新日本風土記「酒と酒場の旅」2026-01-07

2026年1月7日 當山日出夫

新日本風土記 「酒と酒場の旅」

これまでの放送から、酒にかんするエピソードを集めて編集したものである。

まず何よりも、グランマちか子のギターの流しの歌が良かった。歌っていたのはアメ横の飲み屋街である。ここは、むかし、一~二回ぐらい行ったことがある。庶民的なところだったが、今では、どうなっているだろうか。

おどろいたのは、「夜が来る」を歌っていたこと。小林亜星の作品であるが、多くの人にとっては(無論、私にとっても)サントリー・オールドのコマーシャル曲である。この曲を、NHKで普通に使うようになったことが、なんとなく感慨深い。(といって、今の若い人は、この曲のCMをもう知らないだろうが。)

見ながら思ったことを、書いてみる。

最初は、盛岡の酒屋の角打ちから。角打ちは、全国にいくつかある風習であると思うが、この酒屋さんでは、土間があって、上がりがまちのところに腰掛けて飲んでいる。昔の家の作りで、家に入って広い土間があって、上がりがまちがある。家に来た人が、玄関の外、玄関の中の土間、上がりがまちに腰掛ける、床にあがる、囲炉裏の側か、それとも、奥の座敷か……こういう、待遇のレベルの違いということがあった。もう昔の話しかと思うが、このような生活の感覚も、今では失われてしまったものの一つである。(家の中と外との中間的な領域として、土間の上がりがまちに腰掛けて話す、あるいは、外に向いた縁側で腰掛けて話す、ということがあったが、これらは、現代の家の構造では無くなったものである。)

石油の火鉢を使っていた。今でも使っていることになる。これは、かなり便利である。(すこし前、朝ドラの『あまちゃん』の家の中にあったのを憶えているが、これは、あまり注目されなかったようだ。)

北九州での角打ちは、朝から酒を飲む。これは、製鉄所関係の労働者の勤務の交替の関係で、朝帰りの人が利用するということがあった。朝から酒を飲めるというのは、あるいは、昔は普通のことだったかともいえる。現代になって、酒を飲むのは、夜になってから、という習慣が一般化しているが、この方が歴史的には特殊なことなのかもしれない。

青ヶ島のことは、いくつかのテレビ番組で見たのを憶えている。たしか、最初のころの「100カメ」がこの島の人びとの生活だった。人口の少ない島に、八人の杜氏がいる。焼酎をつくるが、麹菌は、天然に生えているオオタニワタリを使う。こんな酒の造り方が、日本でおこなわれているということは、おどろく。

珠洲の出身の杜氏のことが出てきていた。地震の災害の前のことになる。豪雪地帯で、留守の家はたいへんである。(それにしても、冬にこんなに雪が積もるところは、人間の住むところとして適しているとは思えないところもあるのだが、どうして、日本列島でこういう豪雪地帯に人が住むようになったのだろうか。素朴に考えて、ちょっと不思議な気もする。『北越雪譜』は、学生のころから、二~三度、読んだことのある本だが。)

秋田の川反の飲み屋街は、知られているところだが、現在ではどうなっているだろうか。酒の燗をするのに、炭火で古い道具を使っていたが、こういう店は、貴重だろう。(今では、家庭だったら、酒の燗は電子レンジでという時代である。炭火を使うと、安定した火力が保てるということはあるかと思うが、どうだろうか。)

能登の七尾のナマコは、この地方ならではの珍味というべきだろう。これも、地震の後、あまり良い状態ではないらしい。(私は、パソコンのディスプレイは、ブラウン管の時代から、ナナオを使ってきている。七尾に創業の会社である。現在は、EIZOの4Kディスプレイを写真の現像のときには使うようにしている。)

歌舞伎町にホストの集まる焼き肉屋さんがあるというのは、このエリアならではのことだろう。

新潟の南魚沼のビールを、天然の水で造るというのはいい話しである。山から流れてくる水が飲める、井戸の水が飲める、水道の水が飲める……これは、日本では当たり前のことになっているが、世界的に見れば貴重なことである。(私は、小学生のころ、上水道の来ていない家に生活したことがあるので、水道の水が飲める生活のありがたさということが、身にしみている。)

