『ちむどんどん』あれこれ「豚とニガナは海を越えて」2022-09-11

2022年9月11日 當山日出夫

『ちむどんどん』第22週「豚とニガナは海を越えて」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_22.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年9月4日
『ちむどんどん』あれこれ「君と僕のイナムドゥチ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/04/9523340

このドラマもあと三週である。そろそろ終わりが見えてきたというところかと思う。たぶん、ちむどんどんの店は成功する。ニーニーは、養豚でうまくいく。清恵とも仲良くなる。無事に子供も生まれるだろう。

ところで、ちむどんどんのメニューであるが、東京の人間の好みに合わせるのが失敗の原因ということで、沖縄の本来の味にする、ということらしい。これはこれで、一つの方針ではあると思うのだが、はたして、この時代においてはどうだろうか。

鶴見で店を開くなら、沖縄の地元の味ということでいくべきかもしれない。しかし、杉並である。立地を考えるならば、沖縄家庭料理の店、それを、東京風に少しアレンジするというぐらいが、適当かなと思える。今でこそ、沖縄と本土は簡単に行き来できるようになっているが、このドラマの時代では、そう簡単ではなかったろう。広く、東京などで、エスニック料理などが流行り出すのは、もっと後のことになる。この時代であれば、やはり、どう東京の人間の好みに合わせるかという工夫であるのが自然ではないだろうか。

などと考えてしまうであるが、ドラマとしては、沖縄出身のヒロインが、沖縄の味で勝負するというストーリーになるのだろう。そして、そこに沖縄料理では欠かせない豚について、ニーニーの養豚場がからんでくることになろうか。

これはこれで一つのドラマの作り方であるとは思う。(ただ、時代背景とかを考えると、ちょっと無理があるかなという印象は残ってしまうのであるが。)

それから、最後のところで、清恵がちむどんどんを訪ねて来るところで終わっていた。これは偶然なのだろうか。ニーニーから、その妹が、杉並で沖縄料理店をやっていると聞いてきたわけではないだろうが、どうなのだろうか。

ともあれ、このドラマの着地点がどうなるのか気になるところである。行方が気になるという点では、このドラマは、決して駄作ではないと思って見ている。次週以降の展開を楽しみに見ることにしよう。

2022年9月10日記

追記 2022年9月18日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月18日
『ちむどんどん』あれこれ「にんじんしりしりーは突然に」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/18/9526787

ブラタモリ「恐山」2022-09-12

2022年9月12日 當山日出夫

ブラタモリ 恐山

恐山には行ったことがない。名前は知っている。行ってみたい気もするし、行かずにすましておきたいような気もしていた。

同じNHKの「ドキュメント72時間」のこれまでのベスト10が、この夏、放送された。このベスト10の中にも、恐山を扱った回が入っていた。これは、全部録画しておいて、後からゆっくりと見た。

南直哉の名前は知っていた。その本のいくつかを読んだこともある。なるほど、「恐山」というのは、今では曹洞宗の一つの寺院として存在しているのか、ということは、著書から知っていたことでもある。

見ていて思うことは、基本的に二つある。

第一には、その新しさ。

恐山といえばイタコであるが、これが定着したのは近年のことらしい。恐山として、古くからの霊場というイメージはあるのだが、その内実としては、意外と新しいものが含まれている、これは面白いところである。

第二には、その古さ。

そうはいっても、恐山は古くからの霊場である。曹洞宗の寺院になっているといっても、その前の段階としては、様々な修験者などの訪れる場所であったのだろう。古くから、霊場として、神秘的な場所であったことが知られる。

この二点、新しさと古さ、この相反することが、現在の恐山にはある。

そして、その古さの源泉になっているのが、その自然の地形としての成り立ちということになるであろう。ここのところについては、ブラタモリならではの詳しい解説があった。

恐山には行ってみたいような、あるいは、あえて行かないですましておきたいような、そんな気持ちの残る放送であった。

2022年9月11日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「苦い盃」2022-09-13

2022年9月13日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/35.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年9月6日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「理想の結婚」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/06/9523890

