3か月でマスターする西洋美術「(5)ドラマチックに心をつかめ!〜バロック・ロココ〜」 ― 2026-05-09
2026年5月9日 當山日出夫
3か月でマスターする西洋美術「(5)ドラマチックに心をつかめ!〜バロック・ロココ〜」
バロックとロココを一緒に話しをするというのは、とても無理のあることかなと思って見ていたのだが、なんだか非常に上手にまとめてあったという感じである。
光と影、空間の表現、人物描写、こういうことを織り交ぜながら、この時代の代表作をかけあしで紹介してあった。
バロックというと、多くの場合、音楽の歴史を思い浮かべるかと思うのだが、音楽とのかかわりということは、まったく出てきていなかった。これは、時間の制約もあることだし、美術以外に手を広げないという方針だからだろう。そうはいっても、大きな時代の背景とか、宗教的な流れとかは、説明の中でふれざるをえない。
この回を見ていて、興味深かったのは、絵画は、いったい誰のために描いたのか、という視点である。オランダなどの新興商人層(ブルジョアの市民といっていいかな)のもとめに応じて描いたのか、王侯貴族のために描いたのか、教会のために描いたのか、その絵画の受容者の視点から見るということは、意味のあることである。だからこそ、フェルメールの絵のサイズ(かなり小さい)とか、描写の細かさ(今でいうリアリズムでいいだろうか)、なんとなく納得できることである。
番組の中では特にそれと言及がなかったことなのだが、人物像、肖像画において、モデルの個性ということを、どう意識することになっているのか、この時代では、まだ近代的な個性の肖像画以前ということでいいのか、気になったところである。
実在の人物(神様とか妖精ではない)の肖像画において、その人物の個性を、作者が追求するようになる、また、見る人もそういう見方をするようになる、というのは、やはり近代という時代になってからのことでいいだろうか。バロック、ロココというと、一般にいう近代の一つ手前の時代である。マリー・アントワネッテが、断頭台で殺されてからのことになる。
見ていて、空間の把握のしかたが、もうこれは近代の視点だなと感じるところがあった。個人的には、そう思う。
2026年5月7日記
よみがえる新日本紀行「能舞の里 〜福井県池田町〜」 ― 2026-05-09
2026年5月9日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行「能舞の里 〜福井県池田町〜」
オリジナルは、昭和54年(1979年)である。
福井の山間部の村落である。ひなびたところとしては、なんとなく『越前竹人形』(水上勉)など思ってしまうが、この小説ほどには田舎ではない。オリジナルの放送のあった時点で、道路は舗装されていて、福井の街まで一時間ほどであった。
重要無形文化財の能舞である。見ていて、芸能として興味深いし、そして、上手である。起源は、鎌倉時代までさかのぼるという言い伝えがあるらしいが、演目などから考えると、室町時代以降、現代の能楽などと起源をおなじくするものかと思われる。
村では人口が減っていたと言っていた。残っているのは、長男ばかりである、と。昔の農村部では、長男は、家を継ぐために家に残るが、次男以下は、都市部に働きに出る。こういうのが、高度経済成長期の日本だった。
別火の習慣が残っていた。民俗としては、よく知られたことだと思うが、この時代において、なぜそうするのか意味は分からないが、そうする習慣だからということのようだった。民俗の行事が残るというのは、ただ、昔の人がそうしてきたからということで、受け継がれていくものである。
昭和54年の映像では、わらぶきかなと思われる家がたくさんあったが、現在ではなくなっている。過疎の地域ではあるが、現在でも、なんとか一定の人口を保っているらしい。
お嫁さんが、歩いていた。いまでも、こういう風習は残っているのだろうか。
能舞の民俗芸能は、残っていってほしいと思う。
2026年5月7日記
新日本風土記「お面仮面」 ― 2026-05-09
2026年5月9日 當山日出夫
新日本風土記「お面仮面」
もともとは、何かに変身するためのツールであった仮面が、時をへることで、いつのまにか、それ自体が霊的な何かという雰囲気のものに変わっていく……ちょっと距離をおいて観察して見るならば、こういうことがいえるだろうか。
この番組の趣旨とはまったく関係ないことで、興味深かったのは、秋田のナマハゲの家。畳の座敷であったが、真ん中に囲炉裏が作ってあった。まだ、家の中で囲炉裏を使う(実用的には、もうほとんど意味はないかと思うのだが)、あるいは、こういうものがあることを必要とする感覚が生き残っているということなのだろう。このようなことは、日本でどれぐらい残っていることなのだろうか。(仮面を使う行事は、この番組がそうであるように、民俗行事として残ったり、記録されていくだろうが、家の中に囲炉裏を残す生活の感覚は、それを意識して記録していかないと、いつのまにか分からなくなってしまうだろう。)
ハタハタも近年では、秋田で獲れるお魚ではなくなってしまっている。
お稲荷さんで、狐のお面をつけてする結婚式は、今の時代ならではのアイデア商法というべきだろうか。
京都の祇園の能面工房。能面を作るのに鏡に映して見ることで、遠くから見た状態を確認する。このアイデアは、いつごろからのものなのだろうか。江戸時代以前では、今のようなガラスの鏡は普及していないので、無理である。側にいる弟子に指図して、ちょっとこれを持って向こうの方に行って見せろ、ということだったかなと、想像してみる。
能面は、伝統的なスタイルで作るが、そこに、ちょっぴりと現代的な作者の個性を反映させてみることもできる。こういうことができるようになるのには、一人前になってからのこと、といっていいのだろう。
縄文時代の土偶に仮面をつけた状態を表現したものがあることは知られている。縄文の昔に仮面があったことは、特に特殊なことではないだろう。古代の文化・文明において、仮面は、いろいろと意味のあるものであったろう。現代の文化人類学などの知見からは、いろいろといえるかと思う。面白いのは、人間が仮面を着けているということが分かる造形で、土偶を作っていること。ただ、人間以外のものの顔で土偶を作ることになっていない。こういうスタイルの人形などは、世界の民族や考古学の発掘で、どれぐらいあるのだろうか。
カマドの神様は、なにがしかの意味では、日本中にあることかと思うが、それが、人の顔の形の仮面として家の中に祀られているのは、東北の一部ということになるのだろう。(昔は、家族揃っての写真というのを写していたのだが、今では、そういう習慣も無くなってしまったといっていいだろうか。)
鹿児島の神社の、見てはいけないお面。テレビの画面でも、扇で隠されていて映っていなかった。別に見てみたいという気はないけれど、だれにも見られずに、また箱の中におさまって、また、次の年につかわれる……これを繰り返していくことになる。
お面を軽トラに乗せて、村の中を走って行く。これは、お面それ自体が、霊的な力をもった何かということになる。
長野の神社でのお面をつけてのお祭り。かなり古いものを残している祭りだと感じるところがあった。この祭りは、まだ、参加できるのが男性に限られているらしい。(そうナレーションで言っているということではなかったが。)
日本列島に縄文時代から人が住んできたことは確かなのであるが、それを、現代につながる日本の文化の流れにどう位置づけるかは、かなり難しい問題があるかと思っている。
2026年5月6日記
最近のコメント