阿蘇のトンネルの中の湧き水の話しはいい。結果として、阿蘇と高千穂をつなぐ鉄道はできなかったことになる。もし、この路線が開通していたら、九州の産業や観光は、違ったものになっていたかもしれない。

八丈島の女性たちが、お酒を飲んでいるシーンは、とてもいい。流人の島であった八丈島は、米が貴重なので、酒造りが禁止されていた、そのため、焼酎を造ったという。人が生活するのに、酒は、ある意味での必需品といっていいのだろう。

(私は、国語学を勉強してきた人間なのだが、方言学については、知識がない。八丈島の方言が、かなり特殊なものであるということは知っているのだが、具体的にどのようなことばかは知らないでいる。番組を見ていて、女性たちの話すことばは、たしかに特殊といっていいだろう。)

大阪のミナミにキャバレーが残っている。時代遅れかもしれないが、こういうところがあってもいい。

キャバレーが、昔のカフェーに由来すると言っていたが、これは、少し言い足りない。昔のカフェーは、ほとんど最底辺の特殊な飲食店であったという側面は、言っておくべきだろう。林芙美子が『放浪記』を書いたのは昭和の初期であるが、そのころ、カフェーの女給は、それより下はもう街娼しかないというぐらいの存在であった。永井荷風が通っていたような銀座の高級店もあったが、しかし、そこの女給である女性は、ほとんど娼婦といってよかったのだろうと、私は思っている。こういうことは、近年まで、形をかえて続いていることでもある。

民謡酒場が昔あって、それが、今でもわずかながら残っているという。私は、民謡酒場ということは知っているが、行ったことはない。集団就職などで、東京に出てきた人たちにとっては、こういう場所は格別なものがあった。もう今では、集団就職ということがあった時代のことは、過去のことになってしまっている。私は、かろうじてこの時代の感覚が、どうにか分かるというぐらいである。出稼ぎということも、過去のことになった。小作ということも、歴史のかなたのことである。(どうでもいいことかもしれないが、民謡酒場のところで映っていた老人の後ろの本棚には、広辞苑があった。)

酒から見えてくる人びとの、その土地に根ざした文化とか生活、ということを強く感じる内容であった。

出てきた酒は、日本酒か焼酎、あるいは、ビールで、ウィスキーやワインは出てきていなかった。日本のウィスキーとかワインについても、いろいろと面白い話があるにちがいない。

2026年1月3日記

中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る2026-01-07

2026年1月7日 當山日出夫

中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る

録画しておいて、お正月が終わってから、朝の早い時間にゆっくりと見た。

中国のことを番組に作るのは、いろいろと気をつかうところがあるだろうとは思う。何よりも、中国共産党のご機嫌をそこねないようにしないといけない。しかし、中国賛美の番組にすると、これで、批判を受けることにもなる。

結果的には、中国の文明は、とても古くさかのぼるものであり、それは、周辺のいろんな文明をとりいれて……今のことばでいえば、寛容性があって……融合したものとして、中国独自の中華文明を作ってきた、といえる。その一方で、中国の文明といっても、純粋な中国文明というべきものはないのであって、世界のいろんな古代文明の一つであり、周辺の地域からの影響……悪くいえば、パクリ……なしには、存在しなかった、このように見ることもできる。この両方の見方ができるように、なんとか、バランスを考えて作ったのだろう、という印象であった。

あえて誇大妄想的に言ってみるならば……中華文明の淵源は、広くユーラシア大陸の各所からながれこんできている。そして、これを、裏返せば、中国、いや、中華民族が、というべきかもしれないが、ユーラシア大陸の覇者となるのは、歴史をふまえて理の当然である、ということになる。この中には、中央アジアはもちろん、東シナ海、南シナ海、もふくまれることになるだろう。

古代を語ることは、えてして、現代の国家を過去に投影して、未来のありかたをしめすことにつながるものである。(それが、他の国の人びとから、どう思われることなのかは、別にして。)こういうことは、アメリカについてもいえることだし、日本についてもいえることである。それぞれの国家についての原像というべきものは、異なってはいるが。どれが「正しい」ということは、一概にはいえない。(アメリカなどは建国の理念ということが基盤にあると考えることになるだろうし、中華民族は歴史と情念の共同体という面から見ることができるかと思う。無論、これ以外の見方もできるし、そのような意識は自然にあるというよりも「つくる」ものだということもある。)

