映像の世紀バタフライエフェクト「東京 破壊と創造 関東大震災と東京大空襲」2022-09-01

2022年9月1日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「東京 破壊と創造 関東大震災と東京大空襲」

九月一日であるが、この日が、関東大震災の日であるという記憶は、かなり薄れてきているかもしれない。

関東大震災、それから、東京大空襲のことは、これまでに「映像の世紀」シリーズであつかってきている。特に目新しいということはないのであるが、この回において、注目しておくのは、建築家のレーモンドということになる。建築史には疎いので、この人物の名前は知らなかった。

関東大震災と東京大空襲で破壊された東京に立った人物として、まず思い浮かぶのは、昭和天皇ということになる。破壊されたて「帝都」において、昭和天皇はいったいどんな思いで、そこに立ったのだろうか。

映像記録として興味深かったのは、地震がおきて直後の東京の人びとの様子を写したところである。まだ、火災の被害の起こる前のことになる。このような状況においても、記録映像が残っていることは、まさに「映像の世紀」というべきなのだろう。

この意味では、東京大空襲の時のリアルが映像記録が残っていないということが意味のあることかもしれない。一枚のスチール写真が残っているだけである。

最近読んだ(若い時読んで再読になるが)本として、『戦中派不戦日記』(山田風太郎)がある。これには、その時、目黒にいた著者が、空が明るいので新聞が読めるほどであったと、記している。間接的な記述かもしれないが、その時の火災の規模の大きさが想像できる。

最後まで見て、この回の製作に関わっていたのは、アミューズ。見てみると、「映像の世紀」で東京をあつかった時の製作にも関わっている。

2022年8月30日記

『スペードのクイーン/ベールキン物語』プーシキン/望月哲男(訳)2022-09-02

2022年9月2日 當山日出夫

スペードのクイーン

プーシキン.望月哲男(訳).『スペードのクイーン/ベールキン物語』(光文社古典新訳文庫).光文社.2015
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334753054

プーシキンの名前は知っているのだが、読んではいなかったように思う。若い時に手にしたことがあったかもしれないが、とうに忘れてしまっている。

『スペードのクイーン』は、従来『スペードの女王』のタイトルで知られている。私もこのタイトルで憶えている。光文社古典新訳文庫では、翻訳にあたってタイトルを変更することが時々ある。これもその一つである。解説によると、「クイーン」の方が原文に近いということである。

『スペードのクイーン』であるが、平明な文章なのだが、どうも今一つよくわからないというのが正直なところ。これは、題材となっているトランプのゲームが、具体的にイメージしにくいということもあるのかもしれない。今の私は、トランプのゲームなどまったすることがない。

それから、出てくる数字の意味。何かを表象していることは分かるのだが、いったい何のことなのか、これもはっきりしない。まあ、文学的な表象というのは、そう簡単に手の内がばれるようなものではないことは確かなのだが。これをめぐっては、いろんな研究者がいろんなことを言っているようだ。その詳解は、この文庫本の解説に詳しい。

『ベールキン物語』、これは読んで面白い。一九世紀の初めのころ、日本ではまだ江戸時代であるが、このような時代にこんな小説がロシアで書かれていたというのは、率直に興味深い。

ともあれ、解説によると、プーシキンが生きた時代、ロシアで文学にたずさわるというのは、かなり大変なことであったようだ。これは、ロシアの文学史や歴史についての予備知識があるならば、面白く読めるところなのだろう。だが、そのようなことをぬきにして、ただ現代の感覚で読んでも、「ベールキン物語」は読んで面白い。短篇集として非常によく出来ている。

プーシキンでは他に『大尉の娘』が、光文社古典新訳文庫で読める。これも読んでおくことにしたい。

2022年6月30日記

『はじめての王朝文化辞典』川村裕子(著)・早川圭子(絵)/角川ソフィア文庫2022-09-03

2022年9月3日 當山日出夫

はじめての王朝文化辞典

川村裕子(著).早川圭子(絵).『はじめての王朝文化辞典』(角川ソフィア文庫).KADOKAWA.2022
https://www.kadokawa.co.jp/product/321611000839/

だいたいは知っていることなのだが、新しく出た本ということで読んでみた。時期的には、タイムリーな出版になるのかとも思う。次の次のNHKの大河ドラマが、『光る君へ』ということで、紫式部が主人公になるらしい。平安王朝文化、文学について、いろいろ興味のあるところである。

