アナザーストーリーズ「『およげ!たいやきくん』伝説」 ― 2026-01-08
2026年1月8日 當山日出夫
アナザーストーリーズ「『およげ!たいやきくん』伝説」
私は、この曲がヒットしたときのことは憶えているが、もう50年前のことになるのか、と感慨深いものがある。ちょうど大学生になったころになる。「ポンキッキ」は見てはいなかったのだが、この番組から生まれた曲であることは、知っていた。(昔は、フジテレビも、こういう番組を作れたと思うと、これはこれとして、またいろいろと思うことがある。)
まあ、たしかに、暗い内容の歌である。サラリーマンの悲哀を感じるといわれれば、そうだろうと思う。
だが、それだけで、子どもたちに受けたとは思えない。やはり、子どもの心にうったえる何かが、この曲にはあったのだろう。
シングルレコードのB面が、「いっぽんでもニンジン」だったのだが、これは、今でも残っているかなと思う。少なくとも、私の子どもが幼稚園のころには、よく歌っていた曲である。これが、なぎら健壱の歌であったのだが、印税ではなく、ギャラだけだった。また、子門真人の「たいやきくん」の歌も、5万円だけだったらしい。世の中とは、こんなものだろう。狙ってヒットが出せるということばかりではない。
子門真人が、芸能活動を止めてしまった理由は、いろいろあるのだろうと思うが、ここは、あまり詮索しないでおくのがいいと思う。こういうことの判断は、人それぞれに思うところがあって、判断すればいいことである。
2025年12月25日記
アナザーストーリーズ「『およげ!たいやきくん』伝説」
私は、この曲がヒットしたときのことは憶えているが、もう50年前のことになるのか、と感慨深いものがある。ちょうど大学生になったころになる。「ポンキッキ」は見てはいなかったのだが、この番組から生まれた曲であることは、知っていた。(昔は、フジテレビも、こういう番組を作れたと思うと、これはこれとして、またいろいろと思うことがある。)
まあ、たしかに、暗い内容の歌である。サラリーマンの悲哀を感じるといわれれば、そうだろうと思う。
だが、それだけで、子どもたちに受けたとは思えない。やはり、子どもの心にうったえる何かが、この曲にはあったのだろう。
シングルレコードのB面が、「いっぽんでもニンジン」だったのだが、これは、今でも残っているかなと思う。少なくとも、私の子どもが幼稚園のころには、よく歌っていた曲である。これが、なぎら健壱の歌であったのだが、印税ではなく、ギャラだけだった。また、子門真人の「たいやきくん」の歌も、5万円だけだったらしい。世の中とは、こんなものだろう。狙ってヒットが出せるということばかりではない。
子門真人が、芸能活動を止めてしまった理由は、いろいろあるのだろうと思うが、ここは、あまり詮索しないでおくのがいいと思う。こういうことの判断は、人それぞれに思うところがあって、判断すればいいことである。
2025年12月25日記
NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」 ― 2026-01-08
2026年1月8日 當山日出夫
NHKスペシャル Last Days 坂本龍一 最期の日々
再放送が年末にあったので、録画しておいて見た。
坂本龍一は、YMOのときから名前を知っているし、亡くなったときのことも、記憶に新しい。(音楽家としてはすばらしい仕事をした人であると思うが、社会運動の面については、どうかなあと思うところがある。その主張に反対ということではなく、その方法やものの言い方について、あまり共感することはなかった。)
非常に印象的な映像と音楽で、ドキュメンタリー番組としては、とても良くできた作品である。
見ていて感じたことは、残せるものがある……坂本龍一の場合は、音楽であるが……というのは、いいことなのだろうか。残す音楽、ということがあった。
人が生まれて生きて死んで、何も残らなくてもいいのではないか……と、私自身としては、思わないでもない。今の時代の価値観だと、人間が生きているかぎりは、この社会の中に何か足跡を残すことが望ましい、そうであるべきだ、という考え方が強い。例えば、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の、「死んだ男の残したものは」などはそうである。死んだ後に何も残せなかった男を、非常に哀れな存在として見ている。
だが、日本の古来の(と言っておくことにするが)素朴なアニミズム的な宗教観、死生観からするならば、死んだ後に、何も残らないのが、ごく普通の人のあり方でもある。強いていえば、自然と一体になる、あるいは、祖霊となる。
生きて死んだ後に、何か残らなければいけないということを、強く言うのもどうかなと思うところである。これは、場合によっては、一種の脅迫観念となるかもしれない。
死後に何かが形あるものとして残っていなければならない、こういうものの考え方は、わりと近代的で新しいものなのかとも思う。しかし、本人の気持ちとは別に、坂本龍一の音楽は、これからも残っていくだろうが。
自分がなした仕事として、後の時代に残るべきものがあると人びとに思われる、これは、それだけの価値のある仕事をなしえたと満足すべきことなのか、それとも、しがらみになるというべきか。
昔、若いときに読んだ高群逸枝と橋本憲三の詩には……すべてを土に返そう、とあったのを記憶している。
今の世界のコンピュータが普通に使われつづけていくとすれば、Unicodeの一部には、私の仕事の一部が残ることにはなる。いや、残ってくれるようでないと、文字コードのシステムとしては困ることになる。だからといって、特にどう思うということではないけれど。
今の生活は、ほとんど世捨て人のようなものである。自分が生まれる前からあり、それは、自分が死んだ後もあるであろう、そういうものに日常的にかこまれて生活している。これが、日々、めまぐるしく新しいものが登場して移り変わる都市の中で生活するのであったら、また、ちがった感覚をいだくことかとも思う。
2026年1月4日記
NHKスペシャル Last Days 坂本龍一 最期の日々
再放送が年末にあったので、録画しておいて見た。
坂本龍一は、YMOのときから名前を知っているし、亡くなったときのことも、記憶に新しい。(音楽家としてはすばらしい仕事をした人であると思うが、社会運動の面については、どうかなあと思うところがある。その主張に反対ということではなく、その方法やものの言い方について、あまり共感することはなかった。)
非常に印象的な映像と音楽で、ドキュメンタリー番組としては、とても良くできた作品である。
見ていて感じたことは、残せるものがある……坂本龍一の場合は、音楽であるが……というのは、いいことなのだろうか。残す音楽、ということがあった。
人が生まれて生きて死んで、何も残らなくてもいいのではないか……と、私自身としては、思わないでもない。今の時代の価値観だと、人間が生きているかぎりは、この社会の中に何か足跡を残すことが望ましい、そうであるべきだ、という考え方が強い。例えば、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の、「死んだ男の残したものは」などはそうである。死んだ後に何も残せなかった男を、非常に哀れな存在として見ている。
だが、日本の古来の(と言っておくことにするが)素朴なアニミズム的な宗教観、死生観からするならば、死んだ後に、何も残らないのが、ごく普通の人のあり方でもある。強いていえば、自然と一体になる、あるいは、祖霊となる。
生きて死んだ後に、何か残らなければいけないということを、強く言うのもどうかなと思うところである。これは、場合によっては、一種の脅迫観念となるかもしれない。
死後に何かが形あるものとして残っていなければならない、こういうものの考え方は、わりと近代的で新しいものなのかとも思う。しかし、本人の気持ちとは別に、坂本龍一の音楽は、これからも残っていくだろうが。
自分がなした仕事として、後の時代に残るべきものがあると人びとに思われる、これは、それだけの価値のある仕事をなしえたと満足すべきことなのか、それとも、しがらみになるというべきか。
昔、若いときに読んだ高群逸枝と橋本憲三の詩には……すべてを土に返そう、とあったのを記憶している。
今の世界のコンピュータが普通に使われつづけていくとすれば、Unicodeの一部には、私の仕事の一部が残ることにはなる。いや、残ってくれるようでないと、文字コードのシステムとしては困ることになる。だからといって、特にどう思うということではないけれど。
今の生活は、ほとんど世捨て人のようなものである。自分が生まれる前からあり、それは、自分が死んだ後もあるであろう、そういうものに日常的にかこまれて生活している。これが、日々、めまぐるしく新しいものが登場して移り変わる都市の中で生活するのであったら、また、ちがった感覚をいだくことかとも思う。
2026年1月4日記