中国は広いのだから、これから発見される遺跡は多くあるだろう。番組であつかっていた、黄土高原の遺跡よりも古いものが発見される可能性もあると考えていいだろうか。

それが、今の中国……現在の中国共産党が主張する中華人民共和国の範囲、台湾についてどう考えるかは微妙だが……の国境の内側にあるとは、限らないかもしれない。中華文明の起源の中核は、中国の内側になければならない、ということは、学問的には意味のないことであるが、しかし、政治的には重要なことである。(こういう観点では、イスラエルとかロシアのことなど、思うことになる。)

最後の方で言っていたことであるが、黄帝を共通の祖先と意識する共同体が、中華民族である、これは、今の中国の人たちに、共通する認識といっていいのだろうか。無論、中国は、多民族国家であるから、これに同意しない他民族を、国家の支配下においていることはたしかである。

殷の時代になって甲骨文字が生まれた。だが、そのための、卜骨という方法は、遊牧民族からもたらされたものである。

どうも、この番組としては、農耕民族である中華民族の方が、ユーラシア大陸を移動してきた北方の遊牧民族よりも、上位の存在である、という暗黙の発想が感じられる。だから、DNAの分析によって、古代の人たちも中華民族である……これは、科学な事実であるとしても……ことを言うことになる。だが、この言説は、同時に、非常に政治的な意味を持つものでもある。

ともあれ、人類史、その文明の歴史も、DNA解析によって、数万年前にアフリカを出た今の人類の祖先が世界に広がっていった跡をたどることができ、また、その間におこった地球規模での気候変動と自然環境の変化をふくめて、総合的に記述する方向にむかってきている。この視点からは、純粋な~~文化とか、~~文化の起源、というような言説のあり方そのものが、根本的な見直しが必要になってきているとはいえるだろう。だからこそ、かえって、昔ながらの国家の原点、原像ということが、重要な意味を持ってきているともいえる。

漢字という文字が、中国とその周辺において、重要な意味をもつ文字であったことはたしかである。日本も、その中に当然ながらふくまれる。(だが、このことの議論は、ややこしいことでもある。)

2026年1月4日記

サイエンスZERO「“生殖”のミステリー!生き物の根源に挑む」2026-01-07

2026年1月8日 當山日出夫

サイエンスZERO “生殖”のミステリー!生き物の根源に挑む

再放送である。最初は、2024年12月。

性についての、生物学としての興味はとても面白い。このことは確かなのだが、こういうことを考えるときには、どうしても、生命のあり方とか、あるいは、人間における性のあり方……生物としてのみならず、社会的文化的な面から(つまり、現代の用語でいば、ジェンダー、であるが)考えることが多くある。

クマノミが性転換するということは、よく知られていることだろう。だが、クマノミが、このように進化してきた理由というのは、どんなものなのだろうか。

ミジンコの単為生殖も知られていることかと思う。それが、越冬するためには、オスとメスによる、生殖に切り替わる。このタイミングが、体内時計で日照時間の変化によるものということになる。(生物における季節の変化……日照時間とか、気温の変化とかをどう感知するのかということかと思うが、地球全体の環境の変化と、生物の進化とは、深く関係していると理解していいだろう。)

オスのマウスのiPS細胞から卵子を作って、オスとオスの遺伝子を持つ子どもを産むことになる。これは、いわゆるクローンではない。こういうことが可能であり、技術が発達していくことは、これ自体としては、高く評価すべきことにちがいない。

生物が、オスとメスに分かれて、生殖するということは、おそらくは、遺伝子の多様性があることが、進化の大きな原動力になっていると理解していいだろうか。細胞が分裂するときに、遺伝子のコピーに時々ミスが起こることが、結果的に個体の多様性を生み出し、それが種としての多様性にかかわり、それぞれの生物が生きる環境に適応していくことが、進化ということかなと、私は思っているのだが、どうなのだろうか。