だが、この本自身は、特にそれを意識して作ったということではないようだ。巻末の参考文献リストを見ると、二〇二一年八月で切ってある。この時期に基本の執筆を終えているということになる。(そのせいなので、例えば岩波文庫の『源氏物語』が完結したものとして上がっていない。これは、今では、全巻完結している。)

だいたい知っていることが、辞典風に、あるいは、軽い読み物風に、テーマごとに整理して書いてある。そんなに踏み込んだ詳細な考証ということはない。気軽に読めるように書いてある。とはいえ、学問的には、基本の水準を守っている。諸説ある事項にかんしては、その旨断ってある。

あつかってあるのは、平安朝貴族のうちでも、上級に属する人びとの日常生活と言っていいだろう。すくなくとも受領層以上の貴族ということにはなる。具体的には、作品名としては『源氏物語』『枕草子』『蜻蛉日記』『和泉式部日記』などが、取り上げられている。天皇にかんすること、また、下級の貴族については、あまり触れるところがない。これは、あげたような王朝文学作品を理解するうえで必要な事項であり、その視点から編集、執筆してあるということだと思う。

軽い読み物風に書いてあるのだが、読んで面白い。だいたい知っていることが多いとはいえ、なかには、新知見というものもいくつかある。

一つには、知識の整理ということで役に立つ。

さらには、平安王朝文学についての解説として面白い。(ところどころ、作品の内容に踏み込んで解説してあるところがある。)

ただ、不満を言えばであるが……王朝文学と言っても、いわゆる女房文学がメインであって、漢詩文や仏教のことについては、あまり触れるところがない。また、主に、女房、女性の視点で解説されることが多い。王朝文学についての辞典ということで編集するとなると、これはこれで一つの方針であろうとは思う。

この一冊で、平安貴族の生活のすべてを網羅するというところまではいかないが、しかし、主な平安文学(主として仮名文学作品)を読むための基本的な予備知識の整理という観点からは、よくできている本だと思う。

2022年9月2日記

『ちむどんどん』あれこれ「君と僕のイナムドゥチ」2022-09-04

2022年9月4日 當山日出夫

『ちむどんどん』第21週「君と僕のイナムドゥチ」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_21.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年8月28日
『ちむどんどん』あれこれ「青いパパイアを探しに」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/08/28/9521385

暢子の店「ちむどんどん」は閑古鳥が鳴いているようだ。

まあ、このあたりは、ドラマとしてただ単純に開店したお店が繁盛してしまったらつまらないということもあるのかとも思う。しかし、ここは、暢子のよみが甘かったというべきところだろう。

そもそも東京で沖縄料理の店をやりたいと思いついたのが、まさに思いつきにすぎない。ちゃんとリサーチして判断したわけではない。また、その店を開くのに、鶴見などではなく、杉並でというのも、どうだろうか。そして、東京の人間にも合うように、工夫をすることになる。メニューを分かりやすく表記するぐらいはいいとしても、味まで変えてしまうことはどうなのかなと思う。このあたりは判断の難しいところである。

現地(沖縄)の味をそのまま出すのがいいか、あるいは、東京風にアレンジした方がいいのか、このあたりの判断は、飲食店の経営者として重要なポイントになる。

しかし、このドラマでは、この重要な判断についてきちんと描いてきていない。このあたりが、どうもこのドラマのつくりに、どこか物足りなさを感じるところでもある。

さて、ニーニーは、養豚場で無事に仕事を続けることができるだろうか。このドラマも、残り一ヶ月ほどとなった。この続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年9月3日記

追記 2022年9月11日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月11日
『ちむどんどん』あれこれ「豚とニガナは海を越えて」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/11/9525089

ブラタモリ「石見銀山」2022-09-05

2022年9月5日 當山日出夫

ブラタモリ 石見銀山

石見銀山には行ったことはない。名前は、無論知っている。

かつて、日本の中世において、日本という国は、世界的に見て金、銀の産出国であったことは、歴史の知識としては知っている。

見て興味深かったのは、銀山の一帯が天領として幕府直轄地であったことかもしれない。そういえば、佐渡金山、というよりも佐渡島も、天領であったことになる。

ただ、昔の銀山の跡が残っているだけではなく、そこに住んで生活していた人びとの継続があり、地域の社会、経済とのつながりが、遺跡として今に残っていることが重要なのだろうと思う。

