ねほりんぱほりん「声優をあきらめた人」2026-01-30

2026年1月30日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 声優をあきらめた人

テレビのドラマなど見ていると、下手な役者が多いと思う。なんでこんな下手な俳優、女優がやっているんだと、感じることがある。脚本や演出が下手ということもあるが。ドラマだと、演技を総合的に見ることになる。強いていえば、芝居が下手でも、他の要素……見た目がかわいい、ルッキズムと批判されそうだが……ということで、なんとかなっているようだ。

しかし、声優は、その声だけで勝負しなければならないので、ごまかしがきかない。この意味では、とても難しい仕事だろう。ごまかしようがない、実力勝負の世界であることを、あまり理解せずに、ただなんとなく声優を希望するということなのかとも思う。(そして、あえていえば、運の善し悪しも、勝負の実力のうちである。)

所詮、人間が生きていくのは、何かを諦めることでしかない。最初から思っていた夢や希望を、そのままかなえられる人生なんて、そんなにあるわけがない。いや、ほとんどないだろう。だからといって、宿命論で生きて、何の努力もしなくてもいい、というわけではない。

前近代の封建的社会で、その生まれた階層によって、親の職業を継ぐ、という生き方が一般的であった時代の方が、ある意味では、人間は幸福に生きられたともいうことができる。しかし、その昔に、もうもどせるわけではない。

ただ、番組を見ていると、声優の学校などが、声優希望の若者が多いことを材料にして、ぼったくりの商売をしている……という面もあるかと思う。需給のバランスが、どう見ても崩れている。

声優の希望者が多いということがあり、その技術が高くなっていくと、かえって素人っぽさのある仕事がもとめられるかとも思う。そうなると、さらに高度なスキルが要求され、仕事のハードルがどんどん高くなっていく、このようなこともあるかと思う。

また、声優を諦めた……このような人は、他の領域でもたくさんいるはずだが……人たちが、次のステップにむけて仕事を始められるような、社会のシステムが必要ということになる。リスキリングとはいっているのだが、基本的な職業訓練と就業の機会ということでは、日本の社会の全体の問題につながることかとも思う。

自己実現こそが人間が生きていく最高の目的である、というのは、近代の生んだ妄想である、というと言い過ぎかもしれないが、少なくも、こういうことにとらわれない生き方があってもいい。(それもまた、ある種の自己実現ではあるとしても。)

絵自衛隊の通信で、「おくれ」と言うのは、そのとおりである。

2026年1月20日記

ドキュメント72時間「富山・雨晴海岸 山の姿を待ちわびて」2026-01-30

2026年1月30日 當山日出夫

ドキュメント72時間 富山・雨晴海岸 山の姿を待ちわびて

富山湾の立山連峰の写真は見たことがあるが、雨晴海岸から撮影したものかと思う。雨晴で、あまはらし、と読むのは、簡単そうだが難しい。ATOKでは、あまはらし、からきちんと変換してくれた。

特にこの場所に思い入れがある人がいるということではなかった。写真目当てでやってくる人は多い。見れば、カメラとかレンズは、いいのを使っている人が多い。やはりキヤノンが多いのは、今の時代である。(私は、ずっとニコンを使っている。)

この番組としては、場所の魅力ということがある。ただ、72時間のことを番組にあするだけなら、渋谷の交差点でもいいのだろうが、それでも、新聞スタンドということにターゲットを絞っている。

雨晴海岸に道の駅があるのは、立山の風景をもとめてのことになる。それでも、きれいに景色が見えるのは、年に何日もないらしい。それよりも、それを予報することがあるというのは、ちょっとおどろいた。富山でも、魚津で蜃気楼が見られるときは、知らせてくれるようになっていたかと思うが(私は、まだ、見たことがない)。鹿児島の天気予報に灰の予報があるようなものかとも思う。

番組に映っていた中には、かなり遠くからやってきた人もいた。遠路はるばるやってきても、きれいな景色が見られるどうかは分からない。だからこそ、いいのかもしれない。お天気まかせ、運が良ければ見られる、というのもあっていい。