私がこれまで生きてきた中で、社会における生命倫理ということについても、大きく変化があったと思う。これは、端的にいえば、技術的に可能なことは、認めるという方向であった。たぶん、これからも、大きな方向としては、この方向で変化していくだろう。それを、世の中の多くの人は受け入れていくだろう。

性についての議論や研究は、生物とは何かということを問うことでもあり、また、進化とは何かということを考えることでもある、こういうことはいっていいだろう。

今の時代だと、人間は自分の「性」も、自己の自由意志で自由に選択することができるべきだ、という考えが生まれてきているが、これも、また、人間というものの進化の結果というべきなのだろうか。

2026年1月1日記

ねほりんぱほりん「占い師」2026-01-06

2026年1月6日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 占い師

再放送である。2016年の放送で、この番組の最初のシリーズのときのものである。再放送リクエストの一番らしい。

占いが当たるとか、当たらないとか、という問題ではない。

占い師を必要とする人間が、この世の中にはいるということであり、占い師は、そこにやってきた人の話を聞いて、背中を押してあげる。このときに、白いウソを言うこともあれば、黒いウソを言うこともある。

冷めた目で見るならば、そもそも、占い師のところに何かを占ってもらいたいと思ってやってくる段階で、その人間は、かなり生きることにおいて問題をかかえている。そして、占い師のもとに行くという選択を自分でしてやってきているのだから、この時点で、ある意味では、バイアスがかかってる。あるいは、フィルタリングされている。占い師は、その相手に遇わせて、占いをする。重要なこととしては、どういう占いの結果を伝えるかではなく、それよりも、どのような表現でそのことを伝えるか、ということになる。

占いは当たらないこともある、にんげんだもの……あっけらかんと言っていたが、とても正直なことかと思って見ていた。

占いが時代の鏡であるというのは、そのとおりだろう。バブル景気のころには、その時代特有の話があっただろうし、今の時代としては、また今日的な悩み事が増えているにちがいない。

今の時代としては、例えば、生成AIとチャットしていたら、~~ということになったのですが、これを信用していいでしょうか、というようなことがあってもおかしくない。

2026年1月3日記

ダークサイドミステリー「ロシアより野望をこめて 〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜」2026-01-06

2026年1月6日 當山日出夫

ダークサイドミステリー ロシアより野望をこめて 〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜

スパイ……という枠をはみ出した人物かな、という印象がある。まあ、スパイ、といっても、いろんな諜報活動があるだろう。場合によっては、要人の暗殺というようなことまでふくめることもできるかもしれない。

この人物のことは、ロシア革命史とか、イギリスの外交史、という分野について専門的知識を持っている人なら、知っていることだろう。

日露戦争のとき、ロシア側の要塞の図面を盗んで日本に提供したということらしいが、日本側の記録としては、何か残っているのだろうか。

第一次世界大戦のころであるから、ヨーロッパ諸国において、外交というのは貴族の仕事だった時代である、といっていいだろう。外交におけるメインの言語は、フランス語だった時代である。外交は貴族のおこなうものという感覚は、日本の外交の歴史にも、なにがしかの影をおとしていることかとも思う。

レーニンの革命は、そうすんなりと成功したというわけではない。レーニンについては、その功罪は、まだ人によって評価は分かれるところかとも思う。ロシアの帝政をたおしたとして、では、その次にどういう政権を作るのか、国内の政権基盤はどうであるのか、こういうことは、ロシアに限らず、どの国における革命や政変において、つきものである。

私が見て興味深かったことの一つが、レーニンを倒す計画の中に、電話交換局の占拠、ということがあったことである。この時代であれば、ラジオの前の時代である。人びと、政府や軍などの連絡手段は、電話が重要な役割をになっていた。クーデターを起こすとして、電話交換局を占拠するというのは、今風にいえば、情報通信の手段を自分たちのものにする、ということになる。

ロシア革命の後に起こった、世界のいろんな事件において、放送局の占拠、ということは、当たり前のようにおこなわれてきたことだと思う。昔はラジオ局であり、現代ではテレビ局になる。これらを支配下におくことで、情報戦として優位にたてる。

