CiNiiで失うもの ― 2016-07-03
2016-07-03 當山日出夫
あえてこういってみる。CiNiiで失うものがあるのではないか、と。
CiNii
http://ci.nii.ac.jp/
確かにCiNiiは便利である。ある意味では、勉強のあり方を根本的に変えてしまったとさえいえるかもしれない。しかし、だからこそ、それと同時に起こっている問題点も見逃すべきではないと考える。
参考文献リストの書き方である。
昔、私が学生のころであれば……なにかの課題について調べるとき、図書館でカードを繰って、そのテーマについて書かれた研究書をさがす。その本を見て、巻末についてい参考文献リストから、さらに本・論文をさがす。さらに、その本・論文の参考文献リストから、次の本・論文をさがす……このような方式で探したものである。(こんなことは、書くまでもないと思えることでもあるのだが、確認のため記しておく。)
このような方式で本・論文を探していくと、自分が見ている本・論文が、参考文献リストで、どのような書式やスタイルで書かれるか、実体験することになる。そして、このような過程を通じて、参考文献リストの書き方というのを、なんとなく、身につけていくことになった。
これで完全に身につくというわけではなく、やはり最終的には、自分でまとまった論文を書いたり、学会発表をしたりするときに、ある一定の方式で書くということを確認することにはなる。
しかし、CiNiiを使って論文を検索してしまう今の時代だと、上述のような体験……図書館で本を順繰りに探していく……を、学生はもつことができないですんでしまう。これはこれで、確かに便利になったことではある。だが、便利になったおかげで、参考文献リストの書き方を身につける機会をなくしているともいえる。
こう考えてみるならば、これからの大学教育において次のようなことは必要であろう。二つ考えてみる。
第一に、なるべく早い時期からの、アカデミック・ライティング教育。その中での、参考文献リストの書き方の指導である。これは、専攻分野によってちがう。日本史や日本文学などと、言語学や日本語学、さらには、心理学などで、それぞれのスタイルがある。これについて、違いがあることを前提として、その専攻分野での基本を教える必要がある。
第二に、CiNiiや図書館のオンライン検索の結果から、どのように参考文献リストを書くかのトレーニングである。検索結果を、そのままコピーしたのでは、参考文献リストにならない。スタイルをその専攻の方式にととのえて、さらに、並べてやる必要がある。並べる順番は、著者名順(あいうえお順・ローマ字順がある)、同一著者については、その中を刊行年順にする。
この並べ替え、参考文献リストの整理などには、エクセルを使うのが適当だろう。文学や歴史の勉強などで、表計算機能としてのエクセルを使うことはないかもしれないが、参考文献リストの整理には、非常に役にたつ。このような場面で、エクセルの操作に慣れ親しむというのも、ひとつのあり方だと思っている。
以上の二つのことを、これから考えていかなければならないだろう。
私は、CiNiiの悪口を言おうとしているのではない。その便利さを十分にみとめつつ、それをさらに活用する、新しいアカデミック・ライティング教育の方向を考えてみたいのである。
さらにいうならば、論文の評価、という観点もある。CiNiiでは、論文の評価とは無関係に、特定のキーワードでヒットする論文が、網羅的に検索できる。研究の中身を読んで、吟味して、というプロセスがない。このことの問題はあるが、ここでは、あえて特にいわなことにしておく。
また、東洋学における目録学・書誌学のように、学問の基礎にそれをおくものもある。このような立場からは、本がデジタルで検索できればそれでよい、というわけにはいかない。
世の中で、なにがしか便利になることはある。便利になったとき、その便利さのなかに安住することなく、それで、何が変わったのか、あるいは、失ってしまったものがあるのではないか、反省してみる視点を自らのうちに持つ必要があるだろう。
特にデジタルの時代になって、世の中のいろんな仕組みが大きくかわろうとしている。そこで、あえて立ち止まって考えてみる余裕と、新しいものを積極的に利活用していくこと、この両方が求められていると考える次第である。
