドロボーしてはいけない。ということにしている。ただ、朝御飯を食べているときは、乗ってきてものほしそうにするので、食パンのひとかけらをあげることにしている。)
毛の長いネコが多いので、毛の抜けるシーズンは、家の中の掃除が大変だろうと思う。
パソコンにネコが近寄っている。これもネコの感じ方によって違うのだろう。我が家のネコは、私のパソコンは、絶対に踏まない。床にPCがおいてあっても、それは避けて歩いている。特にそうしつけたということはないのだが、踏んではいけないものと知っているようである。
大きなネコが寝ている体の上に乗ってくると、とても重い。小さい雌のネコでも重い。
室内のソファで爪をとぐのは、いたしかたないことかもしれない。
見ていると、ネコとネコの関係は、うまくいっているらしい。先に住んでいるネコの、先住権というのは絶対的なものだと思っていたが、ネコによっては、そうでもないらしい。
養子で子どもを育てる話しを書くのに、ネコを見てということだった。たしか、向田邦子は、ネコを見ていると人間のことが分かると言っていたかと憶えている。
そして、寡黙な男はかっこいい。
2026年9月26日記
ドキュメント20min.「Slow Boat to the World」 ― 2026-09-30
2026年9月30日 當山日出夫
ドキュメント20min.「Slow Boat to the World」
このドキュメント20min.は、以前は、かなり実験的、挑発的な、内容のものが多かったが、このごろでは、手法としてはスタンダードな方法でありながら、他の番組では、とりあげにくいような題材をあつかうことが多くなったかと思っている。
この番組(録画しておいたもの)を見てから、YouTubeで、福井良を聴いてみた。こういう音楽が、おそらくは、ある一定以上の年齢層、あるいは、逆に若い人たちには、うけるところがあるのだろうと感じる。いわゆるエッジのきいた音楽というところもあるが、それでいて、マイルドに演奏している。聴いていてここちよい。ふるさと、ということばを番組の中で使っていたかと思うが、普遍性を追求するというよりも、ローカルな感性を大事にしていると感じられる。
福井良の紹介で、両親が旅芸人で、幼いころから、北海道から東北を旅して回っていたとあった。そういう体験が、(こういう言い方はいかにもインテリ的視点なのだが)大衆の心をつかむこととなって、音楽の機微をつちかったというべきだろう。
これは、現代の子どもたちが、幼いころからピアノ教室に通っているという生活環境の中では、もう得られなくなってしまったものといっていいだろうか。
現代においては、ローカルな大衆芸能というものが、ほとんどなくなってしまったかもしれない。昔の、旅芸人や、村のお祭りが廃れていって、それが、テレビに変わって、テレビもこのごろはお行儀良くなってしまって、そうして、残ったのが、ユニバーサルなYouTubeのような配信サービスということは、なんとなく皮肉な感じでもある。だが、インターネットはユニバーサルなものであるとしても、それを閉じた仲間内で使う、限られた人びととのつながりをもとめるものとしてつかう、ということも、また実際に起こっていることである。
2026年9月26日記
日本の話芸「桂塩鯛 落語「天狗裁き」」 ― 2026-09-30
2026年9月30日 當山日出夫
日本の話芸「桂塩鯛 落語「天狗裁き」」
枕のところで言っていたように、この噺のオチは予想できる。そのとおりになるところを、いかにもそのように語ってみせるのが、芸のうまさ、ということになる。
登場人物が変わる。始めは女房。次に友達。次に家主。次にお奉行さま。次に天狗。変わったそれぞれに、ことばが変わっていく(話している内容としては同じようなことを言っていることになるのだが)これを、どう演じ分けるかというところも、面白さである。
見ていて、お奉行所のおしらす、と言って説明的になっていた。もう今では、「遠山の金さん」も「大岡越前」もやっていない。「大岡越前」はBSで放送があるけれど、あまり見ている人はいないだろう。私は、「雲霧仁左衛門」が好きである。
ことばとして気になったのは、「じょうかん(上燗)」「ええ燗がつかっている」「くじだて(公事立て)」というようなことばは、もう落語の中でしか残っていないかもしれない。お酒をかんでのむ、というようなことも、今の日本ではすたれつつあることかもしれない。