だが、これも、現代のインターネットの時代になって、情報通信の占拠、把握、独占、ということは難しくなった。完全にネットを遮断して破壊してしまったら、社会がパニックになってしまって、クーデターどころではないかもしれない。

それよりも、テレビとか、もうオールドメディアとして、信頼されない時代になってしまってきたので、おそらく、あまり意味のないことかもしれないと、思ったりもする。

ライリーの時代だったから、別人になりすますことも容易だったというべきだが、現代だと、顔認証など、生体認証の技術が発達しているので、そう簡単に別の人間になりすますことはできないかとも思う。

歴史のもしも、であるが、このライリーのような人物がいなかったら、世界の歴史は、ちょっと変わったものになっていただろうか。少なくとも、ロシア革命のなりゆきは違ったものになって、レーニンのソ連は誕生しなかったかもしれない。

2025年12月28日記

おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 手塚治虫〜こども漫画三十三年〜」2026-01-06

2026年1月6日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 手塚治虫〜こども漫画三十三年〜」

テレビに接続のHDに録画が残っていたので、見た。

最初の放送は、1979年である。

手塚治虫については、さまざまに語られているし、周囲の人のいろんな証言もある。

この放送のあった1979年というと、私が大学生のころであり、手塚治虫の作品としては、ちょうど「ブラックジャック」が連載されていたころになるはずである。

子どものころに作文を書かされた。それが好きだった。その作文の実物が映っていたが、見ると、文字がきちんとしている。昆虫を描いた手帖も映っていたが、描いてある昆虫の絵も見事であるが、それよりも、文字がきちんと整っていることに目がいく。(これは、私自身が、国語学研究者として文字や表記のことを勉強してきたから、ということもあるが。)

家に漫画の本が200冊ぐらいあり、ミッキーマウスやポパイの漫画映画を見たということだったが、こういう環境、あるいは、強いて言えば文化資本があってのことということになるだろう。

キザなことばでいえばアイデンティティー……と言っていたのは、納得できる。「アイデンティティー」という用語は、今では、ごく普通に使うことばになっている。もともとは、社会心理学の専門用語で、アメリカのエリク・エリクソンが使い初めて、それが、日本では1970年代以降にはいってきた。ちょうど私が大学生のころ、このことばが知的な最先端の概念として、流行し始めたころである。

1979年の放送で、このように言っているということは、この時代の雰囲気を感じる言い方である。

漫画には、風刺の精神、告発の精神が必要である、というのは、そのとおりである。

私は、現在では、基本的に漫画(マンガというべきか)は読まないのだが、手塚治虫が、個性が無い、会話が書けない、と批判されたのは、そういうものかと思うことになる。いや、現代のマンガが、かつての子ども向けの漫画に比べて、格段に、科白で語る要素が多くなってきて、あつかうテーマも多様化してきている、豊富になってきているということは、あるのだろうと思う。

手塚治虫が、かつて漫画が悪書として批判された経験があって(この時代のことは、私も記憶している、街に白ポストがあった時代である)、今の時代(番組の放送のころ)は、漫画に対する批判が弱くなった、と嘆いているのは、隔世の感がある。

現代では、マンガは、日本の重要なカルチャーであり、擁護し賛美することはあっても、(悪書として)批判するようなことは、ありえないことになっている。漫画家は甘やかされていると言っていたが、現代では、人気のマンガ家はヒーローでもある。マンガを批判しようものなら、現代の文化や、社会的問題意識が欠如しているとして、逆に、批判されるようになっている。(これで、本当にいいのだろうか。カウンタカルチャーというのは、社会からたたかれてこそ価値のあるものだと思うのだが、私が、こんなふうに思うこと自体が、もはや時代遅れということなのだろうか。)

2026年1月2日記

『豊臣兄弟!』「二匹の猿」2026-01-05

2026年1月5日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「二匹の猿」

昨年の『べらぼう』が、異常なまでにといってもいいかもしれないが、映像のケレン味で見せるという作り方であったのに対して、がらりと作風を変えてきている。オーソドックスな時代劇ドラマであり、テンポのいいコミカルな演出になっている。これは、これとして、面白い。

