新日本風土記「大阪モダン 旅する昭和」 ― 2026-05-13
2026年5月13日 當山日出夫
新日本風土記 「大阪モダン 旅する昭和」
再放送である。最初は、2023年11月21日。
この回は、最初の放送のときだったか、部分的に見たかなと覚えている。ミナミのキャバレーのところは記憶にある。
録画しておいたのを見て、一番、印象に残っているのは、最初の方で出てきた長屋。その建物ではなく道路。とても道路が広い。普通、こういう長屋などを建てるとすると、道路幅は狭く作るだろう。京都の街中とか、東京の下町の界隈とか、道路の幅が狭い。映っていた映像では、とても道路の幅が広いのだが、これは、もとからこうなのだろうか。こういう長屋を作ったときの、都市の計画としては、どうだったのだろうか。
建築は、その建物だけを見るのではなく、その周辺の建物とか、立地条件とか、道路とか、こういうことも考えるべきだろう。
かなり天邪鬼な見方だとは思うのだが、近代の都市建築を見るのに、近代的なビルばかり見ていくのもどうかなと思う。といって、飛田新地の建物なども、建築史的には重要なのだが、なかなかあつかいがむずかしいだろう。また、今では消えてしまった、スラムや遊廓などのこともふくめて都市ということを見るべきだろう。
昭和の戦前の大大阪の時代があったことは知られているのだが、この時代、地方から大阪に働きにやってきた労働者の人びとは、どこでどんな生活をしていたのか、ということも気になる。『細雪』のように、阪神間に住居があって、大阪に勤務先があってという人たちばかりではなかったのだから。
大阪公立大学のキャンパス(杉本町)が映っていたが、これは、昔の、大阪私立大学の時代の光景を知っているものとしては、やはり寂しい。
神戸女学院大学の建物が、ヴォーリズの設計になるものであることは、知られている。大学のキャンパスは、何よりも、その建物が魅力的でなければならないし、そのキャンパスの中で流れる時間は、外の世界とは違ったものであるという感覚が体感できるものであるべき、私はそう思っている。
耐震基準ということを考えると、古い建物は維持が難しいということはあるだろう。これも、時代の流れである。ただ、古いから残すということではない。
古いビルの中で、江戸川乱歩の作品を演劇として演じるのは、とても面白い。だが、これも、江戸川乱歩、それから、横溝正史などの時代、その作品は低俗として、世の良識の顰蹙をかうようなものだったことを、文学史は教えてくれている。近年、評価の高い松本清張も、かつては、そんなに高く評価される作家ではなかった。推理小説は、低俗な読み物だった。探偵小説ということばを復活させて、いわゆる新本格という流れが出来てからのことは、私にとっては、記憶に新しいことになる。
床屋さん(理髪店というよりも、こういった方がいいかと思える)の店内の映像で、CDがたくさんあって、オーディオ機器がかなりいいのを置いているようだった。店内の鏡は昔のままなのだとしても、使っている椅子は、現代のものに変えている。散髪に一時間半かけるというのは、どういう仕事をしてくれるのかとは思うが、料金はどうなっているのだろうか。このごろでは、短時間で、料金は安くという店が増えてきている。こういう店に来るお客さんは、理髪の技術だけではなく、それにかかる時間にお金を払うということなのだろう。昔風にいえば、鰻屋さんで時間をかけるようなものである。
年をとった男性が(老人がといってもいいが)、倶楽部やキャバレーでときをすごすのもいいが、私としては、永井荷風のように散策するできるなら、こちらを好む。(実際には、山の中の世捨て人の生活であるけれど。)
大大阪の時代も、今となっては、昔の夢である。大阪都など、私にいわせれば、妄想でしかない。
2026年5月9日記
3か月でマスターする数学「(6)無数の解の怪 不定方程式」 ― 2026-05-13
2026年5月13日 當山日出夫
3か月でマスターする数学「(6)無数の解の怪 不定方程式」
この回も、手を動かして考える……ということで番組はつくってあった。これは、人間がものを考えるときに、手を動かしてみる、紙に書いてみる、ということの重要性であるともいえるだろう。(番組の制作としては、分かりやすく説明するために、こういう作り方になったということはあるとしても。)
数学とか数学史については、まったくの門外漢なので思うことなのだが……不定方程式というのは、どういう経緯で考え出したことなのだろうか。この歴史的な背景ということが、なんとなく気になっている。
それから、番組では言っていなかったが、xとyの解が無限にあるとして、その解のならびには、規則性があるのか、ないのか。番組で映っていた範囲では、なにがしかの規則性があるということで考えていたのだが、これは、どうなのだろうか。
規則性があるにしても、ないにしても、いずれの場合でも、それを論証すること、そして、それが、数学にとってどういう意味のことであるかを考えるのは、かなり難しいことなのだろうと思う。
2026年5月10日記
芸能きわみ堂「八代目菊五郎 六代目菊之助 襲名!」 ― 2026-05-13
2026年5月13日 當山日出夫
芸能きわみ堂「八代目菊五郎 六代目菊之助 襲名!」
再放送である。最初は、2025年7月18日。
襲名ということは、伝統芸能やそれに近い世界の中では、ごく普通にあることである。ただ、そのありようは、分野によってちがっている。
