100分de名著「ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (4)心はどこにある?」2026-05-02

2026年5月2日 當山日出夫

100分de名著「ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (4)心はどこにある?」

HAL9000は、人間の予測を裏切ったことになるのだろうか……とは、見ながら思ったことである。(HAL9000といって、分からない人も多くなってしまったかなとは思うが。)

この回で、意図的に使っていなかったのが、AIとかコンピュータということだったと思うが、どうなのだろうか。心とか意識とかを考えるとき、今では、AIの発達とシンギュラリティ(これを、どう定義するかはいろいろあるだろうが)のことを無視して議論することは、難しいかもしれない。意図的に、そうしなければならないようになっている、といっても過言ではないだろう。

強引に私なりに思うこととしては、心を静的なものとして考えるのではなく、人間の生きている時間の流れの中でとらえている、ということにもなるだろう。当たり前のことだが、言語ゲームも、コミュニケーションも、相手があって、やりとりの中でなりたつ。つまり、時間とともにある、といえる。コミュニケーションを時間の中で考えるというのは、現代のコミュニケーション研究では、どのように考えられているのだろうか。

時間の中で考えないかぎり、沈黙、ということの意味も分からないはずである。

2026年4月30日記

よみがえる新日本紀行「現代遠野物語」2026-05-02

2026年5月2日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「現代遠野物語」

オリジナルは、昭和47年。

『遠野物語』は、年をとってから、ようやく読めるようになった本である。Kindle版を、ときどき読んでいる。これまで『遠野物語』を敬遠してきたのは、とても怖い本だからである。普通のホラー小説のように怖さを意図して書いたものではないのだが、読んでいると心底怖くなる。若いころは、とても読み通すということのできなかった本である。だから、『遠野物語』を多く引用してある『共同幻想論』(吉本隆明)も、あまりきちんと読んではいないのである。(だが、これも、今ではKindle版として持っている。)

はじまりの方でさりげなく言っていたことであるが、この地域では、昔はヒエやアワを栽培していた。お米を作るようになったのは、戦後になって、イネの品種改良が進んだからである。

こういうことは、特に東北地方の農業について、基本的な重要なことだと思うのだが、あまり大きく語られることがない。近代になってからのイネの品種改良によって、寒冷地でも稲作が可能になってきた歴史というのは、やはり重要なことだと思う。

昔は馬を飼っていた。だが、馬を飼うのに、現代だと、イネのワラは必需品のように思うのだが、稲作がなかったことは、どんなふうにして馬を飼っていたのだろうか。

それが、この番組のオリジナルのころだと、牛の飼育に変わってきている。稲作の歴史、馬を飼う歴史、牛を飼う歴史、こういうことの総合的な研究というか、生活誌ということは、どれぐらい分かっていることなのだろうか。

登場していた人びと、男性も女性も、なにがしか頭にかぶっている。女性は手ぬぐいをかぶっているし、男性は帽子をかぶっているか、タオルを頭に巻いている。こういう生活の中の習慣は、いつごろまであったことなのだろうか。今では、都市部においても、男性が外出するときに帽子はかぶらない。戦後しばらくころまでは、帽子をかぶっているのが普通だった。子どもでも、男の子は、普通に野球帽をかぶっていた。漫画でいえば、『オバケのQ太郎』では男の子は野球帽をかぶっているが、『ドラえもん』ではかぶらなくなっている。(こんなことは、別にどうだっていいじゃないかということもあるかもしれない。だが、普通にくらしている人びとの生活の感覚の変化ということは、私は重要なことだと思っている。)

遠野と海辺とを、馬で行き来して荷物を運んでいた。駄賃付け、と言っていた。馬で運べるもので、生活がなりたっていたということでいいだろうか。これが現代では、道路が通じて、トラックが通らないとどうにもならなくなっている。農作業でも、軽トラックは必需品である。

番組の中では、民話、といっていた。私は、この用語はつかわない。柳田国男などの民俗学用語としては、昔話、伝説、ということだと思って、学生のころから、そうしてきている。

民話の語り部を継承していこうということは、意味のあることだとは思うけれども、その民話を語り継いできた人びとの生活が変わってしまえば、その民話もどうなるかわからない。大事なのは、どういう生活の中で(それは、現代から見れば非常に過酷なものだっただろう)、そのような民話が語り継がれてきたのか、ということの認識かとも、思っている。

『遠野物語』を読んで、ここに書かれた昔話や伝説が、どのどうな生活とともあったのか、その人びとの心性に想像力をはたらかせる必要がある。

昔の番組の中で、NHKの記者(?)がマイクを手にして、テープレコーダーを方から下げてインタビューしていた。いわゆるデンスケである。昔は、こんなふうだったなあと見ながら思ったのだが、今の、放送の仕事をしている若い人は、オープリールのテープレコーダーとか、使ったことがないのかもしれないかと思う。

2026年4月29日記

経済バックヤード「ラーメンも!うどんも!激動!「麺」業界の舞台裏」2026-05-02

2026年5月2日 當山日出夫

経済バックヤード「ラーメンも!うどんも!激動!「麺」業界の舞台裏」

ラーメンについては、この店のこだわり、ということで語られることが多いが、それでも実際には、下請け作業をやってくれる会社があるというのは、そういうものかと思う。

京都にある会社に、滋賀県のお店(2店舗を経営)がやってきて商品のラーメンの試作・試食をする。個人営業のような店であっても、実際に、商品を開発するとなると、その手間暇のコストを考えると、専門の会社に頼んでレシピを作ってもらう、ということが合理的ということになるのだろう。その店のオリジナルのラーメンを作る(組み合わせでいくらでも作れるから、オリジナリティがなくなることはない)、その一方で、会社の方としても、いろんなノウハウの蓄積につながるということになるかと思う。