さて、このドラマでは、実朝暗殺のシーンでは雪が降るのであろうか。一班の歴史書に従うならば、雪ということになるのだろうが、どうなるかと思う。

このドラマで、義時は、ますます悪人になっていっている。悪人というのが悪ければ、権力者の顔といっていいかもしれない。

義時は、何のために行動しているのだろうか。鎌倉のため。あるいは、北条の繁栄のためか。このドラマでは、あえて使っていないのだろうが、「鎌倉幕府」ということばを使用していない。歴史考証の面もあるのかもしれない。基本的に、「鎌倉殿」という、個人とも、組織ともつかない名称で呼んでいる。

歴史の流れとしては、鎌倉幕府は、粛正の歴史と言っていいのだと思う。次に犠牲になるのは、畠山である。そして、最終的に権力をつかみ続けることになるのが、北条であり、それを成し遂げるのが義時ということになるのだろう。(おそらく、最終的には、承久の乱で後鳥羽上皇と対決することになる。)

この回でよかったのは、歩き巫女。大竹しのぶである。まあ、この時代、このような得体の知れない、霊能力者がいても不思議ではない。

このドラマも、残り三ヶ月もない。承久の乱にいたるまでに、さらにいくつか大きな事件があるはずだが、どう描いていくことになるのだろうか。続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年9月12日記

追記 2022年9月20日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月20日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「武士の鑑」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/20/9527315

箱根空木2022-09-14

2022年9月14日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日はハコネウツギである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年9月7日
スイカズラ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/07/9524117

例年、初夏、五月のころに咲く。これも、撮りおきのストックからである。

この花は、時間がたつと色が変わる。はじめは白い。それが、徐々に赤みをおびてきて、最後は赤紫というような色になる。見ていると、一つの木に、様々な色の花を見ることができる。毎朝見ていると、一つの花の色が変化していくのがわかる。

九月になったというのに暑い。例年にはない暑さである。朝、庭に出ると露草の青い花が咲いているのが目にはいる。ここしばらくは、毎朝、露草の写真を撮っている。あまりカメラを持って出歩くということがない。暑いのと、COVID-19のこともあって、外に出るのが億劫なのである。これが、涼しくなれば、散歩に出るのを再開してもいいかと思っている。

ハコネウツギ

ハコネウツギ

ハコネウツギ

ハコネウツギ

ハコネウツギ

ハコネウツギ

Nikon D500
AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR

2022年9月13日記

追記 2022年9月21日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月21日
紫式部
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/21/9527537

「風よあらしよ」(二)2022-09-15

2022年9月15日 當山日出夫

「風よあらしよ」 第二回

第一回については、
やまもも書斎記 2022年9月8日
「風よあらしよ」(一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524352

これも録画しておいて、翌日の朝にゆっくりと見た。

伊藤野枝という人物を演じることにおいて、吉高由里子は適役であったというべきであろう。時代のなかにあって、突出した考えの女性である。ある意味で、したたかな女性というべきだろうか。(実際の伊藤野枝がどのような人物であったかは、私はよく知らないのだが。)

このドラマで、いい感じなのが、辻潤と大杉栄。これも、今の価値観からすれば、男の身勝手といってもいいのだろうが、しかし、大正時代にあっては、進歩的な思想の持ち主ということになる。この進歩性と、それでも時代の流れのなかにあっての男の身勝手さというべきものを、うまく出していると感じる。

時代背景としては、大正時代なのであるが、いわゆる大正ロマンという雰囲気を感じさせない作り方は、これでいいのだと思う。近代において、進歩的な思想の生まれてきた新しい時代としての大正時代を、これはうまく描いていると感じる。

2022年9月12日記

映像の世紀バタフライエフェクト「9.11 同時多発テロへの点と線」2022-09-16

2022年9月16日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「9.11 同時多発テロへの点と線」