天狗といって、ちょっと説明的だったのは、これもいたしかたないことかもしれない。
2026年9月23日記
ブラタモリ「奈良・飛鳥 世界遺産記念SP▼なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」 ― 2026-09-29
2026年9月29日 當山日出夫
ブラタモリ「奈良・飛鳥 世界遺産記念SP▼なぜ飛鳥は日本の国の礎に?」
これは、あまり面白くなかった。
飛鳥を歩いている姿が冬の恰好だった。それに、東大寺の回のついでに、若草山に登って撮った部分をくっつけて、一つにしただけのようである。
私は、世界遺産には反対である。まったく無意味だとは思わないが。せいぜい、飛鳥のあたりが、乱開発できなくなる、ということは確かなので、これはいい。だが、そこで残るものは何かというと、現在の飛鳥の風景であるが、これは、昭和30年代ぐらいまでの、日本の農村の風景である。決して、古代の日本がそのまま残っているのではない。
これは、歴史について知識があれば、あまりにも常識的なことで、言うまでもないことだから、言われていないというだけのことだろうと思っている。
藤原宮跡の残し方は、これはいいと思っている。発掘して、柱の跡が分かったところに棒が立ててある。これだけである。平城宮跡のように、大極殿を復原してみようなどという無意味なことを行ってはない。平城宮跡の復原の建物は、私に言わせれば、日本の人文学の敗北の象徴である。
石舞台古墳、飛鳥寺、酒船石……これらだった。石舞台古墳が、現在のように残ってきたのは、どういう理由からなのか、むしろ、こういうことの方が重要かと思う。飛鳥寺の礎石が残っているのは、たまたま残ったのか(掘って捨てるのが面倒だっただけなのか)、いったいどうなのだろう。酒船石は、よく分からない。分からないものは、分からないと言っておくだけで十分である。諸説ありますと、注釈付きで、余計なことは言わない方がいい。
番組で言っていなかったことで、大事なことは、「あすか」という地名は、明日香村だけのことではない。他に似たような地形のところには、「あすか」という地名が残っている。地名に歴史を見るということなら、「水落」も重要であるが、「あすか」という地名も考えるべきだろう。
「飛鳥」という表記の由来もある。枕詞として、「とぶとりの あすか」と言うようになったことは、日本語と日本文学の歴史の想像力の問題であるが。
2026年9月27日記
ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜「モンゴル編 旧正月を祝う家族のもとへ」 ― 2026-09-29
2026年9月29日 當山日出夫
ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜「モンゴル編 旧正月を祝う家族のもとへ」
番組の趣旨とはまったく関係ないが、見ていて一番興味深かったのは、最後の我が家での旧正月の時のテーブルの上に、ジャックダニエルの瓶があったこと。今のモンゴルだと、ウランバートルでは、これが普通に飲むお酒になっているということなのだろうか。前回の放送から見ても、CocaColaの文字は見なかったと思う。CocaColaの文字は、世界のいろんなところの旅番組などで、見ないことの方が珍しくなっているというべきだろう。
ロシアから、オーツ麦をモンゴルに運ぶ。食用ということだろうが、モンゴルでも耕作地はある(このエリアの映像も映っていた)のだが、十分ではない。それをロシアから買っていることになる。(他にも、ロシアから買い、中国から買っているものもあるだろうし、逆に、輸出しているものもあるはずだが。その詳細については、また、別の問題である。)
後編になって、画面の中に、キリル文字が見られるようになってきた。ロシアとの関係が濃厚ということなのだろう。前編では、キリル文字がほとんど映っていなかったと憶えている。それから、中国の漢字も見える。ロシア、中国との、内陸のトラック輸送で、つながる地域にモンゴルがあることになる。
モンゴルの自動車は、道路の右側を走るのだが、見ていると、必ずしも右を走っていないことがある。凍結した路面を避けて、対向車が来ないかぎりで、安全なところを走っているようである。