風景として見た場合であるが、立山の風景は、あまり文化的に意味づけされていないかと思う。歴史的文化的に意味づけされた風景というと、歌枕、ということになる。日本三景……松島、天橋立、宮島……などは、過去にそこを訪れた人や、文学や歴史を抜きにしては見ることができない。

しかし、富山湾の立山の風景は、あまりそういうところがない。山岳風景を美しいと感じるようになったのは、日本でも、近代になってからかもしれない。それまでは、美、として見るよりも、信仰、ということで見ていただろう。そして、風景写真ということの社会への普及があってのことだろうと思う。こういうことは、日本の風景と写真の歴史、ということで考えることになるだろう。

2026年1月24日記

サイエンスZERO「575でカガク!太陽 知られざる驚異の姿」2026-01-30

2026年1月30日 當山日出夫

サイエンスZERO 575でカガク!太陽 知られざる驚異の姿

正直にいえば、磁力線といわれて、なんとなく分かるのだが、それはいったいどんなものなのかとなると、さっぱり知識がない。だから、まあ、番組の内容の半分も、納得して見たということではなかった。

しかし、太陽について、これぐらいのことまで分かるようになっている、ということでは、とても興味深かった。

コロナが非常な高温になることについては、まだ定説というべきものがないらしい。番組では、二つの説を紹介していた。(こういう番組で、複数の学説のある場合、それを等しく紹介するというのは、いいことだと思う。分からないことは、分からないのである。)

SOLAR-C、次の観測衛星であるが、この打ち上げは無事にできるのだろうか。日本のロケット開発は、H3が途中で止まってしまっている。

2026年1月24日記

新日本風土記「奥信濃 秋のふるさと 冬支度」2026-01-29

2026年1月29日 當山日出夫

新日本風土記 「奥信濃 秋のふるさと 冬支度」

正直に言って……2011年の東日本大震災のあったとき、東北での地震と津波の被害のあった後、信州地方でも大きな地震があった、ということを、この番組を見て、思い出した。まったく忘れてしまっていたということではないのだが、おそらく多くの人がそうであるだろうと思うが、東北のことの方に関心がかたよっていたということは、たしかなことである。

見ながら思ったことはいろいろとある。

奥信濃という雪深い地域で人が生活していくことは、大変だなあ、と思うが、その一方で、こういう暮らしを昔から続けてきた歴史があるのだということも、感じる。

「故郷」(ふるさと)の歌は、月並みな言い方をあえてすると、日本人なら誰でも知っている、という歌になる。私の個人的な思いとしては、3番の歌詞「こころざしをはたして いつのひにかかえらん」というところにひかれる。故郷を出て、立身出世を夢みた人たちが多くいて、日本の近代をささえてきたのだろう、ということを思うことになる。(無論、このことについて、逆に、否定的な見方もできることは分かっているつもりではいるが。)

私の知識としては、高野辰之は、多くの文部省唱歌の作詞者であると同時に、日本の芸能史研究者として重要な仕事をした学者である。

ねこつぐら、というのが出てきていた。中島みゆきのアルバム「相聞」の中に「ねこちぐら」という作品がある。ネコのための、寝床であり隠れ家であり家というべきだろうか。(我が家のネコには、買っていない。冬は、ストーブの前か、ホットカーペットの上で、寝ている。夜は布団の中に入ってくる。)

ワラで作る。雪国での生活には、いろんなところでワラで作るものが必要である。これは、雪国で生活するためには、稲作とワンセットでなければならないということになるのだが、雪が冬になって積もるようなところで、稲作が普通におこなわれるようになったのは、いつごろのことからなのだろうか。イネというのは、基本的に南方の暖かいところで育てるものだと思っているのだが。

ワラ縄を売っていた。一巻きで、2000円。昔は、縄などは、農家が自分の家でなうものだった。だが、これも、「なわをなう」という言い方自体が、もう過去のものになったかもしれない。今から、半世紀以上前、私の生まれ故郷では、ハンドルをぐるぐる回して縄をなう機械(非常にシンプルなものだが)があったのを記憶している。番組の中で売っていた、ワラ縄は、どのようにして生産されているのだろうか。今なら、ワラ縄の工場などあるかとも思うのだが、稲作とワラと、その加工品の、全国的な生産や流通は、どうなているのだろうか。お米の減反や増産は、大きくニュースになるが、ワラのことも、実は日本での生活にとって、重要なことかとも思っている。