さらに気になるところとしては、江戸時代から明治になって、この銀山がどのような変遷をたどったかというあたり、また近代における銀山はどんなものだったのか……気になるのだが、この番組の範囲でここまで求めるのは無理というものだろう。

どうでもいいことかもしれないが、私の知識としては、「リアス式」である。子どものころに憶えた知識として、今にいたるまでこれで憶えている。

2022年9月4日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「理想の結婚」2022-09-06

2022年9月6日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第34回「理想の結婚」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/34.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年8月30日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「修善寺」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/08/30/9522010

この回の一番のポイントというべきは、はじまりの方であった実朝への講釈。武芸、学問、いろいろあるなかで、なんでこんなことを思ったのが、三浦義村による、女との別れ方についての講釈。これが、この回の全体にわたって、じわりと効いてきている。

実朝の結婚。あからさまな政略結婚なのだが、この時代、こんなものなのであると思えばそれまでである。だが、これが、後の承久の乱の伏線になっているということはある。それにしても、後鳥羽院は、鎌倉武士を田舎者と見下している。特に、北条のことが嫌いである。このあたりが、承久の乱へとつながっていくことになるのだろう。

義時の新しい妻。これも政略結婚にはちがいなかろう。鎌倉殿の御家人の結束のためにであると理解できる。問題は、その女性である。どんな人物が見極める役目になったのが、八田。しかし、その目は節穴であったかもしれない。どうやら、義時は、女性としてはハズレを選んでしまったかもしれない。(少なくともキノコが好きな女性であれば、まだ良かったのだろうが。)

実朝は、まだ歌を読んではいない。歌人としての実朝は、どのようにして生まれることになるのだろうか。このあたりが、今後の展開として気になるところである。次回以降を楽しみに見ることにしよう。

2022年9月5日記

追記 2022年9月13日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月13日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「苦い盃」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/13/9525593

スイカズラ2022-09-07

2022年9月7日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日はスイカズラである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年8月31日
ハルジオン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/08/31/9522294

これも撮りおきのストックからである。初夏の花ということになる。

家からちょっと歩いたところに咲く。家の近くで、三ヶ所ほど咲く場所は確認している。そのうちで、最も近いところのものである。三脚とカメラを持って歩いていくのに、近いところの方がいい。

毎年、咲きはじめるかなというころから観察するようにしている。はじめは白い棒のようなものが、二本そろって見える。それが咲くと白い花になる。それが、二~三日のうちに、黄色くなる。見ていると、日々、その姿と色が変わっていく。

スイカズラの花が咲くころが、ちょうどウツギの花の咲くころでもある。スイカズラを撮って、少し歩いたところにあるウツギの花を写す、ということを、ここ数年している。

今日は、台風が日本をかすめていった。そのせいか、風があって、時折雨も降る。

朝起きて、露草の花を写している。特に雨の降った翌朝のぬれた状態のときは、露草もみずみずしい。杜鵑草の花ももう少ししたら咲くだろうかと思う。そのうち彼岸になって、彼岸花が咲く時期になる。萩もそろそろかなと思っている。

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

スイカズラ

Nikon D500
SIGMA APO MACRO 150mm F2.8 EX DG OS HSM

2022年9月6日記

追記 2022年9月14日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年9月14日
箱根空木
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/09/14/9525831

「風よあらしよ」(一)2022-09-08

2022年9月8日 當山日出夫

NHK 「風よあらしよ」

伊藤野枝の名前は知っていた。しばらく前に岩波文庫で出た『伊藤野枝集』は買った。ただ、買っただけでしまいこんであるのだが。

原作の小説は読んでいない。

大正時代の、伊藤野枝、平塚らいてう、辻潤、大杉栄……このあたりを中心に展開するドラマとして作ってあるようだ。第一回を見た限りでは、かなりちからをいれて作ったと感じる。

いいと感じるところは、ただ時代の先駆者としての伊藤野枝の姿だけを描いていないところにあると思う。伊藤野枝が家を出て、青鞜にかかわるきっかけになったのは、女学校の教師であった辻潤の影響なのだが、その辻潤は、エゴイストである。

