樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』2016-07-02

2016-07-02 當山日出夫

樋口陽一・小林節.『「憲法改正」の真実』(集英社新書).集英社.2016
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/

売れている本のようである。私がもっているのは、2016年5月29日の第5刷(3月22日、第1刷)である。

憲法をめぐっては、様々な議論があることは承知しているつもりでいる。そのなかで、この本は、改正反対の立場を強くうちだしている。しかも、その論者(著者)が、帯には「改憲派の重鎮」「護憲派の泰斗」と紹介してある。これは、一読しておく必要があるかなと思って買ってみた。

結論からいうならば、買って読んで損はない本である。この本を読んで、やはり憲法は性急に変えるべきではないと思うにしろ、そもそもの「立憲主義」というものに疑問を感じるにせよ、どのような結論を自分がもつにしても、次のような点はふまえておくべきであろう。

第一に、立憲主義の確認である。

(小林)「法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。しかしながら、憲法だけは違いますよね。国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課され、国民は権力者に憲法を守らせる側なんです。」(p.22)

第二に、憲法の来歴である。この本は、明治憲法のことからときおこして、たとえば次のように指摘してある。

(樋口)「(天皇の神聖ということについて)「神聖」というと、天皇の神権が憲法に書きこまれているではないかと感じるかもしれません。しかしながら、あれはヨーロッパの近代憲法の伝統から言うと、正常な法律用語なのです。」(p.59)

この本は、必ずしも、明治憲法の否定論の上になりたっているわけではないのである。歴史的に見て、19世紀の時点において、十分に近代的な憲法であったことを認めている。そして、歴史的経緯として、ポツダム宣言を受諾したところに成立した現在の憲法の正統性を主張する。

第三に、憲法改正というのは、歴史的・社会的条件があってのことであるという指摘。

(小林)「改正を議論するならば、どんな政治勢力が、どんな必要があって、なにをしたいために、どういう国内的・国際的条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それを提示して議論してもらわなければならない。」(p.164)

そして以上のような点をふまえて、具体的に、自民党草案を批判していく。

(樋口)「つまり、今の憲法は「西欧かぶれの天賦人権ぶりでよろしくない」と言っている。」
(小林)「それと同時に「日本の伝統のなかには、一人ひとりが生まれながらにして権利をもっているなどという考え方はない」ことを示唆している。つまり、すべての人、一人ひとりが生まれながらにして権利をもっているという考えを、きっぱり捨てていますからね。」
(p.71)

そして、「道徳」と「憲法」は別次元のものであるとする。

以上のようなところが、私なりに読んで、基本的にこの本から読み取るべき重要なポイントかと思う。

なお、特に現在の憲法の正統性をめぐっての議論は、いろいろと批判があるかもしれない。かつて戦後において、日本がアメリカの占領下にあったとき、つまり主権がなかった、あるいは、制限されていたとき、制定された現在の憲法についての懐疑が、改憲を主張する立場としては強くいいたいところであろう。

この意味では、本書の最後の方に出てくる「憲法制定権力」を見る必要がある。

(樋口)「さて、あえて輝かしいと言いますが、憲法制定権力の輝かしい先例が、フランス革命です。目の前にある旧体制を粉砕し、一切の手続きによらずとも、憲法制定権力の持ち主である国民が選んだものが憲法になる。」(p.202)

(樋口)「つまり憲法制定権力よりも改正権限のほうが一段下なのです。それゆえ、改正権限を使って、憲法制定権力を動かすことはできず、したがって国民から主権を奪うこともできません。」(p.203)

(小林)「新しい憲法を制定するというのは、体制そのものの転換です。」(p.204)

今般の改憲論議は、憲法の改正にとどまるものなのか、それとも、「憲法制定権力」の存在にまでかかわることなのか、このあたりの議論も必要となってくるのであろう。

この本、いわゆる「八月革命論」にたっている。(p.215)

(小林)「主権国家・大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れたのです。だから、自民党の改憲マニアが繰り返す、日本国憲法無効論は間違っています。」(p.215)

ということは、「8・15革命論」を論理的に打破しなければ、憲法改正はあり得ないということになる。

そして、このような指摘もある。

(樋口)「欧米のメディアは、安倍政権の初期の段階から、あれは保守政権ではないと見抜いて、革命ナショナリスト勢力だと書いていました。日本の新聞は、いまだに保守政権として分類しているようだけれども、戦後の体制を離脱する、あるいは壊したいと言っているのだから、今の自民党は革命政党ですよ。」(p.210)

まずは、保守・革新、右翼・左翼といったことばの定義から考え直さないといけなくなるだろう。

ともあれ、本書の読後感としては、現在の憲法を変えるべきだというのであるなら、現在の国際情勢・社会状況、さらには、近現代の歴史(日本史・世界史)を、きちんとふまえたうえでの議論を展開すべきことになる。

この本を読んで感じることは、憲法というものは、立憲主義を基本におくとしても、そのうえで、憲法は、あくまでも、歴史的・社会的に構成されているものである、という考えである。憲法改正の是非はともかく、このような視点の持ち方だけは、確かなものとして理解しておかなければならないと思う。さらには、保守・革新といった概念の再検討も必要になってくる。

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