映像の世紀プレミアム(10)「難民 希望への旅路」2021-10-15

2021-10-15 當山日出夫(とうやまひでお)

10月11日の放送(再放送)。録画しておいて後日に見た。見て思ったことなど書こうと思って、以前の放送のときのことを思い出して、昔、書いた文章を検索してみた。番組を見ての印象は、さほどかわらない。まあ、これは、この前の放送からさほど時間がたっていないということもあるだろうが。特に新たに書き加えることもないかと思うので、特例的に今日は、過去に書いた文章をコピーして掲載することにする。

強いて付け加えて書いてみるならば、ミュンヘン・オリンピックのテロ事件のことがあるだろうか。映像の世紀プレミアムではオリンピックを特集したことがある。たしか、去年の放送で、今年になって再放送があった。ここで、どうしてミュンヘン・オリンピックのテロ事件のことが出てこないのかと思って見たと覚えている。この事件については、すでにこの難民の回で触れてある。おそらくは、番組として重複を避けたのかと思ってみる。

ただ、思うこととしては、この回の放送は、きわめて良心的であり、感動的な内容であったと思う。

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やまもも書斎記 2018年8月13日
映像の世紀プレミアム「難民 希望への旅路」

昨日(8月11日)の夜の放送を録画しておいて、今日(8月12日)の昼間に見た。見て、何か書こうと思って、Googleで検索してみて、タイトルが「難民 希望への旅路」となっていることに、何かしらのとまどいを感じている。

番組を見た印象からするならば、誰も「希望」を感じて難民になどなっていない。NHKは、なぜ、このようなタイトルをつけたのであろうか。かといって、「絶望」とも表すことはできないだろう。

思いつくことをいくつか書いてみる。思いつくままにであるが。

スペイン内戦のときのヘミングウェイの声が残っていたのにはちょっと驚いた。私がこれまで読んだヘミングウェイの作品からは、難民の苦悩というようなものは、感じていなかったのだが。これは、読み方が浅かったというだけのことなのであろうか。

難民の歴史は、難民をどのように報じたかという歴史でもある。この意味で登場していた、二人のカメラマン……キャパと沢田教一。その作品は、これまでに本などで何度か目にしている。特に沢田教一の「安全への逃避」、これがアメリカ兵から逃れるシーンであったことは、認識を新たにした次第でもある。

第二次大戦の直前、ヨーロッパからアメリカを目指したユダヤ人を載せた船の話し。これは、たしか、映画化されていて、学生の時に見たかと覚えている。

それにしても、アインシュタインをすこし理想的に描きすぎてはいないだろうか。

番組(録画)を見ながら、はて、この番組は、どこで終わりになるだろうか、今でも世界中で難民の問題はある、どこに着地点をもっていくことになるのか、と思っていた。結局、沢田教一の写真の一件で、終わりにしていた。これはこれで、一つの編集の見識であると思う。今の世界のどこかの難民の姿で終わりにすれば、その加害者の側が誰かを最後に示して終わることになる。誰が悪いということで簡単に整理がつかないのが、難民問題である。難民問題は、ある意味では報復の連鎖の犠牲者でもある。ここを、どの場面で終わりにするか、難しいところであると感じる。最後は、ベトナム。たとえ難民になってもどこかの新しい国で生きていける、そんな「希望」を感じさせた。

この番組、気になったことを書いておけば、日本が登場しなかった。二〇世紀が難民の時代であるとして、では、日本は難民とどうかかわることになったのか、一切触れていなかった。日本の植民地支配の時代、日中戦争、太平洋戦争の時代、この時代も、日本が当事者となって難民を生み出した歴史が無かったということはないであろう。それが、日本人であるにせよ、現地の人びとであるにせよ。

また、太平洋戦争の終わり、ソ連侵攻にともなう満州の人びとのことも、ある意味では、難民といえるにちがいない。これについても、触れることがなかった。太平洋戦争の終わりのとき、外地にいた人びとのことも考えていいように思うが、どうだろうか。

今の国際社会の難民については、現代の日本も、間接的には当事者のひとつであるにちがいない。とはいえ、日本を難民問題の当事者として見る視点を導入して番組をつくることは、また難しいにちがいないが。ここは、あえてまったく日本を登場させない作り方を選んだのであろう。

その他、いろいろ思うところの多い番組であった。

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2021年10月14日記