ザ・バックヤード「国土地理院」2025-02-27

2025年2月27日 當山日出夫

ザ・バックヤード 国土地理院

現代の地図の作り方は、なるほどそういう技術によっているのかと思う。これはこれで、非常に興味深いものだった。

番組のなかで言っていなかったこととして、思ったことを書いてみる。

国土地理院というと、地形図を作っているところ、というのが若いころからのイメージである。ただ、最近では、地形図……昔は、五万分の一、二万五千分の一がメインだったが……も、売れないらしいということをニュースで見たのだが、今はどうなっているのだろうか。たしかに、デジタル地図の便利さに慣れてしまうと、紙の地図を広げようというきにはならないかもしれない。しかし、災害時などで、電源が無くても使える紙の地図の重要性ということは無くならないだろう。

中学生になったとき、担任の先生がたまたま地理が専門の先生だったので、一番最初に習ったのは、地形図の折り方である。これは、今でも憶えている。それから、京都市内で地形図を売っている店の所在を教えてもらった。(そのうちのひとつ、東本願寺の北側にあった小林地図専門店は今はもうなくなっている。)

国土地理院が、昔の陸地測量部であるとは言っていたが、それが、陸軍参謀本部の仕事であったことは言っていなかった。これは、フェアではないと思う。かつて、日本の地形の測量、地図の作成は、軍事的に重要なミッションであった。一般に販売された参謀本部の地図に空白の部分があった……軍事的に重要な箇所である……ことも、重要かと思う。伊能図が出てきていたが、これをめぐってシーボルト事件があったのは、まさに日本の海岸線を描いた正確な地図は、国防上の重要機密であったからに他ならないだろう。ちなみに、泉鏡花の『高野聖』の冒頭は「参謀本部の地図~~」で始まる。それから、太宰治の『津軽』にも参謀本部の地図のことは出てきたかと憶えている。

また、広くカーナビなどに使われているGPSは、もともとはアメリカの軍事技術を民生利用に使っているものである。

番組の時間の都合なのかと思うが、昔の地図の作り方、まず、全国に三角点を置いて、というあたりの話しも、詳しく知りたいところであるが、まったくふれることがなかった。

伊能図がどのような技術で作ったものなのかも興味がある。基本的には、コンパスと歩数による距離測定、であったはずだが。そこで使われた数学は、現代から見てどの程度の水準のものだったのか、専門家の意見が聞きたいものである。

それから、私の知る限りだと、全国でいろいろと撮影された航空写真は、奈良文化財研究所に集めて保管する、データベース化するということがあったと憶えているのだが、これは今はどうなっているのだろう。また、国土地理院で地図作成に使った画像データの保存も、将来的には重要な意味があるにちがいない。

2025年2月21日記

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