『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子2018-02-05

2018-02-05 當山日出夫(とうやまひでお)

若竹千佐子.『おらおらでひとりいぐも』.河出書房新社.2017
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/

今年の第158回芥川賞受賞作である。

この作品を一言で言うならば、老年小説、とでもいうべきであろうか。

第一に、この作品の作者(若竹千佐子)は、1954年の生まれ。芥川賞の受賞者としては高齢になる。が、そんなことよりも、現代において「文学」の担い手が、高齢化しているということを表しているのだと思う。

かつて、「文学」とは若い人のものであった。その文学青年(今では、もう死語かもしれない)が、年をとってきて、今、老年にさしかかっている。「文学」の読み手も、また、書き手も、老年のことになってきている。

第二に、この作品の描いている世界が、まさに老年の日常である。主人公(桃子)は、七十才を越えて、ひとり暮らしの生活。都市近郊の住宅地に、ひとりで住んでいる。幸い、娘が近くにいるので、なにかと日常の助けにはなっているようだ。だが、病気もある。出かけるといっても、最小限の買い物をのぞけば、病院にいくか、亡き夫の墓参りぐらいである。

いま、まさに、少子高齢化社会をむかえて、どこにでもいるような独居老人の日常を、その心の奥底から描いている。

だが、「老い」を描いたというべきこの小説に、暗さはない。たぶん、意図的にそのような側面を描かなかったのだろうと思われる。老人には老人なりの充実した時間があるというストーリーの展開である。

以上の二点が、「老人文学」として見た場合のことである。

それから、この作品のもう一つの側面としては、「方言小説」それも「東北弁小説」ということがある。作者、それから、主人公は、東北の出身。東京オリンピックのころに東京に出てきて、結婚。家庭をもって、その子どもたちも大きくなり、家を出て、夫は先に亡くなり、今は、独居生活。その生活のなかの奥底からたちあがってくるのが、故郷の言葉、方言、東北方言である。

この小説の独白の多くの部分は、東北弁で語られる。

「東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらをくみ上げるストローのごときものである、と言う。」(p.15)

人間が年老いてきたとき、その人生の体験の原体験とでもいうべきものにたちかえるとするならば、そこにあるのは、母方言である。そして、その母方言としては、東北弁はいかにもにつかわしい。

「老人小説」として、また、「東北方言小説」として、この作品は、今日の日本の「文学」であるというにふさわしいと思う次第である。