ほとんど真っ白で、凍結した路面の、ずっとまっすぐな道を走っていくのは、気持ちいいだろうとは思うが、しかし、退屈もするだろうし、場合によっては、危険でもあるだろう。
凍結した湖にトラックが落ちたままになっているというのは、氷の上を走っていたということになると思うのだが、道が分からなかったのか、近道をしようとして通ったところが、湖の氷の上だったのか。
トラックがパンクしても、なんとか修理して走行するというのは、こういう技術を持っていないと、生きていけないということになるし、救援を呼ぶためにも、無線は必要ということなのだろう。
緯度が高いので、太陽の位置が低い。それが映像を魅力的なものにしている。
夜になると満天の星空である。日本でも、100年ぐらい前までは、普通に夜空に星が見えて、天の川も見えた。私の子どものころまでは、京都の宇治でも見ることができた。夜空の星を見るという、生活の感覚は、現代で失われてしまったものでもある。
森林地帯というところがほとんどなかった。あっても道路が無いというだけのことなのか、モンゴルには、そもそも森林が少ないのか。自然環境としての森林の有無ということは、放牧に適した草原があるということをふくめて、この地域に生活してきた人びとの歴史がある。
モンゴル相撲の建物に、オリンピックのマークがついていたが、これは、どういうことなのだろうか。
昔のモンゴル帝国のことを、偉大な国家の歴史として記憶している。
この番組は、基本的にそうなのだが、トラックで旅に出ても、最後は、家族が待っている自分の家に帰る。ある意味では、非常に保守的な感覚で作ってあるが、これはこれでいいと思っている。
2026年9月27日記
歴史探偵「東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟」 ― 2026-09-29
2026年9月29日 當山日出夫
歴史探偵「東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟」
たしかに徳川家霊廟というのは、あまり、歴史の中で語られることはないし、近代の東京の歴史の中でも、あまり登場しないかと思う。
これは、徳川家霊廟、ということでとりあげるよりも、江戸の街における、増上寺と寛永寺のこと、それから、これらの持っていた、政治的文化的な意味や意図、ということで考えるべきことかと思える。
江戸の街の視覚的シンボルとしては、江戸城のことがとりあげられることが多い。江戸城については、消失した天守を再建しなかったことの意味ということになるだろか。それに代わるものとして、徳川家の江戸ということを、人びとに印象づけるものが、増上寺と寛永寺、そして、その周囲にあった、徳川家霊廟、ということになるかと思う。
さらには、徳川家という武家にとっての祭祀・宗教ということも、関係するはずである。
秀忠の霊廟の模型が、ロンドンの万博のときにつくられて、それが、イギリス王室のものになり、それが、その後ゆくえしれずになって、発見されて、組み立ててみて……という経緯も、とても興味深い。その模型を作ったのに、高村光雲がかかわっていたというのは、この時代における光雲の仕事としては、美術史の方では、どう考えることになるのだろうか。
日光の東照宮があって、きらびやかに飾り立ててある。それに匹敵するきらびやかさで、徳川家霊廟を作ったということになる。
ちょっと気になることとしては、秀忠の霊廟の構造として、本殿に位牌をおいて、その前に拝殿がある。こういう構造は、神社の様式にならっている。神仏習合の形態といってしまえばそれまでなのだが、これは、江戸時代になってからのものということなのだろうか、それとも、中世にさかのぼって事例のあることなのだろうか。宗教の歴史といっても、思想的な面とはあまりかかわらないことになるが、どのように研究されていることなのだろうか。
秀忠の霊廟に参拝するとき、徳川家の家臣や大名たちの座る位置で、将軍の権威を視覚的・身体的に表現したということは、そのとおりだろう。同様のことが、江戸城への登城のときにもあったことになる。社会の秩序の視覚的身体的表現として、これが、いつまで機能したことになるのだろうか。このことと、明治になってから、徳川家霊廟がどうなったか、ということは関連することにちがいない。この方向としては、明治天皇の、京都の桃山御陵と、東京の明治神宮の造営ということに、つながっていくことになるだろう。