私の今の住まいの近くは、ラーメン屋さんがかなりある。最寄り駅から、大学のキャンパスが二つあることもあるせいだろう。独立系のお店が多いかなと思っている。面倒なのでほとんど行かない。ラーメン食べるために、自動車を運転して、駐車場に駐めて、歩いて店まで、というのが、もう億劫なのである。

資さんうどんの店も行けるところにあるのだが、わざわざ自動車を運転して行こうとは思わない。まったく出不精になったものである。

牛丼屋さんとか、ファミリーレストランが、うどん屋さんになるというのは、今の時代としては、こういうことになるのだろうと思う。

保守主義とは、近所の馴染みの蕎麦屋の味を守ることである……とは言われているが、こういうたとえが、もう通用しない時代になってきているのかなと思うところである。

ところで、ラーメンのことを支那蕎麦と言ったら「正しくない」として怒られた時代があったが、今はどうなのだろうか。この延長としては、私は、ちゃん系ラーメンも、どうかなと思うのだが。しかし、こういうことばの感覚は、もう古いのかもしれない。

2026年4月30日記

新日本風土記「京都 家々」2026-05-02

2026年5月2日 當山日出夫

新日本風土記「京都 家々」

映っていなかったのが、京都の街中にあふれる外国人観光客。番組の中ででてきたような、静かな京都は、今ではかなり意図的に探さないと無理だろうな、と見ながら思ったことである。

見ていて一番興味深かったのは、始めのところで出てきた、弓の職人さん。道具の小刀(切り出し)を、専門の刀鍛冶の職人さんに作ってもらっている。実用的な道具、刃物を作る、それを使って実際にものを作る、この場合は弓であるが、こういう職人さんの仕事のつながりというのは、とても大事なことだと思う。

私の子どものころまでは、切り出し小刀などは、日常的に身の回りにあったものだが、今では、姿を消してしまったものになるだろうか。まったく売っていないということではないが。

鉛筆を削るのには、切り出しか、肥後守か、というのが、私の感じているところである。しかし、このごろでは、簡単に電動の鉛筆削り機を使ってしまうことが多いが。

京町家というのは、なくなっていくだろうと思う。京都の街で、京町家という家が意味があったのは、その時代(江戸時代の中期以降)の京都の気候風土であり、生活様式であり、その街の社会的秩序であり、商売のあり方であり、ということが、総合的にあってのことである。現代のように、歩いて行けるところの買物で、日常生活が送れるということが崩壊している、少なくとも崩壊しつつある、という状況では、京町家を残すのは難しいにちがいない。まさに文化財として残すだけのことになる。

だが、昔の、自分が生まれる前の家を修理して、それを、さらに自分が死んだ後の大工さんが修理するだろう、こういう時間の感覚の中で仕事をすることには、たしかに意義がある。

昔の京都の街だったら、歩いていけるところにお豆腐屋さんがあるか、あるいは、ラッパを鳴らしながら売って歩いたものである。それが、スーパーで、パック詰めのお豆腐を買うようになれば、すたれていくのはいたしかたない。

お豆腐屋さんでは、かまど、おくどさん、で豆を煮ている。気になったのは、火をつけるとき、バーナーで着火していた。これも、昔だったら、新聞紙に火をつけて、それで細く割った薪に火をつけて、さらに、太い薪を燃やして、となるはずだが、もうそんな悠長なことはしてないようである。

江戸時代、京都の街の周囲の山は、木が切られて、ほとんどハゲ山状態だったということだったと思うが、今では、歴史としてどう考えられているのだろうか。京都の街の人びとの日常生活のための薪は、どこで生産されて、どのように京都の街の中で売られていたのだろうか。生産、販売、流通、ということの研究はどれぐらいあるのだろうか。まあ、歴史的な風俗として、大原女ということは残っているが。

朝ドラの『カムカムエヴリバディ』に出てきたような商店街は、もう今の京都では、ほとんどないかもしれない。一部には残っているかとは思うが。家からの徒歩圏で、日常の買物が出来なくなったら人は住まなくなる。これは、当たり前のことである。

京都の近代建築は、いろいろあるし、これはこれでとても面白いテーマである。京都文化博物館、これは昔は、平安博物館だったが、もう、そのころのことを覚えている人も少なくなっただろう。この三条の通りには、近代の京都の重要な建築がいくつかある。

妙光寺は、いろんな事情があって荒れはてていたのを、近年になって再興したことになる。

木屋町は、カジュアルな飲み屋街という雰囲気である。といって、ここ数年は行っていないが。京都で学会とかがあれば、懇親会の後の二次会で、ときどき行くことがあったが、もう学会に出ることもない。このあたりは、地元の店どうしのつながりのある地域かなと思っている。

京都に行くとしても、外国人観光客のいない、昔の風情の残っているところを探してということになるだろうか。これはこれで、偏見かなと思わないでもないが。もう、こういうことも面倒になってきたので、まったく足が向かなくなってしまっている。

河原町あたりで、映画を見たり、本屋さんに行って、喫茶店でコーヒーを飲んで、京阪で家に帰る……もう、昔の思い出である。

2026年4月30日記