『虎に翼』「女の心は猫の目?」2024-05-19

2024年5月19日 當山日出夫

『虎に翼』第7週「女の心は猫の目?」

一般論で言えばであるが、ドラマの作り方、見方には二通りある。

一つには、その時代の一般的な普通の人びとの考え方、ものの見方、感じ方を基本として作る立場。過去の時代を舞台にしたドラマでは、その時代の価値観がどうであったかを尊重する。

もう一つは、現代の視点から見る作り方か。昔のことを描くにしても、それは現代の価値観や発想から見るとどうであるか、ということで作る。

このような意味では、『虎に翼』は後者の方、つまり現代の価値観を軸にしてドラマを作っていることになる。強いて言うならば、現代のフェミニズムの考え方を取り込むかたちで作ってある。あるいは、その考え方から見て批判の出ないように作ってある。これは別に悪いということではない。そのような方針で作ることは一向にかまわない。要はドラマとして面白ければいいのである。人間を描くことにつきる。

ただし、ドラマはフェミニズムの道徳の教科書ではない。まあ、そのように見たい人は自由にということではある。先週も触れたことだが、涼子の父の桜川男爵について、彼もまた時代の制度のなかでの犠牲者となった弱い立場の男性の一人であると見ることもできるが(私は、この立場をとる)、その反対に、涼子の弁護士になるという夢をくじいてしまったクズ男と見ることもできる(私は、賛成しないが、このような見方もありうる。)

花岡についても、様々に評価することができる。その時代にあっては、高学歴で高等試験にも合格していてという立場では、普通に考えて行動しているといっていいだろう。しかし、現代の価値観からは批判的に見られるところもある。

女中の稲は、すべてを手に入れることはできませんよ、女の幸せ……と言っていた。まあ、女性にとって手に入れるべきものをすべて手に入れられるべきだとするのが、フェミニズムの言説かもしれない。だが、この台詞については、ほとんど世評では批判的な反応がなかったようだ。

この週の大きな展開として、寅子は、結婚しようとする。弁護士の資格を得たものの、仕事が回ってこない。それは、寅子が女性だからということで、弁護士の仕事を断られるということである。

このあたり、実際にはどうだったのだろうかと思うところがある。

弁護士の仕事といっても、法廷で弁護士として弁論をふるうだけが仕事ではない。たとえば遺産相続などの事務手続きなどもあるだろう。実際の弁護士としての仕事は、このような仕事の方が多いかもしれない。

また、女性ならではという視点で、あえて女性の弁護士ということで仕事の依頼が来ることもあったかもしれない。まあ、現代では、女性ならではなどと言うと叱られそうではある。だが、職業、職種によっては、女性が多い場合、あるいは、女性であることを意図的に示すこともある。たとえば、産婦人科医などの場合、女医といういことを明示してある広告など目にすることがある。(ことの是非ではなく、女性を選ぶ女性がいることは確かなことである。)

しかし、ドラマでは、法服を着用して法廷に立つことを目指している。それこそが弁護士の仕事であると描いている。

寅子は、社会的地位のために結婚したいと思う。こんな理由で結婚することになった女性というのは、朝ドラの歴史のなかで始めてかもしれない。

ただ、昭和戦前、あるいは、戦後しばらくの間は、男女ともに、一定の年齢になれば結婚するのが当たり前という時代であったことは確かだろうと思う。特に女性の場合は、結婚することが人生の重要な案件であったことは確かだろう。ただ、男性の場合、その規範的な制約は、女性ほどには強くなかったかと思うが。

しかし、弁護士の仕事と結婚している、いない、ということが結びつくとは思えないのだがどうなのだろうか。寅子は、名刺を作ることになるが、日本の習慣では、人名に「ミス」とか「ミセス」とかはつかない。女性を未婚か既婚かで区別するということはさほど無いということができよう。これも、社会的にどのような場面でどのようであったかということは、別に議論しなければならないが。

また、弁護士事務所の依頼客で、寅子が未婚だから仕事を頼まなかったという人は出てきていない。女性であることで断った依頼人はいたが。

社会的地位のために結婚する、というのは果たしてどうなのだろうか。ちょっとこのあたりは、いくぶん無理があるような気がしてならない。

結婚相手を探すことになるのだが、その動機が社会的地位を得るためということは隠しておくとしても、寅子の学歴や年齢と日本で最初の女性弁護士ということを考えると、そう簡単に見つからなかっただろうと思う。寅子は、大学に通った。ほとんどの大学が男子学生しか受けれていない時代である。ごく少数の最高学歴ということになる。しかも弁護士である。

一般には、女性の結婚相手は、社会的階層として自分と同等か上の男性を求めることになる。また、結婚しても弁護士の仕事を続けるということであるならば、このことに理解を示す男性は限られたものであったかと推測する。昔風の言い方をあえてするならば、嫁のもらい手が無い、ということになる。

史実としては、モデルとなった三淵嘉子は、書生であった男性と結婚している。この史実をふまえて、これまでのドラマのように、相思相愛の仲で結婚にいたるということにしなかったのは、このドラマの新機軸なのかと思う。

興味深いのは、このような結婚を描いたことに、世評としては、否定的な意見が見られないということである。これは、現代における結婚のあり方が、男女(に限らずということになるが)、双方の合意が必要、ということを重視する方向に傾いて来ていることの反映だろう。

過去の朝ドラであつかってきたような恋愛至上主義的な結婚観からすれば、非常にドライで割りきった考えかたになるのだが、このような考え方が、広まりつつある、そして、それが、新しく正しいと感じられるようになってきている、ということなのかもしれない。とにかく、このドラマでは、寅子は正しくあらねばならないことになっている。

社会的地位のための結婚するということは、離婚した女性、夫を失った女性は、社会的地位を失うという考え方にもつながることになるかもしれない。モデルとなった三淵嘉子の人生と経歴から考えてみると、ドラマの中のこの時点での寅子の結婚観や家族観が、これからどうなっていくか気になるところである。おそらくは、この週の時点での、社会的地位を求めての結婚ということが、何かの伏線になるのだろうとは思っている。

2024年5月18日記