美の壺スペシャル「国宝」 ― 2026-01-08
2026年1月8日 當山日出夫
美の壺スペシャル「国宝」
再放送である。最初は、2024年4月6日。
最初の放送のとき、半分ぐらい、なんとなく見ていた記憶がある。
曜変天目茶碗は、ちょっと前に、展覧会があって見に行こうと思えば行けたのだが、もう隠居した身としては、外に出たくない気分だったので、どれも見に行かなかった。特に惜しいとも思っていない。もう、世捨て人である。
私自身の好みとしては、曜変天目よりも、志野の茶碗の方が好きである。あまりにも完璧な美を追究したというよりも、どこか偶然にまかせて、自然なところがあるのがいい。若いころは、中国の陶磁器で、定窯白磁がいいと思っていたのだが、整いすぎた形かなと感じるようになってきている。
私は、刀剣の良さが分からない。確かに美しいということは理解できるつもりなのだが、経験的に、それに見入ったということがない。刀は作られたときから、単なる武器ではなく、美と精神を宿したものであった、ということは分かるのだが、一方で、実用として(端的には、武器として)発達した面もある。しかし、それが、現代にいたるまで、美術品であり続けているというのは、日本の文化ということだとは思う。(昔、大山祇神社に行ったことがある。そのときは、フェリーで行ったのを憶えている。)
松江城の天守の国宝昇格の話しは、とても面白い。別に、国宝にならなくてもいいとは思うのだが、いわゆる「旧国宝」というのでは、なんとなく面白くないという心情が分からなくはない。
興味深いのは、昭和の戦後の解体修理のときの図面が残っていること。松江城の天守が国宝になったとして、発見された図面は、今はどうなっているのだろうか。文化財指定は難しいのかもしれないが、しかるべく保存処理しておくべきだし、現在なら、デジタル化して残すべきだろう。紙のままの保存では限界がある。
祈祷札が国宝指定の決め手になったということである。築城年代を推定するなら、科学的方法……年輪年代学とか炭素同位体とか……あるだろうと思うが、年紀のはっきとした祈祷札というのは、説得力があることは確かである。
東京国立博物館のデジタル展示や複製は、意味のあることではある。だが、ありきたりな言い方だが、本物のもつオーラということは、経験的にいって確実にある。また、重要なこととして、その文化財の大きさ、ということもある。これが、デジタル画像だと分からない。元永本古今集が出ていたが、実物の本が、どれぐらいの大きさのものであるか、ということも重要な要素である。画像を見るなら、e国宝で見ることができる。
洛中洛外図屏風についても、デジタル画像で細部を拡大して見ることのメリットはある。また、レプリカだからこそ、実際の、建物の中において見るということができる。ただ、これが作られた時代の建物がどんなだったか、明障子が普通にあったか、室内の照明が灯明か行灯ぐらだったとして、その明るさや色温度は、どんなものだったのか、ということは気になる。
洛中洛外図(舟木本)は、東京国立博物館の所蔵である。デジタル画像なら、e国宝でも見られるし、文化遺産オンラインでも見られる。ColBaseでも見られる。部分的に拡大して見たい場合には、デジタル画像が便利である。
高雄曼荼羅が出てきていた。真言宗にとっては、もっとも貴重なものである。だが、残念ながら、私は、曼荼羅を見ても分からない。理屈として、こういう世界観、宗教観を表現したものであるということは知っているのだが、美術品として、綺麗だなと感じたことがない。まあ、こういうものは、そもそも見てきれいと感じるように作ったものではないことはたしかだと思うけれど。
修復にあたったのは、岡墨光堂。京都にある、このような工房しか、文化財の修復はできないし、番組で言っていたように、修復を重ねていくことで、文化財は守られるのである、ということはそのとおりである。ただ、昔のものが、そのまま残っているというだけではない。
文化財修復のために使う和紙も、また重要である。文化財に限らず、古文書の他、紙で残っているものの修復にはかかせない。紙を漉く職人の技が継承されなければならないし、原材料や、その自然環境が残っていかないといけない。(これからの日本で、そういう場所を、どれだけ残せるかは、大きな課題だと思う。)
木造の文化財のためには、まず、樹木を育てていかなければならない。そのための植林は、世代を越えての仕事になる。自分が生まれる前から育ってきた樹木を、自分が死んでからさらに後に、誰かが利用することになる。こういうことの、価値観の継承ということができないといけないので、ただ、山林を守ればいいというものではない。
2026年1月6日記
美の壺スペシャル「国宝」
再放送である。最初は、2024年4月6日。
最初の放送のとき、半分ぐらい、なんとなく見ていた記憶がある。
曜変天目茶碗は、ちょっと前に、展覧会があって見に行こうと思えば行けたのだが、もう隠居した身としては、外に出たくない気分だったので、どれも見に行かなかった。特に惜しいとも思っていない。もう、世捨て人である。
私自身の好みとしては、曜変天目よりも、志野の茶碗の方が好きである。あまりにも完璧な美を追究したというよりも、どこか偶然にまかせて、自然なところがあるのがいい。若いころは、中国の陶磁器で、定窯白磁がいいと思っていたのだが、整いすぎた形かなと感じるようになってきている。
私は、刀剣の良さが分からない。確かに美しいということは理解できるつもりなのだが、経験的に、それに見入ったということがない。刀は作られたときから、単なる武器ではなく、美と精神を宿したものであった、ということは分かるのだが、一方で、実用として(端的には、武器として)発達した面もある。しかし、それが、現代にいたるまで、美術品であり続けているというのは、日本の文化ということだとは思う。(昔、大山祇神社に行ったことがある。そのときは、フェリーで行ったのを憶えている。)
松江城の天守の国宝昇格の話しは、とても面白い。別に、国宝にならなくてもいいとは思うのだが、いわゆる「旧国宝」というのでは、なんとなく面白くないという心情が分からなくはない。
興味深いのは、昭和の戦後の解体修理のときの図面が残っていること。松江城の天守が国宝になったとして、発見された図面は、今はどうなっているのだろうか。文化財指定は難しいのかもしれないが、しかるべく保存処理しておくべきだし、現在なら、デジタル化して残すべきだろう。紙のままの保存では限界がある。
祈祷札が国宝指定の決め手になったということである。築城年代を推定するなら、科学的方法……年輪年代学とか炭素同位体とか……あるだろうと思うが、年紀のはっきとした祈祷札というのは、説得力があることは確かである。
東京国立博物館のデジタル展示や複製は、意味のあることではある。だが、ありきたりな言い方だが、本物のもつオーラということは、経験的にいって確実にある。また、重要なこととして、その文化財の大きさ、ということもある。これが、デジタル画像だと分からない。元永本古今集が出ていたが、実物の本が、どれぐらいの大きさのものであるか、ということも重要な要素である。画像を見るなら、e国宝で見ることができる。
洛中洛外図屏風についても、デジタル画像で細部を拡大して見ることのメリットはある。また、レプリカだからこそ、実際の、建物の中において見るということができる。ただ、これが作られた時代の建物がどんなだったか、明障子が普通にあったか、室内の照明が灯明か行灯ぐらだったとして、その明るさや色温度は、どんなものだったのか、ということは気になる。
洛中洛外図(舟木本)は、東京国立博物館の所蔵である。デジタル画像なら、e国宝でも見られるし、文化遺産オンラインでも見られる。ColBaseでも見られる。部分的に拡大して見たい場合には、デジタル画像が便利である。
高雄曼荼羅が出てきていた。真言宗にとっては、もっとも貴重なものである。だが、残念ながら、私は、曼荼羅を見ても分からない。理屈として、こういう世界観、宗教観を表現したものであるということは知っているのだが、美術品として、綺麗だなと感じたことがない。まあ、こういうものは、そもそも見てきれいと感じるように作ったものではないことはたしかだと思うけれど。
修復にあたったのは、岡墨光堂。京都にある、このような工房しか、文化財の修復はできないし、番組で言っていたように、修復を重ねていくことで、文化財は守られるのである、ということはそのとおりである。ただ、昔のものが、そのまま残っているというだけではない。
文化財修復のために使う和紙も、また重要である。文化財に限らず、古文書の他、紙で残っているものの修復にはかかせない。紙を漉く職人の技が継承されなければならないし、原材料や、その自然環境が残っていかないといけない。(これからの日本で、そういう場所を、どれだけ残せるかは、大きな課題だと思う。)
木造の文化財のためには、まず、樹木を育てていかなければならない。そのための植林は、世代を越えての仕事になる。自分が生まれる前から育ってきた樹木を、自分が死んでからさらに後に、誰かが利用することになる。こういうことの、価値観の継承ということができないといけないので、ただ、山林を守ればいいというものではない。