野沢温泉で共同浴場があって、地元の人でなく外から来た人でも入れる。料金は、お賽銭箱に入れる。お風呂のマナーということが出てきていたが、これは、実はかなり新しいものだろうと思っている。近代になってから、都市部に多く人が集まり、銭湯が増えて、そこで形づくられたものかとも思う。そこに、近代になってからの、清潔感という意識が加わったものだろう。江戸時代まで、大きな湯船など一般にはなかった(少なくとも都市部では、温泉地ではあったと思うが)はずなので、公衆浴場のマナーは、近代都市生活者の生み出したものといっていいかと思っている。(古いものではないから守らなくてもいいなどと思うわけではないけれど。)

野沢温泉の村では、惣代が一年おきに選挙で選ばれて、いろんなことを取り仕切る。土地の境界の確定から夫婦喧嘩まで。それが、江戸時代にさかのぼる史料、記録が残っているという。こういうことは、歴史学では、どう調査され研究されているのだろうか。村の自治であり、法規範意識、生活の習慣、ということについて、いろいろと面白いことが分かりそうである。

柿の木に実がなるのを、採らなければならないというのは、今の時代だと、クマを人里に近づけないために、必要なことになる。

蕎麦をうつ高校生がいる。その全国大会がある。(これなど、「知らなかった選手権」でやってもらいたい。あるいは、もうとりあげてしまったか。)

二八蕎麦として、普通は小麦粉を使うが、小麦粉が手に入らない地域であったので、山にはいってオヤマボクチという野草を使う。ボクチをつなぎにつかうということも、今では少なくなっているという。

托鉢の 声聞こゆれば この町に 住む安心の おのずから湧く

いい歌である。托鉢をしていたのは、臨済のお坊さんらしいが、地元の人たちがささえている。たぶん、次の仕事として大変なのは、ワラぶきの屋根のふきかえのときだろうと思って見ていた。

仏壇が、一般の家屋や家庭の中におかれるようになったのは、そう古いことではないだろうと思っている。古くからの旧家・名家というべき家には、仏壇がない。その代わりに、仏間がある(それ専用の部屋である)。さらにランクが上がると、仏間もない。その家に、お寺がひとつあって、そこにご先祖の位牌などを安置してお祀りしてある。これも、近年は、仏壇のない家、あるいは、あっても、非常にモダンなデザインに作ってあるものを使う家が、増えてきている。

駅を食堂にするというのは、アイデアとしてはとてもいい。赤字ローカル線の存続のためなら、できることは何でもやる、という時代である。

灌漑の水路などの保全を村の共同で管理する、ということは、多く見られることであるが、これを、前近代的因習の人間関係とみるか、そこに生活する人たちの相互扶助とみるか、これからどう変わっていくだろうか。

最後に出てきてた、ヤマウサギ汁、というのはどんなものだろうか。美味しそうである。

2026年1月26日記

クラシックTV「魅惑のひんやりサウンド グリーグ」2026-01-29

2026年1月29日 當山日出夫

クラシックTV 「魅惑のひんやりサウンド グリーグ」

ああ、あの曲やメロディは、グリーグの曲だったのか、というのが多くある。

そのひんやりサウンドの技法的解説は、そうなのだろうと思って見ていた。

私が見ていて興味深いと思ったのは、(こういうことを考えるのはヤボだということを承知であるが)、その音楽のナショナリズムである。

19世紀になって、ヨーロッパが、啓蒙主義的な普遍的理念をかかげて、それを、多くの人びとが共有するようになる。これは、歴史の流れである。と同時に、それに逆らうようなかたち、ローカルな地方の文化ということが、自覚されるようにもなる。これは、音楽のみならず、美術や文学などにも見られることだと思っている。

この流れのなかで、グリーグは、ノルウェー風の音楽ということをめざす。これはこれでいいと思うが、このときの、ノルウェー風ということは、歴史の流れの中でいうならば、「創られた伝統」という側面があったことになるだろう。