九月一二日の放送。録画を翌日の朝にゆっくりと見た。

二〇〇一年九月一一日の事件のとき、夜、たまたまテレビを見ていた。つけていたのが、NHKだったこともあり、二機目の突入のシーンをテレビで見たと記憶している。

思えば、その時から世界は変わった。思い起こせば、日本国内では「昭和」の終わりがあり、湾岸戦争があって、ベルリンの壁の崩壊からソ連解体ということがあった。今から思えば、二一世紀という時代は、その少し前、一〇年ほどまえから考えるべきなのかもしれないと、思ったりもする。

しかし、その後の世界はどうだろうか……アメリカのイラク戦争は、日本から見ると、どこか他人事として過ぎてしまってきたかと思えてならない。だが、今年はじまったウクライナでの戦争は、それと変わって、かなり身近なものに感じるようになっている。

二〇二二年の日本はどうだろうか。今の日本の有様……政治の世界では、国葬と統一教会の問題でゆれている……これこそ、二〇年前、三〇年前からはじまった、二一世紀の日本の姿なのかもしれない。

つらつら思い起こせば、二〇一一年の事件をふくめて、ベルリンの壁の崩壊からウクライナ戦争ぐらいまでの期間が、二一世紀の世界の「序章」といっていいだろうか。

ともあれ、テレビ(録画)を見ていていろいろと思うことはあった。テロを憎しみの連鎖と見る視点もあるだろう、あるいは、アメリカの富によるアラブ世界への収奪、石油利権に、なんらかの因果関係を見ることもできるかもしれない。後世の歴史家は、どう見るだろうか。とはいえ、同じ時代に生きてきた人間としては、世界は激動の時代であったことであり、一方、個人的には幸いなことに比較的平穏無事に生きて来れたと思ったりもする。

2022年9月13日記

ザ・バックヤード「国立映画アーカイブ」2022-09-17

2022年9月17日 當山日出夫

ザ・バックヤード 国立映画アーカイブ

若いころ、もう半世紀近く以前のことになるが、東京での学生のとき、京橋のフィルムセンターにはかなり通ったことがある。ちょうどその当時、「ぴあ」が刊行されはじめたころであった。見て、フィルムセンターの存在を知った。(その「ぴあ」も今ではもうない。)

そのころ、フィルムセンターの存在自体がそれほど知られてはいなかった。行っても、たいていガラガラであった。通って、チャップリンの初期の無声映画とか、往年の仏蘭西映画の名作とか見たものである。「天井桟敷の人々」を見たのも憶えている。

どうでもいいことかもしれないのだが、京橋から銀座の方に歩くときの夜景が美しかった。映画を見ての帰りは、夜景を見ながら銀座まで歩いたものであった。

ここで火災があったのを知ったのは、東京をはなれてかなりたったころだったろうか。

今の国立映画アーカイブになってからは、行ったことがない。その存在は知っていたが。いや、もう映画自体を見なくなってしまったと言った方がよい。(そういえば、神保町の岩波ホールも閉館してしまった。)

興味深かったのは、修復の作業。文化財の修復は、あくまでも仮のものである。将来、より高度な修復技術が登場したときには、それに対応してさらに再修復するために、今の修復は仮のものとして行っておく。この考え方は、文化財について、非常に重要な観点になる。

2022年9月15日記

『ちむどんどん』あれこれ「にんじんしりしりーは突然に」2022-09-18

2022年9月18日 當山日出夫

『ちむどんどん』第23週「にんじんしりしりーは突然に」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_23.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年9月11日
『ちむどんどん』あれこれ「豚とニガナは海を越えて」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/11/9525089

おさまるべきところにおさまったという感じの週であった。

暢子は、沖縄料理の店で成功する。ここでは、沖縄本来の味をそのまま提供するということで、集客につながったことになる。このあたり、昭和五〇年代の東京において、どうかなという気がしないでもない。鶴見でなら、本場の沖縄の味ということで勝負するのもありのはずだが、杉並である。やはり、東京風にアレンジするということがあった方自然なのではないだろうか。