戦後、このエリアがどうなっていったか、文化財保護の歴史の観点からは、重要なことであるにちがいない。
2026年9月17日記
『豊臣兄弟!』「秀長の国」 ― 2026-09-28
2026年9月28日 當山日出夫
『豊臣兄弟!』「秀長の国」
いくら美味しくないおにぎりであっても、食べかけのまま残すというのは、どうかなと思う。食べ物を粗末にしてはならないという、日本人の醇風美俗に反する、ことになる(あえて言えばであるが)。これも、お百姓さんが丹精込めて作ったお米なのである。こういう脚本や演出は、とても悪い。
この回では、おもに二つのことを描いていたことになる。一つは、蜂須賀正勝のことであり、秀長の大和郡山築城と興福寺のことである。
歴史として、一番興味深いのは、秀吉の所領分配。誰に、どこの土地を与えるかということである。畿内を豊臣の家臣で固める、ということがナレーションでは言っていたことであり、おそらくは、これが、豊臣政権のあり方の基本的な姿を作ったということかと思う。ここは、現代の歴史学として、豊臣政権の権力の構造というべきところを、説明的になっても、言っておいた方がよかったかと思われる。豊臣政権が長続きしなかったということが、たぶん、この段階に原因を求めることができるのだろう。
大和の国を秀長がおさめることになる。これは、歴史的にそうだし、NHKの奈良局では、去年から、一生懸命に『豊臣兄弟!』を宣伝してきている。郡山城は何度もテレビに映っている。それで、もう、映りすぎたのでやめにしたのか、最後の紀行では、石垣の中のお地蔵さんを映していなかった。
ここで気になることは、いくつかある。
秀吉、秀長は、百姓出身ということであるが、それは、単に出自がそうであるということだけのことだった。具体的なこの時代の百姓の生活……これは、決して米作だけに限らず、商工業をふくんだものとして……が、これまでにほとんど描かれてきていない。戦国時代の武将として、百姓のことをどう思っていたのか、まったく出てきていなかった。だが、ここで、急に、秀長がお米を見て、これは田んぼにたくさんの稲を植えすぎているせいである、年貢が適切ではない、と言う。いきなり、こういう秀長になっても、とまどうだけである。
まず、百姓といっても、この時代の大和の地の農地が、米作ばかりであったということはないだろう。どうしても、百姓=農民=稲作、というスレテオタイプから、抜け出ていない。ここのところは、歴史学から見れば、非常に問題のあるところかと思うが、大河ドラマで、百姓と出てくると、きまってこうである。(大河ドラマの作り手は、よっぽど、網野善彦とかが嫌いなのだろうか。)
大和の地は、寺社勢力の強いところで、治めるのが容易ではない。だから、秀長が担当することになった。これはこうなのだろうが、しかし、これまでに、大和の寺社勢力について、ドラマの中で、ほとんど描かれてきていない。松永弾正は往生していたが、寺社とどういう関係であったのか、出てきてはいなかったと思う。このドラマで、秀長と大和の国のことを、あつかうことになることは、分かっていたはずなのに、肝心のところをスルーしてきたことになる。
その寺社勢力を興福寺だけに代表させるのは、ドラマとしては分かりやすいのだが、しかし、この時代の歴史を背景にしたドラマとして見ると、いかにも、安っぽい作り方をしたという印象になる。興福寺以外の多くの寺社のことは、最後の紀行のところで、ちょっと出てきていただけである。それも、むしろ、秀長が寺社を保護したということであった。
そもそも、この時代の、土地の所有権、年貢の徴収権、ということについて、少しぐらい説明があって、その上で、検地ということになっていいと思うのだが、いきなり検地になっていた。それも、年貢を減免する方向での検地だった。これは、実際には、どうだったのだろうかと思うところである。
お米が美味しくないことを言うために、秀長の娘の末が、おにぎりを作って城の普請をしているところに持ってくる、というのは、どうだろうか。お殿様の娘が、こういうことをするだろうか。
美味しいお米を求めて、村の農家に行って買おうとする。これも、この時代の、お米の生産と流通ということを考えると、どうだろうかと思うところである。