また、この時代が、日本の近代という時代でもあった。世界の歴史の中で、日本の近代が、ヨーロッパの近代と、どう重なるところがあるのか……これは、非常に絶妙なことだったというべきだろうか。ただ、西欧的帝国主義を真似しただけではなかった、と考えるべきだと私は思っている。

グリーグの作品にあるのが、ノルウェー風の文化であり、それは、強いていえば、アニミズム的ななにか、ということになるだろうか。これは、日本的な文化と非常に親和性がいい。さらにいえば、『ばけばけ』の小泉八雲の描いた世界とも、繋がるものである。

フィドルの演奏を聴くと、なんとなく、ケルティックということばが思いうかぶ。

2026年1月21日記

ドキュメント20min.「母の友 72年の問いかけ」2026-01-29

2026年1月29日 當山日出夫

今の時代、紙の雑誌がなくなる……休刊であったり、廃刊であったり……ということは、珍しいことではない。まだ紙の雑誌が出ていることが、奇妙な感じになっている。

パラパラと紙の本をめくって、なんとなく読んで、いろんな考え方があり、世の中のいろんなことを知る、ということは、たしかに意味のあることなのだが、意図的にそれをこころがけないといけなくなっている。

この種のことは、ある意味では思考の潤滑油とみることもできるが、別の面では、ノイズとみることもできる。これは、人によって異なるだろう。

自分とは異なる意見や立場からの考え方がどんなものなのか、これを知るためには、あえてコスト(時間も、場合によっては、お金も)かけないといけない時代になってきている。これは、いたしかたないことなのかとも思う。このコストを必要なものと思うかどうか、まずそこからの問題であるのだが。

これも今の時代の流れだなあと思うことの一つである。

2026年1月27日記

NHKスペシャル「臨界世界 戦慄の占領地 “ロシア化”の実態」2026-01-28

2026年1月28日 當山日出夫

NHKスペシャル 臨界世界 戦慄の占領地 “ロシア化”の実態

見て思うこととしては、まあ、ロシアの占領地としてはこんなもんだろうなあ、ということである(冷酷な見方かとも思うが)。

旧ソ連でおこなわれていたことや、今の中国の新疆ウイグル自治区やチベットでおこなわれている(一部には、これらを否定する人もいるが)ことなどを思ってみるならば、まだ、マシな方と思うこともできるだろうか。

去年、ETV特集で放送していた「琉球ノワール」を見たときに思ったことなのだが、アメリカが日本や琉球(沖縄)を占領支配していたとき、随分と理不尽なことはあったにちがいない。しかし、それでも、裁判となったことについては、弁護側の主張もふくめて、法廷での記録が残されている。新聞も、アメリカ兵がらみの事件をまったく報道することができなかったわけではない。戦争に負けて、軍に支配されいたとしても、最低限の法のルールは守られていた、ということもできよう。(泣き寝入りになってしまった事件が数多くあったとは思うのだけれども。)

日本がアメリカに占領されていた……沖縄、奄美、小笠原などをふくめて……このことの結果として、戦争に負けて占領されるということは、とりあえず平和がもどり、まあまあなんとか生活していける、民主国家にもなったことだし、これは、決して悪いことばかりではない……という思いこみになっているとうべきだろう。(その中でも沖縄は、特に米軍の横暴が酷かったというべきかもしれないし、そのことは忘れるべきではないけれど。)

ロシアの占領地であっても、そこに住んでいた人たちが、全員、強制的にたちのかされて、強制収容所におくられて、奴隷としてはたらかされる……というほどのことはないようなので、ロシアはずいぶんと人道的な占領支配をしていると感じる(かなり皮肉をこめた言い方になるが。)

吠えた犬が殺されたのはかわいそうである。これは、犬は殺すが、人をそう簡単に殺してはいない、ということなのか。あるいは、人であっても、犬のように殺すこともある、ということなのか。さて、どういう解釈をもとめるエピソードになるのだろうか。

取材することが困難だったのか、しなかったのか……もともといたロシア系住民と、ウクライナ系住民との間の関係は、どうなっているのだろうか。ロシア領になって、大喜びしているロシア系住民の姿が映っていても、別に不思議ではない。(このあたりのことについては、番組の意図的なかたよりを感じる。)

