「金沢 大きな図書館で」 ― 2024-09-03
2024年9月3日 當山日出夫
ドキュメント72時間 金沢 大きな図書館で
まず驚いたのは、図書館でこんな番組が作れるということである。なぜなら、私の知識の範囲であるが、図書館においては、その利用者の秘密は絶対厳守が基本中の基本だからである。誰がどんな本を読んだか、借りたか、秘密である。部外者に知らせてはならない。これまで図書館がテレビで映ることがあっても、そこで人間が映ることは無かった。図書館の内部は、写真撮影禁止が普通である。(蔵書の複写(コピー)ということでの撮影なら大丈夫かもしれないが。)
いったいこの番組の制作にあたって、どのようなNHKと図書館との交渉があったのだろうか。図書館は、どういう理由で許可したのだろうか。このあたりのことについて、番組では何も言っていなかったが、どうしても気になるところである。
図書館のなかで、誰がどんな本を読んでいるか、という場面がテレビの映像として放送されたのは、画期的なことだと思っているが、図書館関係者はどう感じているだろうか。
ともあれ、このごろ公共図書館の役割が、近年になって大きく変わってきたことは確かである。新しい図書館のあり方を示す内容になっていたと感じる。
個人的に私がもっとも思い入れのある図書館は、なんといっても、大学生のときに使った、慶應義塾大学の三田の図書館である。重要文化財であるが、私の学生のときには、普通に図書館として使っていた。閲覧室など、昔のままであったはずである。その意味では、古い設備で使いにくくはあったが、しかし、独特の雰囲気は、あの図書館ならではのものであった。これも、今となっては若いときの思い出である。
2024年8月31日記
ドキュメント72時間 金沢 大きな図書館で
まず驚いたのは、図書館でこんな番組が作れるということである。なぜなら、私の知識の範囲であるが、図書館においては、その利用者の秘密は絶対厳守が基本中の基本だからである。誰がどんな本を読んだか、借りたか、秘密である。部外者に知らせてはならない。これまで図書館がテレビで映ることがあっても、そこで人間が映ることは無かった。図書館の内部は、写真撮影禁止が普通である。(蔵書の複写(コピー)ということでの撮影なら大丈夫かもしれないが。)
いったいこの番組の制作にあたって、どのようなNHKと図書館との交渉があったのだろうか。図書館は、どういう理由で許可したのだろうか。このあたりのことについて、番組では何も言っていなかったが、どうしても気になるところである。
図書館のなかで、誰がどんな本を読んでいるか、という場面がテレビの映像として放送されたのは、画期的なことだと思っているが、図書館関係者はどう感じているだろうか。
ともあれ、このごろ公共図書館の役割が、近年になって大きく変わってきたことは確かである。新しい図書館のあり方を示す内容になっていたと感じる。
個人的に私がもっとも思い入れのある図書館は、なんといっても、大学生のときに使った、慶應義塾大学の三田の図書館である。重要文化財であるが、私の学生のときには、普通に図書館として使っていた。閲覧室など、昔のままであったはずである。その意味では、古い設備で使いにくくはあったが、しかし、独特の雰囲気は、あの図書館ならではのものであった。これも、今となっては若いときの思い出である。
2024年8月31日記
「マルレ〜“特攻艇”隊員たちの戦争〜」 ― 2024-09-03
2024年9月3日 當山日出夫
BS1スペシャル 「マルレ〜“特攻艇”隊員たちの戦争〜」
再放送である。二〇二一年八月。この最初の放送のときは見ていなかった。
はっきりいって、戦術として無謀である、としかいいようがない。このことが、亡くなった隊員たちの無念として痛感するところである。
特攻としては、海軍の航空機によるものが知られている。一般的な知識としては、大西瀧治郎がいいだしたことであり、統率の外道、という認識はあった。だが、マルレについては、ただその時代の「空気」のなかで生まれて、そして、さしたる戦果をあげることなく、多くの犠牲者を出すのみで終わった。
誰が発案したのか、それを使った具体的作戦は、どのように決められたのか、せめてこの関係の資料が残っていればと思うのだが、詳しいことはわからないらしい。
海上で戦うことが出来なくなった隊員たちは、地上戦を戦うことになる。そこで待ち受けていたのは、敵の銃弾もあるが、飢餓であった。『野火』に描かれた状況まで追い詰められたことになる。太平洋戦争において、日本軍の死者のほとんどは、戦病死、飢餓によるものであったと言われている。
冷酷な見方かもしれないが、マルレは特攻兵器としては、無理があったというべきだろう。爆雷ひとつで、どれほどの損害を与えられるのか。残酷な言い方になるのだが、製造コストが安くてすむという他には、何のメリットがあったのだろうか。(無論、隊員の生命は無視してのことになるのだが。)
番組の冒頭で映っていた隊員の戦死の記録の部分。「特進」とあった。せめてものすくいというべきであろうか。
2024年9月2日記
BS1スペシャル 「マルレ〜“特攻艇”隊員たちの戦争〜」
再放送である。二〇二一年八月。この最初の放送のときは見ていなかった。
はっきりいって、戦術として無謀である、としかいいようがない。このことが、亡くなった隊員たちの無念として痛感するところである。
特攻としては、海軍の航空機によるものが知られている。一般的な知識としては、大西瀧治郎がいいだしたことであり、統率の外道、という認識はあった。だが、マルレについては、ただその時代の「空気」のなかで生まれて、そして、さしたる戦果をあげることなく、多くの犠牲者を出すのみで終わった。
誰が発案したのか、それを使った具体的作戦は、どのように決められたのか、せめてこの関係の資料が残っていればと思うのだが、詳しいことはわからないらしい。
海上で戦うことが出来なくなった隊員たちは、地上戦を戦うことになる。そこで待ち受けていたのは、敵の銃弾もあるが、飢餓であった。『野火』に描かれた状況まで追い詰められたことになる。太平洋戦争において、日本軍の死者のほとんどは、戦病死、飢餓によるものであったと言われている。
冷酷な見方かもしれないが、マルレは特攻兵器としては、無理があったというべきだろう。爆雷ひとつで、どれほどの損害を与えられるのか。残酷な言い方になるのだが、製造コストが安くてすむという他には、何のメリットがあったのだろうか。(無論、隊員の生命は無視してのことになるのだが。)
番組の冒頭で映っていた隊員の戦死の記録の部分。「特進」とあった。せめてものすくいというべきであろうか。
2024年9月2日記
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