アーカイブズから講義することに2010-10-11

2010-10-11 當山日出夫

授業の科目名(情報処理)からは、少しはなれてしまう感じがするが、まずは、「アーカイブズ」とは何であるか、というあたりから話しを始めることにする。そうでなければ、いわゆる「デジタルアーカイブ」の意味も、その価値も、また、問題点も、わからないだろう。

ただ単にデジタルデータを蓄積しておけば、それをすべて「デジタルアーカイブ」と言ってしまうのは、単純すぎる。それが、どのような、歴史的な流れのなかで生まれてきたのか、日本における事情はどのようなものであるのか、理解しておくことが必要かと思っている。

となると……教科書がないのである。伝統的な「アーカイブズ」(特に、公文書管理)になると、すでにテキスト類は出ているのであるが、最近の、デジタルアーカイブになると、学生が使うテキストとして適当な本が思いうかばない。

ここは、ひとつひとつ自分で、それぞれのインターネットのサイトを紹介していくしか方法はないのかもしれない。『ARG』のバックナンバーを見て、いろいろと探しながら、これから準備をすすめることとしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

今日は授業日2010-10-11

2010-10-11 當山日出夫

今日は、体育の日。しかし、授業日である。私の知る限りで、おそらくかなり大学では、半期15回になっているだろう。そうすると、必然的に、祝日を授業日に設定せざるをえない。

いったい何のための祝日なんだろうと思ってしまうが。

しかし、15回きちんとやることは、時代の流れとして、これはもう既定の方向だろうな。このこと自体に、もはやとやかく言うことはない。

問題は、それをどのように実現していくか。

現在のように、4月入学でとなると、どうしても、7月の終わりまでつかうことになってしまう。しかも、9月の下旬には、おそくとも後期をはじめないと、まにあわない。夏休みがどんどん短くなっていく。

おそらく、事務の方も、仕事が大変だろうなあ、とは思う。

それよりも、とにかくやめてほしいのは、曜日の振り替えである。これをやられると、非常勤で教えている先生など、曜日の都合がつかなくなって、休講のために補講をして、そのために、また休講で、補講・・・と、休講と補講の連鎖が生じる。

このあたりの実態調査というものがあるのだろうか。厳格に、15回、休んだら絶対に補講という形式をとると、かならず、どこかにしわ寄せがくることは必定である。まだ、かろうじて、なんとか頑張って、それが、おおきな問題にならないようにしているということだろうか。

半期で15回という基本路線はもう変更できないにしても、その具体的な運用のあり方について、大学教育全体(いろんな大学をふくめて)を見渡して、大局的な観点から、吟味する必要があるのではないだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

アジア歴史資料センターのDVD2010-10-12

2010-10-12 當山日出夫

いわゆる「デジタルアーカイブ」というものを説明するのに、私の場合だと、国立公文書館のアジア歴史資料センターのDVDを見せることにしている。

以前に、ただでもらったのをつかっている。教材として学生に見せるため。

最初に簡単に、アーカイブズ、デジタルアーカイブ、などについて説明。DVDそれ自体は、20分ぐらい。あまった時間は、それについての感想文を書かせる。学生に、いきなり「デジタルアーカイブ」と言っても、すぐに、どんなものかイメージしにくいだろう。その点で、とても便利。

次の週からは、まず、「アーカイブズ」とは何か、という簡単な概説からはじまって、「デジタル」の「アーカイブズ」の問題点へとすすんでいく予定。

どうなるかわからないが、とりあえず、この方針でいくことにしようかと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ネット・バカ』(1)2010-10-13

2010-10-13 當山日出夫

『ネット・バカ』.ニコラス・G・カー/篠儀直子訳.青土社.2010

この本、邦訳のタイトルがどうなのか……という気がしなくもない。副題の「インターネットがわたしたちの脳にしていること」。の方が、むしろ、しっくりとくる。

WEBの時代になったからといって、人間がバカになったというわけではない。この意味でのバカであるならば、人間が、文字というもの、書物というものを発明したときから、その起源があるのであるから。それが、飛躍的に変化をとげたのが、WEBの時代になってからの現象ということになる。

こまかな感想は、時間のある時に。ただ、一言いっておきたいと思うのは、この本は、きわめてすぐれた、電子書籍論でもある、という点である。しかし、私の、たとえば、Twitterのタイムラインで見る限り、あまり、電子書籍論として取りあげられている形跡はない。