ウクライナ人は、ひどい生活を強いられているのだが、それを「民族浄化」というべきほどのこととは思えない。(いや、この戦争によって、結果的に「ウクライナ人」という概念がはっきりとしたものになったというのが、大方の見解かとも思う。)

密告が……と言っていたのだが、これも、昔のソ連にもどっただけのことである。比べるならソ連時代のことであった方が、番組としては、より説得力がある。いうまでもないことだが、ウクライナは旧ソ連の一部であり、旧ソ連に言論の自由などあったとは思えない。昔のソ連のころには、近所の人と、天気のこと以外でも自由にしゃべることができた、ということなのだろうか。私は、むしろ、昔のことの方が知りたい。

こういうことの取材をきっかけにして、第二次世界大戦後、ヨーロッパの各地でどんなことが起こっていたのか、太平洋戦争の敗戦後の朝鮮半島や満州で何があったのか、……あらためて、戦争に負けるというのはどういうことなのか、冷静に歴史を見る必要があると思うのである。

プーチンが悪いとして、それをヒトラーにたとえるのは、私はためらわれる。そういう単純な図式で、歴史の中の人間の精神や判断を語ることはできないと思っている。私は、ヒトラーも、完璧な(あるいは、理想的な?)悪、だとは思わない。同様に、スターリンもである。絶対悪を措定して善悪を判断するということの無意味さを歴史に学ぶべきだろう。絶対善である神が存在しない現代社会においては、逆に、絶対悪を、必要なら作り出す、という時代になっているということに思いをいたすべきである。

見終わって、ふと思ったこととして……この番組を作ったスタッフにとっては、旧ソ連時代のことは、はるか歴史のかなたのこと、「映像の世紀」のできごと、になってしまっているのだろうか、と思ったのだが、これは、私が老人であるということにちがいない。

2026年1月27日記

チューザイ in the World「ベトナム ホーチミン」2026-01-28

2026年1月28日 當山日出夫

チューザイ in the World「ベトナム ホーチミン」

この回で登場していた会社は、日清製粉ウェルナとHappyClean。

ベトナムのホーチミンといわれても、私の年代だと、昔のサイゴン、といってもらわないとピンとこない。もうベトナム戦争のときのことを憶えているだけで、老人である。

日清製粉のパスタのレトルト食品。パッケージデザインについて議論する場面があったのだが、とても面白かったのは、縦書きで「日本からの だしスープ」と書いてあるのが、長音の「ー」が横のままになっている。しかし、これについては、誰も何にも言っていない。おそらく、普通に日本語が分かる人がデザインすれば……おそらくは、InDesignなどを使ったとは思うが……縦書きになったときに、長音「ー」を90度回転させることは、自然なことである。たぶん、日本語のテキストデータをもらって、それを日本語を知らない人が、そのままコピーして使ったから、ということなのではないかと思うが、さて、どうだろうか。普通、日本でだったら、この長音「ー」のミスだけで、会議の資料に上がってくることはないだろうと思う。作り直し、却下である。

日本語のオノマトペで「もちもち」という食感を、ベトナム語でどう表現するか、これは、とても難しいだろう。日本語を母語としても、「もちもち」を説明せよといわれると、簡単にはできない。

ベトナムでは甘いものが好まれる。これは、食文化の違いであるが、いつごろからのことなのだろうか。甘いものというのは、歴史的には、そう簡単に日常で手に入るものではなかったはずである。砂糖の歴史とともに考えるべきことだろうか。だが、お米のご飯に砂糖をかけて食べるというのは、初めて見た。日本だと、塩である。

ベトナムでは、食事のときは、フォークとスプーンらしい。たぶん、こういうことは、フランス統治の時代にさかのぼるかと思う。スパゲッティを食べるのに、ベトナムの人は、フォークで食べるだろうか。日本での私の感覚だと、箸(それもできれば割り箸)で食べるのが、もっとも食べやすい。