今でいう、フェミニズムの観点から見たとき、それは、近代社会のなかにおける個人のエゴと両立できるものなのだろうか。ただ、進歩的な思想としての女性解放、フェミニズムの先駆者としての伊藤野枝の姿を、さらに相対化して見る視点を感じる。

時代は大正のはじめごろである。その時代における思想的先がけの姿を描くだけではなく、時代の流れのなかにある個人のエゴというものを、このドラマは描いていると感じるところがある。どのような先駆者であっても、時代の中に存在するものであると理解していいだろうか。

2022年9月6日記

映像の世紀バタフライエフェクト「映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突」2022-09-09

2022年9月9日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突

この回は、非常に興味深かった。

これまで「映像の世紀」シリーズでは、数多くの映像資料を使ってきている。そこには、資料批判という視点が不可欠となる。残っている映像資料を、そのまま編集するということではないだろう。

思うことは多くある。が、その中で印象的な部分としては、サイパンのことがある。米軍のサイパン島攻撃のとき、多くの民間人が犠牲になった。その自決のシーン、断崖から飛び降りる場面は、これまで多くの番組で目にしてきた。このシーンを、アメリカは、対日戦プロパガンダとして利用していた。このことは、非常に強く心に残る。使えるものはなんでも使う、まさにプロパガンダとは、こういうものなのか、という思いを強くした。

その一方で、ただ為政者のプロパガンダだけで、人びとは動くものではないだろうということもある。面白いのは、ナチスの党大会の時の映像。モンタージュによって作りあげられた作品ということになるが、残っている映像資料から、その当時において多くのドイツの人びとが必ずしもヒトラー礼讃でなかったことが理解される。はたして、人間は、どれほどプロパガンダによって動かされるものなのであろうか。

話しは、今年(二〇二二)のウクライナのことにおよぶ。日本にいて、テレビを見ている限りであっても、ウクライナ、ロシア、双方のメディア戦略を感じることが多い。(ただ、メディア戦略ということでは、ウクライナの方が優っているようにも見える。これは、日本にいてテレビなど見ているせいかもしれないが。)

メディアによって、メディア批判の目をどうやしなっていくか、これからの大きな課題であることは、実感できた。

2022年9月7日記

『右大臣実朝 他一篇』太宰治/岩波文庫2022-09-10

2022年9月10日 當山日出夫

右大臣実朝

太宰治.『右大臣実朝 他一篇』(岩波文庫).岩波書店.2022
https://www.iwanami.co.jp/book/b609317.html

「右大臣実朝」は、すこし前に新潮文庫版で読んだ。若いときにも読んでいる。岩波文庫で新しいのが出たので、これでも読んでみることにした。

たまたま、NHKで『鎌倉殿の13人』をやっている。これは毎週見ている。ちょうど今、登場人物としては、実朝が鎌倉殿として登場してきたあたりである。

読みかえしてみての印象としては、はっきり言って、ドラマを見ているせいで分かりやすい。なるほど、それぞれの人物関係はこうなっているのか、というところがよく分かる。そして、この岩波文庫版の特色としては、巻末に作品内の登場人物の一覧と簡単な説明がついている。これを見ながら読むと、なるほど、この名称で出てきている人物は、この人なのか、よく理解できる。

といって、ドラマと小説は別であることはもちろんである。そのことは理解したうえで読んだことになるのだが、それでも、時代背景については、よりよく理解できると言っていいだろうか。

解説によると、太宰治は、この作品をかなり熱をこめて書いたらしい。そして、この作品は、この時代(戦時中)の歴史的、社会的、思想的、諸々の背景を考えて読まなければならないことがわかる。実朝という人物、あるいは、その歌が、近代日本においてどのように理解されてきたのか、ここのところが一つの重要な視点になってくる。ここは、ただ、現代の目で実朝の歌を読めばよいというものではない。

太宰治の書いた小説であるから、これはこれとして一つの文学作品として読めばよい。そして、十分に面白い。しかし、その一方で、この小説の書かれた時代の流れというものに思いをはせると、これはこれで、いろいろと考えるところがある。実朝という人間が、どのように近代になってから文学に描かれてきたのか、あるいは、ドラマで描かれてきたのか、ここのところも面白いテーマの一つになる。

2022年9月6日記