『青天を衝け』あれこれ「栄一、胸騒ぎ」2021-03-23

2021-03-23 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第6回「栄一、胸騒ぎ」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/06/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月16日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、揺れる」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/16/9357551

幕末から明治維新にかけては、いろんな歴史観があり、また、それぞれにドラマとしての作り方もあるだろう。この『青天を衝け』においては、武士の時代は終わるべくして終わったということになるのかと思う。ドラマのなかで、かたくなに尊皇攘夷をさけんでいるのは、水戸の斉昭ぐらいなものである。その時代の影響として、栄一なども尊皇攘夷とは言っているが、所詮は時代の雰囲気のようなものとしてである。幕府の中枢は、開国の方針である。

武士の支配の時代が終わるということは、それまでの身分秩序が崩壊することになる。身分秩序といって、悪くとらえれば社会の階層、階級ということになるだろうが、別の面で見るならば、社会的な役割分担ともいえるかもしれない。武士が武士としての役目を終えたとき、社会の軸になる役割を誰がどのようにはたすことになるのか、このあたりにたぶん渋沢栄一という人物の活躍する場面が開けてくるのではないだろうか。

それにしても、このドラマに出てくる阿部正弘にしても、また、慶喜にしても、開明的である。まあ、阿部正弘はその仕事の途上で亡くなることにはなるのだが。となると次に興味があるのは、井伊直弼をどのように描くか、というあたりになるだろうか。当然ながら、幕府に引導をわたす役割は、慶喜が担うことになるにちがいない。

開明的な名君として描かれることになる慶喜と、栄一はこれからどのように交わっていくことになるのだろうか。それは、おそらく「近代」というものを、どう構想するかということにかかわっていくことになるにちがいない。このドラマが、明治以降の近代日本をどのように描くことになるのか、このあたりが今から楽しみではある。(この意味では、これから出てくるはずのパリ万博が大きな意味をもってくると思う。)

おそらくこれまでの大河ドラマで描かれてきた幕末、明治維新とはちがった、新しいイメージがこのドラマにはあるような感じがしている。維新を起こした勝者でもない、また敗者でもなく、近代日本の担い手としての栄一の活躍ということに期待したい。

ところで、相変わらず江戸城のセットがなんとなくショボい。たぶん、栄一の故郷の血洗島の村を作ってしまうので、製作予算のかなりを使ってしまったせいかと思う。

また、この回の見どころとしては、道場破りのシーンであったかもしれない。これは、なかなか迫力があった。

江戸の徳川幕府は、どう見てもドタバタ騒ぎである。これで無事に明治維新ということになるのだろうか、ちょっと気になるところではある。(まあ、ドタバタ騒ぎのあげくの明治維新ということであってもいいような気がするが。)

次回、栄一の生き方に変化があるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2021年3月22日記

追記 2021-03-30
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月30日
『青天を衝け』あれこれ「青天の栄一」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361951

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