遊園地に、ワニが25000匹もいて、それをエサで釣ることができるというのは、面白そうである。

ビルの清掃の会社というと、日本だと、ほとんど目立たない。目につくとすれば、求人のCMである。パートタイムであったり、あるいは、定年後の仕事、として求人があり、そこで働いている人というと、(個人的感想になるが)パートのおばちゃんであったり、定年退職後のおじさんであったり、というイメージが強い。あるいは、就職氷河期世代で、定職につけないで、なんとか食いつないでいる人の仕事、と思ってしまう。(かなりの偏見かもしれないと、我ながら思うのだけれど。)

しかし、考えようによっては、清掃という仕事は、AIに取って変わられることが、たぶんないだろう。ブルーカラービリオネアとまではいかないかもしれないが、社会の中での、エッセンシャルワーカーの一つとして、需要が絶対にあることはたしかだと思う。これは、世界中のどこの都市でもそうだろう。

清掃といっても、ただゴミ箱を空けるだけではなく、隅々まで綺麗にするには、独特のノウハウがあるにちがいないし、実際にビルの中で清掃の仕事をする姿や態度で、他の企業と差別化をはかるというのは、戦略として正しいだろう。

清掃の会社の会議の背後の棚に、洗剤がいくつか映っていたが、見たところ日本で売られているものが多かった。清掃用の洗剤なども、清掃ビジネスとともに、売れる商品であるといえるだろう。

ベトナムでは、昼食後に昼寝する。こういう習慣のところは、世界に多くあるかと思う。見ていると、女性が、ピカチュウのぬいぐるみをだっこして寝ていた。

ベトナムでも秋刀魚を食べることができる。だが、この近くの海では捕れないと思うが、どういう経路で流通したものなのだろうか。(中国の漁船が、太平洋でがっぽりと捕っていって、売っているということなのかとも思うが、世界の秋刀魚の流通の実態も知りたいところである。)

日本語を学ぶきっかけとして、日本のアニメが出てくることは、今の時代では、ごく普通のことである。ここで、「ドラえもん」は全部分かるが、「コナン」とか「ONE PIECE」は半分ぐらいしか分からないというのは、とても面白い。(日本語教育学の立場からは、どう考えることになるだろうか。)

日本のアニメを放送するのに、声優が一人で、全部をやってしまっているという。そういうものなのかと思うが、これは、ベトナムにおいて、これから、声優という仕事が生まれてくるチャンスになっているのかもしれない。

通貨のドンの桁が多いのは分かるが、いわゆるデノミネーションは考えないのだろうか。紙幣だけでコインがないという。(言ってはいなかったが、キャッシュレス決済は、どれぐらい普及しているのだろうか。)

ベトナム語の知識はまったくない。人称代名詞がとても種類が多く、話す相手によって使い分けなければならない。日本語でも、こういうことはある。そして、日本語のこういうところ……私というか、僕というか、俺というか……をあげつらって、日本語は封建的な良くない言語である。英語は、「I」で全部すむからすばらしい、ということが時折あるのだが、こういうことは、世界の言語の、人称代名詞と待遇表現について、総合的に見た上でいうべきことだろう。ただ、日本にかかわることは、なんでもおとしめたいということに終わっているだけのことになる。(要するにバカなのである。)さすがに、近年では、日本語を止めてフランス語を使うようにしようというようなてあいは、無くなったかと思うが。

ベトナムは、共産党一党支配の国なのだが(ベトナム戦争でアメリカが負けてしまったので)、ビジネスについてはも、いろんなトラブルがあるかとも思う。だが、中国に集中するよりも、リスクの分散ということで、ベトナムでのビジネスを考えることもあるのかと思うが、これは、この番組の範囲を超えたことになるにちがいない。

今のホーチミン市にも、旧宗主国のフランスの文化的遺産というべきものがあるかと思うのが、そういうことは、この番組で触れることではないということでいいだろう。もちろん、「黒歴史」を探せば、日系企業にもいっぱい面白いことはあるにちがいないけれど。

2026年1月26日記

世界遺産ワーカー「シーギリヤの古代都市」2026-01-28

2026年1月28日 當山日出夫

世界遺産ワーカー シーギリヤの古代都市

スリランカというと、私の場合だと、どうしても中国との関係で、経済的にどうしようもない状態になってしまった国というイメージがある。今は、どうなっているのだろうか。

そういう目で見ているからなのかもしれないが、番組の中では、(おそらくは意図的にであろうが)中国人観光客は映っていないし、中国語の案内などもなかった。しかし、日本がオーバーツーリズムで観光地が悲鳴をあげているのに、スリランカのこういうところに、中国人観光客などの姿がまったく無いというのも、どこか不自然な印象がある。