2026年1月6日記
新日本風土記「酒と酒場の旅」 ― 2026-01-07
2026年1月7日 當山日出夫
新日本風土記 「酒と酒場の旅」
これまでの放送から、酒にかんするエピソードを集めて編集したものである。
まず何よりも、グランマちか子のギターの流しの歌が良かった。歌っていたのはアメ横の飲み屋街である。ここは、むかし、一~二回ぐらい行ったことがある。庶民的なところだったが、今では、どうなっているだろうか。
おどろいたのは、「夜が来る」を歌っていたこと。小林亜星の作品であるが、多くの人にとっては(無論、私にとっても)サントリー・オールドのコマーシャル曲である。この曲を、NHKで普通に使うようになったことが、なんとなく感慨深い。(といって、今の若い人は、この曲のCMをもう知らないだろうが。)
見ながら思ったことを、書いてみる。
最初は、盛岡の酒屋の角打ちから。角打ちは、全国にいくつかある風習であると思うが、この酒屋さんでは、土間があって、上がりがまちのところに腰掛けて飲んでいる。昔の家の作りで、家に入って広い土間があって、上がりがまちがある。家に来た人が、玄関の外、玄関の中の土間、上がりがまちに腰掛ける、床にあがる、囲炉裏の側か、それとも、奥の座敷か……こういう、待遇のレベルの違いということがあった。もう昔の話しかと思うが、このような生活の感覚も、今では失われてしまったものの一つである。(家の中と外との中間的な領域として、土間の上がりがまちに腰掛けて話す、あるいは、外に向いた縁側で腰掛けて話す、ということがあったが、これらは、現代の家の構造では無くなったものである。)
石油の火鉢を使っていた。今でも使っていることになる。これは、かなり便利である。(すこし前、朝ドラの『あまちゃん』の家の中にあったのを憶えているが、これは、あまり注目されなかったようだ。)
北九州での角打ちは、朝から酒を飲む。これは、製鉄所関係の労働者の勤務の交替の関係で、朝帰りの人が利用するということがあった。朝から酒を飲めるというのは、あるいは、昔は普通のことだったかともいえる。現代になって、酒を飲むのは、夜になってから、という習慣が一般化しているが、この方が歴史的には特殊なことなのかもしれない。
青ヶ島のことは、いくつかのテレビ番組で見たのを憶えている。たしか、最初のころの「100カメ」がこの島の人びとの生活だった。人口の少ない島に、八人の杜氏がいる。焼酎をつくるが、麹菌は、天然に生えているオオタニワタリを使う。こんな酒の造り方が、日本でおこなわれているということは、おどろく。
珠洲の出身の杜氏のことが出てきていた。地震の災害の前のことになる。豪雪地帯で、留守の家はたいへんである。(それにしても、冬にこんなに雪が積もるところは、人間の住むところとして適しているとは思えないところもあるのだが、どうして、日本列島でこういう豪雪地帯に人が住むようになったのだろうか。素朴に考えて、ちょっと不思議な気もする。『北越雪譜』は、学生のころから、二~三度、読んだことのある本だが。)
秋田の川反の飲み屋街は、知られているところだが、現在ではどうなっているだろうか。酒の燗をするのに、炭火で古い道具を使っていたが、こういう店は、貴重だろう。(今では、家庭だったら、酒の燗は電子レンジでという時代である。炭火を使うと、安定した火力が保てるということはあるかと思うが、どうだろうか。)
能登の七尾のナマコは、この地方ならではの珍味というべきだろう。これも、地震の後、あまり良い状態ではないらしい。(私は、パソコンのディスプレイは、ブラウン管の時代から、ナナオを使ってきている。七尾に創業の会社である。現在は、EIZOの4Kディスプレイを写真の現像のときには使うようにしている。)
歌舞伎町にホストの集まる焼き肉屋さんがあるというのは、このエリアならではのことだろう。
新潟の南魚沼のビールを、天然の水で造るというのはいい話しである。山から流れてくる水が飲める、井戸の水が飲める、水道の水が飲める……これは、日本では当たり前のことになっているが、世界的に見れば貴重なことである。(私は、小学生のころ、上水道の来ていない家に生活したことがあるので、水道の水が飲める生活のありがたさということが、身にしみている。)
阿蘇のトンネルの中の湧き水の話しはいい。結果として、阿蘇と高千穂をつなぐ鉄道はできなかったことになる。もし、この路線が開通していたら、九州の産業や観光は、違ったものになっていたかもしれない。
八丈島の女性たちが、お酒を飲んでいるシーンは、とてもいい。流人の島であった八丈島は、米が貴重なので、酒造りが禁止されていた、そのため、焼酎を造ったという。人が生活するのに、酒は、ある意味での必需品といっていいのだろう。
(私は、国語学を勉強してきた人間なのだが、方言学については、知識がない。八丈島の方言が、かなり特殊なものであるということは知っているのだが、具体的にどのようなことばかは知らないでいる。番組を見ていて、女性たちの話すことばは、たしかに特殊といっていいだろう。)
大阪のミナミにキャバレーが残っている。時代遅れかもしれないが、こういうところがあってもいい。
キャバレーが、昔のカフェーに由来すると言っていたが、これは、少し言い足りない。昔のカフェーは、ほとんど最底辺の特殊な飲食店であったという側面は、言っておくべきだろう。林芙美子が『放浪記』を書いたのは昭和の初期であるが、そのころ、カフェーの女給は、それより下はもう街娼しかないというぐらいの存在であった。永井荷風が通っていたような銀座の高級店もあったが、しかし、そこの女給である女性は、ほとんど娼婦といってよかったのだろうと、私は思っている。こういうことは、近年まで、形をかえて続いていることでもある。
民謡酒場が昔あって、それが、今でもわずかながら残っているという。私は、民謡酒場ということは知っているが、行ったことはない。集団就職などで、東京に出てきた人たちにとっては、こういう場所は格別なものがあった。もう今では、集団就職ということがあった時代のことは、過去のことになってしまっている。私は、かろうじてこの時代の感覚が、どうにか分かるというぐらいである。出稼ぎということも、過去のことになった。小作ということも、歴史のかなたのことである。(どうでもいいことかもしれないが、民謡酒場のところで映っていた老人の後ろの本棚には、広辞苑があった。)
酒から見えてくる人びとの、その土地に根ざした文化とか生活、ということを強く感じる内容であった。
出てきた酒は、日本酒か焼酎、あるいは、ビールで、ウィスキーやワインは出てきていなかった。日本のウィスキーとかワインについても、いろいろと面白い話があるにちがいない。
2026年1月3日記
新日本風土記 「酒と酒場の旅」
これまでの放送から、酒にかんするエピソードを集めて編集したものである。
まず何よりも、グランマちか子のギターの流しの歌が良かった。歌っていたのはアメ横の飲み屋街である。ここは、むかし、一~二回ぐらい行ったことがある。庶民的なところだったが、今では、どうなっているだろうか。
おどろいたのは、「夜が来る」を歌っていたこと。小林亜星の作品であるが、多くの人にとっては(無論、私にとっても)サントリー・オールドのコマーシャル曲である。この曲を、NHKで普通に使うようになったことが、なんとなく感慨深い。(といって、今の若い人は、この曲のCMをもう知らないだろうが。)
見ながら思ったことを、書いてみる。
最初は、盛岡の酒屋の角打ちから。角打ちは、全国にいくつかある風習であると思うが、この酒屋さんでは、土間があって、上がりがまちのところに腰掛けて飲んでいる。昔の家の作りで、家に入って広い土間があって、上がりがまちがある。家に来た人が、玄関の外、玄関の中の土間、上がりがまちに腰掛ける、床にあがる、囲炉裏の側か、それとも、奥の座敷か……こういう、待遇のレベルの違いということがあった。もう昔の話しかと思うが、このような生活の感覚も、今では失われてしまったものの一つである。(家の中と外との中間的な領域として、土間の上がりがまちに腰掛けて話す、あるいは、外に向いた縁側で腰掛けて話す、ということがあったが、これらは、現代の家の構造では無くなったものである。)
石油の火鉢を使っていた。今でも使っていることになる。これは、かなり便利である。(すこし前、朝ドラの『あまちゃん』の家の中にあったのを憶えているが、これは、あまり注目されなかったようだ。)
北九州での角打ちは、朝から酒を飲む。これは、製鉄所関係の労働者の勤務の交替の関係で、朝帰りの人が利用するということがあった。朝から酒を飲めるというのは、あるいは、昔は普通のことだったかともいえる。現代になって、酒を飲むのは、夜になってから、という習慣が一般化しているが、この方が歴史的には特殊なことなのかもしれない。
