日曜美術館「秘仏・蔵王権現降臨」2026-05-07

2026年5月6日 當山日出夫

日曜美術館「秘仏・蔵王権現降臨」

我が家から奈良国立博物館までは、一時間はかからない。しかし、もう、行って見ようという気にならないでいる。たしかに「秘仏」の展示……これは、お寺の側からすれば、出開帳、ということになるが……を、特に見ようとは思わない。秘仏は秘仏のままでいいと思う。

要するに、もう、出かけるのが面倒なのである。(しばらく前だったら、近鉄の奈良駅で降りて、博物館まで歩いて行く道中で、耳に聞こえてくるのは、中国語ばかりという状態だったが、今は、どうなっているだろうか。)

番組で映っていた中で一番興味深かったのは、道長の書いた紺紙金字の写経の修復。まず、原本を画像データとしてとりこんで、その破損の状態を把握する。そして、それに合わせて、修復用の紙を漉く。これは、私は、既存の紙があって、それを、レーザーカッターなどで切り取って使うのかと思っていたが、違っていた。

(この修復のときの様子について、特別番組などないかなと期待する。)

山の中から、仏像を背負って運ぶ日通の人たちも大変である。(仏像を段ボールの箱に入れて背負っていたが、これは、軽くするためもあるし、また、万が一ころんだりしたようなとき、段ボールがクッションになるということを考えてのことかと思うが、どうなのだろうか。)

吉野について、神仏習合、それも、どちらかというと仏教の方から見ている内容だった。吉野は、折口信夫が語ったような、古代の信仰の地という側面もあるし、古来よりのアニミズムと、仏教の融合ということで、とらえるべきだろう。

今でもそうだろうと思うが、慶應の文学部の国文科の万葉旅行は、吉野ははずせないだろう。少なくとも、半世紀前の、私の学生のころはそうだった。

廃仏毀釈のことについては、いろいろとあったにはちがいない。多くの文化財が破壊されたことは、たしかである。これは、神道にとっても、仏教にとっても、決して良いことではなかっただろう。

大峰山が女人禁制であるのは、私は、これでいいと思っている。もし、これを変えるというのならば、自分もそこで修行したいという女性が現れてということでいいだろう。そんな苦しいめ、怖いめにあわされるのは嫌だというのなら、それだけのことである。(ただ、女人規制がけしからんから廃止しろという主張は、私は賛成しない。)

2026年5月5日記

芸能きわみ堂「ナマズ大暴れ!子どものための創作伎楽「鯰しづめ」」2026-05-07

2026年5月7日 當山日出夫

芸能きわみ堂「ナマズ大暴れ!子どものための創作伎楽「鯰しづめ」」

伎楽面は、正倉院に伝えられている。正倉院展で目にしたことはあるかと覚えている。(このごろは、正倉院展も行かなくなった。とにかく、人の多いところがいやになってきている。)

伎楽が、奈良時代に行われていたが、その後、途絶えてしまった。これはいたしかたのないことかと思う。

資料としては、残っている伎楽面と、わずかな文献資料だけである。ここから、昔の伎楽を再現するのは不可能といってだろうから、完全な、現代のオリジナルというべきだろう。

だが、これはこれで、現代における芸能、特にエンタテイメントであり、少し神事をまじえて、というところで、うまく作ってあったと感じる。

特に、現代で作ったお面が非常にいい。(奈良時代のものは木製のはずだが、現代のは何で作ったのだろうか。子どもがかぶって自由に動けるのだから、軽い素材で作っているとは思うが。)

こういうことは、教育としても、とても価値のあることだと感じる。

2026年5月3日記

100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (1)階級社会の苦しみ」2026-05-07

2026年5月7日 當山日出夫

100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (1)階級社会の苦しみ」

オーソドックスな文学研究の視点で語っている。

作者についての概要。
その時代背景。階級社会について。
読者層。これは、リテラシと出版の問題でもある。
作中のことば、common、uncommon、タイトルの、Great Expectations。

こういう基本的なことを、まずきちんとおさえておくというのは、安心して見ていられる。

ディケンズの作品は、いくつか読んだことがある。あるいは、読みかけたことがる(途中で止めてしまったものもある。)小説の作り方として、ちょっと古いかなという印象がある。

文学を読むということであるから、マルクスのことなどは出てこないだろうと思う。しかし、19世紀のイギリスの労働者階級ということを、もっとも詳しく考えたのが、マルクスの仕事だっただろう、ということは言ってもいいかなと思う。

階級社会というと、どうしても否定的なニュアンスでとらえることになる。人間は平等でなければならないというのが、現代の日本において、基本的な考え方になっている。

だが、依然として、ヨーロッパの人びとは階級社会の中に生きているというのが、実際だろう。別に労働者階級であっても、それが悪いことではない。それで、生活の保証があって、そこそこのレベルの生活がいとなめて、ということなら、強いて上の階級を目指して苦労することもない。上流階級に、また、別の苦労がある。このように考えることもできるかなとも思っている。あいつらとおれたちはちがうんだ、と双方から思っているのかとも思うが。

最初に、ビルドゥングスロマン、と言っていたが、普通は「教養小説」と訳している。登場人物の人格的な成長の物語ということが本来だと思っているのだが、それと、社会における階級の上昇ということとは、ちょっと違うかもしれない。

この時代の階級上昇ということと、今の時代のベンチャー企業でお金持ちにということとは、違うと思う。現代では、運もあるが、実力もあってのことである。

2026年5月5日記