襲名がまったくのコピーを意味することもある。これは、師匠の芸をそのまま受け継ぐということである。芸能が、今日のように、俳優の個性の表現ということを重視するよりも、古くから伝えられてきた形を継承していくということに重きがおかれていたころは、まず何よりもコピーでなければならなかった。
歌舞伎の場合は、コピーであることを求めるよりも、その俳優ならではの個性的な演技をもとめる。それだけ、歌舞伎という分野が、常に新しいものを貪欲に取り入れていくことで、現代まで受け継がれてきたという性格によるものなのだろう。
とはいえ、同時に、「菊五郎」が二人存在するというのは、異例中の異例だろう。
相撲でも、醜名を受け継ぐということはあるが、もし、相撲でそうなったら同じ醜名の力士同士が勝負するということもある……これはこれで、面白いことだが。
余計なことだろうが……いわゆる江戸っ子らしさというのが、社会構成的なものであるとして、その歴史はどうなのだろうか。きっと研究のあることだと思うが、歌舞伎の舞台などで表現される、また、古典落語などで表現されることで、イメージとして形づくられてきたものだろう。おそらくは、近代になって、江戸が東京になってから、江戸の再確認というプロセスにおいてあったことかと思う。(もう、研究論文を探して読んでみようという気はなくなっている。)
番組を見ていて、つくづく思うが……昔の歌舞伎役者の浮世絵を紹介するのに、メトロポリタン美術館であったり、シカゴ美術館のコレクションによらざるをえないというのは、たしかなことである。可能な限り、国立国会図書館とか、東京都立中央図書館とかの所蔵作品も使っているようだが。あるいは、現代だと、国内の所蔵機関よりも、海外の美術館などの方が、デジタルのコレクションを簡単に利用できるということもあるかと思う。日本でも、国会図書館などは、図書館ということから、著作権の切れたものの利用は基本的に自由であるし、ColBaseなどは、簡単に利用できるようになっている。
2026年5月10日記
ブラタモリ「東京・成城▼憧れの住宅街はどうできた?意外な始まりに迫る!」 ― 2026-05-13
2026年5月13日 當山日出夫
ブラタモリ「東京・成城▼憧れの住宅街はどうできた?意外な始まりに迫る!」
成城には行ったことがない。特に用事がなければ行くことはない街である。知り合いが住んでいたこともないし、大学に用事があったということもない。
見ながら思ったことなど、思いつくままに書いておく。
昔の昭和の戦前の住宅が残っていた。紹介してあったのは、二階の子供部屋だった。見ていて、この家の階段が狭いかなと、思った。また、手すりがついていない。これは、建った当時のままということだろう。今の家なら階段には手すりをつける。できれば、幅を広くとっておきたい。(これは、私の好みということもあるが。今の住まいを考えるとき、階段と廊下を幅を広く作ることにした。基本は、120センチ確保した。これだと、人間がすれ違うことができる。それから、本を持っている人間としては、廊下と階段に本が置けるようにということもあった。)
子供部屋は一つしかなかった。昭和の戦前で、成城に家を建てるというと、社会の中流以上の家庭だろうが、子供部屋を一つしか用意しないというのは、どういうことだったのだろうか。今なら、子どもが一人というのは普通だが、昔は、二人以上が普通だっただろう。(私の今の住まいを考えるとき、二階に、子供部屋を三つ作った。ちょっと狭いが、ベッドと机を置くことができる。)
戦前の古い作りをほぼそのまま残しているらしい。階段には手すりをつけていないし、窓も昔の木の枠のままである。意図的に昔の建築を残していると思えるのだが、どういう事情があってのことなのだろうか。まさしく「気になる家」である。
映っていた図面には、子供部屋とあったが、女中部屋というのもあった。昭和の戦前だったら、普通の家庭で、女中を使うのは、普通だったことになる。女中であったような人をふくめて、この街に住んでいた人を考えるべきだろう。
街の中に商店街を作ろうとして、結局、できなかった、ということである。これは、ただ、素人考えということの結果なのだろうか。小田急の電車があって、駅があってということは、分かっていることだろうから、なぜ、駅を中心とした街作りにならなかったのか、という方向から考えるべきことのように思われる。
これも、デベロッパーがいれば、駅を中心に街を作るということになるだろう。具体的には、小林一三であったり、五島慶太であったり、ということを思い浮かべるのだが。
成城の住宅街は、交通をどう考えていたのだろうか。学校は駅の近くに作るということだったようである。立地条件として、駅から近いということを考えたのかとも思う。駅前に、バスターミナルがない。映っていた限りでは、ということなのだが。この街に住む人は、駅から歩いてくださいということだったのだろうか。映っていた住宅を見ると、自動車が二台はいるガレージがあるようだったが、現代の生活としては、こうなるだろう。しかし、成城の住宅地を作った時点で、各家庭に自家用車があってということを想定していたのだろうか。見ていると、道路の幅も狭いようだし、一方通行になっている道もある。
学校のグラウンドを作るために、住宅地の道路を掘り下げたときの土を使ったということだったが、いったい何のために道路を掘り下げて低くする、あるいは、宅地部分を高くする、ということの理由は何だったのだろうか。ただ、土を確保するということだけではなかったように思えるのだが。
2026年5月11日記
最近のコメント