青ヶ島のことは、いくつかのテレビ番組で見たのを憶えている。たしか、最初のころの「100カメ」がこの島の人びとの生活だった。人口の少ない島に、八人の杜氏がいる。焼酎をつくるが、麹菌は、天然に生えているオオタニワタリを使う。こんな酒の造り方が、日本でおこなわれているということは、おどろく。
珠洲の出身の杜氏のことが出てきていた。地震の災害の前のことになる。豪雪地帯で、留守の家はたいへんである。(それにしても、冬にこんなに雪が積もるところは、人間の住むところとして適しているとは思えないところもあるのだが、どうして、日本列島でこういう豪雪地帯に人が住むようになったのだろうか。素朴に考えて、ちょっと不思議な気もする。『北越雪譜』は、学生のころから、二~三度、読んだことのある本だが。)
秋田の川反の飲み屋街は、知られているところだが、現在ではどうなっているだろうか。酒の燗をするのに、炭火で古い道具を使っていたが、こういう店は、貴重だろう。(今では、家庭だったら、酒の燗は電子レンジでという時代である。炭火を使うと、安定した火力が保てるということはあるかと思うが、どうだろうか。)
能登の七尾のナマコは、この地方ならではの珍味というべきだろう。これも、地震の後、あまり良い状態ではないらしい。(私は、パソコンのディスプレイは、ブラウン管の時代から、ナナオを使ってきている。七尾に創業の会社である。現在は、EIZOの4Kディスプレイを写真の現像のときには使うようにしている。)
歌舞伎町にホストの集まる焼き肉屋さんがあるというのは、このエリアならではのことだろう。
新潟の南魚沼のビールを、天然の水で造るというのはいい話しである。山から流れてくる水が飲める、井戸の水が飲める、水道の水が飲める……これは、日本では当たり前のことになっているが、世界的に見れば貴重なことである。(私は、小学生のころ、上水道の来ていない家に生活したことがあるので、水道の水が飲める生活のありがたさということが、身にしみている。)
阿蘇のトンネルの中の湧き水の話しはいい。結果として、阿蘇と高千穂をつなぐ鉄道はできなかったことになる。もし、この路線が開通していたら、九州の産業や観光は、違ったものになっていたかもしれない。
八丈島の女性たちが、お酒を飲んでいるシーンは、とてもいい。流人の島であった八丈島は、米が貴重なので、酒造りが禁止されていた、そのため、焼酎を造ったという。人が生活するのに、酒は、ある意味での必需品といっていいのだろう。
(私は、国語学を勉強してきた人間なのだが、方言学については、知識がない。八丈島の方言が、かなり特殊なものであるということは知っているのだが、具体的にどのようなことばかは知らないでいる。番組を見ていて、女性たちの話すことばは、たしかに特殊といっていいだろう。)
大阪のミナミにキャバレーが残っている。時代遅れかもしれないが、こういうところがあってもいい。
キャバレーが、昔のカフェーに由来すると言っていたが、これは、少し言い足りない。昔のカフェーは、ほとんど最底辺の特殊な飲食店であったという側面は、言っておくべきだろう。林芙美子が『放浪記』を書いたのは昭和の初期であるが、そのころ、カフェーの女給は、それより下はもう街娼しかないというぐらいの存在であった。永井荷風が通っていたような銀座の高級店もあったが、しかし、そこの女給である女性は、ほとんど娼婦といってよかったのだろうと、私は思っている。こういうことは、近年まで、形をかえて続いていることでもある。
民謡酒場が昔あって、それが、今でもわずかながら残っているという。私は、民謡酒場ということは知っているが、行ったことはない。集団就職などで、東京に出てきた人たちにとっては、こういう場所は格別なものがあった。もう今では、集団就職ということがあった時代のことは、過去のことになってしまっている。私は、かろうじてこの時代の感覚が、どうにか分かるというぐらいである。出稼ぎということも、過去のことになった。小作ということも、歴史のかなたのことである。(どうでもいいことかもしれないが、民謡酒場のところで映っていた老人の後ろの本棚には、広辞苑があった。)
酒から見えてくる人びとの、その土地に根ざした文化とか生活、ということを強く感じる内容であった。
出てきた酒は、日本酒か焼酎、あるいは、ビールで、ウィスキーやワインは出てきていなかった。日本のウィスキーとかワインについても、いろいろと面白い話があるにちがいない。
2026年1月3日記
中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る ― 2026-01-07
2026年1月7日 當山日出夫
中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る
録画しておいて、お正月が終わってから、朝の早い時間にゆっくりと見た。
中国のことを番組に作るのは、いろいろと気をつかうところがあるだろうとは思う。何よりも、中国共産党のご機嫌をそこねないようにしないといけない。しかし、中国賛美の番組にすると、これで、批判を受けることにもなる。
結果的には、中国の文明は、とても古くさかのぼるものであり、それは、周辺のいろんな文明をとりいれて……今のことばでいえば、寛容性があって……融合したものとして、中国独自の中華文明を作ってきた、といえる。その一方で、中国の文明といっても、純粋な中国文明というべきものはないのであって、世界のいろんな古代文明の一つであり、周辺の地域からの影響……悪くいえば、パクリ……なしには、存在しなかった、このように見ることもできる。この両方の見方ができるように、なんとか、バランスを考えて作ったのだろう、という印象であった。
あえて誇大妄想的に言ってみるならば……中華文明の淵源は、広くユーラシア大陸の各所からながれこんできている。そして、これを、裏返せば、中国、いや、中華民族が、というべきかもしれないが、ユーラシア大陸の覇者となるのは、歴史をふまえて理の当然である、ということになる。この中には、中央アジアはもちろん、東シナ海、南シナ海、もふくまれることになるだろう。
古代を語ることは、えてして、現代の国家を過去に投影して、未来のありかたをしめすことにつながるものである。(それが、他の国の人びとから、どう思われることなのかは、別にして。)こういうことは、アメリカについてもいえることだし、日本についてもいえることである。それぞれの国家についての原像というべきものは、異なってはいるが。どれが「正しい」ということは、一概にはいえない。(アメリカなどは建国の理念ということが基盤にあると考えることになるだろうし、中華民族は歴史と情念の共同体という面から見ることができるかと思う。無論、これ以外の見方もできるし、そのような意識は自然にあるというよりも「つくる」ものだということもある。)
中国は広いのだから、これから発見される遺跡は多くあるだろう。番組であつかっていた、黄土高原の遺跡よりも古いものが発見される可能性もあると考えていいだろうか。
それが、今の中国……現在の中国共産党が主張する中華人民共和国の範囲、台湾についてどう考えるかは微妙だが……の国境の内側にあるとは、限らないかもしれない。中華文明の起源の中核は、中国の内側になければならない、ということは、学問的には意味のないことであるが、しかし、政治的には重要なことである。(こういう観点では、イスラエルとかロシアのことなど、思うことになる。)
最後の方で言っていたことであるが、黄帝を共通の祖先と意識する共同体が、中華民族である、これは、今の中国の人たちに、共通する認識といっていいのだろうか。無論、中国は、多民族国家であるから、これに同意しない他民族を、国家の支配下においていることはたしかである。
殷の時代になって甲骨文字が生まれた。だが、そのための、卜骨という方法は、遊牧民族からもたらされたものである。
どうも、この番組としては、農耕民族である中華民族の方が、ユーラシア大陸を移動してきた北方の遊牧民族よりも、上位の存在である、という暗黙の発想が感じられる。だから、DNAの分析によって、古代の人たちも中華民族である……これは、科学な事実であるとしても……ことを言うことになる。だが、この言説は、同時に、非常に政治的な意味を持つものでもある。
ともあれ、人類史、その文明の歴史も、DNA解析によって、数万年前にアフリカを出た今の人類の祖先が世界に広がっていった跡をたどることができ、また、その間におこった地球規模での気候変動と自然環境の変化をふくめて、総合的に記述する方向にむかってきている。この視点からは、純粋な~~文化とか、~~文化の起源、というような言説のあり方そのものが、根本的な見直しが必要になってきているとはいえるだろう。だからこそ、かえって、昔ながらの国家の原点、原像ということが、重要な意味を持ってきているともいえる。
漢字という文字が、中国とその周辺において、重要な意味をもつ文字であったことはたしかである。日本も、その中に当然ながらふくまれる。(だが、このことの議論は、ややこしいことでもある。)