戦国時代の尾張の農民……という設定であるが、どう描くか、時代考証としていろいろと工夫していることは見ていて分かる。着ているものや、家の作りなど、あんな感じだったのか、と思わせるように作ってある。

だが、どうしても気になったのは、秀長(小一郎)の家。かなり広い。自前の耕作地があって、そこそこの生活ができている、ということかなと思う。しかし、この時代の農村の農家に、明障子は無理だろうと思うのだが、どうだろうか。地侍のお屋敷なら、なんとか納得もできるのだが、自分で田畑を耕し、戦になれば足軽で働こうか、という階層の「百姓」の住まいとしては、どうだろうか。

足もとを見ると、足半(あしなか)は見られない。これは、今の役者さんでは無理ということだろう。

女性の座り方は、やはり立て膝であった方が、私には自然に見える。

「きたねえしこめ」は、どうかなと思うが(「しこめ」だけで十分である)、もう今では「しこめ」ということばが死語になっているということだろう。歴史ドラマだから、ルッキズムだと批判することもないだろう。

「百姓」というか、「農民」というか、このあたりの用語の使い方も難しい。現代では、ほぼ同義語であるが、固定された身分や職業でということとして、この時代ではどう考えるのがいいのだろうか。(江戸時代以降は、かなり固定的なものになっていくかと思うが、戦国時代までだったら、流動的であったかもしれない。)

かつて、「太閤記」として、立身出世の物語でもてはやされた時代だったら、「農民=稲作=百姓」ということで問題なかっただろうが、近年の歴史学の研究をふまえるとすると、ちょっと慎重に考えるべきところだろうか。

番組の中で、ちょっと概念が揺れているかなと感じたのは、足軽が武士であるかどうかということ。秀吉(藤吉郎)は、信長のもとで、足軽になって、武士、と言っていた。しかし、この回の始まりのところで、戦争になったから足軽を募集、ということがあった。つまり、この時代の戦で、足軽となるのは、専業(?)の武士もいたかもしれないが、百姓と兼業(?)ということでもあった。だからこそ、領主は、領民の生活をまもらないと、税金(年貢)もとれないし、戦となった場合の戦力にもならない。領地の経営に失敗すると、生活に困った百姓たちは逃げてしまう、ということだったと思うのだが、このドラマではどうなるだろうか。

最初の方で出てきていた、農民同士で種籾の貸し借り、ということがどれぐらい行われていたのか、歴史学の方で、どう考えられているのだろうか。

ことばの面でいうと、尾張方言がまったく出てきていない。これは、ドラマの作り方の方針である。これから、秀吉も、秀長も、どんどん出世していくことになるので、いつまでも尾張方言のままでは、なんかおかしい、という判断だったのだろう。

秀吉と秀長の父親が同一なのか。ドラマの中では、実の兄弟として描き、最後の紀行のところで、父親が違う説もある、ということにしていた。どちらであっても、明確な史料があって言えることではない。むしろ、この時代の農村の家族の形態ということで、歴史人口学の方から考えるのが、学問的には妥当な方向かもしれない。

この回で、秀吉と秀長の役割分担がはっきりとしていた。秀吉は、作戦をたてる。秀長は、ロジスティックスとインテリジェンスを担当する。こんなところかと思う。これまでの戦国時代ドラマは、合戦の戦闘シーンばかりが強調されるきらいがあった。しかし、実際には、インテリジェンスがあり、戦わずに済ませることができればそれにこしたことはないし、もし戦闘になった場合には、兵站や工兵(現代の用語でいえば)が重要になる。この側面を、秀長の役割で描くことになる、ということだろうか。

戦国時代ドラマの一つ見せ場は、織田信長が最初に登場するときに、どういう登場のさせ方をするのか、そのイメージがいろいろとある。この点では、『豊臣兄弟!』は、これまでとはかなり違った信長の登場の仕方であった。

信長について、身分にとらわれない見方のできる人……と、秀吉が言っていた。信長の先進性ということになるのだが、この時代としては、身分の中で生きていくということでも、特に問題はなかったかもしれない。このあたりは、先進的な信長という、(司馬遼太郎的な)イメージを受け継いでいることになる。(先進的であったから、優秀であったから、天下をとれた、という歴史観である。まあ、一種の社会的ダーウィニズムであるが。)

