ネコメンタリー 猫も、杓子も。「広瀬裕子とあめ」2026-07-08

2026年7月8日 當山日出夫

ネコメンタリー 猫も、杓子も。「広瀬裕子とあめ」

正直言って、広瀬裕子という人については、知らなかった。Amazonで検索してみて、こういう本を書いている人なのかと分かったような次第である。

番組に映っている限りで判断すると、ミニマリスト、といっていいのだろう。必要最小限のものしか所有しない。また、それも、見えるところには置かない。余分な椅子があると、クローゼットの中にしまっておく。

部屋の内装もシンプルである。

お茶を飲むときに、まずカップをあたためておく。この一手間をかけるかどうか。これは、どんな生活をおくりたいかをしめすことだろう。

これで、生活がなりたつならそれはそれでいいと思うのだが、そのたつきはどうなっているのかは、ちょっと気になる。

だが、こういうシンプルな住まいには、黒猫、名前はあめ、がよく似合う。

あめは黒猫である。見ると、ヒゲは白いようだ。昔、我が家で飼っていた黒猫は、ヒゲも黒っぽかった。爪も黒っぽかった。

早稲田大学での講義の様子がちょっと映っていた。江戸時代の学問というのは、強いていえば、一種の芸事のようなところがある。一般庶民としては俳諧だったろうが、儒学など学ぶ人もいた。あるいは、園芸にのめりこむような人もいた。江戸の学芸というのは、とても面白いことである。現代でいう、知の探求、というような側面もないではないのだが、伝統芸能に近いところもある。(これは、私の考えるところであるが。)

深緑野分のネコは、しおり、こぐち。

深緑野分の本はいくつか読んでいる。『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』は読んだ。

猫が寝ている体の上に乗ってきて、前足でもみもみしてくれることがあるが、重たい。はらいのけたくなることがあるが、ちょっと我慢している。どうしても重くなってきたら、猫と相談して体の上から降りてもらうことにしている。

作家だから家の中に本がたくさんあるのは、そうだろうと思う。感心するのは、本棚に、本の背表紙が見える状態で収納してあること。床に積んである場合でも、背表紙は見えるようにしてある。これは、すごいと思ってしまう。

今日の回で、PCの画面が映っていたが、横書きで書く場合もあれば、縦書きで書く人もいる。作家ということになると、仕上がりの本のページの体裁を考えて縦書きで、ワープロやエディタを使うということが多くなるかと思う。(私は、昔、昔の、PC-9801の時代から使っていることもあって、ディスプレイ表示は、横書きがデフォルトになっている。)

2026年7月6日記

芸能きわみ堂「群舞で魅せる戦国絵巻!舞踊「桶狭間」」2026-07-08

2026年7月8日 當山日出夫

芸能きわみ堂「群舞で魅せる戦国絵巻!舞踊「桶狭間」」

弧の会による素踊りの「桶狭間」である。

この番組でやるぐらいだから、舞踊はとてもすばらしい。これよりも面白かったのは、今川義元のイメージが、時代によってどう変わってきたかということ。これは、とても興味深い。

NHKの大河ドラマで、織田信長が出てくれば、桶狭間の合戦はある。そうすると、今川義元は登場することになる。この歴代のイメージが、どう変わってきたというのは、これはこれで、芸能史、文化史、歴史認識の歴史、ということから、あらためて考えるべきことになる。

やはり決定的な影響をあたえたのは、司馬遼太郎の作品だろう。『国盗り物語』は読んだし、大河ドラマも見ている。平幹二朗の斉藤道三が良かった。濃姫は、たしか、松坂慶子だったと思うが、どうだっただろうか。

司馬遼太郎が、今川義元を、京都の公家風の武将ということで描いた、そのイメージを、いまだにひきずっているところがある。蹴鞠を連想するあたりは、史実がどうであれ、京の都の公家風というべきことになる。

豊臣秀吉のイメージ、織田信長のイメージ、徳川家康のイメージ、これらをふくめて、戦国武将が、どのようなイメージで、特にサブカルチャーの領域で描かれてきたか……とても興味がある。一般の歴史学の戦国時代研究よりも、むしろ、面白いかもしれない。

見ながら思ったこととしては、これは実際のどこかの舞台を使ったのだろうか。スタジオのセットなのだろうか。どっちでもいいことかもしれないが、足拍子の音のことを考えると、どう番組として作るかは考えたことかもしれない。

2026年7月6日記

3か月でマスターする世界史「(1)古代文明のはじまり カギは“遊牧”」2026-07-08

2026年7月8日 當山日出夫

3か月でマスターする世界史「(1)古代文明のはじまり カギは“遊牧”」

再放送である。最初は、2024年。このときの放送は見ていなかった。その後、刊行になった、

『NHK3か月でマスターするMOOK もっと深く知る アジアから見る世界史』

は読んだ。Kindle版であるが。

第一回を見て思うこととしては、なるほどこれをうけて、後の、「3か月でマスターする古代文明」という企画になったのか、ということを思う。要するに、歴史学者と考古学者の考え方の違い、ということになるのだが、考古学の立場から、それは違うだろう、ということで作ったのが、「古代文明」と思っていいだろうか。

文明のはじまりを、特に、世界の古代の四大文明に限らないとしても、定住農耕からスタートするのは、ちょっと違うかもしれない、そう考える余地はあるだろう。

「世界史」では、その始まりを、遊牧民の視点から見る。それは、ユーラシア大陸を移動し、各地の人びとの仲立ちとなり(つまりは、交易にかかわり)、定住農耕文明も、遊牧民の存在がなければ、その都市文明を発達させることはなかった……このような理解でいいだろう。

ユーラシア大陸を、遊牧民の視点から見るというのは、特に目新しいことではないかとも思う。私などだと、どうしても、『文明の生態史観』(梅棹忠夫)を思い出すことになる。あるいは、新しいところでは、『中国化する日本』(與那覇潤)も、思いうかぶ本である。

ユーラシア大陸という全体から見れば、西欧の文明というのは、つい最近になってから出来た新参者、ということになる。(だが、その西欧の文明が、近代的な啓蒙思想を生み、産業革命を起こし、アメリカと一緒になってグローバルスタンダードの価値観になっていることは、また、一つの事実である。このような番組をつくる基本にある、歴史学研究の基礎にあるのも、近代西欧のものの考え方である。)

余計なことかとも思うが、交易ということを考えるには、『贈与論』ということも考えなければならないとは思うが、今の歴史学研究では、もう古いということなのだろうか。

現代のでは、人類の歴史を考えるとき、古気候学やDNA解析の知見は必要である。気候の変化と、狩猟採取、牧畜、農耕とはきりはなせない。また、現在の世界の各地に住む人間のDNAについても分かってきている。ただ、DNA解析の結果と、人間の文化や社会や民族の、連続性/非連続性、ということについては、慎重であるべきとは思う。

2026年7月6日記