2026年1月4日記
中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る
録画しておいて、お正月が終わってから、朝の早い時間にゆっくりと見た。
中国のことを番組に作るのは、いろいろと気をつかうところがあるだろうとは思う。何よりも、中国共産党のご機嫌をそこねないようにしないといけない。しかし、中国賛美の番組にすると、これで、批判を受けることにもなる。
結果的には、中国の文明は、とても古くさかのぼるものであり、それは、周辺のいろんな文明をとりいれて……今のことばでいえば、寛容性があって……融合したものとして、中国独自の中華文明を作ってきた、といえる。その一方で、中国の文明といっても、純粋な中国文明というべきものはないのであって、世界のいろんな古代文明の一つであり、周辺の地域からの影響……悪くいえば、パクリ……なしには、存在しなかった、このように見ることもできる。この両方の見方ができるように、なんとか、バランスを考えて作ったのだろう、という印象であった。
あえて誇大妄想的に言ってみるならば……中華文明の淵源は、広くユーラシア大陸の各所からながれこんできている。そして、これを、裏返せば、中国、いや、中華民族が、というべきかもしれないが、ユーラシア大陸の覇者となるのは、歴史をふまえて理の当然である、ということになる。この中には、中央アジアはもちろん、東シナ海、南シナ海、もふくまれることになるだろう。
古代を語ることは、えてして、現代の国家を過去に投影して、未来のありかたをしめすことにつながるものである。(それが、他の国の人びとから、どう思われることなのかは、別にして。)こういうことは、アメリカについてもいえることだし、日本についてもいえることである。それぞれの国家についての原像というべきものは、異なってはいるが。どれが「正しい」ということは、一概にはいえない。(アメリカなどは建国の理念ということが基盤にあると考えることになるだろうし、中華民族は歴史と情念の共同体という面から見ることができるかと思う。無論、これ以外の見方もできるし、そのような意識は自然にあるというよりも「つくる」ものだということもある。)
中国は広いのだから、これから発見される遺跡は多くあるだろう。番組であつかっていた、黄土高原の遺跡よりも古いものが発見される可能性もあると考えていいだろうか。
それが、今の中国……現在の中国共産党が主張する中華人民共和国の範囲、台湾についてどう考えるかは微妙だが……の国境の内側にあるとは、限らないかもしれない。中華文明の起源の中核は、中国の内側になければならない、ということは、学問的には意味のないことであるが、しかし、政治的には重要なことである。(こういう観点では、イスラエルとかロシアのことなど、思うことになる。)
最後の方で言っていたことであるが、黄帝を共通の祖先と意識する共同体が、中華民族である、これは、今の中国の人たちに、共通する認識といっていいのだろうか。無論、中国は、多民族国家であるから、これに同意しない他民族を、国家の支配下においていることはたしかである。
殷の時代になって甲骨文字が生まれた。だが、そのための、卜骨という方法は、遊牧民族からもたらされたものである。
どうも、この番組としては、農耕民族である中華民族の方が、ユーラシア大陸を移動してきた北方の遊牧民族よりも、上位の存在である、という暗黙の発想が感じられる。だから、DNAの分析によって、古代の人たちも中華民族である……これは、科学な事実であるとしても……ことを言うことになる。だが、この言説は、同時に、非常に政治的な意味を持つものでもある。
ともあれ、人類史、その文明の歴史も、DNA解析によって、数万年前にアフリカを出た今の人類の祖先が世界に広がっていった跡をたどることができ、また、その間におこった地球規模での気候変動と自然環境の変化をふくめて、総合的に記述する方向にむかってきている。この視点からは、純粋な~~文化とか、~~文化の起源、というような言説のあり方そのものが、根本的な見直しが必要になってきているとはいえるだろう。だからこそ、かえって、昔ながらの国家の原点、原像ということが、重要な意味を持ってきているともいえる。
漢字という文字が、中国とその周辺において、重要な意味をもつ文字であったことはたしかである。日本も、その中に当然ながらふくまれる。(だが、このことの議論は、ややこしいことでもある。)
2026年1月4日記
サイエンスZERO「“生殖”のミステリー!生き物の根源に挑む」 ― 2026-01-07
2026年1月8日 當山日出夫
サイエンスZERO “生殖”のミステリー!生き物の根源に挑む
再放送である。最初は、2024年12月。
性についての、生物学としての興味はとても面白い。このことは確かなのだが、こういうことを考えるときには、どうしても、生命のあり方とか、あるいは、人間における性のあり方……生物としてのみならず、社会的文化的な面から(つまり、現代の用語でいば、ジェンダー、であるが)考えることが多くある。
クマノミが性転換するということは、よく知られていることだろう。だが、クマノミが、このように進化してきた理由というのは、どんなものなのだろうか。
ミジンコの単為生殖も知られていることかと思う。それが、越冬するためには、オスとメスによる、生殖に切り替わる。このタイミングが、体内時計で日照時間の変化によるものということになる。(生物における季節の変化……日照時間とか、気温の変化とかをどう感知するのかということかと思うが、地球全体の環境の変化と、生物の進化とは、深く関係していると理解していいだろう。)
オスのマウスのiPS細胞から卵子を作って、オスとオスの遺伝子を持つ子どもを産むことになる。これは、いわゆるクローンではない。こういうことが可能であり、技術が発達していくことは、これ自体としては、高く評価すべきことにちがいない。
生物が、オスとメスに分かれて、生殖するということは、おそらくは、遺伝子の多様性があることが、進化の大きな原動力になっていると理解していいだろうか。細胞が分裂するときに、遺伝子のコピーに時々ミスが起こることが、結果的に個体の多様性を生み出し、それが種としての多様性にかかわり、それぞれの生物が生きる環境に適応していくことが、進化ということかなと、私は思っているのだが、どうなのだろうか。
私がこれまで生きてきた中で、社会における生命倫理ということについても、大きく変化があったと思う。これは、端的にいえば、技術的に可能なことは、認めるという方向であった。たぶん、これからも、大きな方向としては、この方向で変化していくだろう。それを、世の中の多くの人は受け入れていくだろう。
性についての議論や研究は、生物とは何かということを問うことでもあり、また、進化とは何かということを考えることでもある、こういうことはいっていいだろう。
今の時代だと、人間は自分の「性」も、自己の自由意志で自由に選択することができるべきだ、という考えが生まれてきているが、これも、また、人間というものの進化の結果というべきなのだろうか。
2026年1月1日記
サイエンスZERO “生殖”のミステリー!生き物の根源に挑む
再放送である。最初は、2024年12月。
性についての、生物学としての興味はとても面白い。このことは確かなのだが、こういうことを考えるときには、どうしても、生命のあり方とか、あるいは、人間における性のあり方……生物としてのみならず、社会的文化的な面から(つまり、現代の用語でいば、ジェンダー、であるが)考えることが多くある。
クマノミが性転換するということは、よく知られていることだろう。だが、クマノミが、このように進化してきた理由というのは、どんなものなのだろうか。
ミジンコの単為生殖も知られていることかと思う。それが、越冬するためには、オスとメスによる、生殖に切り替わる。このタイミングが、体内時計で日照時間の変化によるものということになる。(生物における季節の変化……日照時間とか、気温の変化とかをどう感知するのかということかと思うが、地球全体の環境の変化と、生物の進化とは、深く関係していると理解していいだろう。)
オスのマウスのiPS細胞から卵子を作って、オスとオスの遺伝子を持つ子どもを産むことになる。これは、いわゆるクローンではない。こういうことが可能であり、技術が発達していくことは、これ自体としては、高く評価すべきことにちがいない。
生物が、オスとメスに分かれて、生殖するということは、おそらくは、遺伝子の多様性があることが、進化の大きな原動力になっていると理解していいだろうか。細胞が分裂するときに、遺伝子のコピーに時々ミスが起こることが、結果的に個体の多様性を生み出し、それが種としての多様性にかかわり、それぞれの生物が生きる環境に適応していくことが、進化ということかなと、私は思っているのだが、どうなのだろうか。
