日曜美術館「YBA 世界を変えた90年代英国アート」2026-07-09

2026年7月9日 當山日出夫

日曜美術館「YBA 世界を変えた90年代英国アート」

再放送を録画しておいて、ようやく見た。最初は、2026年4月19日である。

美術、というよりも、この回としては、アート、といった方がいいだろう。これは、必ずしもそれを見るものを心地よくさせるものということではなく、常識的に感じていること、既成概念を、打ち砕き、不安にさせる……ということもある。

ウォルフガング・ティルマンスのゲイがキスをしているところの写真について、感じたところを書くと、だいたい以下のようになるだろうか。

まず、決して美しいというものではない。むしろ、醜悪と感じる。そして、その醜悪さには、なにかしら性的なものを感じるからである。

これぐらいのことは、だいたい共通して感じるところかと思う。

あえていうならば、この写真は、男性同士のキスを写しているとしても、見るとなんとなく、女性の性器を想像させる。(これは、私が、こう感じるだけなのかとも思うが。)それを、美しいものと見ることも可能なのだが、そうは感じない。性的であると感じるように撮ってあることが、同時に、何かしら醜悪なものであるかのごとき印象になる。

ただ、これから先、どう思うかとなると、見るものの文化的歴史的環境によってちがうだろう。日本的な感覚で見るならば、ゲイといわれても、ふ~ん、そういう趣味の人もいるでしょうが、どうぞご自由に、勝手にやっててください、ということになる(私の価値観としては、であるが。)決して、それを、罪であるとか(社会的な罪というよりも、宗教的文化的な価値観からしてであるが)、犯罪であるとか(現代でも、国によっては、同性愛は犯罪として処罰される国がある)……このように判断することはない。

この意味では、いわゆる社会の中の少数者の異議申し立て、という視点からは、ある程度、一般的に、そういうこともあるだろうと思うが、ただ、それだけである。というよりも、ゲイについての認識が、ユニバーサルなもの、普遍的なもの、として語られると、それには違和感を感じるところもある。そこには、文化的歴史的な多様性があっていいだろうと思っている。(とはいえ、犯罪として処罰されるようなことは、いいとは思わないけれど。)

人によっては、このように思うことについては、生ぬるいとか、文化相対主義だとか、批判するむきもあるかと思うが、まずは、その作品を見て、自分がどのように感じるかということを、確認することが必要だろう。そして、そのことによってしか、異なる他者との会話、コミュニケーションの回路を作ることはできないだろうと思っている。

2026年7月6日記

クラシックTV「元祖メロディーメーカー ヘンデル」2026-07-09

2026年7月9日 當山日出夫

「元祖メロディーメーカー ヘンデル」

再放送である。最初は、2025年5月。

ヘンデルの回なのだが、登場していたのが、鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン。これは、豪華というか、ゴージャスというか、贅沢というか。

ヘンデルの曲として紹介されていたものは、耳になじんでいるものが多い。

「私を泣かせてください」は、自動車の運転のときにきく音楽にはいっている。CDをMP3にリッピングして、USBメモリに記録して使っている。かなり昔に買った鈴木慶江の歌である。

「メサイア」の「ハレルヤ」の部分は、あまりに有名である。たしか、日本で、年末になるとベートーベンの第九を演奏するようになる前(こういうのは、日本独自の習慣らしいが)、ヘンデルの「メサイア」が演奏されていたはずだと思っている。このあたりの経緯は、日本でのクラシック音楽の受容の歴史として、面白いところになるだろう。

ところで、古楽器を見ていつも思うことだが、(こういう見方をするのは天邪鬼かとも思うが)その時代の金属の加工技術はどんなものだったか、気になる。特に金管楽器の類が、どういう技術で、どういう素材で、作っていたのだろうか。

2026年7月7日記

サイエンスZERO「ダーウィンもびっくり!“食虫植物”の超進化」2026-07-09

2026年7月9日 當山日出夫

サイエンスZERO「ダーウィンもびっくり!“食虫植物”の超進化」

進化というのはどういうことなのか考えることになる。「食虫植物」という種があるわけではない。種としては、いろんな種に分かれるのだが、その生き方(といっていいのだろうか)において、「食虫植物」になる道を選んだものが、たくさんいる。こう思うのだが、いいかな。

その「食虫植物」になる方法としては、植物が本来持っていた機能というか、能力というか、それを、独自の方向に発達させて、「食虫植物」の能力を獲得していった。

そもそも、「食虫植物」が生きていくためには、昆虫の存在が不可欠ということになるが、生物の進化の歴史の全体から見れば、これは昆虫にとっては、何か意味のあることなのだろうか。ただ、食べられる(?)敵が増えたというだけのことなのだろうか。

昆虫(アリとか)をとらえるセンサーやつかまえるメカニズムは、とても興味深い。ここで、カルシウムイオンが出てきていたが、これは、生物において情報の伝達において、いろんな場面で出てくるかと思っている。「食虫植物」にかぎらず、植物や生物にとってカルシウムイオンがどういう意味があるのか、生物学の専門家なら当たり前のことなのかと思うが、こういう視点から解説してもらえるとありがたい。

2026年7月7日記