『青天を衝け』あれこれ「栄一、揺れる」2021-03-16

2021-03-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第5回「栄一、揺れる」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/05/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、怒る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355294

この回で描いていたのは、栄一の合理的精神だろう。

狐憑きの噂がながれる。そこに現れる修験者たち。どうもあやしげであるが、祈祷がおこなわれる。そこで、栄一は、堂々と言ってのけることになる。祈祷師たちは、嘘つきである、と。結果、祈祷師たちは、栄一の家を逃げ出すことになる。

これまで、幕末明治維新で多くのドラマが作られてきたはずだが、ここまで、近代的な合理的な精神のあり方を描いた作品は、希と言っていいのではないだろうか。おそらくは、この合理的精神が、今後の栄一の生き方、近代的な経済の確立という方向に向かう、そのささえになるのだろう。その伏線として、また、その当時の人びとの心性をとらえたものとして、この回の狐憑きのエピソードは、うまくできていたと思う。

慶喜の方は、いかにも英明な君主といっていいのだろうか。まだ、将軍にはなっていないが。

安政の地震があり、藤田東湖が死ぬことになった。これは、歴史的にそうなのだから、いたしかたのないことではある。それにしても、水戸の斉昭は、もう少し、重厚な感じがあってもいいような気がしてならない。

時代的背景としては、開国をうけての、尊皇攘夷運動のたかまりといったあたりになるのだろう。ここから、討幕という流れのなかで、幕藩体制にどう見切りをつけていくことになるのか、このドラマではどう描くことになるのだろうか。古めかしい用語でいえば、幕藩体制の矛盾ということになるのだろうが、明治維新から近代国家成立のプロセスを、どう描いて見せることになるのか、これからの展開を楽しみに見ることにしよう。

2021年3月15日記

追記 2021-03-23
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月23日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、胸騒ぎ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359712

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