私がこれまで生きてきた中で、社会における生命倫理ということについても、大きく変化があったと思う。これは、端的にいえば、技術的に可能なことは、認めるという方向であった。たぶん、これからも、大きな方向としては、この方向で変化していくだろう。それを、世の中の多くの人は受け入れていくだろう。
性についての議論や研究は、生物とは何かということを問うことでもあり、また、進化とは何かということを考えることでもある、こういうことはいっていいだろう。
今の時代だと、人間は自分の「性」も、自己の自由意志で自由に選択することができるべきだ、という考えが生まれてきているが、これも、また、人間というものの進化の結果というべきなのだろうか。
2026年1月1日記
ねほりんぱほりん「占い師」 ― 2026-01-06
2026年1月6日 當山日出夫
ねほりんぱほりん 占い師
再放送である。2016年の放送で、この番組の最初のシリーズのときのものである。再放送リクエストの一番らしい。
占いが当たるとか、当たらないとか、という問題ではない。
占い師を必要とする人間が、この世の中にはいるということであり、占い師は、そこにやってきた人の話を聞いて、背中を押してあげる。このときに、白いウソを言うこともあれば、黒いウソを言うこともある。
冷めた目で見るならば、そもそも、占い師のところに何かを占ってもらいたいと思ってやってくる段階で、その人間は、かなり生きることにおいて問題をかかえている。そして、占い師のもとに行くという選択を自分でしてやってきているのだから、この時点で、ある意味では、バイアスがかかってる。あるいは、フィルタリングされている。占い師は、その相手に遇わせて、占いをする。重要なこととしては、どういう占いの結果を伝えるかではなく、それよりも、どのような表現でそのことを伝えるか、ということになる。
占いは当たらないこともある、にんげんだもの……あっけらかんと言っていたが、とても正直なことかと思って見ていた。
占いが時代の鏡であるというのは、そのとおりだろう。バブル景気のころには、その時代特有の話があっただろうし、今の時代としては、また今日的な悩み事が増えているにちがいない。
今の時代としては、例えば、生成AIとチャットしていたら、~~ということになったのですが、これを信用していいでしょうか、というようなことがあってもおかしくない。
2026年1月3日記
ねほりんぱほりん 占い師
再放送である。2016年の放送で、この番組の最初のシリーズのときのものである。再放送リクエストの一番らしい。
占いが当たるとか、当たらないとか、という問題ではない。
占い師を必要とする人間が、この世の中にはいるということであり、占い師は、そこにやってきた人の話を聞いて、背中を押してあげる。このときに、白いウソを言うこともあれば、黒いウソを言うこともある。
冷めた目で見るならば、そもそも、占い師のところに何かを占ってもらいたいと思ってやってくる段階で、その人間は、かなり生きることにおいて問題をかかえている。そして、占い師のもとに行くという選択を自分でしてやってきているのだから、この時点で、ある意味では、バイアスがかかってる。あるいは、フィルタリングされている。占い師は、その相手に遇わせて、占いをする。重要なこととしては、どういう占いの結果を伝えるかではなく、それよりも、どのような表現でそのことを伝えるか、ということになる。
占いは当たらないこともある、にんげんだもの……あっけらかんと言っていたが、とても正直なことかと思って見ていた。
占いが時代の鏡であるというのは、そのとおりだろう。バブル景気のころには、その時代特有の話があっただろうし、今の時代としては、また今日的な悩み事が増えているにちがいない。
今の時代としては、例えば、生成AIとチャットしていたら、~~ということになったのですが、これを信用していいでしょうか、というようなことがあってもおかしくない。
2026年1月3日記
ダークサイドミステリー「ロシアより野望をこめて 〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜」 ― 2026-01-06
2026年1月6日 當山日出夫
ダークサイドミステリー ロシアより野望をこめて 〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜
スパイ……という枠をはみ出した人物かな、という印象がある。まあ、スパイ、といっても、いろんな諜報活動があるだろう。場合によっては、要人の暗殺というようなことまでふくめることもできるかもしれない。
この人物のことは、ロシア革命史とか、イギリスの外交史、という分野について専門的知識を持っている人なら、知っていることだろう。
日露戦争のとき、ロシア側の要塞の図面を盗んで日本に提供したということらしいが、日本側の記録としては、何か残っているのだろうか。
第一次世界大戦のころであるから、ヨーロッパ諸国において、外交というのは貴族の仕事だった時代である、といっていいだろう。外交におけるメインの言語は、フランス語だった時代である。外交は貴族のおこなうものという感覚は、日本の外交の歴史にも、なにがしかの影をおとしていることかとも思う。
レーニンの革命は、そうすんなりと成功したというわけではない。レーニンについては、その功罪は、まだ人によって評価は分かれるところかとも思う。ロシアの帝政をたおしたとして、では、その次にどういう政権を作るのか、国内の政権基盤はどうであるのか、こういうことは、ロシアに限らず、どの国における革命や政変において、つきものである。
私が見て興味深かったことの一つが、レーニンを倒す計画の中に、電話交換局の占拠、ということがあったことである。この時代であれば、ラジオの前の時代である。人びと、政府や軍などの連絡手段は、電話が重要な役割をになっていた。クーデターを起こすとして、電話交換局を占拠するというのは、今風にいえば、情報通信の手段を自分たちのものにする、ということになる。
ロシア革命の後に起こった、世界のいろんな事件において、放送局の占拠、ということは、当たり前のようにおこなわれてきたことだと思う。昔はラジオ局であり、現代ではテレビ局になる。これらを支配下におくことで、情報戦として優位にたてる。
だが、これも、現代のインターネットの時代になって、情報通信の占拠、把握、独占、ということは難しくなった。完全にネットを遮断して破壊してしまったら、社会がパニックになってしまって、クーデターどころではないかもしれない。
それよりも、テレビとか、もうオールドメディアとして、信頼されない時代になってしまってきたので、おそらく、あまり意味のないことかもしれないと、思ったりもする。
ライリーの時代だったから、別人になりすますことも容易だったというべきだが、現代だと、顔認証など、生体認証の技術が発達しているので、そう簡単に別の人間になりすますことはできないかとも思う。
歴史のもしも、であるが、このライリーのような人物がいなかったら、世界の歴史は、ちょっと変わったものになっていただろうか。少なくとも、ロシア革命のなりゆきは違ったものになって、レーニンのソ連は誕生しなかったかもしれない。
2025年12月28日記
ダークサイドミステリー ロシアより野望をこめて 〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜
スパイ……という枠をはみ出した人物かな、という印象がある。まあ、スパイ、といっても、いろんな諜報活動があるだろう。場合によっては、要人の暗殺というようなことまでふくめることもできるかもしれない。
この人物のことは、ロシア革命史とか、イギリスの外交史、という分野について専門的知識を持っている人なら、知っていることだろう。
日露戦争のとき、ロシア側の要塞の図面を盗んで日本に提供したということらしいが、日本側の記録としては、何か残っているのだろうか。
第一次世界大戦のころであるから、ヨーロッパ諸国において、外交というのは貴族の仕事だった時代である、といっていいだろう。外交におけるメインの言語は、フランス語だった時代である。外交は貴族のおこなうものという感覚は、日本の外交の歴史にも、なにがしかの影をおとしていることかとも思う。
レーニンの革命は、そうすんなりと成功したというわけではない。レーニンについては、その功罪は、まだ人によって評価は分かれるところかとも思う。ロシアの帝政をたおしたとして、では、その次にどういう政権を作るのか、国内の政権基盤はどうであるのか、こういうことは、ロシアに限らず、どの国における革命や政変において、つきものである。
私が見て興味深かったことの一つが、レーニンを倒す計画の中に、電話交換局の占拠、ということがあったことである。この時代であれば、ラジオの前の時代である。人びと、政府や軍などの連絡手段は、電話が重要な役割をになっていた。クーデターを起こすとして、電話交換局を占拠するというのは、今風にいえば、情報通信の手段を自分たちのものにする、ということになる。