電子書籍になって、本をディスプレイで読むようになって、また、その内容も、単なる紙から電子的メディアへの変換にとどまらず、コンテンツも、WEBに近づこうとする状況において、人間が、「本を読む」という行為がどのように変わるのか、非常に興味深い考察がある。端的に言えば、WEBでは、その内容は、「F」の文字のように読まれる。沈思黙考して、書籍のなかなに沈潜していくということがなくなる。

このことの是非では、もはやない。このような時代に我々は生きているのであるという自覚が必要である。

感想の続きはのちほど。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ネット・バカ』(2)2010-10-14

2010-10-14 當山日出夫

結論からいえば、ある種の説得力のある本だな、という印象がある。

『ネット・バカ』.ニコラス・G・カー/篠儀直子(訳).青土社.2010

脳科学については、門外漢であるが、しかし、それでも、このデータの解釈はこれでいいのか? と、ところどころ感じさせるところがある。そのような点を割り引いて読んでいっても、全体としては、今の我々、というか、私というかの、生活が、「ネット・バカ」生活になりつつある、という感覚は、実感としてある。

以前にも書いたことかもしれないが、私は、モバイルでのコンピュータ利用はしない。ノートパソコンは持っているが、家を出ての、無線LAN通信などは、しないことにしている。(そのコストがあったら、ジャパンナレッジにでも、お金を使った方が、よっぽど自分のためになると判断する、ということもある。)

どうせ、自分の書斎にいる時は、目の前にコンピュータがある。WEBにつながっている。で、メールのチェックと、Twitterのチェックは、定期的に行うことになってしまう。となると、いっそ、家を出たときぐらは、解放されたい気分になる。少なくとも私の場合そうである。本を読もうと思って、パソコンの電源を落とすこともある。

このようなユーザは例外かもしれない。たぶん、私は、iPhoneを持たずに終わることになるだろう。自分の書斎を離れた時にまで、電子メールのチェックに追われたくはない。家にかえってからでも、十分に返信は間に合う。(今のところ、このペースで仕事がどうにかなっているというのは、幸いというべきであろう。)

また、本を読むのと、同内容を、ディスプレイで見るのとで、理解の程度とまではいかないにしても、読み方がが違ってきているな、とは感じることが多い。やはり、ディスプレイで見ると「F」の字のように読んでしまうと、自省する。

科学的な検証性とうい点では、いくぶん問題のある本ではあるかもしれない。しかし、これからの、電子書籍や、さらには、電子教科書というものを考えるときに、非常に示唆にとむ内容の本であることは確かである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『中原の虹』2010-10-15

2010-10-15 當山日出夫

読んだのではない。これから読もうと思っている。

おもいかえすと、このシリーズの第一作『蒼穹の昴』が出たときは、単行本でかって、一気に読んだものである。その後、『珍妃の井戸』も読んだ。で、『中原の虹』になって、とまってしまった。単行本で買って読もうか、文庫本になるまで待つか・・・と思っているうちに、ようやく文庫本になったので、これから、よむことに。10月の配本で、全4巻がそろう。

このような本、できれば、時間のあるときに一気に読んでしまいたいものである。だが、その前に、近代中国史について基本的なところを、勉強し直しておかないといけないかな、という気がしないでもない。

小説だから、そんなこと気にせず読めばいいようなものかもしれない。しかし、歴史学でどう考えるかということと、小説家がそこからどのような世界を作り出すかは、微妙に関連するように思う。

といいながら、明日からちょっと東京。訓点語学会。新幹線の中で読む本として、もっていくかどうかは、これから考えることにしよう。まだ、来週の授業の準備も残っているし。

當山日出夫(とうやまひでお)

ごめんなさいコメントをけしたかも2010-10-15

2010-10-15 當山日出夫

ごめんなさい、うっかりして、操作ミスで、コメントを「公開」せずに消してしまったかもしれません。あまりに大量のスパムコメントがつくので、一括削除の作業を連続的にやっていって、ミスをしてしまったような……気がする。

もし、コメントが公開されていないようでしたら、そして、さしつかえないようでしたら、再度おねがいします。

今度は、注意して処理するようにします。

當山日出夫(とうやまひでお)

