昭和の選択「 “引き揚げの神様”と呼ばれた男」 ― 2025-12-22
2025年12月22日 當山日出夫
英雄たちの選択 昭和の選択 “引き揚げの神様”と呼ばれた男
松村義士男という人物のことについては、知らなかった。
見ていていろいろと思うことはあるのだが、気になったこととして、番組の中で「朝鮮の当局」という言い方をしていたのが、ひっかかる。日本による統治がなくなり(ポツダム宣言によって朝鮮半島を手放した)、朝鮮総督府は意味の無いものになり、38度線をはさんで、北がソ連、南がアメリカ、ということになって、占領統治されていた状態である。この状況の中で、松村が交渉しようとした相手とての、朝鮮の当局とは、いったい何なのだろうか。統一的な統治機能(それが、南北に分断されたものであっても)が、存在したということなのだろうか。
昭和20年の、太平洋戦争・大東亜戦争の敗北は、外地にいた日本人の苦難であったことは、語られることが、あまりなかったかもしれない。満州にいた人たちのことは、『流れる星は生きている』(藤原てい)や『朱夏』(宮尾登美子)などで描かれている。しかし、それ以外の、中国や台湾、東南アジアにいた人たちが、戦争の終結とともに、その後はどうなったのか、気にはなるところだが、あまり一般的に語られることはないかと思っている。東南アジアや南洋諸島にいた日本人について語るときは、その現地の人たちへの植民地支配的加害者とみなすのが、現在の一般の傾向であるかとも思う。
松村義士男は、義侠心の人物であったことはたしかだろう。組織のちからをたのみにする人物ではないが、しかし、ことをなすときには、組織をうまく利用する。ソ連がどういう組織で出来ている国なのかを見抜いているというのは、あるいは、戦前の労働運動にかかわったことから学んだことだったかもしれないとは、見ながら思ったことでもある。
ポツダム宣言を受諾して(これは、8月14日)、では、外地にいた日本人はどうなるのか、ということについて、日本の国家や政府は、なんにもできなかったというのが、実際のところということになる。軍については、陸軍省、海軍省が、第一復員省、第二復員省として、仕事にあたったことになるが、民間人は、政府としてどのように対応すべきか、分からなかったというのが、実際のところだろう。
(番組では言っていなかったが)この逆のことが、日本国内にいた、朝鮮人や中国人についても、いえるだろう。もう、今では使わない(使ってはいけない?)ことばになっているが、第三国人という言い方が、微妙な立場をあらわしている。
この時代の証言の中で出てきていた、日本人とおもわれる売春婦の話は、この時代だったら、こういうこともあっただろうと、思うことになる。
金日成の素性については、何にもふれることがなかったが、これは意図的に避けたのだろうか。抗日パルチザンの英雄ということになっていると思うのだが、それと、北朝鮮の建国にかかわった金日成は、偽物であるというが通説だと思うのだが、ここは、ただ金日成の名前を出して番組を作っただけ、ということでいいのだろうか。松村が交渉がたくみであったとしても、約束を守ってくれる人物だったとは思えないのだが、はっきりそうもいえないということもあるのだろう。
挑戦半島ではソ連とアメリカが対立し、中国の方では、蒋介石と毛沢東が争っていた時代であるとして、そこにかつて居住していた「日本人」(この定義も難しいのだが)は、国際法ではどうあつかわれるべきことだったのだろうか。このことの解説も、あってよかったかと思う。
2025年12月9日記
英雄たちの選択 昭和の選択 “引き揚げの神様”と呼ばれた男
松村義士男という人物のことについては、知らなかった。
見ていていろいろと思うことはあるのだが、気になったこととして、番組の中で「朝鮮の当局」という言い方をしていたのが、ひっかかる。日本による統治がなくなり(ポツダム宣言によって朝鮮半島を手放した)、朝鮮総督府は意味の無いものになり、38度線をはさんで、北がソ連、南がアメリカ、ということになって、占領統治されていた状態である。この状況の中で、松村が交渉しようとした相手とての、朝鮮の当局とは、いったい何なのだろうか。統一的な統治機能(それが、南北に分断されたものであっても)が、存在したということなのだろうか。
昭和20年の、太平洋戦争・大東亜戦争の敗北は、外地にいた日本人の苦難であったことは、語られることが、あまりなかったかもしれない。満州にいた人たちのことは、『流れる星は生きている』(藤原てい)や『朱夏』(宮尾登美子)などで描かれている。しかし、それ以外の、中国や台湾、東南アジアにいた人たちが、戦争の終結とともに、その後はどうなったのか、気にはなるところだが、あまり一般的に語られることはないかと思っている。東南アジアや南洋諸島にいた日本人について語るときは、その現地の人たちへの植民地支配的加害者とみなすのが、現在の一般の傾向であるかとも思う。
松村義士男は、義侠心の人物であったことはたしかだろう。組織のちからをたのみにする人物ではないが、しかし、ことをなすときには、組織をうまく利用する。ソ連がどういう組織で出来ている国なのかを見抜いているというのは、あるいは、戦前の労働運動にかかわったことから学んだことだったかもしれないとは、見ながら思ったことでもある。
ポツダム宣言を受諾して(これは、8月14日)、では、外地にいた日本人はどうなるのか、ということについて、日本の国家や政府は、なんにもできなかったというのが、実際のところということになる。軍については、陸軍省、海軍省が、第一復員省、第二復員省として、仕事にあたったことになるが、民間人は、政府としてどのように対応すべきか、分からなかったというのが、実際のところだろう。
(番組では言っていなかったが)この逆のことが、日本国内にいた、朝鮮人や中国人についても、いえるだろう。もう、今では使わない(使ってはいけない?)ことばになっているが、第三国人という言い方が、微妙な立場をあらわしている。
この時代の証言の中で出てきていた、日本人とおもわれる売春婦の話は、この時代だったら、こういうこともあっただろうと、思うことになる。
金日成の素性については、何にもふれることがなかったが、これは意図的に避けたのだろうか。抗日パルチザンの英雄ということになっていると思うのだが、それと、北朝鮮の建国にかかわった金日成は、偽物であるというが通説だと思うのだが、ここは、ただ金日成の名前を出して番組を作っただけ、ということでいいのだろうか。松村が交渉がたくみであったとしても、約束を守ってくれる人物だったとは思えないのだが、はっきりそうもいえないということもあるのだろう。
挑戦半島ではソ連とアメリカが対立し、中国の方では、蒋介石と毛沢東が争っていた時代であるとして、そこにかつて居住していた「日本人」(この定義も難しいのだが)は、国際法ではどうあつかわれるべきことだったのだろうか。このことの解説も、あってよかったかと思う。
2025年12月9日記
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