ロシア革命の後に起こった、世界のいろんな事件において、放送局の占拠、ということは、当たり前のようにおこなわれてきたことだと思う。昔はラジオ局であり、現代ではテレビ局になる。これらを支配下におくことで、情報戦として優位にたてる。
だが、これも、現代のインターネットの時代になって、情報通信の占拠、把握、独占、ということは難しくなった。完全にネットを遮断して破壊してしまったら、社会がパニックになってしまって、クーデターどころではないかもしれない。
それよりも、テレビとか、もうオールドメディアとして、信頼されない時代になってしまってきたので、おそらく、あまり意味のないことかもしれないと、思ったりもする。
ライリーの時代だったから、別人になりすますことも容易だったというべきだが、現代だと、顔認証など、生体認証の技術が発達しているので、そう簡単に別の人間になりすますことはできないかとも思う。
歴史のもしも、であるが、このライリーのような人物がいなかったら、世界の歴史は、ちょっと変わったものになっていただろうか。少なくとも、ロシア革命のなりゆきは違ったものになって、レーニンのソ連は誕生しなかったかもしれない。
2025年12月28日記
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 手塚治虫〜こども漫画三十三年〜」 ― 2026-01-06
2026年1月6日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 手塚治虫〜こども漫画三十三年〜」
テレビに接続のHDに録画が残っていたので、見た。
最初の放送は、1979年である。
手塚治虫については、さまざまに語られているし、周囲の人のいろんな証言もある。
この放送のあった1979年というと、私が大学生のころであり、手塚治虫の作品としては、ちょうど「ブラックジャック」が連載されていたころになるはずである。
子どものころに作文を書かされた。それが好きだった。その作文の実物が映っていたが、見ると、文字がきちんとしている。昆虫を描いた手帖も映っていたが、描いてある昆虫の絵も見事であるが、それよりも、文字がきちんと整っていることに目がいく。(これは、私自身が、国語学研究者として文字や表記のことを勉強してきたから、ということもあるが。)
家に漫画の本が200冊ぐらいあり、ミッキーマウスやポパイの漫画映画を見たということだったが、こういう環境、あるいは、強いて言えば文化資本があってのことということになるだろう。
キザなことばでいえばアイデンティティー……と言っていたのは、納得できる。「アイデンティティー」という用語は、今では、ごく普通に使うことばになっている。もともとは、社会心理学の専門用語で、アメリカのエリク・エリクソンが使い初めて、それが、日本では1970年代以降にはいってきた。ちょうど私が大学生のころ、このことばが知的な最先端の概念として、流行し始めたころである。
1979年の放送で、このように言っているということは、この時代の雰囲気を感じる言い方である。
漫画には、風刺の精神、告発の精神が必要である、というのは、そのとおりである。
私は、現在では、基本的に漫画(マンガというべきか)は読まないのだが、手塚治虫が、個性が無い、会話が書けない、と批判されたのは、そういうものかと思うことになる。いや、現代のマンガが、かつての子ども向けの漫画に比べて、格段に、科白で語る要素が多くなってきて、あつかうテーマも多様化してきている、豊富になってきているということは、あるのだろうと思う。
手塚治虫が、かつて漫画が悪書として批判された経験があって(この時代のことは、私も記憶している、街に白ポストがあった時代である)、今の時代(番組の放送のころ)は、漫画に対する批判が弱くなった、と嘆いているのは、隔世の感がある。
現代では、マンガは、日本の重要なカルチャーであり、擁護し賛美することはあっても、(悪書として)批判するようなことは、ありえないことになっている。漫画家は甘やかされていると言っていたが、現代では、人気のマンガ家はヒーローでもある。マンガを批判しようものなら、現代の文化や、社会的問題意識が欠如しているとして、逆に、批判されるようになっている。(これで、本当にいいのだろうか。カウンタカルチャーというのは、社会からたたかれてこそ価値のあるものだと思うのだが、私が、こんなふうに思うこと自体が、もはや時代遅れということなのだろうか。)
2026年1月2日記
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 手塚治虫〜こども漫画三十三年〜」
テレビに接続のHDに録画が残っていたので、見た。
最初の放送は、1979年である。
手塚治虫については、さまざまに語られているし、周囲の人のいろんな証言もある。
この放送のあった1979年というと、私が大学生のころであり、手塚治虫の作品としては、ちょうど「ブラックジャック」が連載されていたころになるはずである。
子どものころに作文を書かされた。それが好きだった。その作文の実物が映っていたが、見ると、文字がきちんとしている。昆虫を描いた手帖も映っていたが、描いてある昆虫の絵も見事であるが、それよりも、文字がきちんと整っていることに目がいく。(これは、私自身が、国語学研究者として文字や表記のことを勉強してきたから、ということもあるが。)
家に漫画の本が200冊ぐらいあり、ミッキーマウスやポパイの漫画映画を見たということだったが、こういう環境、あるいは、強いて言えば文化資本があってのことということになるだろう。
キザなことばでいえばアイデンティティー……と言っていたのは、納得できる。「アイデンティティー」という用語は、今では、ごく普通に使うことばになっている。もともとは、社会心理学の専門用語で、アメリカのエリク・エリクソンが使い初めて、それが、日本では1970年代以降にはいってきた。ちょうど私が大学生のころ、このことばが知的な最先端の概念として、流行し始めたころである。
1979年の放送で、このように言っているということは、この時代の雰囲気を感じる言い方である。
漫画には、風刺の精神、告発の精神が必要である、というのは、そのとおりである。
私は、現在では、基本的に漫画(マンガというべきか)は読まないのだが、手塚治虫が、個性が無い、会話が書けない、と批判されたのは、そういうものかと思うことになる。いや、現代のマンガが、かつての子ども向けの漫画に比べて、格段に、科白で語る要素が多くなってきて、あつかうテーマも多様化してきている、豊富になってきているということは、あるのだろうと思う。
手塚治虫が、かつて漫画が悪書として批判された経験があって(この時代のことは、私も記憶している、街に白ポストがあった時代である)、今の時代(番組の放送のころ)は、漫画に対する批判が弱くなった、と嘆いているのは、隔世の感がある。
現代では、マンガは、日本の重要なカルチャーであり、擁護し賛美することはあっても、(悪書として)批判するようなことは、ありえないことになっている。漫画家は甘やかされていると言っていたが、現代では、人気のマンガ家はヒーローでもある。マンガを批判しようものなら、現代の文化や、社会的問題意識が欠如しているとして、逆に、批判されるようになっている。(これで、本当にいいのだろうか。カウンタカルチャーというのは、社会からたたかれてこそ価値のあるものだと思うのだが、私が、こんなふうに思うこと自体が、もはや時代遅れということなのだろうか。)
2026年1月2日記
『豊臣兄弟!』「二匹の猿」 ― 2026-01-05
2026年1月5日 當山日出夫
『豊臣兄弟!』「二匹の猿」
昨年の『べらぼう』が、異常なまでにといってもいいかもしれないが、映像のケレン味で見せるという作り方であったのに対して、がらりと作風を変えてきている。オーソドックスな時代劇ドラマであり、テンポのいいコミカルな演出になっている。これは、これとして、面白い。
戦国時代の尾張の農民……という設定であるが、どう描くか、時代考証としていろいろと工夫していることは見ていて分かる。着ているものや、家の作りなど、あんな感じだったのか、と思わせるように作ってある。
だが、どうしても気になったのは、秀長(小一郎)の家。かなり広い。自前の耕作地があって、そこそこの生活ができている、ということかなと思う。しかし、この時代の農村の農家に、明障子は無理だろうと思うのだが、どうだろうか。地侍のお屋敷なら、なんとか納得もできるのだが、自分で田畑を耕し、戦になれば足軽で働こうか、という階層の「百姓」の住まいとしては、どうだろうか。
足もとを見ると、足半(あしなか)は見られない。これは、今の役者さんでは無理ということだろう。
女性の座り方は、やはり立て膝であった方が、私には自然に見える。
「きたねえしこめ」は、どうかなと思うが(「しこめ」だけで十分である)、もう今では「しこめ」ということばが死語になっているということだろう。歴史ドラマだから、ルッキズムだと批判することもないだろう。