あえてこういってみる。CiNiiで失うものがあるのではないか、と。
CiNii
http://ci.nii.ac.jp/
確かにCiNiiは便利である。ある意味では、勉強のあり方を根本的に変えてしまったとさえいえるかもしれない。しかし、だからこそ、それと同時に起こっている問題点も見逃すべきではないと考える。
参考文献リストの書き方である。
昔、私が学生のころであれば……なにかの課題について調べるとき、図書館でカードを繰って、そのテーマについて書かれた研究書をさがす。その本を見て、巻末についてい参考文献リストから、さらに本・論文をさがす。さらに、その本・論文の参考文献リストから、次の本・論文をさがす……このような方式で探したものである。(こんなことは、書くまでもないと思えることでもあるのだが、確認のため記しておく。)
このような方式で本・論文を探していくと、自分が見ている本・論文が、参考文献リストで、どのような書式やスタイルで書かれるか、実体験することになる。そして、このような過程を通じて、参考文献リストの書き方というのを、なんとなく、身につけていくことになった。
これで完全に身につくというわけではなく、やはり最終的には、自分でまとまった論文を書いたり、学会発表をしたりするときに、ある一定の方式で書くということを確認することにはなる。
しかし、CiNiiを使って論文を検索してしまう今の時代だと、上述のような体験……図書館で本を順繰りに探していく……を、学生はもつことができないですんでしまう。これはこれで、確かに便利になったことではある。だが、便利になったおかげで、参考文献リストの書き方を身につける機会をなくしているともいえる。
こう考えてみるならば、これからの大学教育において次のようなことは必要であろう。二つ考えてみる。
第一に、なるべく早い時期からの、アカデミック・ライティング教育。その中での、参考文献リストの書き方の指導である。これは、専攻分野によってちがう。日本史や日本文学などと、言語学や日本語学、さらには、心理学などで、それぞれのスタイルがある。これについて、違いがあることを前提として、その専攻分野での基本を教える必要がある。
第二に、CiNiiや図書館のオンライン検索の結果から、どのように参考文献リストを書くかのトレーニングである。検索結果を、そのままコピーしたのでは、参考文献リストにならない。スタイルをその専攻の方式にととのえて、さらに、並べてやる必要がある。並べる順番は、著者名順(あいうえお順・ローマ字順がある)、同一著者については、その中を刊行年順にする。
この並べ替え、参考文献リストの整理などには、エクセルを使うのが適当だろう。文学や歴史の勉強などで、表計算機能としてのエクセルを使うことはないかもしれないが、参考文献リストの整理には、非常に役にたつ。このような場面で、エクセルの操作に慣れ親しむというのも、ひとつのあり方だと思っている。
以上の二つのことを、これから考えていかなければならないだろう。
私は、CiNiiの悪口を言おうとしているのではない。その便利さを十分にみとめつつ、それをさらに活用する、新しいアカデミック・ライティング教育の方向を考えてみたいのである。
さらにいうならば、論文の評価、という観点もある。CiNiiでは、論文の評価とは無関係に、特定のキーワードでヒットする論文が、網羅的に検索できる。研究の中身を読んで、吟味して、というプロセスがない。このことの問題はあるが、ここでは、あえて特にいわなことにしておく。
また、東洋学における目録学・書誌学のように、学問の基礎にそれをおくものもある。このような立場からは、本がデジタルで検索できればそれでよい、というわけにはいかない。
世の中で、なにがしか便利になることはある。便利になったとき、その便利さのなかに安住することなく、それで、何が変わったのか、あるいは、失ってしまったものがあるのではないか、反省してみる視点を自らのうちに持つ必要があるだろう。
特にデジタルの時代になって、世の中のいろんな仕組みが大きくかわろうとしている。そこで、あえて立ち止まって考えてみる余裕と、新しいものを積極的に利活用していくこと、この両方が求められていると考える次第である。
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