清洲城がなんとなくショボい感じであった。これは、これから出てくる安土城や大阪城を壮麗なものとして描くために、意図的にそう作ったのかと思う。

銭で動く人間の心ということを肯定的に描いている(今のところは)、これも斬新な視点かもしれない。金で人の心は買えない、ということにはなっていない。

気になったのは、風車である。この前、再放送のあった「よみがえる新日本紀行」で出てきた、能登の風車に似ている。

2026年1月4日記

『八重の桜』「私たちの子ども」2026-01-05

2026年1月5日 當山日出夫

『八重の桜』「私たちの子ども」

お正月すぎて、再放送の再開である。見るのは二度目であるが、明治の10年ごろの京都の街はどんなだったのだろうかと、思って見ている。そう思って見ると、ドラマとしては、新島襄の妻として奮闘する八重の物語としては、面白く作ってあるものの、その背景となる、このころの京都の街のことが、あまりに省略されすぎていて、なんとなくもの足りないところもある。

明治になってようやく10年、廃藩置県があって、西南戦争が終わったところである。いよいよこれから文明開化の時代をむかえようとする京都の人びとの生活は、どんなだっただろうか。天皇が東京に行ってしまって寂しく憤懣があったのか、それとも、一般庶民にとっては、天皇のことよりも、今日明日の生活のことが問題だったのか。今、このドラマを見ると、こういうことがどうだったのか気になってしかたがない。

このような部分を描いていないのは、やはりドラマとして、ここまで取り込む内容にすると、八重を主人公としたドラマとして、焦点がぼやけるということもあってのことかもしれない。また、時代考証の難しさ、ということもあっただろう。

『八重の桜』をここまで見てきて、会津の出身者として、柴五郎が登場していないのは、惜しい気がする。秋月悌次郎は、ドラマから退場してしまったが、歴史としては、この後、熊本の五高で教えている。そして、ラフカディオ・ハーンと会っている。逆に、『ばけばけ』で、五高のことをやるとして、秋月悌次郎や嘉納治五郎が出てくるかどうか、気になっている。

2026年1月4日記

知恵泉「豊臣秀長・寧々 リーダーを支える!家族の知恵」2026-01-05

2026年1月5日 當山日出夫

知恵泉 新春SP 豊臣秀長・寧々 リーダーを支える!家族の知恵

これはつまらなかった。『豊臣兄弟!』関連の番組の一つである。目についたものは見る(録画)ことにしているのだが、これは、つまらない部類にいれていいだろう。

ただ、一つだけ面白かったのは、ゲストでスタジオで出ていた黒田基樹……『豊臣兄弟!』の時代考証担当である……が、秀長のことがこれまで知られていなかったのは何故ですかときかれて、それは、研究者の数が少ないからです、と答えていたのは、なるほどそのとおりだと思うし、ここは、同意できる。研究者として、はっきりこういう言い方をする人は、珍ししかもしれない。せいぜい、秀長については、史料・古文書で、残っているものが、秀吉に比べてとても少ない、とういぐらいかと思う。(こういう番組に出てしゃべるのも、ドラマの時代考証の仕事と思う。)

だが、何故、秀吉に関連する古文書は多くあって、秀長に関連するものは少ないのか……これはこれで、興味深い問題だとは思うのだが。文書を発給し、そして、それが残っているということは、それなりの理由があってのことであろう。逆に、残っていないことには、その理由があるはずである。そもそも文書が無かったのか、受け取った側で残さなかったのか、どうなのだろうか。

さりげなく言っていたことだが、秀吉と秀長は、父親が同じ、という説であった。これは、ドラマの時代考証として、こういう設定で作るということになっているからなのだろう。ここは、別に、父親が違っていても、兄弟でちからを合わせて天下をとった、という筋のドラマであってもよかったかもしれない。(むしろ、その方が、現代的には、より「正しい」ドラマになったかとも思う。)

昔のことの再現部分で、秀吉と秀長の家に、障子があったが、これは、どう考えてもおかしい。このての番組で、そう厳密に時代考証する必要はないと思うが、これぐらいは、なんとかしてほしいところである。