この回から、秀長の大和の国ことを描こうということは分かるのだが、それはそれで、これまでの回で、しかるべき伏線があってしかるべきなのだが、全然、そういう作り方になっていない。ドラマ全体の構想と、各回の脚本担当の連携の不足ということかなと思う。
2026年9月28日記
『太平記』「新政」 ― 2026-09-28
2026年9月28日 當山日出夫
『太平記』「新政」
いわゆる建武の新政である。結局これは失敗して、最終的に、足利高氏(尊氏)が生き残って、室町幕府を作ったということでいいかとは思う。
ドラマとして面白く作ってあるのは、藤夜叉である。京の二条の橋の下でウナギを売っている。宮沢りえの白拍子はとてもよかったが(だから、高氏が惚れることになった)、庶民的な恰好でウナギを売っている姿も、またいい。
ここで、子どもの不知哉丸が一緒で、足利直義と出会うというのは、フィクションとしても、歴史ドラマの面白さである。
後醍醐天皇のこと、大塔宮のこと、新田義貞のこと、これからの混乱の立役者がそろったという感じである。大塔宮も、なかなかの策士である。
また、足利高氏のもとにいる高師直が、いかにもうさんくさい。だが、情報に通じている。この高師直の存在があって、これからの高氏があるといってもいいかもしれない。
脚本が上手いと思ったのは、一色馬之介の京でのシーン。侍たちに追われる女性を助ける。これぐらいのことは、よくある時代劇の設定なのだが、侍たちが逃げ去った後、女性は、商売の邪魔をしやがってと悪態をつく……こういう流れになるのは、とても面白い。京の都の人間は、一筋縄ではいかなという印象である。
2026年9月28日記
木村多江の、いまさらですが「私はいつだって仕合わせ 〜連続テレビ小説「ブラッサム」宇野千代からのメッセージ」 ― 2026-09-28
2026年9月26日 當山日出夫
木村多江の、いまさらですが「私はいつだって仕合わせ 〜連続テレビ小説「ブラッサム」宇野千代からのメッセージ」
この番組は、ちょっと偏った主張(といっておくが)で作ってあることが多い。『おはん』を読んで、この作品に、虐げられた女性の恨みを読みとるとして、それを、市川崑監督の映画『おはん』の吉永小百合のことばを持ってきてまで、言う必要があるだろうか。素直に、小説を読んで、どう感じるか、を語ればいいだけのことである。『おはん』に、女性としてのうらみつらみを読むならば、二人の女性それぞれにあることだし、また、男の身勝手ではあっても、その時代の中でそのようにしか生きられなかったことをどう思うことになるのか、考えることもできる。宇野千代は、ただ男が悪い、といって満足するような現代の出来の悪いフェミニストまがいではないはずである。
番組の中で、宇野千代をベストセラー作家と言っていた。一番有名なのは、『おはん』だろうか。それから、『生きて行く私』である。自伝である『生きて行く私』をきちんと読んでいるなら、とてもこういう内容の番組にはならない、と私には思える。
例えば、岩国で小学校の代用教員をしていたとき、住んでいた家に、夜になって見知らぬ男性がやってきて強姦された(夜這いというべきか)のだが、実にあっけらかんと書いてある。宇野千代のこういう感性は、今の正しい性倫理観からすると、とんでもないことになる。こんなことはドラマでは描かないとしても、宇野千代自身をあつかった番組でなら、言ってもいいことだと思える。だが、こういことには触れないというのは、いかにも欺瞞的である。
恋多き女といえば、きこえはいいが、この時代の価値観だったら、節操のない、ふしだらな女ということになる。この時代は、まだ、姦通罪というのがあった時代である。この意味では、宇野千代だけを見るのではなく、関係した男性たち……尾崎士郎であり、東郷青児であり、北原武夫であり……の女性観や価値観にふれておくべきだろう。東郷青児などは、よく言って、自由奔放、悪く言えばいくらでも悪く言える。
近代において、自立した女性であり、自由に生きた女性であるとはいえるのだが、かなり特殊な家庭に育ち、また、大正から昭和の文学者などは、ろくでもない連中ばかりだった(現代的な市民的なモラルからすると)ことも、言っておくべきかとも思える。
2026年9月25日記
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