一方、ニーニー。清恵と一緒になる。養豚の仕事をして、清恵と一緒になるというのは、既定路線として概ね予想がついていたことなのだが、これはこれでいいとしても、ここにいたるまでの過程を、もうちょっと丁寧に描いてあった方がよかったのではないか。

ともあれ、ニーニーの養豚の仕事が、暢子の食堂に役立つというのは、これでメデタシメデタシというべきことなのだろう。沖縄の良子の方も、学校の給食がうまくいったようなので、これで兄弟三人、それぞれに成功したということになる。

無事に男の子が生まれた。このドラマも、残りは二週である。子供の成長の行く末を描くところまでかなと思うのだが、どういう結末になるのか、この続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年9月17日記

追記 2022年9月25日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月25日
『ちむどんどん』あれこれ「ゆし豆腐のセレナーデ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/25/9528476

『殺しへのライン』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭(訳)2022-09-19

2022年9月19日 當山日出夫

殺しへのライン

アンソニー・ホロヴィッツ.山田蘭(訳).『殺しへのライン』(創元推理文庫).東京創元社.2022
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488265137

たぶん、この作品は、例年のように今年のベストにはいるだろう。出るのを待って買って読んだ。

ミステリとしてのこの作品については、散々書かれているだろうから、特に繰り返すこともないと思う。ただ、読んで思ったことなど書いておく。

第一には、やはり設定のうまさだろう。

場所は島。絶海の孤島、嵐の山荘、というわけではないのだが、限られた場所における事件ということは魅力的である。この作品のストーリー、トリックは、例えばどこかのリゾート地でもなりたつのだが、島という設定になっていることで、より魅力を増していることになる。

第二には、小説としての面白さ。

アンソニー・ホロヴィッツの作品のいくつか……年間のベストに入るような作品については、これまでに出るたびごとに読んできている。ミステリとしてよく出来ているというよりも、小説として面白いのである。これは、ミステリを支える読者層というか、文学の社会的基盤というか、基層となっている部分が日本とは違っているということかとも思う。といって、日本のミステリが、文学として劣っているとはおわないのであるが。

ざっと以上のようなことを思ってみる。

それにしても、今の時代において、このようなフーダニットを書けるということは見事としかいいようがないし、また、同時代にこのような作品を読める読者としては、幸運であると言うべきだろう。ミステリを読む醍醐味を感じさせてくれる一冊である。

2022年9月15日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「武士の鑑」2022-09-20

2022年9月20日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第36回「武士の鑑」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/36.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年9月13日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「苦い盃」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/13/9525593

この回は、面白かった。見ていて印象に残っているのは、次の二点になるだろうか。

第一に合戦シーン。

おそらく、このドラマのこの回の合戦シーンは、大河ドラマの歴史に残る名場面になるのではないだろうか。義時と畠山の合戦、なかんずく両者の一騎打ちの場面がよかった。このあたりは、おそらくフィクションとして描かれたということなのだろうが、迫力があった。

第二に、今後の伏線。

父の執権、時政は、いずれ放逐されることになるはずなのだが、ここにいたる伏線として、権力者はいかにあるべきかをめぐって、義時と時政の確執が描かれていた。このあたりの描写は、うまいと思う。このドラマは、「権力」にあるものはどうあるべきかをめぐって展開するドラマであると思っている。この観点からは、時政のゆくすえが、まずは気にかかるところである。

以上の二つのことを思ってみる。

ところで、合戦のシーンは、ロケなのか、VFXなのか。どうでもいいことなのかもしれないが、撮影技術の進歩ということも、ドラマを面白くするために大きく寄与していることが理解される。

さて、次週以降、権力をめぐってこのドラマはどう展開することになるだろうか。続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年9月19日記

追記 2022年9月27日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月27日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「オンベレブンビンバ」
#鎌倉殿の13人
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/27/9528907