同じようなこととしては、秀長が大和の国を治めることになったくだりで、(これまでの多くの番組でもそうだったが)興福寺とか東大寺と言っている。興福寺は、この時代には、春日大社と一体で大規模なものであり、明治の廃仏毀釈の結果、現代のようになった。東大寺も、今見ることのできる大仏殿は、江戸時代になってから再建されたもので、さて、秀長の時代はどうだったのか。このことについて、『豊臣兄弟』関係の番組を見てきて、どの番組でも言っていなかった。分からないなら分からないでいいと思うのだが、少なくとも今の大仏殿ではなかったということぐらいは、ことわりがあってもいいと思う。

郡山のお城の石垣のお地蔵さんは、何度も登場している。別に、このお地蔵さんを映さなくても、郡山城の築城については、語ることは多くあると思うのだ、どうなのだろうか。まあ、逆さまになったお地蔵さんは、絵になることはたしかなのであるが。

秀長が奈良でおこなったこととして、奈良貸し、がある。これは、いくども言及されていることなのだが、これは、(古めかしいことばをつかうが)人びとに対する苛斂誅求の支配というべきか、あるいは、(今風のことばをつかえば)民間に資本投資というべきか、経済史などの分野では、どう考えられているのだろうか。

木綿と藍染めのことが出てきていたが、まだ、この時代としては、いわゆる「木綿以前の事」(柳田国男のいう)であって、むしろ触れておくべきは、奈良晒といわれる麻の方かもしれない。これも特産品となるのは、江戸時代以降のことだとは思うが。

ところで豊臣政権が長続きしなかったのは、ふさわしい後継者がいなかったからということが大きな一因であるはずだが、ありていに言ってであるが、なぜ、秀吉は側室を多く持たなかったのだろうか。そんな暇はないほど忙しかったのか。寧々が、許さなかったのか。ドラマとしては、どう描くことになるかは、難しいところかもしれない。前近代としては、後継者のために側室がいて、ということは、ごく当たり前のことだったはずであるが。

2026年1月4日記

歴史探偵「豊臣兄弟!新春コラボスペシャル」2026-01-04

2026年1月4日 當山日出夫

歴史探偵 豊臣兄弟!新春コラボスペシャル

結論からいうと、この番組は、あまり面白くなかった。だが、まあ、『豊臣兄弟』にあやかって特集番組を作ると、こんなものだろうかとは思うけれど。

それから、NHKは、『豊臣兄弟』関連でいくつかの番組を作っているが、どの番組に誰が出演するのか、特に、歴史学研究者として誰に声をかけることになるのか、こういうことについて、裏で調整するというか、打合せをするようなことはあるのだろうか。今の時代だから、研究者どうしで、WEBツールで連絡し合っていて、さっきNHKから出演の話しがあったけど~~、というようなことがあっても、おかしくはないと思うが、はたしてどうだろうか。ここは、研究者といども、人間の世界であるから、あいつが出るようなら自分は出たくない、とへそをまげる人がいてもいいだろう。

秀吉、秀長の、サクセスストーリーについて、双六形式でたどるという趣向は、これはこれとして面白い。

私の視点で見て、一番おもしろかったのは、鮎のこと。秀長が、竹田城を築いて、円山川の水運を兵站のために利用した、たぶんこういうこともあっただろう。だが、円山川は、そんなに大量の物資や人員を運べたかどうか、検証の必要はある。それよりも、円山川で鮎の漁にかかる税を免除したということの、史料……これは、古文書として一次史料といっていいだろう……が残っていること。つまり、それまでは、円山川の鮎の漁に税金がかかっていた、ということになる。これが、どのぐらいのものだったのか、誰がその徴収をしていたのか、もし実物の鮎が税になったのなら、それはその後どう流通したのか、あるいは、鮎の実物ではなく、金銭に換算してのものだったのか……こういうことが、気になる。歴史学としては、こういう分野の研究も、面白いことである。

このようなことが分かっていないと、後に秀長のおこなった検地や、秀吉の太閤検地の持つ、社会的経済的な意味がよく分からないことになる。

さて、明日から『豊臣兄弟!』のスタートである。楽しみに見ることにしたい。

2026年1月3日記