「百姓」というか、「農民」というか、このあたりの用語の使い方も難しい。現代では、ほぼ同義語であるが、固定された身分や職業でということとして、この時代ではどう考えるのがいいのだろうか。(江戸時代以降は、かなり固定的なものになっていくかと思うが、戦国時代までだったら、流動的であったかもしれない。)
かつて、「太閤記」として、立身出世の物語でもてはやされた時代だったら、「農民=稲作=百姓」ということで問題なかっただろうが、近年の歴史学の研究をふまえるとすると、ちょっと慎重に考えるべきところだろうか。
番組の中で、ちょっと概念が揺れているかなと感じたのは、足軽が武士であるかどうかということ。秀吉(藤吉郎)は、信長のもとで、足軽になって、武士、と言っていた。しかし、この回の始まりのところで、戦争になったから足軽を募集、ということがあった。つまり、この時代の戦で、足軽となるのは、専業(?)の武士もいたかもしれないが、百姓と兼業(?)ということでもあった。だからこそ、領主は、領民の生活をまもらないと、税金(年貢)もとれないし、戦となった場合の戦力にもならない。領地の経営に失敗すると、生活に困った百姓たちは逃げてしまう、ということだったと思うのだが、このドラマではどうなるだろうか。
最初の方で出てきていた、農民同士で種籾の貸し借り、ということがどれぐらい行われていたのか、歴史学の方で、どう考えられているのだろうか。
ことばの面でいうと、尾張方言がまったく出てきていない。これは、ドラマの作り方の方針である。これから、秀吉も、秀長も、どんどん出世していくことになるので、いつまでも尾張方言のままでは、なんかおかしい、という判断だったのだろう。
秀吉と秀長の父親が同一なのか。ドラマの中では、実の兄弟として描き、最後の紀行のところで、父親が違う説もある、ということにしていた。どちらであっても、明確な史料があって言えることではない。むしろ、この時代の農村の家族の形態ということで、歴史人口学の方から考えるのが、学問的には妥当な方向かもしれない。
この回で、秀吉と秀長の役割分担がはっきりとしていた。秀吉は、作戦をたてる。秀長は、ロジスティックスとインテリジェンスを担当する。こんなところかと思う。これまでの戦国時代ドラマは、合戦の戦闘シーンばかりが強調されるきらいがあった。しかし、実際には、インテリジェンスがあり、戦わずに済ませることができればそれにこしたことはないし、もし戦闘になった場合には、兵站や工兵(現代の用語でいえば)が重要になる。この側面を、秀長の役割で描くことになる、ということだろうか。
戦国時代ドラマの一つ見せ場は、織田信長が最初に登場するときに、どういう登場のさせ方をするのか、そのイメージがいろいろとある。この点では、『豊臣兄弟!』は、これまでとはかなり違った信長の登場の仕方であった。
信長について、身分にとらわれない見方のできる人……と、秀吉が言っていた。信長の先進性ということになるのだが、この時代としては、身分の中で生きていくということでも、特に問題はなかったかもしれない。このあたりは、先進的な信長という、(司馬遼太郎的な)イメージを受け継いでいることになる。(先進的であったから、優秀であったから、天下をとれた、という歴史観である。まあ、一種の社会的ダーウィニズムであるが。)
清洲城がなんとなくショボい感じであった。これは、これから出てくる安土城や大阪城を壮麗なものとして描くために、意図的にそう作ったのかと思う。
銭で動く人間の心ということを肯定的に描いている(今のところは)、これも斬新な視点かもしれない。金で人の心は買えない、ということにはなっていない。
気になったのは、風車である。この前、再放送のあった「よみがえる新日本紀行」で出てきた、能登の風車に似ている。
2026年1月4日記
『豊臣兄弟!』「二匹の猿」
昨年の『べらぼう』が、異常なまでにといってもいいかもしれないが、映像のケレン味で見せるという作り方であったのに対して、がらりと作風を変えてきている。オーソドックスな時代劇ドラマであり、テンポのいいコミカルな演出になっている。これは、これとして、面白い。
戦国時代の尾張の農民……という設定であるが、どう描くか、時代考証としていろいろと工夫していることは見ていて分かる。着ているものや、家の作りなど、あんな感じだったのか、と思わせるように作ってある。
だが、どうしても気になったのは、秀長(小一郎)の家。かなり広い。自前の耕作地があって、そこそこの生活ができている、ということかなと思う。しかし、この時代の農村の農家に、明障子は無理だろうと思うのだが、どうだろうか。地侍のお屋敷なら、なんとか納得もできるのだが、自分で田畑を耕し、戦になれば足軽で働こうか、という階層の「百姓」の住まいとしては、どうだろうか。
足もとを見ると、足半(あしなか)は見られない。これは、今の役者さんでは無理ということだろう。
女性の座り方は、やはり立て膝であった方が、私には自然に見える。
「きたねえしこめ」は、どうかなと思うが(「しこめ」だけで十分である)、もう今では「しこめ」ということばが死語になっているということだろう。歴史ドラマだから、ルッキズムだと批判することもないだろう。
「百姓」というか、「農民」というか、このあたりの用語の使い方も難しい。現代では、ほぼ同義語であるが、固定された身分や職業でということとして、この時代ではどう考えるのがいいのだろうか。(江戸時代以降は、かなり固定的なものになっていくかと思うが、戦国時代までだったら、流動的であったかもしれない。)
かつて、「太閤記」として、立身出世の物語でもてはやされた時代だったら、「農民=稲作=百姓」ということで問題なかっただろうが、近年の歴史学の研究をふまえるとすると、ちょっと慎重に考えるべきところだろうか。
番組の中で、ちょっと概念が揺れているかなと感じたのは、足軽が武士であるかどうかということ。秀吉(藤吉郎)は、信長のもとで、足軽になって、武士、と言っていた。しかし、この回の始まりのところで、戦争になったから足軽を募集、ということがあった。つまり、この時代の戦で、足軽となるのは、専業(?)の武士もいたかもしれないが、百姓と兼業(?)ということでもあった。だからこそ、領主は、領民の生活をまもらないと、税金(年貢)もとれないし、戦となった場合の戦力にもならない。領地の経営に失敗すると、生活に困った百姓たちは逃げてしまう、ということだったと思うのだが、このドラマではどうなるだろうか。
最初の方で出てきていた、農民同士で種籾の貸し借り、ということがどれぐらい行われていたのか、歴史学の方で、どう考えられているのだろうか。
ことばの面でいうと、尾張方言がまったく出てきていない。これは、ドラマの作り方の方針である。これから、秀吉も、秀長も、どんどん出世していくことになるので、いつまでも尾張方言のままでは、なんかおかしい、という判断だったのだろう。
秀吉と秀長の父親が同一なのか。ドラマの中では、実の兄弟として描き、最後の紀行のところで、父親が違う説もある、ということにしていた。どちらであっても、明確な史料があって言えることではない。むしろ、この時代の農村の家族の形態ということで、歴史人口学の方から考えるのが、学問的には妥当な方向かもしれない。
この回で、秀吉と秀長の役割分担がはっきりとしていた。秀吉は、作戦をたてる。秀長は、ロジスティックスとインテリジェンスを担当する。こんなところかと思う。これまでの戦国時代ドラマは、合戦の戦闘シーンばかりが強調されるきらいがあった。しかし、実際には、インテリジェンスがあり、戦わずに済ませることができればそれにこしたことはないし、もし戦闘になった場合には、兵站や工兵(現代の用語でいえば)が重要になる。この側面を、秀長の役割で描くことになる、ということだろうか。
戦国時代ドラマの一つ見せ場は、織田信長が最初に登場するときに、どういう登場のさせ方をするのか、そのイメージがいろいろとある。この点では、『豊臣兄弟!』は、これまでとはかなり違った信長の登場の仕方であった。
信長について、身分にとらわれない見方のできる人……と、秀吉が言っていた。信長の先進性ということになるのだが、この時代としては、身分の中で生きていくということでも、特に問題はなかったかもしれない。このあたりは、先進的な信長という、(司馬遼太郎的な)イメージを受け継いでいることになる。(先進的であったから、優秀であったから、天下をとれた、という歴史観である。まあ、一種の社会的ダーウィニズムであるが。)
清洲城がなんとなくショボい感じであった。これは、これから出てくる安土城や大阪城を壮麗なものとして描くために、意図的にそう作ったのかと思う。
銭で動く人間の心ということを肯定的に描いている(今のところは)、これも斬新な視点かもしれない。金で人の心は買えない、ということにはなっていない。
気になったのは、風車である。この前、再放送のあった「よみがえる新日本紀行」で出てきた、能登の風車に似ている。
2026年1月4日記
最近のコメント