『光る君へ』「つながる言の葉」2024-08-05

2024年8月5日 當山日出夫

『光る君へ』「つながる言の葉」

この週もいろいろとあった。

干魃である。ついこの前の放送では、大水だった。平安時代は、今でいう気候変動の災害が多かった時代である、ということは、すでに言われていることだと思うが、まさにこの時代の人びとは苦労したのだろう。(それが、古代から中世へという流れになっていくのかと思うが。)

さすが安倍晴明である。雨を降らした。安倍晴明が出てくる回は面白い。しかし、ここで安倍晴明もちからを使い果たしてしまったようである。道長からもらった寿命の一〇年は、どうなるのだろうか。また、道長は呪詛されていたが、どうなるだろうか。

『枕草子』が、この回からこの名前の作品として登場することになる。開いて読んでいた場面を見ると、「春はあけぼの」から始まる構成になっていた。執筆の順序はともかく、最終的に編集したものとしては、この章段から始まるテキストになったということなのだろう。

和泉式部が登場した。このドラマでは、名前はあかねである。おそらく日本の和歌の歴史において、最も情熱的で天才的な女性歌人の一人、と言っていいだろう。どのような人物として描くかは興味のあるところだが、こんな感じだったのかなと思う。着ていた袿(でいいのかな)が、スケスケだったが、「すずし」でよかったろうか。

『古今和歌集』の仮名序の冒頭が出てきていた。この部分はむかし学生に日本語の歴史を語るときに、かならず言及していた。歌というのはそういうものなのであるが、しかし、平安時代になると文字を読み書きできる人の詠んだ歌だけが残るようになる。書かれない歌は残らない。そういう時代でもある。文字と歌や文学を考えるときに、気をつけなければならないこととして、古今集仮名序のことについて話していた。ただ、「もののあはれ」と言っていたのは、どうだろうか。

まひろたち女房の荷物の持ち方が、まるで近代の女学生の荷物の持ち方である。どうしえも、『花子とアン』を思い出してしまう。

藤原公任が書いたのは、白楽天の『新楽府』から「七徳舞」であった。

道長や公任たちが会食するシーン。今回は野外であったが、だんだん食事が豪勢になってきている。

賢子にまひろが教えていたのは、「あめつち」だった。「いろは歌」の成立は、もうすこし先のことになるはずだから、「あめつち」でいいのかと思う。「なにわづ」でもよかったかもしれないが。

賢子が、紙を燃やすシーンは、昔、母親のまひろが道長からの手紙を燃やした場面を思い出させる。この母親と娘は、よくよく紙を燃やすのが好きとみえる。

さて、次週はオリンピックのためにお休み。予告では、次の回で「いづれの御時にか」と言っていたが、さてどのようになるだろうか。

2024年8月4日記