積んである本2010-10-16

2010-10-16 當山日出夫

とりあえず買ってきてある本。

歌田明弘.『電子書籍の時代は本当にくるのか』(ちくま新書).筑摩書房.2010

野口祐子.『デジタル時代の著作権』(ちくま新書).筑摩書房.2010

二畳庵主人/加持伸行.『漢文法基礎-本当にわかる漢文入門-』(講談社学術文庫).講談社.2010

最初の二冊は、どうしても読んでおなかいといけない。『漢文法基礎』は、時間があるときにじっくりとという感じかな。

それから、『天皇の世紀』(大佛次郎、第10巻、文春文庫)もある。とっくの昔に追い抜かれているのであるが、とりあえず、全巻、買うだけは買っておく。まとまめて読めるのは、冬休みの時にでもなるだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

祝日が休める2010-10-21

2010-10-21 當山日出夫

てっきり、11月3日(水)は、授業があるものだとおもいこんで、手帳に、書き込んでおいた。しかし、昨日、学生に話しをきくとそうでもないらしい。で、確認すると、11月3日は、カレンダーのとおりに休日になっている。

とてもうれしい。

いや、もう、このように感じる感覚になってしまっているということが、ある意味で異常なのかもしれない。しかし、カレンダーどおりに休日があるというのは、とってもうれしいのである。

とはいいながら、いまのところの予定では、11月3日は、ひとつ用事がある。そのため、「休講」にするかどうかで、確認してみたというのが正直なところである。この用件の方は、これはこれで、たのしみな仕事がひとつはいっている。

一学期、15回というのは・・・どうしても無理があるだろう。祝日をつぶさなければならない。しかし、祝日は、日本国政府が正規に定めた、お休みにしていい日であるはずである。15回ではなく、せめて、14回ぐらいなら、なんとかなるか、と思ってしまうのである。なにがなんでも、15(+試験)という形式を守ろうとすると、どうしても、どこかに無理がくる。単なる形式として、形骸化する。実質的に、可能なのは、13~14回なのであると判断して、これを、きちんとするという方向に、どうにかならないものであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

印刷業・出版社のいきのこり2010-10-21

2010-10-21 當山日出夫

先日、学会で、東京に行ってきた。学会(訓点語学会)がメインの目的であるが、そのついでに、あれこれと、人と会う用事をすませる。出版社と一件、印刷の会社と一件。

ここで、出る話は、やはり電子出版のこと。

まだ、どのように具体的にとりくんでいいのか、わからない、試行錯誤しているというのが、どうやら、たいていのところの本音のような思える。こう書きながら、かくいう、私自身が、まだ、iPadも買っていないのである。

まだ、私自身としては、iPadを買おうという気にはなれないでいる。買って変えない値段ではない。買ってたのしみのもいいのだろうが、楽しむだけで終わってしまいそうな気がする。

理由は二つ。

第一には、これでしか読めないコンテンツがまだ無い(あっても、ごくわずか)という状況がある。どうしても、iPadがなければ、必要な情報が手に入らない、本が読めない、というまでにはなっていない。

第二には、せっかく家を出ているときぐらい、コンピュータやインターネットから解放されたい気分でいる。これは、人によって価値観の異なることであろう。しかし、自分の家で、書斎にいれば、目の前に常にディスプレイがある。外出したときぐらいは、解放されたいのである。ちょっと泊まりがけで家をはなれることがあるといっても、そうたびたびではない。48時間以内には、たいいて連絡がつく。あるいは、どこかで、Gメールに接続できれば、電子メールの確認ぐらいは可能である。

そうは言いながらも、出版社、印刷業の、これからを考えると、これまでの紙の本の資産のうえで商売ができるのは、もう時間の問題だなと考えていることがわかる。いわゆる、電子出版、さらには、印刷を基盤としたデータ処理業にシフトしていかないと、これらからの将来がない。

私など、まだ、紙の本に対する執着がある方だろう。しかし、若い人はそうではないであろう。はじめから電子書籍・・・という世代が生まれてくるのは、時間の問題にすぎない。それに対応するために、今から、何を、どのように準備しておけばいいのか。まだ、その試行錯誤がはじまった段階、という気がする。

當山日出夫(とうやまひでお)