黒檀の伐採が出来ないという。ジャングルの自然の保護のためである。チェーンソーの輸入も禁止らしい。しかし、スリランカには、多くの外国の企業などが投資して、農地の開発などをおこなってきたということもあるかと思っている。それに日本も加わっているし、近年であれば、中国の影響力も大きいだろう。以前、スリランカのゾウのことを、取材した番組があったのを思い出す。

シーギリヤの遺跡は、イギリスの殖民地であったときに発見された。しかし、周辺のエリアの発掘は進んでいないようである。今は、ジャングルの中にポツンと大きな岩があって、その上に宮殿の跡がある、ということであるが、これが出来た5世紀のころには、その周囲には、どのような人びとがどんな生活をしていたのだろうか。その生活の跡の遺跡があるにちがいないと思うが、その考古学的な発掘調査は進んでいないらしい。(おそらく、こういうことに予算を使う余裕がないということなのだろうか。)

古代からの大規模な灌漑の設備が残っているということである。周囲には、人工のため池がある。水田もある。では、シーギリヤの遺跡ができた古代において、周囲では、どんな農業や、あるいは、商業の営みがあったのだろうか。昔から、稲作をしていたのだろうか。

国家が認定したガイドということだが、ここをおとづれた観光客にとっては、かなり強引な客引きであると思える。(番組の中では、「21カ国語」という言い方をしていた。しかし、言語研究の立場からすると、こういう言い方はしない。「21の言語」と言うことが多いはずである。国家と言語の関係は、簡単ではない。)

さて、このガイドさんの料金は、どれぐらいなのだろうか。それで、生活していけるということでいいのだろうか。

遺跡の一番高いところまで登るのに、1200の階段があるというのは、とんでもないところだと思うが、おとづれる観光客は、それを覚悟してやってくるのだろう。

サル(おそらくは野生)が、コーラとおぼしきものをペットボトルから飲んでいるシーンがあったが、こういうのは、まさに現代の光景であろう。

遺跡の近くで、ダンスのショーがあって、そこでダンサーをしている女性。お母さんは、クエートに出稼ぎに行っている。こういうところにも、今の世界の政治や経済のことを見ることができるかと思う。

大切に守られているという部分もあるだろうが、実際には、国の経済の停滞で、開発から取りのこされてしまったので、ジャングルの中に残っている、ということなのかとも思うが、どうなのだろうか。

2026年1月23日記

未解決事件「File.11 消えた470億円 ビットコイン巨額窃盗事件」2026-01-28

2026年1月28日 當山日出夫

未解決事件 File.11 消えた470億円 ビットコイン巨額窃盗事件

暗号資産、仮想通貨、ということについては、技術的には、サトシ・ナカモトの考え出したブロックチェーンによるものだということは、知識としては知っている。しかし、自分でビットコインをどうかしようと思ったことはない。

インターネットの中だけであるならば、暗号資産が、どこにどう動こうとかまわないのかとも思う。問題になるのは、それが、旧来の貨幣とか経済にかかわるときである。このときだけは、実際の人間社会と接点をもたざるをえない。

そもそも、暗号資産で金儲けしようというのが、人間としての堕落である、と言ってしまえばそうなのかと思うが、稼げる手段があるのなら、何でも使えるものは使うというのも、人間というものである。

もはや、世界中で暗号資産の利用を規制したりすることは不可能ということになる。であるならば、政府などが積極的に関与して監視するということにならざるをえない。こういう流れかと思っている。

サイバー世界の経済について、日本は、どれぐらいの備えがあるのだろうか。暗号資産の安全な運用ということも、日本の経済安全保障にとって重要な課題であるはずである。

巨大な暗号資産が、実際の経済にどのような影響をおよぼすことになるのか、これは、まだ未知の部分ということかと思うのだが、あまり安閑としてはいられないだろう。

2026年1月24日記